第43話: 決戦 ― 刻の咆哮
ヴァルスルグが翼を打ち鳴らした瞬間、
世界が裏返ったかのような衝撃が山を揺らした。
斜面を這う吹雪が逆巻き、雪面に幾重もの裂け目を刻む。
「来るぞ――!」
悠真は雷光の剣を盾の縁に掛け、身を沈めた。
龍の顎に蒼白の光が収束し、凍てつく奔流がほとばしる。
氷柱の盾が直撃を防ぎきる。
だが、雪崩を何倍にも圧縮したような一撃に、盾面が悲鳴を上げ亀裂が走る。
悠真は歯を食いしばり、膝が砕けそうになるのを堪えた。
「くそっ……持たない……!」
盾の外郭が爆ぜ、破片が頬を裂く。
血が雪に落ち、息が白く凍る極限の中、腕を押し込む。
「リィナ!」
呼び声に応えてリィナが走り、セレスの詠唱が吹雪を割る。
「氷霊よ――蒼穹を穿て、氷槍の雨!」
空間から無数の氷槍が形を成し、音を置き去りにした鋭撃が龍の胸と翼を貫く。
ヴァルスルグが雷鳴にも似た咆哮を上げ、巨体を仰け反らせた。
生まれた隙を逃さず、悠真は剣を抜いて踏み込む。
雷が柄を伝い、足元に青白い稲妻が弾け散った。
龍が爪を振るい、斜面が割れる。
風圧だけで盾が軋むが、盾に咲いた氷柱が反射的に迸り、龍の鱗を凍らせる。
「今だ!」
リィナがくるりと身を翻し、腰の短剣を抜いた。
刃が雷鳴を孕み、瞬閃の光を纏う。
「雷哭――っ!」
リィナの影が疾雷のごとく龍の側面へと滑り、鱗の隙間に刃を突き立てる。
青白い火花が龍の筋肉を痙攣させ、巨体がわずかに揺らぐ。
悠真はその刹那、剣を天に掲げた。
空が裂け、稲妻が剣身へ吸い込まれる。
腹底から雷鳴が噴き上がり――
「これで終わらせる!」
雪面を蹴り、一気に飛び込む。
剣閃が振り下ろされ、雷撃と氷霜が交錯。
世界が一瞬だけ白と蒼の閃光に包まれた。
刃が龍の胸を裂き、稲妻が体内を奔る。
山脈を打つような咆哮が響き――
ヴァルスルグの巨体が、雪原に膝をついた。
雪煙が舞い上がり、静寂が訪れる。
稲妻の余韻が消え、山嶺は嘘のように静まり返った。
悠真は盾に体を預け、深く息をつく。
胸の奥では心臓が暴れ、手のひらには剣を握った熱が残る。
リィナは弓を引き抜き、龍の動きを探るように一歩前へ。
セレスは膝をついたまま、次の術式を編もうと息を整えた。
ヴァルスルグがゆっくりと首をもたげた。
吐息が白い霧となって漂う。
舞い落ちる雪片が陽を受け、さきほどの死闘が幻だったかのような錯覚を呼び起こした。
「……剣を収めよ、人の子」
大地を震わすはずの声が、なぜか澄んだ水面のように静かだった。
「汝が振るう雷と氷……かつて見た光と同じ。時を越え、盾は再び選ばれたか」
氷の王と呼ぶにふさわしいその姿は、
戦いの熱を削ぎ落とした瞬間にこそ神々しい。
悠真は息を呑み、剣をゆっくりと下ろした。
リィナも龍の瞳から敵意が消えたのを察し矢を戻した。
「氷霊の子よ。そなたの村が我を名で呼び、恐れ、そして祈った日を忘れたか」
その響きには、長い時間を生きてきた者だけが持つ深い余韻があった。セレスの瞳が揺れる。
「……ヴァルスルグ。伝承に記される雪山の王……」
「そう、我は氷鱗王ヴァルスルグ。数百の冬を見守り、数多の勇者を試した者なり」
龍は傷ついた翼をゆるく畳み、巨爪を雪に沈めた。
「幾度も来た力なき者、欲深き者。盾を求めては雪に飲まれ、骨さえ凍てつきた。だが――」
蒼い瞳が悠真を射抜く。
