第65話:速すぎるセレスの魔力消費
さらに進むにつれ、輸送路の両側に立つ木々は無残に焼け落ち、灰色の幹だけが槍のように突き立っていた。
地面には巨大な爪痕が走り、風に乗って焦げ臭い匂いが鼻を突く。
「……ここ、ほんとに通るにゃ?」
リィナが耳を伏せて警戒し、
周囲をキョロキョロ見回した。
「通らなきゃ、巣には近づけない」
悠真は短く答える。
「逆に言えば、この荒れ具合は“何か”がここを縄張りにしているって証拠だ」
セレスが横目で彼をちらりと見た。
「肝が据わってるっていうか……
もう腹が決まりすぎてるっていうか。
あなたって、本当に退く理由を探さない人ね」
「性分だよ」
悠真は肩をすくめた。
「怖いからって立ち止まるより、
先を見据えてる方が冷静でいられるんだ」
その言葉に、セレスはほんの一瞬だけ口元を緩めた。
そして自然な動作を装うように、体を寄せる。肩が軽く触れた。
「……でも、そういうところ、嫌いじゃないわ」
「セレス! 距離感おかしいにゃ!」
リィナが即座に反応し、
耳をピクピク立てて抗議した。
「風よ、風」
セレスは澄ました顔で言い返す。
「この谷、横風が強いんだから」
リィナが大きくため息をつく。
「言い訳が雑すぎるにゃ……」
悠真は苦笑いを浮かべた。
「今は集中しよう。
冗談言ってる場合じゃない」
そう言いながらも、
耳の先が少し赤くなっていた。
「未知の場所ほど危険は増すわ」
セレスは前を向いたまま、低く続ける。
「……こういう場面で油断すると、
一気に持っていかれるものよ」
三人は足音を殺し、奥へと進んだ。
岩肌に吹きつける風は、まるで巨大な獣がすぐ近くで羽を休めているかのようだった。
「……この音」
セレスが小声でつぶやく。
「風じゃなくて……呼吸みたい」
「呼吸……?」
リィナが尻尾をぴんと立てて振り向いた。
「ええ。巨大な何かが、
私たちを見張ってるみたい」
悠真は二人に軽く目配せし、谷底を指差す。
「――巣は、あの先だ」
夕陽が山の向こうに沈み、
谷間は急速に暗さを増していく。
風は冷たく、どこか血の匂いを含んでいるように感じられた。
三人のシルエットが、
薄暗い峡谷に細く長く伸びる。
谷の奥へさらに踏み込むと、
音の方向感覚が狂い始めた。
切り立った崖に反射して、あらゆる方向から不気味なうなりが響く。耳が正しく機能しなくなるほどだ。
「まるで音の迷路にゃ……」
リィナが片耳を押さえ、
猫のように身を低くする。
「どっちが正解か、風が教えてくれないにゃ……」
彼女の弓の弦が、強風に震えて微かに鳴った。
その音が、魔物への合図のように響いた気がして
――三人は息を潜めた。
「さっきより風が強いわ……」
セレスが吐息混じりに呟く。
白い息が頬にかかり、
すぐに乱気流に散った。
「風速も音の反射も……計算が追いつかない」
「無理に感知しなくていい」
悠真が低い声で制した。
「まずは足場だ。一歩間違えれば谷底だぞ」
足元は岩がごろごろ転がるガレ場。
風は谷底から容赦なく吹き上げ、耳を劈くようなうなりを立てる。
ただの風切り音かと思えば、時折――獣の咆哮のようにも聞こえた。
「……見て、あれ」
リィナが震える声で指差す。
古びた鉄兜が、風に転がされ崖下へ落ちていく。
――音はしない。
深すぎて、底に着く音すら届かない。
その先の岩場には、
白骨化した遺体や折れた槍が散乱していた。
かつての冒険者たち。
ここに来た者は、誰も帰れなかった。
リィナの声が、かすれる。
「……死角、だらけにゃ……」
それを見て、悠真が眉をひそめ、簡易地図を広げる。
「おかしい……地図じゃ、
この先にこんな谷は載ってない」
道は崩落と落石で完全に変わり果てていた。
「魔物の羽ばたきで……岩が崩されたんじゃないかにゃ……」
リィナが弓を握りしめ、耳を伏せて呟く。
「視界も悪いし、風に乗って近づかれても気づけないにゃ……」
その瞬間、風が不意に激しくなり、岩肌が震えた。
砂粒が雨のように降り注ぎ、視界を埋め尽くす。
悠真は咄嗟に盾を召喚して、二人の前に立った。
「二人とも、くっついてろ!」
轟音とともに、谷の奥から巨大な影がゆっくりと動き始めた気配がした。
「大丈夫にゃ……でも、
風が耳を裂きそうで痛いにゃ」
リィナが耳を伏せ、顔をしかめる。
セレスが額を押さえ、片膝をついた。
「魔力が……速すぎる。
消耗が激しすぎて、収支が合わないわ……」
魔力感知を維持するだけで、体が重い。
乱気流が魔力を乱し、
無駄に消費させているようだ。
悠真は咄嗟に彼女の腕を支えた。
「セレス、無理するな」
その手に触れ、セレスは一瞬だけ視線を伏せる。
リィナが横目でチラリと見て、耳をピクッと動かした。
「油断するなよ」
悠真の声に緊張が滲む。
谷の奥から、かすかな羽音が聞こえ始めた。
最初は一羽かと思ったが、次第に複数だとわかった。
「群れね」
セレスが立ち上がりながら低く呟く。
「数は読めない……最悪よ」
リィナが矢を一本抜き、弓に番える。
「じゃあ、迎え撃つまで!
