第61話: 「これが、天才魔法使いの戦い」
放たれた氷の光が地を走り、
たちまち三匹の魔物は氷像と化した。
――はずだった。
だが、力は暴走し、
氷槍は制御を失って四方に弾け飛んだ。
雪煙とともに氷の破片が爆ぜ、
鋭い欠片が容赦なくセレスの腕と頬を裂く。
「くっ――!」
体勢を崩すセレスの前に、
ルヴェリアが飛び込んだ。
杖を振るうより早く、指先で風を呼び、
薄い膜のような障壁が張られる。
氷片はその表面で弾かれ、
鈍い音を立てて散っていった。
「セレス!」
「だ、大丈夫です……私、平気……」
そう言いかけて、セレスは息を詰まらせる。
頬に触れた指が、赤く染まっていた。
ルヴェリアは素早く傷口を確認し、
応急の回復魔法を施す。
彼女は、氷魔法こそ得意ではないが、
精霊術や結界、錬金まで多岐にわたる万能型だ。
温かく柔らかい光がセレスの腕を包む。
「無理に抑え込もうとしたわね」
責める響きはなかった。
ただ事実を告げる、落ち着いた声。
「……ごめんなさい。守るつもりが……」
「違うわ」
ルヴェリアは首を横に振る。
「あなたは、ちゃんと守ろうとした。
呼びかけに応えたからこそ、精霊は動いたの。
ただ――力が多すぎただけ」
セレスは目を見開いた。
村では「危ないからやめなさい」と言われ続けてきた力だ。
祖母でさえ、どこか怯えた目で見ていた“声”。
それを、この人は否定しない。
「私……強くなりたいです」
声が、震えた。
「精霊と、ちゃんと話せるように。
力を……怖がらずに使えるように……!」
ルヴェリアの口元が、わずかに緩む。
「いいわ」
そして、少しだけ意地悪そうに続けた。
「じゃあ、ここで終わりじゃないわね。
これからもっと厳しくするけど、
覚悟はできてる?」
「はい!」
即答だった。
血のにじむ手を、強く握りしめる。
痛みは残っている。
けれど、それ以上に、胸の奥が熱かった。
それからの数日、
ルヴェリアは自らの得意分野を応用しながら、
セレスに氷魔法の制御を徹底的に叩き込んだ。
風の流れで魔力を整え、
光の粒で集中を研ぎ澄ます――一
一見すると氷とは関係のない訓練だったが、
セレスには不思議としっくり来た。
「精霊と“話す”のが先よ。
魔法はあとでついてくるわ」
ルヴェリアはいつもそう言った。
夕暮れの雪嶺。
赤く染まる山肌を背に、セレスは杖を構える。
以前のような焦りはない。
呼びかけは、もはや風の囁きではなく、
自分の胸の奥から湧きでる“声”になりつつあった。
(もっと、もっと……私はできる……)
少し離れた岩陰で、ルヴェリアはその姿を見守っていた。
風に揺れる赤みがかった髪。
細められた眼差しは、師として、
そして魔法使いとしてのそれだった。
(……やっぱり、この子は特別なんだわ。
この山が、そして精霊たちが、
最後に選んだ子なのかもしれない……)
雪嶺の空に、
薄いオーロラが浮かんでいく。
まるでセレスの未来を祝福するかのように、
静かに揺れる光の帯が天を飾っていた。
ーーーー
その日、雪嶺の村は、
これまでにない重苦しさに沈んでいた。
村の中心に据えられた祭壇
――そこに祀られているのは、
古代より受け継がれてきた《氷柱の盾》。
伝説では、
氷鱗王ヴァルスルグと対峙した勇者が、
最後まで手放さなかった防御の象徴だと言われている。
その盾が放つ力は、
長い年月を経て、確実に衰えていた。
結界の膜には細かな亀裂が走り、
淡い光が脈打つたび、
まるで凍った湖面が砕けていくような、
かすかなきしみが響いた。
その音は小さい。
だが、確かに“終わり”が近づいていることを告げていた。
村人たちは息を殺し、
ただ一人の女性を見つめていた。
ルヴェリア――若くして天才と呼ばれた魔法使い。
茶味がかった赤銅色の髪を揺らし、
彼女は杖を構えた。
全属性の魔法を操り、
数多の魔法書を読み解いたその実力は、
伝説の勇者に続く希望そのものとされていた。
氷魔法こそ専門ではないが、それでも、
彼女の魔力制御と魔法の精密さは圧倒的だった。
「……やっぱり、もう限界ね」
祭壇の前に立つルヴェリアは、
短く息を整えた。
村人たちの恐怖に満ちた視線を背に、
ありったけの魔力で結界を維持している。
だが、精霊の加護が薄れた今、
たとえ氷精霊に選ばれし一族の末裔であっても、
かつてのような大規模な結界を操ることはできないだろう。
ルヴェリアの魔法は万能型、
それは強みであると同時に、
ここでは重荷だった。
氷に特化していないぶん、
結界の維持は想像以上に過酷だった。
「ルヴェリアさん……大丈夫、ですか?」
駆け寄ったセレスに、
ルヴェリアは一瞬だけ弱い笑みを見せ、
すぐに祭壇へ視線を戻した。
「セレス、ここから離れて」
「でも……!」
「駄目っ.....!
