第一章
静かな部屋には、本と木の棚が立てる音しか反響しない。
控えめに鳴る足音。木造の校舎が時折立てる家鳴り。窓から差し込む夕暮れの光。部屋の真ん中のストーブの熱気と、部屋の隅に蹲る寒気。新品の紙とインクの香り。古参組のそれが醸し出すその独特の匂い。
ここ、王立魔法学院高等部の図書室は、あたしの楽園だ。
漫画とラノベと長編ファンタジー2冊と綺麗な風景の写真集。冊数制限の5冊ぴったりの本を腕に積み上げ、足取り軽く貸出手続きのカウンターへ行く。
「貸出です。1年…」
「Ⅳ組のルカちゃんね。執筆活動はいかが?」
中等部から高等部に進級して早3か月。高等部・大学院図書室司書のシーナ先生とはもう旧友のように仲が良くなった。
「超順調です!今度、書いたところまで見せますね」
「楽しみにしてるけど、ほどほどにね。一日アニメ漬けの私が言えることじゃないけど」
「分かってますって。勉強も学校の行事もきちんとこなしてるし…」
あたしの答えは彼女の期待するものとは違うらしく、言葉を遮るように溜息が返ってきた。
「それも大事だけど、君の青春の話!」
「オタ活も満喫してますよ?」
先生はすこし声を潜めて、
「違うわよ。ほら、もうすぐ聖夜祭でしょ?“彼”は誘わないの?」
「あ…えと…その…」
顔がゆっくり火照っていく。
「ちなみに私はちゃーっかり彼氏と行くので!」
声こそ潜めているが、とても嬉しそうな先生。…この人が由緒正しきこの学校の司書で大丈夫なのだろうか?
「何の話してるんすか?」
「にぎゃぁ!?」
後ろから突然声がした。しかも、件の“彼”ことキリヤ。い、今の会話聞かれてた…?
「この6冊、貸出手続き済んでます?」
「もちろんよ。私は一流司書だから」
「自称はともかく、一流であることは確かじゃの」
キリヤの陰からひょこっと橙色のツインテールが顔を覗かせた。その後ろには早くも新刊コーナーから難しそうな専門書を手に取る黒髪の男子。
「カラシャ!メルトまで…」
「今夜の学食当番は我らじゃ。早くいくぞよ」
「どうせセリィなら忘れてるだろうと思って迎えに来た」
溜息交じりに言ったキリヤはあたしが借りた本を先生から受け取る。
「この本、ついでに借りて行ってもいいですか?」
一人マイペースなメルトは、カウンターに百科事典並みに分厚い本をどんと置く。
「ミイラ取りがミイラになってどうする」
「だってキリヤ、これすごく面白そうですよ?」
メルトが笑いながら指さすその本の名前は、錬金術大全書。
「うひゃぁ…」
思わず顔が引きつる。
「錬金術師といえば、あの右腕と左足が義手義足のキャラしか思い浮かばんな」
どこまでも自分を貫くカラシャ。…確かにあたしもそっちが最初に思い浮かんだけど!
「メルトの手続きも終わったし、行くぞ」
我関せずとばかりにキリヤは身を翻して出口へ早歩き。…あたしの借りた本を持ったままで!
「食堂に行くなら地下廊下を通りなさ~い。今日は動員があるみたいで地上廊下は混んでるから!」
「分かりました。ありがとうございます!」
そんな会話を後ろに聞き、キリヤの後を急いで追いかける。
「キリヤ!あたしの本を…」
「誘拐するな、とお主の彼女がゆうとるぞ~」
「「彼女じゃない!!」」
「その会話、もう聞き飽きたよ…」
追いついてきたメルトが苦笑する。変な事言うカラシャが悪いんだよ、もう…。
「わ!何で急に立ち止まるの!?」
後ろを見て話していたから、思いっきりキリヤにぶつかる。
「こっちで本当に合ってたか?」
キリヤは怪訝な顔をこっちに向ける。
「お主、もう高等部に上がって3か月じゃぞ、って確かに…」
何か変。雰囲気というか、気配というか…。
「おかしいのは雰囲気だけじゃないです。深夜の校舎や寄宿棟でもないのに、廊下がこんなに静かになるはずがない」
学年でもトップクラスの頭脳を持つメルトは、考え込むときに顎に右手をあてる癖がある。これは中等部からの長い付き合いであるあたしたちだけしか、気づいていなかったりする。
「ねえ、何か聞こえない?」
廊下の奥、あたしたちの前方から、何かの音が聞こえる。たくさんの人の声、いや、楽器の音?
《おいで》
「…ッ!?」
雑踏ともいえない曖昧な音の波に乗って、男女とも子供とも大人とも判別がつかない声が耳に飛び込んでくる。声は、あたしの身体を前へと引きずり込んでいく。正体を知りたくて、声の主を知りたくて、廊下の奥の闇へと手を伸ばす。
それを止める者はいなかった。
視界を闇が埋めつくす。
手を伸ばしてから、恐怖があたしを埋め尽くす。カラシャ、メルト、キリヤ、どこに行ったの?
怖い。
「助けて!」
声が廊下と共鳴した。