第16話: 魔王軍の斥候“黒き戦鬼”
ギルドの大広間は、今日も冒険者たちの喧噪に包まれていた。
剣を腰に下げた男、魔法の杖を背負った女、荷物を抱えた商人風の依頼人――それぞれの声が混じり合い、活気と熱気を作り出している。
その中で、ひときわ視線を集める2人の姿があった。
「……あれが、例の“影の魔物”を仕留めたってやつらか」
「ギルドの連中でも手こずった依頼を、たった2人で……信じられんな」
ひそひそと囁かれる声。
悠真とリィナは、なるべく気づかぬふりをしてカウンターに歩いていった。
「今日も依頼を受けるにゃ。……けど、視線が痛いんだけど」
リィナが耳をぴくぴく動かしながら小声で言う。
「仕方ないさ。最近、まともに依頼をこなしているのは俺たちくらいだろ」
悠真は苦笑しつつ、木札の依頼書を手に取った。
これまでも、彼らは小さな村を襲った“血牙の狼群”を一夜で壊滅させ、地下洞窟に巣食う巨大魔鳥「ガンドラ」を仕留め、山間部で暴れ回っていた“暴風のワイバーン”をも撃墜してきた。
どれも本来なら五人以上のパーティーを組まなければ死者が出るような高難度依頼ばかり。
それでも、悠真とリィナはたった二人で、すべてを完遂してみせた。
その成果は確実にギルドに広まり、
今では「一目置かれる存在」として名が上がりつつあった。
「やれやれ、すっかり有名人だな」
低い声が後ろから響いた。
振り向いた悠真の目に映ったのは――懐かしい顔だった。
「シグルド!」
リィナが目を丸くする。
かつてこの街で“最強剣士”と呼ばれた男。
悠真が“天穿の槍”でその肩をかすめ、勝敗を決した相手――。
今の彼は、以前よりも穏やかな気配をまといながらも、眼光の奥には研ぎ澄まされた光が宿っていた。
「お前たち、ずいぶん名を上げているらしいな」
シグルドの口元がわずかにほころぶ。
「いや、まだまだ……」
悠真が言いかけたところで、シグルドは首を振った。
「謙遜するな。影の魔物を討った話は、俺の耳にも届いている。並の冒険者ならば心を呑まれ、命を落としていたはずだ。それを二人で突破した。……大したものだ」
周囲で、耳を澄ませていた冒険者たちがざわめく。
「あいつら、やっぱり本当だったんだな」
「あのシグルドに認められてるぞ……」
視線はますます2人に集中し、
悠真は居心地悪そうに肩をすくめた。
リィナは小声で囁く。
「悠真、見てみて……みんな、あたしたちを英雄扱いしてるよ」
「……困ったな。俺、英雄なんて柄じゃないのに」
そう言いながらも、胸の奥には小さな熱が灯っていた。
その変化を見抜いたように、シグルドはふっと笑う。
「安心しろ。俺も昔は“最強”なんて呼ばれて息苦しかった。だがな――力を得た者には、それをどう使うか選ぶ責任がある。お前はどうなんだ?」
静かな問い。
悠真は答えられなかった。
なぜ戦うのか、この“進化”の力を何のために使うのか――心の中で何度も自問してきた。
リィナが沈黙を破った。
「悠真は、まだ答えを探してる途中だよ。
でも、あたしは信じてる。どんな答えを見つけるにしても、悠真なら絶対に間違えないって」
不意にかけられた言葉に、悠真は思わず彼女を見た。
リィナの耳がほんのり赤く染まり、
彼女は慌ててそっぽを向いた。
「なるほど。……良い相棒をもったな、悠真」
シグルドが柔らかく笑う。
「ち、違うにゃ! 仲間ってだけだから!」
リィナが慌てて否定すると、
周囲からくすくすと忍び笑いが漏れた。
そのとき、掲示板の前でざわめきが起きる。
「おい見ろ! 新しい討伐依頼だ!」
「辺境の森に“魔王軍の斥候”が現れたって――!」
場の空気が一変した。
魔王軍――その名は、この世界では脅威そのものだった。単なる魔物とは次元が違い、人々を蹂躙する力を持つ存在。
悠真は依頼書を手に取り、視線を走らせる。
討伐対象は、魔王軍の尖兵とされる“黒き戦鬼”。村を襲い、すでに数十名の犠牲者が出ているという。
「……行くのか?」
シグルドが問う。
悠真は短く息を吐き、頷いた。
「避けて通れないだろう。これが俺の力の使い道かどうかは分からない。だが――誰かがやらなきゃいけないのなら、俺はやる」
リィナも隣で胸を張る。
「あたしも行くよ。悠真一人じゃ危なっかしいし」
その言葉に、シグルドは満足げに目を細めた。
「よし。ならば、俺も手を貸そう。今度は敵としてではなく、仲間としてな」
冒険者たちの間にどよめきが広がる。
