第48話 月影商会と闇の気配
リィナは小さく息を呑む。
「じゃあ、この街に魔族が?」
「とは言っても、骨董品の一つくらいなら紛れ込む可能性はあるわ。決めつけは早計ね……ただ、偶然にしては妙――」
そこで言葉を切り、彼女は指先で三日月の刻印をそっと撫でた。
ほんの一瞬、師匠の声が、耳の奥で蘇る。
「セレス、この刻印を見たら用心しなきゃいけないよ。人の皮を被った連中が使う証だからね」――。
あのとき自分はまだ十歳にも満たなかった。
古書の山に埋もれながら、師匠が珍しく真剣な顔で教えてくれたことだった。
「セレス?」
悠真が心配そうに声をかける。
セレスははっと我に返り、いつもの落ち着いた笑みを浮かべた。
「……なんでもないわ。今はただの古い商人符だと思っておくのが無難ね。でも、念のため覚えておいて」
二人は顔を見合わせ、こくりと頷いた。
外では夕陽が街を茜色に染めている。商人たちの威勢のいい掛け声、馬車の車輪が石畳を打つ音、子供たちの笑い声――いつもと変わらない喧騒だ。
なのに。
なぜか背筋に、冷たいものが這う。
まるで、誰かに見られているような――
その時、市場広場の空気が一瞬で変わった。
ざわめきが波のように広がり、人混みが左右に割れる。
濃紺の外套を翻した大柄な中年商人が、堂々と歩いてきた。
首元には銀の鎖がちらりと光り、口元には穏やかな笑み。
だが、目だけが妙に澄んでいて、どこか人間味を欠いていた。
彼はツカツカと広場の真ん中で立ち止まると、声を張り上げた。
「皆の衆、聞いてくれ! 昨日この辺りで金貨袋を落としてしまったんだ! どなたか拾ってはおらぬか!」
悠真の心臓が跳ねた。確かめるまでもない。
男が言うのは、自分たちが拾ったあの袋に違いない。
人々の視線が商人へ集中する。
「旅の途中でうっかりしてしまってねぇ。いやはや、恥ずかしい話で……」
滑らかな口調で笑いながら、彼は悠真たちをまっすぐ見据えた。
悠真は妙な違和感を覚えた。
陽光を受けたその瞳が、ほんの一瞬、獣じみた赤に妖しく光ったからだ。
リィナが耳をピクッと立て、小声で囁く。
「……怪しいにゃ?」
「だな」
悠真も低く返す。
商人(と名乗る男)は、迷いなく三人へ近づいてきた。
「ああ、それだ。私の袋だよ。返してもらおうか、若者」
差し出された手は、笑顔とは裏腹に血の気がなく。
指先が、ほんの少し長すぎるような気もした。
悠真が応じかねていると、セレスが静かに前に出た。
「落とした時の状況を、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
「……状況?」
商人の笑みが、ほんの一瞬だけ凍りついた。
「ええと、宿に戻る途中で……急いでいてね……」
セレスは微笑んだまま、畳み掛ける。
「宿はどちらの?」
「北門の外だよ。知っておるだろ?」
ざわっ。
周囲の視線が疑いに変わる。
この街に住む者なら誰でも知っている。
北門の外に宿屋など、一軒もない。
セレスは商人の肩口へ視線を滑らせた。
「あなたの外套に縫い込まれた符は、商会の紋章ですか?」
商人は一瞬、眉をひそめる。
肩口に小さく刻まれた三日月形の刺繍――
それは骨董品屋の店先で見た刻印とよく似ていた。
広場の空気が張り詰めたその瞬間、 自警団の隊員が駆けつけてきた。
「ここで何を揉めている!」
商人は慌てたように声を上げる。
「私はただ、落とし物を返してほしいだけで……!」
隊長が厳しい声で割って入る。
「落とし物はすべてギルドに届け出る決まりだ。
ここで押し問答するな」
商人は舌打ちを噛み殺し、作ったような笑みで取り繕う。
「……なるほど、ギルドへ行けばよいのだな。うん。うん。そうしよう」
吐き捨てるような独り言を残し、人混みへ消えていった。
人々のざわめきが再び市場の喧騒に溶けていく。
悠真は額の汗を拭い、エルムの持つ袋を確かめた。
しかし、これは、ただの落とし物ではない――そんな予感が静かに警鐘を鳴らした。
そして、セレスも低くつぶやく。
「……三日月の刻印。もう偶然とは思えないわ」
リィナとエルムも言葉を失い、人の流れを黙って見つめた。
色鮮やかな市場の下で、確かに何かの影が潜んでいた。
ーーーー
昼下がり、賑わう市場を抜け、石畳の通りへ出た頃だった。
セレスは懐から、先ほど銅貨三枚で買った小さな木札を取り出し、 指先で角度を変えながら睨んだ。
小さな炭筆で、刻印を紙に写し取っていく。
弧を描く二つの曲線、そこを斜めに横切る細い線――
まるで半月が斜光を受けて輝いているような奇妙な文様だ。
「やっぱり、ただの商人印には見えないわね」
確信めいた声に、リィナが覗き込む。
「どういう意味にゃ?」
