伯爵令嬢
悪役令嬢その3、伯爵令嬢視点。
このあたりから、物騒な気配が漂い出します。
──ああ、やはりそうだったのね。
恐れ多くも親友と呼べるお付き合いをさせていただいている公女殿下からのお手紙を、今更ながらに脳裏に思い描く。
『──どうやら、昨今被害に遭われている殿方は、皆様揃って、南部特産のザクロの実を殊更に愛でておいでのご様子』
ザクロの実の花言葉は「愚かしさ」──そして我が国の南部には、かの子爵家が治める領地がある。
つまり、南部出身の愚か者──卒業後に待ち受ける未来など一切考えることなく、ただ蜜に群がる虫のごとくに殿方を侍らせて満足している子爵令嬢を指しているのだ。
そして、被害者たちが彼女を『殊更に愛でて』いるというのは恐らく……
「……何と汚らわしい」
震える自らの体をきつく抱きしめ、わたしは嫌悪に満ちたつぶやきを紡いだ。かの令嬢に対しては勿論のこと、それに徒らに手を触れ、深い関係を結んだ元婚約者に対して。
この半年余り、すっかり疎遠となったことに加えて、不貞行為の気配を感じ取ったからこそ、学園での露骨な振る舞いを理由に、彼の有責で婚約を破棄したのだが……実際に他者から指摘をされるのは、まざまざとその事実をつきつけられたようで、また別種の不快感があった。……何の非もない公女殿下には、何とも申し訳なく思うけれど。
しかし……その行為が真実、恋に浮かされた結果なのだとしても、彼も彼女も救いようがないほどに愚かだ。
双方ともにそのような行為は、ありとあらゆる方面への裏切りであり、破滅への道に他ならないと言うのに──
「──お嬢様。婚約者を名乗られる殿方が外にいらしておりますが、如何いたしましょう?」
遠慮がちに声をかけてきた侍女長へ、わたしはのろのろと顔を上げ、首をかしげてこう尋ねる。
「わたしに婚約者などいたかしら? つい最近、破談になった御方なら記憶にあるけれど」
「わたくしは直接確認はしておりませんが、その『破談になった御方』かと存じます。──暴漢にでも襲われたのか、酷いお怪我をなさっているそうで、お嬢様に治していただきたいのだと……」
「まあ。あれほどに武勇を誇っておられた御方が、ね……ちなみに、お父様たちのご意見は?」
「『両手の怪我はそれなりに酷いが、放っておいても命に別状はなさそうだから』と仰って、お嬢様のご判断にお任せすると。兄上様からは、『騎士団長の家にはもう連絡を入れてあるから、好きにすればいいぞ。全速力で逃げてきた上に、玄関扉を拳で叩ける程度には五体満足ではあるし』とのことでございます」
「それは、前言撤回しなければいけないかしら。一連の通り魔被害は、鋭い刃物で体の一部を切り落とされ、中にはその後に心臓を一突きされた方もいるとか。順序が逆ならばまだしも、そうでないのだから犯人は相当な手練れだわ。そんな相手から五体満足で逃げて来られる以上、やはり流石と言うべきなのでしょうね」
「……お嬢様。そのような血生臭いお言葉はあまり……」
「仕方ないでしょう? 癒し手であれば、多かれ少なかれ怪我や血に耐性がついてしまうものよ」
だからこそわたしは、長いこと騎士団長子息と婚約していたのだから。
とは言え、治療を求めてきているその元婚約者をどうすればいいのやら……
「……どうする必要もないわね」
結論が出た。
婚約を破棄した時点で、関係と呼べるものはすっぱりはっきり切れている。
ここで彼を癒そうが癒すまいが、その後の彼の運命に違いが出るはずもなく、つまりは癒して差し上げたところで、ただわたしが心身ともに無駄な疲れを得るだけに終わるというわけだ。
まあこれも、あの子爵令嬢にむやみに手を出したせいなのだから諦めてもらおう。
けれど、他の何人かの被害者のように彼が殺されることまでは望まないので、何とか生き延びてもらうことを願っておく。
──それが叶う可能性は、あの御方の御気性からして、限りなく低いのだろうけれど。
悪役令嬢視点はここで終わります。
次からはヒロイン視点。




