第39話: 偏屈な魔法使いセレス
街道を外れ、雪山に向かう道は、まだ秋の名残を残す丘陵地帯が続いていた。草原を渡る風は冷たさを増しつつも、陽光の下ではまだ穏やかで、鳥の鳴き声がのどかに響く。
「ここまで平和だと、魔物の群れが街を襲ったなんて、嘘みたいだな」
悠真の呟きに、リィナは背中の弓を軽く叩いて笑った。
「たまにはのんびり歩くのも悪くないにゃ。ずっと戦ってばっかりじゃ、体がもたないでしょ?」
セレスは杖を突きながら歩き、村から持ってきた干し肉を少し分けてくれた。
やがて三人は野営地を見つけ、焚き火を囲む。
戦場では味わえない静かなひとときだった。
「私ね、氷魔法が専門なのよ。……でも、あの雪山は桁違い。私の魔法なんて火に当たった氷菓子みたいに役立たないの。あそこの山は、山そのものが機嫌を損ねてるとしか思えないわ」
セレスの声には、不安を笑いに変えようとする強がりと、それでも踏み出そうとする覚悟が混じっていた。
「なるほど。氷を操れるなら寒さも余裕かと思ったけど……甘く見ちゃだめってわけね」
「そういうこと。だからこそ、英雄の遺した盾が必要なの。あの盾はね、雪を“極寒結界”に変えて魔物を村に寄せ付けない力を秘めていたんですって」
「雪を……凍らせる?」
悠真は思わず眉をひそめる。雪はすでに凍っているものだ。それをさらに凍らせるとは、どういう意味なのか。
旅の道中、セレスは道端の草を摘んでは「これ、お茶にすると美味しいわ」とリィナに渡したり、見かけた鳥に手を振って「また会おうねー!」と声をかけたり、ひたすらマイペース。
「なんか……変な人だね」
リィナがこっそり耳打ちすると、悠真は苦笑する。
「まあな。でも、なんだか憎めない人だね。」
その笑い声は、険しい雪山に向かう旅路に、穏やかなぬくもりを運んでいた。
けれど、セレスの“学者気質”はすぐ顔を出す。
「そもそもね、あの寒波だって自然現象じゃ説明がつかないのよ。山脈の気流と魔素の循環を考えれば、気温の低下率はせいぜい二割程度。なのに体感は三倍。――つまり、何者かが意図的に干渉してるわけ」
杖で地面をつつきながら、セレスはまるで講義でもしているかのように熱弁する。
「えーっと……つまり、寒いのは誰かの仕業ってこと?」リィナが首をかしげる。
「正確には、“何か”の仕業。おそらくは古代の遺物か、氷系の上位魔獣よ。そうでなきゃ、私の計算が全部間違ってることになるわ」
「計算って……旅の途中でそんな計算をしてたの?」悠真が呆れ混じりに聞くと、セレスは鼻で笑った。
「当たり前でしょ? 歩幅、風向き、雲の流れ、全部データ。世の中は数字でできてるの。あなたたち、感覚だけでよくここまで生き残れたわね」
「にゃっ!? バカにされた!」
リィナが頬をふくらませる。
「別に。むしろ感覚派が一人二人いないと、私みたいな理屈屋は死ぬだけよ。――まあ、感謝してあげてもいいわ」
棘のある言葉なのに、どこか茶目っ気のある笑みを浮かべるセレス。
その様子に、悠真とリィナは顔を見合わせ、思わず笑った。
雪山が近づくにつれて、風は次第に荒れ、白い地平が広がっていく。
それでも、セレスの理屈っぽい独り言と、子供みたいな所作が、妙に心を軽くしてくれるのだった。
ーーーー
雪山の麓に近づくほど、空気は刺すように冷たくなり、吐く息が白い煙となって宙に漂った。
道は細く、両脇には雪が高く積もって、まるで氷の回廊のようだ。
風は刃のように頬を切りつけ、悠真もリィナも思わず肩をすくめながら進む。
「にゃー……寒すぎる。耳が凍っちゃいそう」
リィナが両手で猫耳を押さえた。
そのとき、セレスがふいに立ち止まり、短く息を吐く。杖を掲げると、先端が淡く光を帯びた。
