第59話:悠真が選んだ世界
金青の光が甲板を包んだ瞬間、
世界は息を止めたように静まり返った。
閉じかけた門だけが、
かすかに鼓動しながら脈打っている。
その縫い目の向こう――
摩天楼の残像がまだ、煙のようにゆらめいていた。
セレスもリィナも声を失っていた。
ただ、唇を噛みしめ、固唾を飲んで悠真の背中を見つめることしかできない。
――閉じるか。
――渡るか。
もう覚悟は決まっている。
すべて終わらせる。――それだけは、譲れない。
……なのに。
視界の奥で、薄れゆく都市の影。
交差点を走る人影、奇妙な金属の鳥が空を渡る音、眩い広告の光……。
胸の奥が、痛いほど揺れた。
(……帰れるのかもしれない……本当に)
喉の奥で、乾いた笑いが漏れた。
「……わかったよ」
悠真は低く笑い、肩の力を抜いた。
「あはは……選べばいいんだろ?」
言葉とは裏腹に、指先は震えていた。
覚悟はある。迷いも振り切ったつもりだ。
――それでも、惹かれてしまう。
(ここに残るのか、それとも……)
懐かしいあの世界の光が、
門の底で手招きするように揺れている。
閉じるべき門。
戻れるかもしれない故郷。
そして、自分の選択ひとつで決まる未来。
悠真はゆっくりと門へ手を伸ばした。
冷たい。
けれど、胸の奥が熱くなるほど懐かしい。
(……俺は……)
光が脈動し、選択を迫るように掌へ食い込んだ。
門は、閉じもせず、開きもせず、
ただ悠真の決断を待つように揺れている。
そのとき、背後から――震えるような、
でも確かに届く2人の声が重なった。
「悠真ー!」
切実で、祈るような叫び。
それは、悠真の背中に突き刺さり、
胸の奥の揺らぎを一瞬で溶かした。
(……ああ、わかってるさ。
俺は、もう決めたんだ!)
その声に導かれるように、悠真の唇が微かに動いた。
「……俺は――」
言葉の瞬きとほぼ同時に、
門を包む光がふっと強まった。
海も空も、船も、世界のすべてが一拍だけ金青に染まり、風のざわめきさえ消える。
世界は――次の瞬間、どちらかに傾く。
「……俺は―― この世界に残る!!」
その叫びが、門を貫き、
次元を、運命を、すべてをねじ伏せた。
《黎明の導印》が呼応するように脈動し、
灼れた刻印が胸の奥まで金青の奔流を叩き込む。
転位、界縫、導光――三つの特性が同時に立ち上がり、
門を“永遠に開かぬ楔”へと変えた。
鮮やかだった摩天楼の影が、
霧のように遠ざかり、粒子となって散っていく。
(……さよなら)
そのつぶやきに、
導印の光が一際強く弾けた。
門を縫っていた赤い糸がすべてほどけ、
世界へ金青の光が奔る。
――音もなく、門は閉じた。
裂け目は光の羽のように散り、
すぐに消え去った。
残ったのは、ただ夜の海と、
静かに揺れる波の音だけ。
悠真は肩で息をしながら、
甲板を見下ろす。
――そこにあったはずの《黎明の導印》も、
最後の輝きを放つと、淡い粒子となって霧散していった。
彼はゆっくりと膝をつき、掌でその場所をそっと撫でる。
「……勝った、のにゃ……?」
リィナが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら言った。
悠真は優しくうなずいた。
「……ああ。もう、帰れない」
セレスが静かに近寄り、船べりに手を置く。
「でも……見えたんでしょう?あなたが生まれ育った世界を」
悠真は目を細め、静かに笑う。
「そうだね……夢みたいに、一瞬だけ」
(……でも、いつか――)
海風が変わる。
もう魔力の風ではない、潮の匂いのする風だ。
夜空には月が戻り、薄い光を海に落としていた。
月の向こう、雲の切れ間に――
ほんの一瞬だけ、ビルの輪郭が浮かび、すぐに霞んで消えた。
残像か、記憶か、それともまだ見ぬ未来の予兆か。
まるで「ここからが始まりだ」とでも言っているかのように。
「……本当に、終わったんだな」
