表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「似て非なるもの」の話。

作者: 白烏

“無宗教”についてのエッセイを拝読したのですが、「いやいや、それ違うよね」と思わずツッコんでしまいました。


 該当のエッセイでは“無宗教”を「(神仏を)信仰していないこと」と定義しています。

 これがそもそもの間違いなのです。


 改めて“無宗教”の意味を調べてみると“()()()()()()()()()信仰しない思想や立場を表すこと”とのことです。

 正しく、日本人はこの“無宗教”の人が多いのは明らかです。正月に神社にお参りしたり、クリスマスにパーティーしたりできるのは、日本人に「特定の宗教を信仰していない」人が多いからではないでしょうか。


 一方で、日本人には“無神論”者はあまり多くはないのでしょう。

“無神論”とは“神の存在を否定する思想的立場”です。

 件のエッセイ主さんが言っているのはこの“無神論”のことですね。「罰が当たるから御守りはぞんざいに扱えない」ということは“無神論”者ではないことの証左ではないでしょうか。


 つまり、「日本人の多くは“無宗教”ではあるが“無神論”者ではない」ということなのです。特定の宗教の神様を信じているわけではないが、「神様という存在」はいるかもしれない、という考えが日本人に広く浸透しているのではというのが私の考えです。

八百万(やおよろず)の神々」を信仰する「神道」が日本人の思想のベースにあるからでしょうか。


 “無宗教”と“無神論”は「似て非なるもの」なので、皆様もお間違え無きようにお気をつけ下さい。

ちなみに、私は「無宗教ではあるが無神論者ではない」派な人間です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