第45話: 交易都市ファルネラ
朝焼けが山の肩を金色に染める頃、村はまだ眠りの余韻に包まれていた。
昨夜の祝宴の名残が炉の奥でほのかに漂い、冷えた梁をくぐってゆっくりと立ちのぼる。
悠真は戸をそっと開き、澄んだ雪明かりを吸い込んだ。
「もう起きてたのね」
振り返ると、セレスが杖を手に立っていた。
少し寝不足の顔をしながらも、瞳はキラキラと冴えている。
「出発するなら今ね。太陽が昇りきると雪が緩んで、峠の崩落率が急上昇するわ」
「ふふふ、朝からそれにゃ。セレスっぽいけど」
あくび混じりにリィナが笑う。頬にはまだ甘酒の赤みが残っていた。
「統計と因果は、命を繋ぐ鍵よ。軽視する理由は?」
「はいはい、じゃあ急いで準備にゃ!」
リィナは背嚢を背負い、肩紐をぎゅっと締めた。
門の外では、村長や子どもたちが見送りに集まっていた。
雪煙の中で村長は深々と頭を下げ、羊皮紙に走り書いた証文を差し出す。
「龍の盟約の証に、村としての感謝を記した文です。
身分の証明を求められた際の助けになるでしょう」
「……ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」
悠真はそれを受け取り、盾の紐を結び直した。
子供たちが手を振る。
雪煙の向こうで、村の姿がどんどん小さくなっていく。
やがて峠道を登りきると、炊煙の細い糸が白い世界に溶けて消えていった。
「いい村だったにゃ……」
リィナが名残惜しそうに振り返る。
「ああ。でも――」
悠真は遠い峰を見上げた。
「あの尾根に、今もヴァルスルグの気配がする。
.......約束は違えないはずだ」
「保証の確率は?」
セレスが横から即座に突っ込む。
「直感で……九割五分ってとこかな」
悠真が応じる。
「なら統計補正込みで99.8%。実質100%ね」
セレスが満足げに頷く。
「盾は携行、村は龍が護る。数式が完璧に閉じたわ」
峠を抜ける頃、陽光が雪解けの斜面に小さな虹を架けた。
朝靄の先に、果てしない平原が広がっている。
「都市まではあと三日ってところにゃ?」
「積雪の少ない平地なら二日半。……夜営を減らせば二日で着くわ。リスクは2%増えるけど」
セレスが地図をパタパタ広げる。
「つまり急げば二日で着くってことでしょ?」
「……まあ、そういう解釈でも間違いではないわね」
リィナがくすりと笑ってスキップ気味に歩き出す。
悠真とセレスも自然と笑みがこぼれた。
昼過ぎ、山麓の凍った川沿いに出た。
陽射しが斜めに差し込み、氷面が金の鱗のようにきらめく。
悠真は腰を下ろし、湧き水で喉を潤す。
「交易都市で最初にやることは?」
「情報ね。補給路、魔導市場の相場、各地の情勢。……更新しなきゃ困ることばかり」
セレスは地図を指で軽く押さえながら答えた。
リィナが頬を膨らませる。
「……セレスは都市に着いても数字と睨めっこする気なの〜?」
「楽しみ方は人それぞれ。でも、データさえ押さえちゃえば世界の流れが読めるようになるわ。
すると、結果的に君が大好きなお菓子に出会える確率も上がるのよ」
リィナの耳がピクッと反応。
「……それ、めっちゃ教えて!」
「簡単よ。条件を“甘味の高い店舗”に絞るだけ。
後悔するのはリィナの自由だけど、私は止めないわ♪」
セレスが小悪魔的な笑みを浮かべると リィナが吹き出した。
「にゃははっ、それ最高!」
三日目の午後、丘を越えたところで、交易都市ファルネラの外壁が姿を現した。
厚い石造りの城壁がぐるりと町を囲み、尖塔がいくつも空へ突き出している。
外門には荷馬車の列ができ、商人たちが喧騒を撒き散らしていた。
「うわー! めっちゃ賑やかにゃ!!」
リィナが駆け足で門を見上げる。
「推定人口三万二千。交易路三本が交差する中枢都市。