ここで引き返すよりマシにゃ」
三人とももう後戻りはできないと悟り、谷底へ進む。
崖の上では、風と溶け合うように巨大な影が旋回し始めていた。
やがて視界が開け、断崖が折り重なる広大な空間が現れる。
「あそこ……グリフ谷にゃ」
リィナがつぶやく。
古い石碑が風に晒されて立っていた。
風化した文字はほとんど消えかけているが、かろうじて――
「帰らずの翼」
悠真は剣の柄を握り直し、
苦笑を浮かべた。
「帰らずの翼、か……縁起でもない名前だな」
「でも、あなたのことだから引き返す気なんてないんでしょ?」
セレスがかすかに笑い、顎を上げる。
「きっと、ここは飛行魔物にとって“城”なんでしょうね。
視界の高さ、風の流れ、滑空の角度。
全て“狩る”ために作られた設計図のようだわ」
言葉を切った途端――
風が激しくなり、巨大な影が峡谷の壁すれすれを滑るように横切った。
鋭い羽音を残して急上昇し、
上空へ消えていく。
「見たにゃ……!」
リィナが耳を伏せ、
弓を構えて声を潜めた。
「ああ」
悠真が剣を抜きかける。
「索敵の一匹ね」
セレスが目を細め、息を整える。
「本体はもっと奥……」
だがその時、悠真は気づいた。
セレスの足元に集まる冷気が、
いつもより頼りなく薄い。
彼女の顔色も、わずかに青ざめている。
「……セレス?」
「平気……よ」
セレスは即答したが、吐く息が白く、顔色が悪い。
この風に触れた瞬間から、
魔力がすっと削られていく
――まるで空気そのものが魔力を喰らっているかのように。
「……違うわ。乱気流のせいだけじゃない」
セレスが小さく呟く。
「この風が……私の魔力を直接吸ってる」
「セレス、無理するな。少し下がってろ」
悠真が低く言い、彼女の腕を強く支えた。
「足場と視界だけで十分だ」
「それが……できないの」
セレスは額を押さえ、膝を震わせる。
「探知を止めれば位置がわからなくなる。
でも続けると……消費が速すぎる」
「セレス……少し休んで!」
リィナが不安げに耳を伏せ、駆け寄る。
セレスの足元に、
頼りない冷気が一瞬だけ霜を結んだ。
だが乱気流に飲み込まれ、
跡形もなく散ってしまう。
「……大丈夫」
セレスは強がって笑おうとしたが、
唇がわずかに震えていた。
「ごめんね。計算じゃ、まだ持つはずだったのに……最悪の相性だわ」
そのとき――谷の奥から、
複数の羽音が重なって響き始めた。
一つじゃない。群れだ。
悠真は顔を上げ、剣を構える。
薄暗い高みで、
風を裂くように巨大な影が、
また一匹、また一匹……と増えていく。
「……来るぞ!」
悠真が鋭く告げた。
セレスは歯を食いしばり、
最後の一押しで魔力を巡らせた。
だがそのたびに、
体から何かが確実に奪われていくのを感じる。
――この谷では、
戦う前に力尽きるかもしれない。
冷たい風が、三人の背中を撫でた。
上空からは鋭い風切り音。
――本格的な襲撃が、始まる。
第65話、最後まで、ご覧いただき本当にありがとうございます。(^^)
なんとか続いてます。感謝です。
次回は、
第66話『群れの襲撃、セレスの消耗』です。
崖縁で揺れ、足元の石が崩れた。
悠真は迷わず彼女の腰を抱き、引き寄せる。
「しっかりしろ!」
「……ごめんなさい……」
セレスは荒い息を吐きながら呟いた。
「もう……魔力が……底を……」
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