表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/99

第97話:潰走

北部戦線は――崩壊した。

指揮系統は断たれ、陣形は裂け、

統制は消えた。


残されたのは、

包囲をかろうじて抜けた者たちの、

泥を這うような敗走だけ。


「止まるな! 振り向くな!

生き残るんだっ!!」


叫びは冷たい風に散る。

背後で爆音が響くたび、

誰かの命が露のように消えた。


振り向いた兵の視界を、

巨大な黒い影が薙ぎ払う。

影が膨張し、

次の瞬間には兵の姿は呑み込まれていた。


悲鳴すら、残らない。


別の場所では、負傷した戦友を担いだ若い兵士が森へ駆け込んでいた。


「もう少しだ……あと少しで――」


地面から噴き出した蛇が、

その足首を容赦なく絡め取る。

倒れ込みながらも仲間を庇う。


だが、

降りてきた「影」に森の奥は沈み、

血の匂いだけが広がった。


包囲は、完成していた。


閉じた輪の内側。

立ち昇る黒煙の下に、

もはや「戦線」など存在しない。


あるのは掃討。

あるいは「処理」という名の蹂躙だ。


グローデンが歩くたび、

大地が沈み、

抵抗する兵たちが等しく踏み潰される。


盾も、魔術も、誇りすら、

そこでは何の意味も成さなかった。


そして、包囲の外側。

奇跡的に逃げ延びた者たちを待っていたのは――リシュヴァ。


彼女は影を広げ、

森そのものを魔力で侵食していた。


「あぁ、そんなに焦らないで」


無数の蛇が囁く。


「……恐怖っていうのはね、

一番に熟れた『その瞬間』を摘み取るのが、最高に美味しいのよ」


影が枝を縫い、

逃げる兵の足を一本ずつ摘み取っていく。


北部戦線は――この日、

地図から消えようとしていた。


♦︎


森の奥。


空間が裂け、

転移の光とともに悠真とセレスが転がり出た。


「はぁ……はぁ……ッ!」


セレスの顔は蒼白だった。


「……南西三十キロ圏内。

でも、まだ安全じゃない……」


言葉の途中で膝をつく。

魔力の消耗が激しい。


悠真は立ったまま、動かない。

遠く、空を汚す黒煙を見つめている。


「……終わった」


感情が削げ落ちた、空虚な声。


セレスは息を整え、顔を上げた。


「終わっていないわ」


静かに。

揺れはあるが、声は落ち着いている。


「北は崩れた。でも王都は残っている。

中央もまだ持ちこたえている。

戦争は、一箇所で決まるものじゃない」


理性的な声音。

現実を直視しながら、

切り捨てない言葉。


だが。


「北は壊滅したんだ」


悠真が遮る。

声は、ひび割れた鏡のように冷たい。


「兵も、陣地も、全部」


「……リィナも」


沈黙。

風が森を揺らす。


悠真の拳が、

白くなるほど震えていた。


「……助ける」


小さく。

自分に言い聞かせるように。


セレスはゆっくり頷いた。


「ええ。必ず助けるわ」


感情論ではない。決意として。


悠真はかすかに笑った。

壊れたように。


「でも、どうやって?」


返答できない。分かっている。


魔将二人。

完全包囲。

圧倒的戦力差。


現実は重い。


「俺のせいだ」


ぽつり。


「俺が止まったから。

俺が、弱かったから……!」


「違う!」


セレスが叫ぶ。


「あなた一人に背負わせるほど、

王国は軽くない。

あなたは止まってなんていない!

あなたは――」


言葉が詰まる。


「リィナは、捕まった。それが現実だ」


悠真の目が、

濁ったままセレスを射抜く。


「俺は……災厄だ」


セレスの呼吸が乱れる。


「それは因果を飛躍させすぎよ。

あなたが弱かったから捕まったんじゃない。敵が強かったからよ」


理屈は正しい。

だが届かない。


その瞬間。


森の奥で枝が折れる音。


セレスが顔を上げる。


魔力反応。複数。速い。


「……追ってきてる」


低い声。


「転移座標を読まれたわ」


影が木々の間を走る。

黒い気配。魔王軍の追撃隊。


執拗だ。狙いは明確、悠真だ。


「動いて!」


セレスが立ち上がる。


「もう一度跳ぶわ。長距離は無理。

でも刻めば逃げ切れる」


悠真は動かない。

足が地に縫い付けられたように。


「悠真!」


影が迫る。

矢が飛ぶ。

セレスが防壁を展開。衝撃が走る。


「……お願い、立って」


声が震える。


「今ここで止まったら、

本当に全部終わる」


悠真は動けない。

身体ではなく、心が。


リィナを置いてきた。

助けられなかった。

その事実が、足枷のように絡みつく。


「彼女が繋いだものを、

ここで断ち切るの?」


セレスの声が刺さる。


「あなたを生かすために、

あの子は残ったのよ!」


悠真の瞳が、揺れた。

脳裏に浮かぶ、遠ざかる彼女の姿。


(――信じてる。)


