第14話:鏡の中の試練
足元から這い上がる黒い影が彼の脚を絡め取り、締め上げてきた。
「ぐっ……!」
「悠真っ!」
リィナの声が響く。
彼女は矢を放ち、悠真に絡みつく影を引き剥がそうとする。
だがその隙を突かれ、別の影が彼女に飛びかかった。
「きゃっ!」
リィナの腕が裂かれ、赤い血が飛び散る。
弓を持つ手が震え、矢をつがえる余裕もない。
次の瞬間、3体の影が同時に襲いかかり、彼女の背中を石壁に押し付けた。
「――っ……!」
黒い牙が喉元に迫る。
リィナは必死に短剣を突き出すが、数が多すぎる。
――ここまでか。
悠真の胸に冷たい予感が走る。
槍を握りしめたまま必死に足を踏み出すが、
敵の数は雪崩のように押し寄せ、押し返す力が届かない。
だが――その混乱の中、ふと目に入る光景があった。
倒すたびに増える影。
そして、増殖を繰り返すごとに、
周囲の光が少しずつ失われていく。
苔の青白い輝きが弱まり、空間そのものが薄闇に沈んでいく。
悠真は歯を食いしばり、呼吸を整えた。
影喰いの動きを観察し、ある「規則」に気がついた。
「……そうか」
声は微かに震えていたが、確信に変わっていた。
「リィナ! 影じゃなく、本体を探すんだ!」
「本体……?」
リィナが驚きに目を見開く。
その瞬間、背後で影が牙を剥き、再び喉元に迫った。
「光が吸われていく方向だ!こいつらが偽物ってわけじゃない。でも本体がいる……光を喰ってる核だ! きっとどこかに隠れてる!」
リィナは光が消えていく方に耳をすませた。
闇のざわめきの奥に――ひとつ、
規則的な鼓動のような音を聞き取った。
「……あった! 右奥の壁の裏!」
「任せろ!」
悠真は槍を構え、敵を蹴散らしながら突進する。
群れが一斉に襲いかかるが、リィナが目標の先へと一筋の矢を放つ、悠真の進路を切り開いた。
壁際にたどり着いた瞬間、悠真は跳び上がり、
全身の力を槍に込める。
「天穿――くらえっ!」
槍が壁を貫き、奥に潜む黒い結晶を突き砕いた。
耳を裂く悲鳴が広間を揺らし、
増殖していた影喰いたちが次々と霧散していく。
残されたのは、砕けた黒い核の破片と、静寂だけだった。
「ふぅ……静かになったにゃ……」
リィナがその場にへなへなと座り込み、深いため息をつく。
悠真は槍を引き抜き、汗を拭った。
「……危なかったな。核を見つけられなきゃ、ここで全滅だった」
リィナはちらりと悠真を見上げて、にやりと笑う。
「でも勝ったのは、2人の連携……いいコンビにゃ」
悠真も小さく笑った。
「そうだな。……相棒っ」
その言葉と笑みに、リィナの胸がふっと高鳴った。
真剣な眼差しに余韻を残す横顔は、
妙に頼もしく見えて――思わず頬が熱くなる。
「ん?どうした?」
「……にゃっ!? な、なんでもないっば!」
慌てて視線を逸らすリィナに、悠真は首をかしげるだけだった。
そして、勝利の余韻に浸る間もなく、2人は顔を見合わせた。
「……悠真、ここ、中層より下だよね?」
リィナの声は普段の軽快さとは裏腹に、かすかに震えていた。
彼女の瞳には、苔の光が揺らめく薄暗い空間が映っている。
「間違いない。この気配……明らかに中層よりヤバい階層だ。」
悠真は周囲を見回し、
湿った空気とどこか不穏な静けさに眉を寄せた。
「床が抜けたせいで、予定よりずっと深く来ちまったな……。」
「にゃふ……でもさ、戻る道もないし、進むしかないよね?」
リィナが無理やり明るく笑うが、その尻尾はピンと張っている。
悠真は小さく頷き、槍を握り直した。
「ああ。覚悟を決めるしかないようだ。」
広間の奥に、闇へと続く階段が不気味に口を開けていた。
二人は互いに視線を交わし、
静かな決意を胸に一歩を踏み出した。
階段を降り切った瞬間、悠真とリィナは思わず足を止めた。
そこはこれまでの洞窟や広間とはまったく異なる、奇妙な空間だった。
「……鏡、なの?」
リィナが小さく呟く。
床も壁も天井も、すべてが磨き上げられた鏡面で覆われている。
それは単なる装飾ではなく、まるで水銀を流し込んだような不気味な輝きを放ち、2人の姿を無数に映し出していた。
一歩進めば、足音は反響し、姿は四方八方に増殖して揺れる。
上下左右の感覚すら狂い、
立っているだけで平衡感覚を失いそうになる。
「こりゃあ……普通の階層じゃないな」
リィナが急に目を丸くし、尻尾をピンと立てた。
「ゆ、悠真! 思い出した! 昔、冒険者ギルドで噂になってたやつだ! 鏡の迷宮で獲物を惑わす魔物……それ、最下層のボスじゃないかって話だったにゃ!」
彼女の言葉が反響し、鏡の空間で不気味に響き合う。
悠真は静かに息を吐き、鏡に映る自分の姿を冷たく見据えた。
「最下層のボス.....笑えない冗談だな」
2人の間に重い沈黙が流れる。
鏡の奥で、何かが蠢くような気配が漂っていた。
まるで何かがこちらを覗いているかのように。
悠真は槍を軽く構え、警戒を強める。
「罠の匂いがする……」
リィナは弓を握りしめ、耳を立てるように周囲を探った。
不気味な静寂。風もなく、魔物のうめきもなく、聞こえるのは自分たちの呼吸音と足音だけ。
だが――その静けさこそが罠だと、悠真は直感していた。
ゆっくりと前進する。
進むたびに、無数の自分が鏡の中から見返してくる。
表情も仕草も寸分違わず、だが――
ほんの僅かに、違和感が混じっているような気がした。
(……今、俺の映像が、笑った?)