犯罪発生率は中程度、治安隊百五十名……軍がいないことを考えれば、まあ妥当ね」
セレスが歩きながら淡々と解説。
「いきなり治安データから入るとか、ほんとセレスらしいな」
悠真が苦笑い。
門番の視線が、悠真の背中の氷柱の盾に釘付けになる。
一瞬だけ警戒が走る。
悠真は村長から預かった証文を差し出した。
兵士は印璽を確かめると、表情を和らげた。
「雪嶺の村からか。あそこは今年も厳冬だったろう。よく来たな、旅人たち。中へ通れ」
門をくぐると同時に、都市特有の匂いが押し寄せてくる。
鉄の匂い、香辛料の刺激、果実の甘さ、焼き立てのパンの芳ばしさ——
雪国の静けさとはまったく別世界だった。
「ここからが、俺たちの新しい章だな」
悠真の呟きに、
「事件発生確率も急上昇するけどね」
セレスがさらりと毒を吐く。
「事件なんていらないよ。美味しいものと楽しい出会いがあればいいにゃ」
リィナは目を輝かせたままだ。
大通りは人で溢れ、商人たちの呼び声が四方八方から降り注ぐ。
鍛冶の火花、革の匂い、果物の甘ったるい香り――目と鼻が忙しすぎる。
「すごいにゃ……目が回るけど、めっちゃ楽しい!」
宿探しは難航した。
門近くの宿はどこも「満」の札。
五軒連続で断られ、リィナの耳がだらんと垂れる。
「寝るところないと死ぬにゃ……」
「需給バランスが崩れてるのね。中心街から外れた低価格帯を狙いましょう」
セレスが口調を崩さず分析した。
「つまり、裏道りを探すってことね」
悠真は笑いながら、通りの奥を見渡した。
川沿いに見つけたのは、木造二階建ての宿「青い山猫亭」。
藁葺き屋根の下から漂う干しハーブの匂いが、道草のように柔らかい。
「二人部屋が一つと小部屋がひとつ。布団を足せば三人でもいけるよ」
女将が帳面をめくりながら言う。
「それでお願いします」
銀貨を渡すと、女将は気さくに笑った。
「街は物騒だから気をつけな。それと、市場が一番賑やかになるのは午後の鐘のあとだよ」
「やっと落ち着けるにゃ……」
リィナが小声でつぶやく。
荷を置いた三人は市場へ向かう。
露店がぎっしりと道を埋め、色鮮やかな絹、干した果実、銅細工の装飾品が陽光を跳ね返していた。
「交易の中心地だけはあるな……見てるだけで目が忙しい」
悠真が苦笑する。
「商品数は村と比べ物にならないし、値もすぐ動くみたいね。面白いわ」
セレスは値札を眺めながら言った。
「見て見て飴玉ー!」
リィナが駆け寄り、小さな琥珀色の飴を嬉しそうに受け取る。
その瞬間、怒号が上がった。
「泥棒だ! 捕まえろ!」
ざわめきが波のように広がり、露店の人々が一斉に振り返る。
通りの向こうで、小柄な少年が麻袋を胸に抱え、転びながら逃げ出す。
少年と共に店先から金貨がこぼれ、チャリン、チャリン、と石畳を跳ねながら転がった。
「止めろ、あいつだ!」
髭面の商人が顔を真っ赤にして追いかけてくる。
群衆は自然と少年の進路を塞ぎ、
逃げ場を探す少年に冷たい視線を向けた。
「くそ!」
石畳に膝をついた少年は、袋を抱き締め、震える声で叫んだ。
「俺は、盗んでない!」
第45話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。嬉しいです(^^)
次回は、第46話『意図的に刻まれた三日月の紋』です。
「……ん?」
その喧騒の中で、セレスがふと足を止めた。
「どうしたの?」
リィナが首を傾げると、セレスは杖の先で石畳に刻まれたかすれた紋をなぞる。
そこには――
削りつけたような三日月の紋が刻まれていた。
ブクマ、評価、して頂けると励みになります。m(_ _)m。
ぜひ応援よろしくお願いします。
いろいろなご意見、感想もお待ちしています。感想もお願いします。




