第46話: 意図的に刻まれた三日月の紋
「俺は、盗んでない!」
そのか細い叫びは、市場の喧噪に飲まれそうになっていた。
悠真は一歩、前へ踏み出した。
「ちょっと待ってくれ。みんな落ち着こう。状況をはっきりさせないと」
弓でそっと人垣を押しのけると、リィナも肩越しに顔を出す。
「本当にこの子が盗んだの? 誰かちゃんと見た人いる?」
「ああ見たさ! 俺の金を持って逃げたんだ!」
商人は散らばった金貨を指し、肩で息をしながら怒鳴った。
そこへ、セレスが杖の先で石畳を軽くコツンと叩いた。
「金貨の散り方が不自然ね。追われて落としたにしては、広がり過ぎてる。……誰かと揉み合った拍子に、手にしていた金が四方へ跳ねた、そんな散り方よ」
ざわめきが一瞬、弱まった。
商人も眉間に皺を寄せる。
悠真は少年を見つめた。
擦り切れた袖、埃にまみれた顔。
そして、恐怖が張りついた瞳が揺れている。
「まずは金を数えよう。数が合えば話は変わる」
悠真は膝をついた。
リィナが素早く硬貨を拾い集め、布の上に並べていく。
「これで全部だと思うにゃ」
商人は渋い顔でしゃがみ込み、乱れた硬貨を指で弾きながら数を確かめた。
「……確かに俺の金だ。数は合う」
そこで一度、少年を鋭く睨む。
「だがな。お前が抱えてた袋の口から金貨が見えたんだ。
こんな身なりのガキが金貨なんて持ってるはずがない」
少年は唇を噛み、何かを言いかけたが、声にならなかった。
ただ、目が必死に助けを求めている。
悠真は膝を折り、目線を合わせる。
「落ち着いて。もう追われていないよ。ゆっくりでいい、ここで何があったの?」
少年の喉がひくりと震えたが、声は出ない。
抱き締める袋だけが心細く揺れた。
リィナが小声で。
「怯えてる。誰も信じられない顔だにゃ」
するとセレスが淡々とつぶやいた。
「……揉み合いの痕跡。
商人が袋を掴んだか、中身を確かめようとして引っ張ったんでしょうね。
少年が金をばら撒いたんじゃなく、揉み合いの拍子に店の金が飛び散った、そう考える方が自然ね」
その一言に、少年の肩がびくりと震えた。
図星を突かれた――というより、ようやく“誤解を解く言葉”が出てきて、安堵に近い反応だった。
周囲の人垣からも怒声は消え、商人が眉をしかめて腕を組む。
「……まあ、金はちゃんと戻ったしな。こいつを縛る理由もねえか」
悠真は群衆を振り返り、静かに言った。
「これ以上騒いでも解決しない。さあ散ってくれ」
ひそひそと囁きながら、人々は徐々に通りへ散っていく。
石畳には余った金色の硬貨だけが残り、夕陽に反射して瞬いた。
静けさが戻ると、少年はようやく小さく息を吐いた。
「……俺、盗んでない」
その言葉には虚勢も強がりもなく、ただ必死の否定がにじんでいた。
「そうだね。なら、まずは落ち着こう。話はそれからだ」
悠真はその言葉を否定せず、ただ受け止める。
リィナがにっこり笑って手を差し伸べる。
「ね、お腹空いてるでしょ? 宿で何か温かいものを食べようよ。誰だって腹が減ってたら混乱するもの」
少年は驚いたように顔を上げた。喉の奥で言葉にならない声を揺らし、こくりと小さく頷く。
セレスが淡々と付け加えた。
「証言は時間を置いた方が正確になる。今は追及しても無駄ね」
悠真は立ち上がり、落ちていた硬貨を手渡した。
「歩けるか?」
少年はぎこちなく頷く。
袋を抱いたまま、震える足を懸命に前へ踏み出した。
背後で商人がぼそりと呟く。
「……紛らわしいことすんなよ坊主。次は疑われないようにしな」
その声に、少年の背がわずかに縮こまる。
市場は何事もなかったかのようにざわめきを取り戻した。
呼び込みの声、荷車の軋み、焼き菓子の香ばしい匂い――日常の音がゆっくりと戻ってくる。
「……ん?」
その喧騒の中で、セレスがふと足を止めた。
「どうしたの?」
リィナが首を傾げると、セレスは杖の先で石畳に刻まれたかすれた紋をなぞる。
そこには――
削りつけたような三日月の紋が刻まれていた。
浅く、しかし確かな意図を持って――まるで誰かが急ぎ残した合図のように。
「月齢は下弦……今夜は満ちない。これは偶然じゃないわ」
セレスは低くつぶやいた。