悠真は足を止め、目を凝らす。
鏡の中の自分は確かにこちらを見ていた。
だがほんの一瞬、口角が勝手に吊り上がったように見えたのだ。
「悠真?」
リィナが怪訝そうに振り返る。
だがその声に応えるよりも早く、
鏡面が――音もなく揺らめいた。
水面に石を投げ込んだかのように波紋が広がり、
その中から人影が一歩、二歩と現れる。
それは――悠真自身の姿だった。
「……っ!」
悠真は反射的に槍を構える。
目の前に立ったのは、服装も体格も同じ、まるで映し鏡から抜け出したかのような“もう一人の悠真”だった。
「な、なにこれ……」
リィナの声が震える。
だがそれだけでは終わらなかった。
今度は別の鏡から――リィナが現れたのだ。
悠真の隣に立つリィナと寸分違わぬ姿で、
同じ武器を構え、同じ猫耳を揺らして。
「……2人とも……そっくり.....」
リィナがかすれ声で言った。
本物と偽物が、鏡張りの空間に4人並び立つ。
どちらが本物でどちらが幻影か、区別のつかない状況に、空気が張り詰めた。
「ふっ……油断しすぎだな」
目の前の偽悠真が口を開いた。
声も、響きも本物と全く同じ。
だが口にした言葉は――胸を刺すような毒だった。
「リィナ、お前は足手まといだ。
ここまで連れてきたのは間違いだったかもしれない」
「――っ!」
リィナが目を見開き、わずかに後ずさる。
続けざまに、偽リィナも口を開いた。
「悠真……あんた、本当にあたしを信じてるにゃ?
いつも冷静ぶってるけど、本当は……あたしが裏切るかもしれないって、疑ってるんじゃないの?」
胸を抉るような言葉。
それは普段、2人が決して口にしない“心の奥底の疑念”
そして、2人の心を読み、弱みをつつくような疑念だった。
「……こいつら、俺たちの迷いを突いてくる気か」
悠真は低く呟き、槍を構え直す。
だが手に汗が滲むのを止められない。
幻影の言葉は、否定すればするほど心に絡みついてくる。
(リィナは……本当に俺を信じてくれてるのか? いや、そんなことを考えるな……!)
(悠真は……一人でも戦える。じゃあ、あたしは……本当に必要になの?)
2人の胸に、疑念が少しずつ芽を伸ばし始める。
そして――幻影たちは一斉に動き出した。
悠真の偽物が槍を構え、リィナの偽物が矢をつがえる。
殺す気で。
「来るぞ!」
悠真の叫びと同時に、鏡の迷宮は牙を剥いた。
「ハッ!」
槍の切っ先が閃く。
だが、それとまったく同じ動きで、偽の悠真も槍を突き出してきた。金属がぶつかり合い、火花が散る。
「ちぃっ……まるで鏡合わせだな!」
悠真は舌打ちし、押し込もうとする。
だが相手も同じ力で押し返してくる。力、技、動き――すべてが自分と同じ。だからこそ、どんな一手を繰り出しても完全に読まれてしまう。
一方、リィナも矢を射放った。
だがそれと同時に、偽リィナも弓を引き絞り、鏡のように同じ軌道で矢を放ってくる。
2本の矢が空中で激突し、木の破片が散った。
「なっ……!?」
「本当に……コピーそのものにゃ……!」
緊張と苛立ちが同時に膨らんでいく。
鏡面の空間に、4人の戦いが映し出される。
だがどの姿が本物でどの姿が幻影か――錯覚でわからなくなるほどに入り乱れ、混乱を誘った。
そんな中――偽悠真が、わずかに笑った。
「リィナ……お前の矢は遅い。
だから俺がいないと、すぐに的を外す」
「……っ!」
リィナの胸に冷たい針が突き立つ。
その一瞬の動揺を突き、偽リィナの矢が頬をかすめた。
「リィナ!」
悠真が叫ぶ。
だがその隙を、偽悠真が槍で突いてきた。
ギリギリで受け止めたものの、腕に鈍い衝撃が走る。
(……言葉で揺さぶって、隙を生ませる気だ……!)
そして、次は偽リィナが声を発した。
「悠真……あんた、本当はわたしを守ってるんじゃなくて、いつ裏切るかわからないヤツだって、警戒してるんじゃないの?」
「……!」
心臓を握りつぶされるような感覚。
否定したい。だが、否定すればするほど、まるで本当に心の奥でそう思っていたかのように疑念が膨らむ。
「違う……そんな訳ない……」
悠真はかろうじて声を絞り出した。
だが鏡の迷宮は冷酷に反応した。
――ガコン、と。
床下から不気味な音が響き、空間全体が震えた。
鏡の壁がわずかに変形し、偽者たちの姿がひと回り大きくなる。
「……強くなった……?」
リィナが顔を青ざめさせる。
そう――疑念に心を囚われれば囚われるほど、幻影は力を増していくのだ。
この空間そのものが、彼らの心を試す“試練”なのだと理解した。
第14話、ご覧いただき大感謝です。
毎日更新できてますが、いずれ月水金にする予定です。
まだ、慣れなくてアタフタ^^;
次回、『第15話: “頼れない存在”』も
是非【応援よろしくお願いします。】
いろいろなご意見、お待ちしています。感想もm(_ _)mです。




