30.最後の一人
「あなたが……最後の一人ですね?」
崩れ落ちるモンスターの体を飛び越えながら、琴莉は山道の途中でへたり込むように進んでいた女子生徒に声をかけた。
「えっと、あの……わたし……わたし……うああああぁぁぁぁっ!」
生徒の顔が歪み、次の瞬間には嗚咽が爆ぜるように漏れた。
周囲を見渡しても、他に生徒の姿は見えない。教師の影すらない。
(もしかして、一人でここまで……)
恐怖と孤独。おそらくそれだけで、心は限界だったのだろう。
琴莉が一言声をかけただけで、張り詰めていたものが崩れてしまったらしい。
しかし、ここはまだ安全とは言いがたい。ダンジョンの濃い魔素が、空気に混ざっているのを肌が感じ取っていた。振り返れば、森の奥からかすかに呻くような声も聞こえる。
今、琴莉たちが立っている場所は、ダンジョンの中と大差のない危険地帯だ。
「ごめんなさい。話はあとで、必ず聞かせてもらいますから」
そう言い残し、琴莉は少女の体をひょいと肩に担ぎ上げた。軽い。
土を踏み締め、岩を避け、獣道を駆け上がる。担いでいるとは思えない速度で、彼女は一気に山道を登っていった。魔素に呼応し、アーティファクトが熱を帯びるように力を放ち始めた。
(あと少し。間に合って……)
自衛隊の基地が見えたとき、琴莉は胸をなで下ろした。
だが、その安堵もつかの間。
生徒を教師に引き渡し、息を整える暇もなく、彼女は踵を返して再びシェルターの出口へ向かおうとする。シェルターの中は安全、とはいえ元凶であるバーストを止めなければ、ここにいる全員を『家に帰す』ことはできない。
と、その背中に声がかかった。
「あ、あのっ! すみません!」
数名の女子生徒。顔は見覚えがある。
ダンジョン研修で琴莉が担当したグループの生徒たちだ。
「あのっ、咲夜を。潜木さんを見ませんでしたか?」
「潜木?」
「さっき、最後に質問してた女の子ですっ!」
その一言で、すぐに思い至った。
ダンジョンと魔石への依存が進む国策に疑問を抱いていた女子生徒のことを。
琴莉は頷いた。
「……ああ、彼女ですか」
「見てないですか? ここには……来てないんです!」
「何度も名前を呼んだんだけど、返事がなくて……」
琴莉の表情がわずかに揺らいだ。
(まさか……)
モンスターの排除を行っていた琴莉は、生徒たちが登っていったルートを後から辿ってここまでやってきた。その道中で会ったのは、泣きじゃくっていた女子生徒一人だけ。
琴莉が見てきたのは山道だけだ。
咲夜という女子生徒が、もしも山道を外れていたのだとしたら。
「西海さん! 大変です!!」
教師が駆け寄ってきた。
顔は青ざめ、肩で息をしている。
後ろには、さきほど救助した女子生徒が立っていた。まだ涙が頬を伝っている。
「この子の話によると、どうやら潜木という生徒が……山道から滑落したらしく……」
言いよどむ教師。
周囲の生徒たちが一斉に凍りつく。
口々に「うそ」「やだ」と呟き、足を震わせていた。
(やはり……)
未来予知のスキルを使わなくとも、嫌な予感が当たることはある。
「わかりました。すぐ探しにいきます」
その一言で、ざわめきが希望を帯び始めた。
彼らはまるで、この場にいない女子生徒が助かると決まったかのように目を輝かせた。
「…………っ! ありがとうございます!」
「ありがとうございます! 咲夜をお願いします!」
「咲夜を助けてください!!」
叫ぶような声、涙をにじませた表情、深々と頭を下げる姿。
そのすべてに、――琴莉は答えなかった。
もちろん助けたいと思う気持ちは琴莉だって同じだ。
しかし、軽々に「必ず助ける」などとは言えない。
無責任な希望は、時に残酷な刃になる。
すでにダンジョンバーストから二十数分が経過している。
プロハンターが対応しているとはいえ、モンスターがこの周辺一帯に広がるには十分な時間だ。
琴莉の経験則では、すでに手遅れとなっている可能性の方が高い。
それでも。
(まだ生きている可能性だって、ある)
琴莉は静かにシェルターを後にした。
案の定。先ほどとは比べ物にならない数のモンスターが、我が物顔で山道を闊歩していた。
迷子の子鬼、魔界の魔狼、削り武士に、踊る粘体。オープンエリアの雑魚モンスターから、高濃度魔素エリアに生息しているモンスターまで、よりどりみどり。
「そこの道、空けてもらえます?」
琴莉が静かにそう告げた。
モンスターたちは全身の筋肉を震わせ、獲物を前にした捕食者独特の、歓喜に満ちた表情を浮かべた。
「ま、そうですよね」
低い唸り声と共に、最初に飛びかかってきたのは削り武士だ。
半壊した鎧をまとい、刃こぼれした大太刀を引きずりながら突っ込んでくる。
「……排除します」
琴莉は自らのスキルで未来を予知する。
一歩踏み込み、身体を右にひねって斬撃を紙一重で回避。
そのまま相手の懐へ潜り込み、大剣で横に薙ぎ払う。
削り武士の胴体が、まるで水をすくったかのように滑らかに裂けた。
次いで飛び出してきたのはウルフェゴル。
鼻腔を震わせながら牙をむき、咆哮とともに地面を蹴る。
「スピードは悪くないです……が」
未来予知があれば、敵のスピードなど関係ない。
渾身の攻撃をかわされ、体勢を崩したウルフェゴルの背中に上段から振り下ろした一撃を見舞う。
これで二匹目。
だが、数が多い。
視界の端では、マイゴブリンたちがニタニタと笑みを浮かべて、こちらを取り囲もうとしている。
徐々にその輪は狭まっていく。
さらにその奥では、ダンスライムが踊るように跳ねて、地面に粘液を撒き散らしていた。
それでも、ここを切り開くしかない。
「ちょっと……本気を出しますよ」
琴莉は大剣を構え直し、全身に魔素を巡らせた。アーティファクトが共鳴し、刃が淡く輝きを放つ。
その瞬間、次に訪れる光景が、脳裏に幻影のように射し込んだ。
モンスターの血飛沫が、次々と宙を舞う。
心臓や頭を穿たれて、音もなく崩れ落ちていくマイゴブリンたち。
踊っていたスライムは、核を貫通する穴が空くと同時に、ビクリとも動かなくなった。
「…………え?」
琴莉が足を踏み出すよりも早く、目の前の敵が次々と倒れていく。
矢。矢だ――すべての攻撃は、見えない矢が放った、精密無比な一撃だった。
モンスターが地に伏し消えていく中に、悠然と姿を現したのは琴莉も知っている人物だった。
黒い羽織を翻し、弓を構える男。その動きには、一分の隙もなかった。
顔は見えなかった。あの白い狐のお面が、すべてを静かに覆い隠していた。
白い狐面の男が、無言のまま琴莉を見つめた。
琴莉は、思わず息を飲んだ。
ダンジョンバーストで濁りきった山の空気が、また少し変わった気がした。
絶望の霧が立ち込める中で、ただ一条の光が射し込んだかのようだった。
ついに8万字を越えました!
これでHJ大賞6と集英社小説大賞6の応募規定を満たしました。
自分で自分を褒めます!!




