第53話:学者エルダーンの影を追う
セレスは肩を竦め、小さく笑いをこぼした。
「でもね、商会の後ろ盾を持つ相手に正面から突っ込んだら? 面会どころか、1時間も保たずに袋叩きよ」
「……まあ、そうだな」
悠真は苦々しくうなずく。
「商会には面が割れてる。表向きには動けない」
少し考え込み、やがて問いかけた。
「じゃあ、どう動く」
「そうね」
セレスは机に落ちていた紙片を拾い上げ、ため息をついた。
「エルダーンが持ち去ったのは“最も重要な一ページ”だけ。
でも、同じ時代、同じ技法の文献なら、まだ残ってるはず。
削られた部分に近い記述を拾っていけば、欠けた輪郭が浮いてくる。
完全に同じじゃなくても、欠落を“比較”して浮かび上がるものを拾えばいい。
嘘つきの言葉は辻褄で破綻するけど、文字の欠落は必ず痕跡を残すものよ」
理屈は理解できる。だが――
リィナは渋々うなずいた。
「……つまり、盗まれたページの“形”だけでも炙り出すってことにゃ」
「ご名答」
セレスは皮肉めいた笑みを浮かべ、また別の古文書を開き始めた。
それから数時間――
三人は埃と古紙の匂いに包まれながら、
ページをめくり続けた。
ランプの灯りが揺れ、
時計の針は容赦なく進む。
――残り、一日と半日。
やがて、ある文に目が留まる。
「“月の影は影を呑み、やがて門を閉ざす”……?」
悠真が読み上げる。
セレスは指先で文字をなぞりながら、解釈を口にした。
「影――つまり三日月の刻印。
それを用いることで門を制御するってことよ。
刻印を媒介に、門を制御する術があった。
……やはり、逆式は存在していた」
だが、そこまでだった。
肝心な構築法や術式の配列は、どこにも見つからない。
リィナは苛立ちを隠さず、尾をバタバタさせる。
「断片ばっかりで……これじゃ埒があかないにゃ!」
セレスは積み上げた資料をぱたんと閉じた。
「結論。
逆式そのものの全容は不明。
だけど“存在した”ことは確定。
それを握っている学者が、月影商会の庇護下にある――
つまり、向かう先は決まった」
悠真はゆっくりと息を吐き、椅子から立ち上がる。
「……エルダーン。探しだすしかない」
リィナは耳をぴくりと立て、にやりと笑った。
「ほらね! やっぱり捕まえるしかないじゃない!」
セレスは小さくため息をつきながらも、苦笑を浮かべた。
「……ええ。結局、あなたの“直感”が正しかったみたいね」
文献庫の高窓から射し込む陽光が、切り取られたページの空白に落ちていた。
その空白は、都市の未来を飲み込む穴のように見えた。
ーーーーー
港は熱気でむせ返るほどだった。
木槌が鳴り、ロープが軋み、商会の男たちの掛け声が響き渡る。
悠真とリィナは倉庫裏の影に身を潜め、
その喧噪をじっと見つめていた。
「積み込みが早すぎるにゃ……
船が出るの、予定より早まるかもしれない」
リィナの耳が緊張でピンと立つ。
「猶予は、ほとんどないってことか……」
悠真が息を呑んだ瞬間――
リィナが弓を構えた。
「悠真、見て。あの木箱」
箱の隙間から、
赤黒い光が滲み、空気そのものが震えている。
「魔具だ……しかも大量に」
悠真の表情が険しくなる。
「あれを北方へ運んだら――
領地規模の災厄になる」
考える間もなく、決断は下された。
「止めるぞ。
混乱させるだけでいい。
暴れて、時間を稼ぐんだ」
「了解にゃ!」
二人は目配せを交わし、
影から飛び出した。
――最初の矢が唸りを上げて走る。
矢は荷車の車輪を射抜いた。
車が激しく軋み、横転。
積み荷が地面に転がり落ち、赤黒い光が弾ける。
「何だ!?」
「敵だ、襲撃だ!」
混乱の中心に悠真が飛び込む。
護衛を蹴り飛ばし、剣を振るってわざと派手な火花を散らす。
「だめだ、作業を止めろ! 魔具が暴発するぞ!」
「いや待て、荷が――!」
叫びが飛び交い、統率が一気に崩れた。
リィナは屋根に駆け上がり、次々に矢を放つ。
荷車の車輪、滑車、ロープ、滑り台代わりの板橋――弱点だけを正確に撃ち抜いた。
板橋が裂け、海へ沈む。
荷車が傾き、魔具が散らばる。
赤黒い光が火花のように舞い、
港じゅうが悲鳴と破壊音に包まれた。
最後に放たれた一矢が、
巨大クレーンの滑車を撃ち抜く。
太いロープが裂け、
吊り上げられていた巨大な荷が――
轟ッ!!