悠真がつぶやく。
セレスが優しくほほえむ。
「ええ。あなたが終わらせたのよ」
リィナが両手を広げて飛びつく。
「悠真!無茶しすぎにゃ!」
三人はそのまま甲板に座り込み、
海風を胸いっぱいに吸い込んだ。
波が静かに寄せては返す。
さっきまでの激闘がまるで幻だったかのように、夜明け前の青空がどこまでも広がっていた。
悠真は最後にもう一度、
消えた門の場所を見やった。
(……あの光景は……。
ただの残像ではない、
現実の世界だった……)
胸の奥で、刻印の脈がほんのりと熱を帯びた。
ゆっくりと息を吐く。
「……帰ろっか」
セレスとリィナが頷く。
こうして、長い戦いに終止符が打たれた。
だが悠真の心には――閉ざされた世界の向こうへの微かな憧れが、まだ温かく灯っていた。
ーーーーー
陽光が港を金色に染めていた。
数日ぶりの静かな朝だ。
潮風には焦げた魔力の匂いも残っていない。
代わりに魚市場の湯気と、
船大工たちの笑い声が混じって漂ってくる。
悠真は桟橋の端に腰を下ろし、
靴を脱いで足を海へ浸した。
冷たいのに、妙に柔らかい。
戦いの後に触れる水は、こんなにも違うのかと思う。
リィナが屋台で買った焼き魚を両手に持って、にこにこしながら近づいてくる。
「ほら、これ、朝市の一番にゃ。
食べる?」
「ありがと。
……すっかり普通の匂いが戻ったな」
「にゃはは、やっとお腹いっぱい食べられるにゃ」
彼女はそのまま海辺に腰を下ろし、
魚にかぶりつく。
尾をぱたぱた揺らしながら見上げた空は、雲ひとつない。
「あ、そうそう」
リィナが口をモグモグさせながら
思い出したように言った。
「エルムの妹、リオナちゃん、
完全に元気になったそうだよ。
昨日、エルムが港に来て“大恩人です!”って頭下げてたにゃ」
悠真は目を細めて笑った。
「……そうか。よかった」
少し離れたところでは、
セレスが子供たちに魔法を見せていた。
掌にほんのひとすじ魔力を流し込み、
小さな氷の鳥や花をつくって渡すと、
子供たちは歓声をあげて走り去っていく。
戦いのなかで見せた氷の魔法とはまるで別物の、繊細で、ただ美しいだけの魔法。
セレスの横顔には微笑みがあった。
「……いいな、こういうの」
思わずこぼれた悠真の声に、
リィナが耳をぴくりと動かす。
「にゃ?」
「いや、なんでもない。
ただ……こうやって港に座って、
魚食べて、海を眺めてるのが……いいって思っただけだよ」
「そりゃそうにゃ。
人間はずっと戦いっぱなしなんて無理にゃ」
魚の身を口につけたまま言うその表情が、やけに明るい。
遠くで船の鐘が鳴った。
出航の合図らしいが、悠真は立たなかった。
今はただ、潮騒と笑い声と子供たちのはしゃぐ音に包まれた、この平和な朝を噛み締めたかった。
(……この世界はまだ終わっていない。
まだ間に合うんだ……)
彼は目を閉じ、小さく息を吸い込んだ。
潮風の匂いは、
戦いのときよりずっと鮮やかだった。
波は穏やかに、港の石段を撫でている。
陽光の反射が水面に揺れ、悠真の頬を照らす。
世界は動いている。
新しい日常のなかで、
誰もが自分の場所を見つけようとしている。
悠真もまた、そのひとりだった。
次回は、天才魔法使いルヴェリアとセレスの少女時代。
第59話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。(^^)
まさか、こんなに続くとは、、、皆さんのおかげなんです。(T ^ T)
次回は、第60話: 雪嶺の村の少女
魔物が、牙をむいて跳ねてきた。
「セレス、下がって!」
ルヴェリアが一歩前に出たが、
セレスのほうが早かった。
杖を突き出し、精霊の力を一気に解放する。
「――凍てつけっ!」
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