そこに宿るのは、澄んだ敬意だった。
「汝は守ろうとした。盾に魂を与え、嵐を凌ぎ、仲間を背に立った。その胆力こそ、かつて英雄を英雄たらしめた火種である」
悠真は喉が張りつくのを感じながら問う。
「……この盾が……あなたと戦った、その勇者のものなのか?」
「否。今はもう形ばかり。勇者の時代は雪に埋もれた。だが盾は眠り続け、再び手に取る者を待っていたのだ」
悠真は目をそらさず言葉を返す。
「俺たちは……ただ、村を、仲間を守りたかった。それだけだ」
「氷の時をさかのぼれば、かつてこの地を救いし『蒼き楯の勇者』もまた、同じ眼をしていた」
「蒼き楯……?」
ヴァルスルグはかすかに笑った。
「人はもうその名を忘れたか。
だが、汝の手にある盾──
その輝きは古き勇者の意思を受け継ぎ、新たな使命を刻む。
『宿命』は巡るのだ、悠真よ。
汝は過去の影ではなく、未来を織る者として現れた」
セレスがかすれ声で呟く。
「まるで……盾が、彼を導いたかのように」
龍はゆっくりとうなずく。
「歩む道を見定めよ。剣に頼るのみならず、心を持て。氷原の静寂が汝の迷いを映すだろう」
ヴァルスルグが長大な首をたわめ、悠真に顔を近づけた。吐息が冬の嵐のように頬を撫でる。
「汝が試練を越えたゆえ、我は怒りを鎮めた。
だが忘れるな、氷と雷は、使う者の心ひとつで世界は凍土にもなる」
セレスが肩越しにリィナと悠真を見やりながら問う。
「……あなたは盾を奪い返しに来たわけじゃないのね」
「奪う必要はない。盾はすでに汝らと共にある。宿命は新たに編まれたのだ。伝説は終わらぬ。姿を変えて続くのだ」
龍の眼差しが微笑みに似た柔らかさで揺れた。
「いずれ再び、嵐が訪れよう。そのとき、盾は汝の意志を映す鏡となる。ゆえに心を磨け、人の子。
そして雷を操る弓の娘、氷を友とする魔女よ」
悠真は胸の奥が熱く満たされてゆくのを感じた。
「汝らが、剣をもって討つのみの者ならば、我はこの峰を雪塵に沈めていたであろう。だが——」
龍は悠真たちを順に見やり、静かに頷いた。
「戦いの最中、我は見た。恐怖よりも強き願いを。
眼には護るべきものが映っていた。
ならば、我もまた応えよう」
リィナが小声で呟く。
「応える……って?」
龍は静かに宣する。
「今ここに、氷鱗の盟を結ぶ」
「この峰より吹き下ろす風を霊鎧とし、汝らの里を包もう。外敵あらば凍て付け、災いを封じる。」
龍の瞳がきらめく。
「これは褒賞ではない。
芽生えつつある可能性へ賭ける“試し”だ。
歩みを止めれば、この守りもまた霧散するだろう」
蒼鱗の巨躯がゆるやかに立ち上がる。
尾が雪面を薙ぎ、白い粉塵が舞い上がった。
「では、風と氷を遣わし、盟約の証としよう」
龍の喉奥が低く鳴り、吐息が峰を覆う雲を裂いた。
次の瞬間、山頂から青白い光の筋が谷へと流れ落ち、村の上空で淡く弧を描く。まるで氷の天蓋が里を包み込むかのように。
セレスが息を呑んだ。
「これが……守護の霊流……」
第43話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。嬉しいです(^^)
次回は、第44話『氷龍の盟約と魔女の旅立ち』です。
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