「符術を学んだ者なら一目でわかるはず。
これは古い“導印”に極めて近い形よ。魔力の流れを一点に束ねるときに使われる……つまり、魔術を集束させるための印よ」
リィナが耳をぴくりと動かし、首をかしげる。
「にゃ!? じゃあこれ、なんかヤバい魔法の印ってことにゃ……?」
「断言はできないけど……少なくとも商売用じゃないわ。
商人なら家紋や商会印を押すもの。魔術の導印なんて混ぜるわけない」
セレスはそう言い、メモ紙を折り畳んで胸にしまった。
悠真が辺りを見回し、声を落とす。
「ふたりとも、もう少し静かに。
ここは人が多すぎる。変な耳が混じってても気づかないよ」
リィナが頷き、視線を細める。
市場の喧噪に紛れているが、妙な違和感が胸に引っ掛かっていた。
さっきの中年商人――あの無機質な笑み、肩口の刺繍。
街に漂う影が、また一つ輪郭を増したような気がする。
「……裏に回ろう。手掛かりはそっちの方が掴めそうだ」
悠真の提案で、四人は人通りの少ない横道へと足を向けた。
通りを抜けると、昼でも薄暗い路地が現れた。
崩れかけたレンガの壁、乾いた藁が散乱した小道。
かび臭い空気の中、猫が一匹、素早く駆け抜けていく。
セレスがぴたりと足を止め、懐からメモ紙をもう一度取り出した。
指先で導印の線をなぞりながら、ほんのわずかだけ魔力を流し込む。
すると――
苔むした古びた木戸の表面に、淡い青白い光がふわりと滲み、三日月型の印が浮かび上がった。
「見て、ここにもあるわ」
警戒を含んだ声に、悠真が近づいて印を触る。
「ほんとだ……まるで街中に道標を撒いてるみたいだな」
リィナが背伸びして覗き込み、口をとがらせる。
「まだ傷が新しいにゃ」
エルムが落ち着きなく周囲をうかがい、肩をすくめるように小声でつぶやいた。
「……ここは夜になると荷馬車が通るんだ。何度も見ました。
昼間はただのゴミ溜めだけど、夜は……何かを運んでるんです……」
まるで彼の言葉を証明するかのように、路地の奥から鈍い軋み音が響いた。
慌てて影に身を寄せると、
複数の男たちが荷馬車を押しながら現れた。
帆布で覆われた荷台の木箱は鉄鎖で固定され、
側面には赤墨の三日月印。
リィナが息を呑んで囁く。
「……怪しすぎるにゃ」
「静かに」
悠真が抑えた声で制する。
荷馬車は石畳をぎしぎし鳴らしながら抜けていく。
御者の男が低く何かを呟くと、荷台の奥で鈍く赤黒い光が揺れた。
魔力?――悠真は背中に冷たい汗が走るのを感じた。
「どこへ運ぶつもりだ?」
思わず漏れた呟きに、セレスが険しい目を向ける。
「夜に動くなら……街の外か、隠し倉庫ね。
中身を見れば確実なんだけど」
その時だった。
「おい、お前ら。そんなとこで何をやってんだ?」
背後からしゃがれ声が飛んだ。
振り返ると、ボロボロの毛布をまとった老人が立っていた。
髪は灰にまみれ、濁った瞳が疲れを物語っている。
「ちょっと通りかかって……」
悠真が慌てて答える。
老人はふふっと短く笑い、「馬車のことが気になるのか」
セレスが踏み込む。
「知っているの?」
「知ってるとも。
毎晩あの路地から出ていく。月影の連中さ。
日が沈むと運び出すのさ。
だが、みんな知らんぷりだ。厄介ごとは真っ平らだからな」
悠真は息を呑んだ。「どこへ運ぶ?」
「 北の廃倉庫街だ。あそこに消えていく。
近づいただけで追い払われるし、以前首を刎ねられた奴もいるって話だからな、誰も近づきたがらねぇ」
老人は濁った目で遠くを見据えたまま、かすれた声で続けた。
リィナが真顔で言う。
「やっぱり裏の取引だにゃ。昼は知らん顔、夜は荷運び……」
「ふーん。月影商会、ね」
セレスが低く呟く。
老人は肩をすくめ、「ま、どうでもいいが忘れちまうのが一番だ。生きていたいならな」と吐き捨て、よろよろと裏路地の闇へ姿を消した。
荷馬車のきしむ音は遠ざかり、路地には再び静けさが落ちた。
だが悠真たちの胸には、街の底に沈む闇の気配だけが色濃く残った。
「今夜、もう少しだけ探ってみよう」
悠真の提案に、二人が静かに頷く。
足元には、三日月の影が細く伸びていた――街を覆う“何か”の前触れのように。
第48話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。嬉しっす(^^)
次回は、第49話『“人間じゃない奴ら”』です。
「あんたら……三日月の印を追ってるのか。物好きなこった」
「知ってることだけでいい。教えて」
セレスの声音は静かだが、揺らぎがない。
店主は一拍おいてから、唇を歪める。
「裏じゃ魔具や禁制品を扱ってる」
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