子爵令嬢・前編
ヒロイン視点。長くなったので前後編です。
彼女は前世からお花畑だったので、かなり色々とやらかしております。
「出して、出してぇっ……!!」
こんな、こんなことあっていいはずがない!
私はこの世界のヒロインなのに。前世では叶わなかった望みを、今度こそ叶えられると思ったのに!
並の貴族の邸宅など問題にもならないほど豪華な、けれど窓には頑丈な鉄格子のはまった部屋で、私は悲痛な声で助けを求め扉を叩いていた。
──私がヒロインとして転生したのは、某乙女ゲームの世界。
前世でもとにかく美人だった私が通っていた高校は、見目のいい男たちがなかなかに多くて、彼らを侍らせてその全員から愛されることを密かな目標としていた。まあ不美人たちにはとにかく妬まれたけど、せっかく美人に生まれた以上、イイ男を侍らせてちやほやされたいと思うのは当然のことでしょ?
年上年下同級生を問わず、彼らのほとんどは私の思い通りになったけど、唯一そうならなかったのが三軒隣に住む同い年の幼馴染み。私の初恋でもある彼を落とせばコンプリートできるのに、なかなか上手くいかなくて、その鬱憤晴らしに始めたのがこのゲームだった。
勿論プレイするのは逆ハールート一択。こんな結末をリアルでも実現するための活力と言うか栄養剤として、このゲームは最適だったから。
そうして迎えた高三の冬、幼馴染みに関する有り得ない噂を聞いた。
──彼に、私以外の恋人ができた、と。
嘘だ。そんなの信じない! 彼は私の、私だけのものになるって、生まれた時から決まってるのに!
家族が聞けば呆れるか窘められる内容だけど、私は本気だった。
だって彼は昔、約束してくれたのだ。私のことをお嫁さんにする、って。
なのに彼はいつからか、私と一対一では遊んでくれなくなって。他の友達がいればそんなことはなかったから、増やしやすかった男友達をたくさん作って。彼らに大いにちやほやされる快感を知ったことで逆ハー願望に行き着いたわけだけど、つまり私の行動は元々は全部、幼馴染みを側に置いておきたかったからなのに。
──それなのに。どこの誰とも知らない女が、私から彼を奪った。
許せなくて、その恋人気取りの女のことを探った。
同級生で、クラスは私の隣、彼とはクラスメイトで席も近い。成績は学年三十位に入る程度には良く、帰宅部だが彼と同じ、二駅先の塾に通っている。
うん、底辺とは言わないけど下から三分の一の順位を超えたことはなく、地元の塾もサボりがちな私よりは彼との接点はある。悔しいが認めるしかない。
でも、美人な私に近づこうともしない彼が、あんな地味な女を選ぶなんておかしい。認められない。絶対に許せない。
できるだけ早く、彼の目を覚まさせてあげないと──私は固く決意した。
そのためにはあの女に、彼の前から消えてもらうように仕向けないと。
そう考え、お手軽な手段を模索する。
……やっぱりここは、顔に消えない傷をつけるのがいいだろう。
夜道で横を通りすぎざまに刃物で──とも考えたけど、上手く不意を打てるかどうか分からないし、抵抗される恐れがあったりで色んな意味でリスクが高い。何よりあの女はともかく、私みたいな美人が夜道を一人で歩くなんて、別の危険しかないから。ことがことだけに、男友達にガードを頼むわけにもいかないしね。
そうすると、他の手段……どこかに呼び出してスタンガンか何かで気絶させてから、というのは、比較的確実だろうけどやっぱり駄目。呼び出した痕跡やスタンガンの購入履歴なんかが残っちゃって、すぐに私にたどり着かれちゃいそう。
漫画なんかでは他の男に襲わせて、なんてこともある。でもせっかく私に夢中な男友達に、無理にあんな女を襲わせるなんて可哀想なことはさせたくない。私との繋がりも明らかだし。
じゃあどうすれば、と悩んだ末に思い付いたのが、「交通事故を装って抵抗の余地を奪ってから、顔に車でついたような深い傷を負わせる」こと。
昔は可愛がってくれたくせに最近はとにかく口うるさいお姉ちゃんが、ちょうど新車を買ったこともあって、仕返しも兼ねてそれを使わせてもらおうと思った。一石二鳥ってやつ。
運転免許なんかはまだ持ってないけど、お姉ちゃんの車はATだから問題なし。前にお父さんに説明してもらって、簡単に動かせるのは分かってる。
あとはあの女と彼の下校が被らない日を調べ上げて、車のスペアキーをこっそり手に入れれば準備は完了だ。
──そして、決行の日。強くはないけど雨が降っていたのと、そのせいで辺りが暗かったこと。何より慣れない運転のせいで、私は自分の命まで落としてしまったらしい。
こうしてゲームの世界に転生したということは、そういうことなんだろう。
でもこうしてヒロインに生まれ変わって、前世では叶わなかった野望を、今度こそようやく成し遂げることができる。最推しの第一王子は勿論、騎士や魔術師見習い、宰相の息子とそれぞれにイケメンな攻略対象たちが、可愛くて美人なヒロインの私を囲んで愛してくれる光景は、他人が見てもそれはそれは見応えのあるものに違いない。
そんな幸せな未来が待ち受けていると、信じて疑わなかった。
──なのに、どうして私は、こんな豪華すぎて怖い牢屋なんかに閉じ込められてるの!?