「見てられないわね。これじゃ、いつまで経っても村に着けないでしょ」
白い光が波紋のように広がった。まるで目に見えない幕が張られたかのように。
すると――さっきまで体を叩きつけていた冷風が嘘のように消え、三人の周囲だけが、春のような温かさに包まれた。
「……え、これどうなってるんだ?」
悠真が思わず問いかける。
「別に大したことじゃないわ」
セレスは肩をすくめ、淡々と答えた。
「空気の流れをちょっと整えただけ。無理に止めるより、通り道を整理してやる方が効率的なのよ」
「にゃ? 風に“道”なんてあるの?」
リィナが首をかしげる。
「あるに決まってるでしょ。知らないから寒さに振り回されるのよ。自然はね、無駄を嫌うの。だから、ちょっと説得してあげただけ」
その口調はどこか誇らしげで、ほんの少しの得意げが混じっていた。
けれど、事実として、彼女の“説得”は見事に成功していた。
風がやみ、雪道は穏やかに――まるで、三人だけが別の季節にいるようだった。
「……すごいな」
悠真が感嘆すると、セレスはふんと鼻を鳴らし、マントをひらりと翻す。
「当然でしょ!これぐらいできなきゃ、わざわざ助けを求めに来たりしないわよ。私、ちゃんと役に立つんだから。」
そう言いながらも、マントの陰からのぞく表情は、どこか照れくさそうだった。
「やっぱりセレス、ちょっと可愛いにゃ」
リィナが小声でつぶやくと――
「聞こえてるわよ!」
セレスが即座に振り向き、頬をわずかに赤らめた。
三人の笑い声が、冷えきった雪道にやわらかく響く。
――けれど、その先に待つ凍りついた村と、過酷な試練を、まだ誰も知らなかった。
ーーーーー
山道を抜け、もう少しで村が見えようとしたとき。
吹雪の奥から、不気味な唸り声が響いた。
「……何かいる」
悠真が足を止める。
次の瞬間、黒い影が雪煙を蹴散らしながら飛び出してきた。
獣と人の中間のような魔物。
毛皮は凍りつき、目は狂気に濁り、牙を剥いて迫ってくる。
「にゃ、なにあれ!?」リィナが声を上げる。
「雪山の瘴気に呑まれた獣よ。村を荒らしてる連中は、だいたいああいう手合いね」
セレスの声には、まるで“日常の出来事”を語るような冷静さがあった。
「ふん、吹雪に紛れて増えるから厄介なのよ。珍しくもないわ」
そう言うと、彼女は杖を雪に突き立てた。
「下がってなさい。力比べなら、こっちの方が早いから」
杖の先に白い光が凝縮し、凍てついた空気が一瞬で張りつめる。
彼女が小さく囁いた瞬間、地面を走るように魔法陣の紋が広がった。
魔物が飛びかかる――その刹那、空気が一変した。
風が唸り、氷の粒が舞い上がる。
「……《氷嵐》」
セレスの声とともに、世界が一変した。
凄まじい吹雪が一点から炸裂し、雪の結晶が刃と化して群れを切り裂く。
魔物たちは叫ぶ間もなく凍りつき、砕け散った。
粉雪のような残滓が風に舞い、静けさだけが残る。
谷間は白く染まり、まるで時間が止まったかのようだった。
「……終わり。暴れるだけの獣なら、脅威でもなんでもないわ」
セレスは軽く息を吐き、杖を肩にかける。
その横顔は、冷たい雪景色よりも凛としていた。
悠真は言葉を失う。
群れを一瞬で消し飛ばすなんて――想像すらしていなかった。
「ちょっとカッコいい……にゃ」
リィナがぽそりと呟くと、セレスはぴくりと振り向いた。
「今のも聞こえてるから!」
リィナは舌を出してごまかした。
――雪は、静かに降り続いていた。
第39話、最後まで、ご覧いただきありがとうございます。わーい、嬉しいです(^^)
次回は、もう第40話。早いもんです。
第40話『雪山の過酷な挑戦』も、
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