かつて最強と呼ばれた剣士シグルドと、新進気鋭の二人組――。
その共闘は、すでに英雄譚の始まりのように映っていた。
悠真は槍を握りしめ、リィナと視線を交わす。
彼女の瞳は、未来への不安よりも、
まだ見ぬ広い世界を望む輝きに満ちていた。
「……行こう、リィナ」
「うん」
3人はギルドを後にし、ざわめく声を背に受けながら歩き出す。
その背中を、多くの冒険者たちが羨望と敬意を込めた目で見送っていた。
それは――英雄の兆しに他ならなかった。
ーーーーー
夜の帳が下りるころ、街の広場には妙なざわめきが広がっていた。
冒険者たちが集まり、互いに顔を見合わせては声を潜める。
「……また出たらしいぜ。“黒き戦鬼”が」
「辺境の村が壊滅したって話だ。
逃げ延びた連中の証言じゃ、剣で斬られても、矢で射っても傷一つつかない化け物だとよ」
震える声が人から人へと伝わり、
恐怖は連鎖のように広がっていく。
その中心に、悠真たち3人の姿もあった。
その3人を見つけた周囲の冒険者たちは、
興奮と驚きの混じった声を上げる。
「すげえな、あいつらマジで行く気だ! 」
「本気かよ? 」
野次とも激励ともつかない声が飛び交う中、三人は静かにそれを受け止めていた。
その喧噪の奥には、不安だけでなく――
“誰かが立ち向かってくれる”という期待も混じっていた。
シグルドが腕を組み、わずかに笑みを浮かべる。
「斬っても倒れぬ相手、か。……ただの魔物じゃありえん。魔王軍の尖兵なら、話は別だな」
悠真は無言で頷き、拳を握り締めた。
街を出ると、空気が一変した。
リィナの耳がぴくりと動き、周囲を見渡す。
「……空気が重いね。外に出ただけで、
もう魔物の気配が混ざってる」
夜風に運ばれる匂いさえ、どこか血臭を含んでいるようだった。
⸻
翌朝。
3人がたどり着いたのは、
戦鬼が出没したという辺境の村だった。
だがそこに“村”と呼べるものは、もはや存在しなかった。
焼け焦げた家々。
引き裂かれた柵。
乾いた血がこびりつき、粉々になった武器が地面を覆っている。
風に乗って漂う焦げ臭さが、まだ新しい。
リィナが思わず口元を押さえる。
「……ひどすぎる......」
悠真は言葉を失い、無意識に槍を構えていた。
何かが、まだここにいる――そう感じた。
シグルドが片膝をつき、地面をなぞる。
「これは……剣の跡だな。だが、深すぎる。人間の力じゃない」
風が吹き抜けた瞬間――どこからか低い唸り声が響いた。
3人が同時に顔を上げる。
森の奥。
木々の間で黒い影がゆらりと揺れた。
人のようでいて、人ではない。
しかし異様に膨れ上がった筋肉と、獣のように歪んだ輪郭。
真紅の双眸だけがぎらつき、夜よりも濃い闇の中から光がこちらを射抜いていた。
「――来たか」
シグルドの声が、風の中に鋭く響く。
黒き戦鬼――。
その名の通り、全身を覆う漆黒の鎧は、乾ききらぬ血で赤黒く染まり、手にした大剣は人間の身長を優に超えていた。
一歩、また一歩。
足を踏み出すたび、大地がうなり、砕けた石が跳ねる。
恐怖が空気を支配し、廃墟の影さえ怯えているようだった。
リィナが喉を鳴らす。
「……やばいよ。気配が重すぎる……
これまでの魔物なんか比べもんにならないにゃ....」
悠真は乾いた唇を噛み、正眼に構えた。
足がわずかに震える。だが退くつもりはない。
黒き戦鬼は言葉を持たぬはずの存在。
だがその唸り声は、まるで「お前たちを潰す」と告げているかのように聞こえた。
次の瞬間――。
轟音が大地を叩いた。
戦鬼が振り下ろした大剣が、村の井戸を一撃で粉砕する。
石片が飛び散り、土煙が視界を奪った。
「くっ――!」
悠真は咄嗟にリィナの腕を引き、身を翻す。
すれ違いざまに剣風が頬を裂き、熱い血がにじんだ。
シグルドが叫ぶ。
「油断するな! こいつの一撃は、どれも致命傷だ!」
土煙の向こうで、赤い双眸がぎらりと輝いた。
黒き戦鬼は再び、大剣を構える。
その姿はまるで、人間に絶望を刻み込むためだけに生まれた化け物のようだった。
三人の喉が同時に鳴る。
逃げ道など、最初から存在しない。
――戦いが始まった。
第16話、ご覧いただき大感謝です。
毎日更新できてますが、いずれ月水金にする予定です。(^^;;
次回、『第17話:進化の力、再び。』も
是非【応援よろしくお願いします。】
いろいろなご意見、お待ちしています。感想もm(_ _)mです。