維持できないかもしれないわ。
あなたには、まだ――」
その言葉をかき消すように、
結界が派手に破裂した。
冷たい風が一気に流れ込み、
雪煙の向こうから黒い影が這い出てくる。
狼のような姿をした魔物たち――長い牙と凍った鱗を持つ“フロスト・ファング”の群れだった。
ルヴェリアは咄嗟に杖を振り、
炎の矢と風の斬撃を混ぜた魔法を放つ。
火と風を得意とする彼女にとって、
最速で敵を牽制できる手段だった。
しかし、群れは止まらない。
結界の庇護を失った今、
彼女ひとりで防ぐのは無謀に近い。
「ルヴェリアさん!」
「……大丈夫よ。私がやる」
短く告げると、
周囲に魔法陣がいくつも浮かび上がる。
炎と風の刃、石槍の列……
全属性を同時展開する高等術式。
大人たちが慄然とするほどの光景だった。
咆哮とともに押し寄せる“フロスト・ファング”の群れに、魔法の刃が叩き込まれる。
炎と風が爆ぜ、雪煙が巻き上がり、
数十体の魔物が吹き飛ばされた。
セレスは思わず言葉を失った。
師匠の力が、これほどまでとは。
ルヴェリアはさらに杖を振り抜き、
雪を竜巻のように舞い上げて群れを散らし、
氷の杭で連鎖的に敵を凍らせた。
精霊の加護は弱まっているはずなのに。
それでも彼女の魔法は、
まるで氷そのものを支配しているかのようだった。
――これが、天才魔法使いの戦い。
幼いセレスの胸に、
言葉にならない感情が渦巻く。
憧れと、震えと、そして――
だが、どれほど圧倒的な力を振るおうとも、ひとりで守り切れるものではなかった。
氷柱の盾の結界は、
目に見えて崩れ続けている。
裂け目から魔物は途切れることなく押し寄せ、雪嶺の村はゆっくりと喉元まで追い詰められていった。
ルヴェリアは一歩も退かない。
魔力を削りながら、歯を食いしばり、杖を振るい続ける。
――けれど。
セレスの目には、
それがはっきりと見えていた。
(……揺らいでいる)
(あの人の背中が……)
誰よりも強く、誰よりも前に立つ師匠。
その背が、ほんのわずかに傾いている。
息が荒くなり、動きに迷いが混ざり始めている。
――このままじゃ。
「私が……行かなきゃ……!」
胸の奥が、ひりつくように痛んだ。
考えるより先に、
セレスは祭壇へ駆け出した。
「セレス、来ちゃダメ!」
ルヴェリアが振り向く。
だが、その声が届くより早く――
ガキン、と。
祭壇の中央で、氷柱の盾が音を立てて崩れ落ちた。
冷気が爆発するように広がり、
結界の残滓が雪煙となって舞い上がる。
裂け目の向こうから、
魔物の群れが再び雪を蹴った。
セレスは足を止めなかった。
ただ、必死に、師匠の背中だけを見つめ続ける。
炎も、風も、土も操るその姿は、確かに圧倒的だった。
けれど今は――限界に近い。
村の人々がすがる視線を送る中で、ただひとり、自分だけが知っている――師匠の弱さと孤独を。
「……お願い、もう少しだけ……!」
ルヴェリアは魔力をさらに絞り出す。
額から汗が流れ、白い息が濃くなる。
その背を見つめ、
セレスは胸が熱くなるのを感じた。
師匠は、どんな時でも背筋を伸ばし、誰より先に動く。
氷魔法が得意ではなくても、
全属性を使いこなして戦う。
セレスの知る誰よりも勇敢で、
誰よりも強い――そう思っていた。
だが今、その背中が細く見える。
揺らぎ、倒れそうに見える。
セレスの心臓を激しく打った。
ルヴェリアは氷壁を張ろうとするが、
腕は震え、杖が小刻みに揺れ、
火花のように魔力が散っていく。
そして――ついに、魔物の牙が......
「やめてぇぇぇぇ!!」
セレスは叫んでいた。
自分でも、どうしてあんな声が出たのかわからない。
ただ胸の中でなにかが弾けたように、全身に冷たい力が満ちた。
次の瞬間。
風が、止まった。
雪が舞い上がり、空気そのものが凍りつく。
「……精霊さま……お願い……!」
セレスは両手を胸の前で組み、必死に祈った。
幼いころから聞こえていた、あの“声”。
――今、その声がこれまでになく鮮明に響いていた。
《私たちは、ここにいる》
《恐れを、手放して》
《私たちを、感じて》
熱い涙が頬を伝う。
怖さと悔しさ、そして
――師匠を守りたい、その一心だった。
「私に……力を貸して……!
精霊たち……!」
青白い光が、
セレスの足元から立ち上る。
粉雪が星屑のように瞬き、
髪も瞳も淡い氷色に染まっていく。
空気が震え、
氷の囁きが、“形”を持ち始めた。
次の瞬間――
ズアァァァン!
セレスの周囲に、無数の氷柱が突き上がった。
鋭い針のようなそれは一瞬で連なり、
厚い氷壁となって魔物たちの突進をせき止める。
フロスト・ファングたちが氷に激突し、
悲鳴を上げて弾き返された。
「う、そ……セレス……?」
第61話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。(^^)
皆さんのおかげで続いてます。感謝です。
次回は、第62話『どうか笑わずに待っていてほしい』です。
ルヴェリアは後ずさりしながら杖を構え、氷の槍を呼び出す。
鋭い氷槍が幾本も生まれ、
獣の胸を狙う。
しかし獣はそれを砕き、
なお勢いを止めない。
「くっ……!」
避けきれない。
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