「おかしいわ……逆ハールートは順調に進んでたはずなのに。卒業パーティーの断罪イベントだって終わってないし、大体まだようやく冬になったばかりで、何で……」
確かにゲームと違うことはした。攻略対象以外の男たちとデートしたり、第一王子以外にも、攻略対象のみんなとそれぞれ二人きりで夜を過ごしたり。でもそれはイベントのないタイミングでしたことなんだから、ルートのあれこれが狂うようなことじゃないはず。逆ハーメンバーを増やすのと、ベストエンドへ向けた確実な手段を取っただけの話。
そうだ。だって今日もゲームのイベント通り、第一王子に王宮に招かれてお茶を──
「……あれ……私、お茶を飲んでからどうしたっけ……?」
「お茶に入れた睡眠薬がよく効いて、丸一日ぐっすり眠っていたよ。知ってはいたけど、やっぱり君の寝顔は可愛いね」
聞き慣れた、でも聞きたくなかった声がした。
……恐る恐る振り向けば、意識を失う前に見ていた綺麗な笑顔が、等身大の鏡を背に煌めいている。
「……で、んか。どうして……ここは……」
「ここは僕が賜ったばかりの屋敷だよ。新公爵邸とでも言えばいいかな? 君と二人、夫婦として幸せな生涯を送る場所さ。気に入ってくれたかな?」
気に入るわけがない。この部屋の内装だけでも、豪勢なのに品が良すぎて居心地が悪いし、何より鉄格子の存在が嫌すぎる。せめて普通の窓にしてもらうか、普段過ごすのは他の部屋にさせてほしい。
廊下からではなく、鏡を出入り口にした隠し通路からここに来たのだと、ドヤ顔で明かしてはくれたけど、いくら好みそのままの顔でも、この状況ではぶっちゃけウザい、と言うか怖い。
「……この部屋以外も見ないことには、気に入るも何も判断できません。だから殿下さえよろしければ、是非このお屋敷を案内してくださいませんか?」
殿下が王太子にならないと決まったのは驚いたけど、ゲームでは殿下ルートのグッドエンドにあったことだ。だから予想外のことではあっても、そのこと自体はそう意外でもなかった。前世の記憶的にも、色々と面倒くさそうな王妃業より、公爵夫人の方がまだ何かと気楽だと思う。他の対象者たちとの関係を続けるにも、外出とかをしやすい立場のが好都合でもあるし。
だから素直に招待にも応じたのに、監禁──いや軟禁って言うんだっけ? とにかくそんな状況になるなんて思わなかった。彼を含めた攻略対象には、多少の脳筋やら腹黒やら俺様といった属性はあっても、面倒な性癖──特にヤンデレなんてものは存在しなかったのだから。
だからこの部屋も、きっと何かの間違いのはず。そうに決まってる。
だってここは、あのゲームの世界だもの。ヒロインのためにある、ヒロインが幸せになるための世界なんだもの。
私の頼みをノータイムで聞いてくれると思った殿下は、けれどその綺麗な顔に困ったような表情を浮かべた。
「そうしてあげたいのはやまやまだけどね。まだ君とは、正式な夫婦になっていないから。これにサインしてくれれば、きちんと責任を持って案内をするよ?」
と、差し出してきたのはいわゆる婚姻届。
この世界だと役所じゃなくて神殿に出すものだけど、それ以外は多分日本と変わらないんじゃないかって気はする。前世でも婚姻届なんて見たことないけどね。
思えば、幼馴染みとの結婚のために、一枚くらいもらってきておくのも良かったかなあ……なんて考えながら、ヒロインとしての名前を素直にサインした。展開は違っても、これで私は無事に公爵夫人になって、また逆ハーへと一歩近づくことになる。
「……うん、確かに。ありがとう」
とても満足そうにうなずいた殿下は、今まで開かなかったはずの廊下に続く扉を開け、執事を呼んで書類を渡した。すぐに神殿に持って行かせるらしい。……いや、嬉しいけど、何だか怖い。何がとかどこがとか言われると困るんだけど……
「さて、案内だったね? 行こうか。寒いから何か羽織るものを」
どこからともなく現れた侍女に毛皮を羽織らされ、そのままエスコートされる。見た目に反して固い……剣だこ? がある大きな手の感触は、よく知った心地よいもののはずなのに、何故かぞわりと鳥肌が立った。