石畳が揺れ、
積み荷の中で光が爆ぜた。
作業員たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「ひ、ひぃぃ……!」
「もう無理だ! 逃げろ!」
「これで……半日は稼いだか。
いや、もっと……」
悠真が息を吐き、
ほんの一瞬、勝利の手応えを感じた。
――その瞬間。
港の奥、船影の陰から、
ぞわりと肌を刺すような気配が広がった。
リィナが耳を立て、顔を強張らせる。
「……やばい、来るにゃ」
海風を裂くように、黒い靄がゆらめく。
その中心から、一歩――影が現れた。
漆黒の鎧。
顔の半分を覆う仮面。
紅玉のような瞳が薄闇を刺し貫く。
「……“血染めの執行者”ヴァルド」
悠真の声が震えた。
まさかヴァルドだったとは.....
噂でしか聞かなかった魔族。
だが、その異様な長身と仮面を見れば一目でわかる。
人間の国をいくつも滅ぼした、上位魔族――
――これは、戦っていい相手じゃない。
「ほぉ……やってくれたな。
小僧一匹でここまで荒らすとは。いや、二匹か」
低く笑うだけで、
空気がねじれ、大気が重く沈んだ。
護衛も作業員も、膝をつき、呼吸すら奪われる。
悠真は直感で悟った。
――戦えば、死ぬ。
「リィナ、退くぞ!」
「にゃっ!? でも!」
「急げ! 逃げるんだ!」
悠真はリィナの腕を掴み、路地へと飛び込んだ。
背後で、ヴァルドが一歩踏み込んだ。
次の瞬間――
港の石畳が、音もなく真っ二つに割れた。
大地の砕ける音が遅れて耳に届く。
「逃がすものか……」
低い声が追いすがり、
影が迫る。
リィナの矢は靄に飲まれ、触れる前に霧散した。
「だ、だめにゃ! 矢が届かない!」
悠真は走りながら叫ぶ。
「構うな! 今ここで死ぬわけにはいかない!」
二人は必死に走り、
倉庫が迷路のように入り組んだ一角へ潜り込んだ。
しばらくして、追う気配がふっと消える。
壁にもたれかかり、二人は息を荒げた。
「……やばすぎにゃ……あんなの、反則にゃ……」
リィナは青ざめたまま震えている。
悠真は汗まみれの手で剣を握り直した。
「奇襲はもう通じない。
次に動けば、あいつが必ず出てくる……」
稼いだ時間は、たった一日。
だが、その一日の先に待っているのは――
逃げ場のない、死の戦いだった。
ーーーーー
その夜。
港で悠真とリィナが死闘にも近い妨害戦を繰り広げていたころ――
セレスは街の反対側、灯火がまばらに点る学者街を歩いていた。
足取りに迷いはない。
だが、目元には冷たい計算が滲んでいる。
「古文書の切り取り……どう見ても偶然じゃない。
切り取り方があまりに几帳面だった。
まるで、宝石を枠から外すみたいにね」
独り言のように呟きながら、
指先で小さく空をなぞる。
白い息がふっと散り、
氷の紋が一瞬だけ浮かんで消えた。
切り取られたページは、
間違いなく学者エルダーンが所蔵していた。
セレスは軽く眉をひそめ、
冷たく笑う。
「やっぱり……
表向きは善良な学者、裏では商会の片棒を担ぐってわけね。
ああ、典型的」
――なぜ偏屈で名高い老人が商会と繋がるのか。
答えは最初から決まっている。
「困窮。資金難。
計算式よりよっぽど単純だわ」
皮肉を吐きながら、
セレスは目の前にそびえる屋敷を見上げた。
エルダーン――
街の学者仲間からは「奇人だけど研究熱心」と評判の人物。
だが裏では、金に追われ、商会から札束を受け取っている。
「学問の誇りをかなぐり捨ててまで金にすがる……
人間の欲望ほど、どの魔術式よりも複雑で、醜く、厄介なものはないわね」
屋敷の外観は質素。
だが、周囲を巡回する護衛の数は、明らかに異常だった。
セレスは屋根を見上げ、軽く肩を竦める。
「善良な研究者の家にしては、
警戒心が跳ねすぎてるじゃない」
氷の魔力で足場を作り、
音もなく屋根へと舞い上がる。
靴底が氷を踏むごく小さな軋みすら、
夜気に吸い込まれて消えた。
窓の鍵に指を触れると、
瞬く間に白い霜が広がり、
金属が静かに、ぱりんと裂ける。
セレスは身を滑らせるように、
書斎へと忍び込んだ。
部屋は書物で埋め尽くされ、
羊皮紙とインクの匂いが濃厚に漂う。
その中で、古文書の山と微妙に質感の違う一枚が、かすかに目を引いた。
「……これね」
手を伸ばした――まさにその瞬間。
「そこまでだ!」
書棚の陰から護衛が飛び出し、
剣閃が夜気を切り裂いた。
第53話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。おかげさまで続いてます。感謝です(^^)
次回は、第54話『転生者としての異質な力』です。
「……命を……」リィナの声が途切れる。
――強大な魔力量。命の代償。
胸の奥で何かが鈍く鳴った。
(俺なら……やれるかもしれない)
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