「何かの符号か?」
悠真が覗き込み、眉をひそめる。
「魔術師の刻印に似てるわ。でも普通はこんな場所に残さない。 市場の真ん中、しかも人混みの足元……悪戯にしては妙ね」
リィナが周囲を見渡した。
「誰かがわざと残したってこと? さっきの騒ぎと関係あるのかにゃ……」
「確率はおよそ六割。……偶然にしては配置が整い過ぎね」
セレスは即座に言い切った。
悠真は少年の震える背を見つめた。
心に、小さな棘が刺さる。
「……誰かが何かを仕掛けてるのかもしれない」
セレスは軽く顎を引く。
「符を刻むには意図がある。放置すれば大きな渦になることもある。あまり気分のいいものじゃないわね」
リィナが少年の手を握り、優しく引き寄せる。
「もう大丈夫にゃ。宿に行って、暖かいご飯を食べようね」
セレスは最後に石畳を一瞥し、小さな三日月を睨みつけたが、何も言わず踵を返した。
ーーーーー
宿屋〈青い山猫亭〉の扉を押すと、
炉端の肉の香ばしい匂い、湯気を上げる麦酒、旅人たちの笑い声――すべてが少年を包み込んだ。
四人は窓際の卓に案内され、女将が手際よく山盛りのシチューと焼き立てのパンを運んでくる。
「遠慮しないで食べてにゃ!」
リィナが笑顔で促す。
少年は一度だけこちらを窺うと、恐る恐るスプーンを口へ運んだ。
シチューが喉を通った途端、目を見開き、がつがつと食べ始める。
パンもちぎっては頬張り、あっという間に皿を空にした。
悠真はその様子に目を細め、追加の料理を頼む。
「遠慮しなくていいぞ、まだあるからな」
少年は口元を拭い、少し照れた笑みを浮かべた。
さっきまで怯えの色を浮かべていた顔が、食欲に引っ張られるように柔らいでいった。
「……うまい……」
その小さな声が火のはぜる音に吸い込まれ、また次の一匙、次の一匙と口へ運ぶ。
リィナは隣で微笑み、パンを千切って差し出した。
「お腹、空いてたのね。ゆっくりでいいから、ほら、これも」
セレスは腕を組んだまま視線を落とし、少年の食べ方を観察していた。
「計算外ね。もう少し怯えているかと思ったのに」
悠真が苦笑を浮かべる。
「空腹には勝てなかった、ってことだろ」
空気がやわらぐのを感じ、リィナが優しく問いかける。
「名前を聞いてもいいかにゃ?」
「エルム……」
「エルム君ね。どこから来たの?」
少年は指で卓をなぞり、少し考えてから小さく答えた。
「北門の外れ。妹と二人で暮らしてる」
セレスが眉をひそめる。
「保護者はいないの?」
「いない……去年、病で……」と彼は言葉を切り、握った拳を膝の上で震わせた。
リィナが静かに背をさすり、声を落とした。
「それで、妹さんは元気?」
エルムは首を横に振る。
「……ずっと熱が下がらないんだ。薬を買いたくても……どうしていいか分からなくて」
卓上に一瞬の沈黙が落ちた。悠真は落ち着いた口調で言う。
「そっか....焦らなくていいよ。
よし明日、妹さんに会いに行こう。俺たちで手助けできるかもしれない。」
少年の瞳が揺れ、ほんの少し潤んだ。
「……本当?」
リィナが笑顔を見せる。
「もちろん。本当にゃ」
セレスも腕を組み、ゆっくりとうなずいた。
「話を聞くだけじゃなく、状況も見ないと。
北門の外れね、覚えたわ」
その時、セレスの視線がエルムの膝の上の布袋に止まる。
固く結ばれた口から、革紐の隙間――
金貨が一枚、チラリと覗いていた。
エルムは慌てて袋を抱き寄せる。
悠真が柔らかい声をかける。
「それ、大事なものなんだな」
エルムは一瞬ためらい、膝の上で袋を撫でた。
「……妹の薬を買おうと思って……そしたら、あの店で……」
言葉が途切れ、少年の肩が小さく震える。
第46話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。わーい(^^)
次回は、第47話『魔族との関わりが深い符』です。
セレスは指先でその刻印をなぞった。
「違う。これは古い符術に使われる図形だ。
単なる飾りじゃない」
「符術?」悠真が首を傾げる。
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