無音の言葉が、

胸の奥で火花を散らす。


蛇が幹を這い、牙が目前に迫る。


悠真は、

ゆっくりと拳を握りしめた。

まだ、何も決まっていない。

だが。


「……跳べ」


短く。


セレスが唱えると同時に、

光が走る。

影が食らいつく直前、

二人の姿は掻き消えた。


残されたのは、裂けた大地と、

執拗に匂いを追う黒い蛇だけだった。


♦︎


意識が浮上する。

冷たい、石の感触。


「……っ」


リィナは瞼を開けた。

薄紫の燐光が壁を伝う、

人工的な洞窟。


身体を動かそうとするが、

黒い蛇が四肢に絡みつき、

脈動しながら締め上げていた。


「……最悪」


小さく吐く。


声は震えていない。


恐怖はある。

でも、まだ飲み込まれていない。


「起きたのね」


甘い声とともに、

リシュヴァが現れる。

指先で蛇を撫でる。


「……暴れないで?

綺麗な表情が台無しよ。

……そう、今のその顔。

希望が死にゆく瞬間を……もっと近くで、じっくり堪能したいの。」


「拷問? それとも餌?」


リィナは弱さを見せず、

リシュヴァを睨みつける。


リシュヴァが笑う。


「どちらも違う」


一歩近づく。瞳が、楽しげに細まる。


「あなたは鍵よ」


リィナの背筋が冷える。


「……悠真を釣るため?」


「賢い子」


蛇が顎を持ち上げる。

無理やり視線を合わせさせる。


「あなたが壊れれば、あの子も壊れる。

あなたが死ねば、あの子は暴走する。

……どちらも、

最高に美しい結末だと思わない?」


リィナは鼻で笑う。


「残念。あいつは、そんな単純じゃない」


だが、内心は震えていた。

悠真の、あの空虚な目が離れない。


「そうかしら?」


リシュヴァの指が頬に触れる。冷たい。


「あなたが惨めに泣き叫ぶ姿を見せても……それでもあの子は、来ないのかしら?」


沈黙。


リィナは目を逸らさない。


「泣くわけないでしょ」


強がりではない。意地だ。


「……あいつは来ないわ」


静かに。はっきりと言い切った。


リシュヴァの眉が、わずかに動く。


「ほう?」


「これは罠。見え見え。

あいつはもう、戦場を背負ってる。

あたし一人のために、

全てを捨てるようなバカじゃない」


言葉にすると、胸の奥が軋む。

でも続ける。


「来ない。来させない。

それがあたしの役目」


蛇が締まる。

骨が軋む。

呼吸が削れる。


それでも、視線は逸らさない。


リシュヴァはしばらく黙っていた。


「……素敵」


指先が、額に触れる。


「でもね。来る来ないは、

あなたが決めることじゃないの。

それはあの子が決めること」


リシュヴァが微笑むと同時に、

壁面に転移式の紋様が浮かび上がった。

広域伝播魔法。


「あなたの“位置”は、

もう撒いてあるわ。

魔力の波長、血の匂い。

あなたが息をするたび、世界に滲む」


理解する。

狩りだ。


悠真を理不尽な選択に追い込み、

精神を削り殺すための。


「あの子が理性を失えば、それでいい。

来なくてもいい。

焦ればいい。迷えばいいわ」


リシュヴァは愉悦に肩を揺らし、

闇の奥へと歩き出す。


「――いい子で待っててね。

あの子と、

もう少しだけ遊んでくるから」


足音が遠ざかる。

闇が戻る。


静寂の中、

リィナは深く息を吐いた。


来ないで。来てほしくない。

でも――。


リィナは視線を落とした。


黒い蛇のような魔力が、

肋骨を軋ませるほど締め上げている。


息が吸えない。


視界が白く弾ける。


だが。


(違う)


本気で殺す拘束ではない。

締める力に、わずかな“余白”がある。


殺すなら、もっと速い。

もっと確実に潰せる。


なのに――


潰さない。


(ああ、そういうこと)


私は餌だから。


悠真を引きずり出すための。


なら。

私はまだ“使い道がある”。


蛇が締め上げる。

骨が軋む。


それでもリィナは、ゆっくり目を閉じた。


(利用してやる)

第97話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)


リアクションd(^^) もたくさんいただいて嬉しいです! ありがとうございます!


次回は、

第98話『追尾の魔女』


後方。


影の中からその様子を観察していたリシュヴァは、薄く唇を吊り上げた。


「あらら? 消耗が激しいのかしら。

あんなに綺麗だった術式が、

見る影もないわね」


「……ふふ。このまま殺せちゃうわね」


───────────────

ブックマーク・評価していただけると、

更新の励みになります!


(ブックマークすると次回更新のお知らせが来て便利ですよ〜m(_ _)m)


感想やご意見もいつでもお待ちしています!

みなさんの声が本当に力になります。

よろしくお願いします。

次回もぜひお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