そうだ、私は物書きだった
物語を書くのが好きだった。
小学生の頃から書き始めて、中学生の頃になると、夜更かしして夢中で書いていた。
そのせいでいつも寝不足で、寝坊しては親や先生に怒られた。
頭の中は、常に物語のキャラクターの台詞、次々と移り変わる物語の場面でぱんぱんだった。
高校生になった頃、小説をインターネットに公開するようになった。
書くのが好きといっても、体系立てて勉強した訳でもない素人の物語は、特に誰にも見出されないまま、ネットの海を流れていった。
その時は、別段気にしなかった。
ただ、物語を書くのが楽しかった。
物語を書けば、頭の中にだけ存在する登場人物に出会える。
彼らが何を見、何を話し、何を感じているのかを知ることが出来る。
彼らの目線を通して、彼らが生きる世界を見ることが出来る。
それが、ただ楽しかった。
小説投稿サイトに作品を投稿する時には、別の人の作品もたびたび目に入った。
……たくさん反応が貰えてるんだな。
それは、雲の上の存在を見るような感覚だった。
自分には決して届かない、自分との連続性の無い存在。
凄い、と、ぼんやりと思いはするものの、特に大きな感情は抱かなかった。
状況が変わったのは、その小説投稿サイトで、他の人の作品を読むようになってからだった。
いつまでも勉強しないのも何だと思い、他の人の作品を読んで刺激を得ようと考えて、作品を読み漁るようになったのだ。
……どれを見ても、どのジャンルの作品を見ても、自分よりも反応の数が多かった。
その時に、思い知った。
自分は、底辺にいたのだ。
その実感は、じわじわと時間をかけて、自分の自信を蝕んだ。
自分が楽しければ良いと思っていた。
自分が満足出来ればいい。それで良かったはずだ。
反応の多寡など、どうでも良かったはずだ。
だが、気が付けば、他人の作品の反応数ばかりを気にして、自分のそれと比べるようになっていた。
きっと、今より良いものを書けば、もっと反応をもらえるようになる。
そう思い、小説の書き方をネットで調べて、いくつかのサイトを参考にしながら書くようになった。
だが、反応は思うように増えなかった。
多くの作品が、ほとんど誰にも知られないまま流れていった。
小説投稿サイトのマイページは、いつも静かだった。
……何故?
努力はした。語彙の数も増えているし、構成にも気を付けるようになった。
以前よりは、ずっと上手くなっているはずだ。
なのに、何故自分だけ何も変わらない?
自分と、評価されている他の人たち、一体どこに差がついているのだろう。
彼らは、これよりも、もっとずっと努力しているということなのか?
それからも、しばらくは小説を書き続けた。
だが、状況は変わらなかった。
やがて、いつからか、小説を書くのが苦痛に感じるようになった。
試行錯誤しながら書いている最中に、『どうせこの作品も反応されないのだろう』と、暗澹とした気持ちになる。
書き上がっても、懸念した通りに鳴かず飛ばずで、落胆する。
そういった、苦痛を伴う努力と憂鬱と絶望を繰り返すうちに、やがて、小説を書く頻度が減っていき、ついに小説を書くこと自体をやめてしまった。
書くことをやめた後も、四六時中、言い知れない焦りが頭を支配していた。
書かなくて良いのか?
あんなに夢中になっていたのに。
楽しめなくなったのは、いつからだ?
何故、自分にとって重要でなかったはずの他人からの反応を、そんなに気にするようになったんだ。
常に自問自答する。
楽しめなくなったのは、多くの人の作品が、自分より評価されていることを知ったからだ。
自分が小説の世界の底辺にいたのだと知ったからだ。
知らなければよかった。
狭い自分の世界に閉じこもって、自己満足だけを食べて生きていければそれでよかったはずなのに。
焦りはつのり、『物語を書けない自分など死んだ方が良いのではないか』とすら思った。
だが、その希死念慮は首にかける縄を買うまでには至らず、月日は過ぎていった。
書くことをやめて空いた時間は受験勉強にあて、大学に入った。
授業とバイトとゼミをこなすのに必死になって、いっときは小説を書くことを忘れた。
時々は思い出したが、極力考えないようにした。
死にたくなるからだ。
物語を書くことによって大部分が構成されていた自分の精神は、がらんと空っぽになった。
大きな穴が空いて、血が流れ続けているようだった。
大学4年生になって、就職活動に入った。
就職活動は、聞いたことのないルールやマナーの連続だった。
過密なスケジュールを管理しながら、エントリーシートの作成と面接の連続で胃が痛くなった。
ゼミの仲間が次々と就職先を決めていく中、なかなか内定がとれず、焦燥が高まっていった。
その年の秋、ようやく就職先が決まったが、それは地獄の始まりだった。
朝5時に起きて、夜の11時に帰る。
自分の時間なんてとれやしない。
それどころか、充分な睡眠時間すら確保出来ない。
小説を書くどころではなかった。
それは、小説を書かねばならないという焦りを掻き消してもくれたが、代わりに精神は着実に削れていった。
趣味など初めから無かったかのように、ひたすら仕事に明け暮れる日々。
……自分は、何のために生きていたんだっけ?
ある日の朝、駅のホームで、ぼんやりと考える。
忘れた。
自分にとって、何が楽しかったのか、自分は何のために生きていたのか、何のためにこの苦しみを耐え続けていたのか。
ふと気が付くと、必死の形相をしたサラリーマンに腕を掴まれていた。
視線を前に戻すと、自分の足はホームのすれすれに立っていた。
ぼんやりと何かを考えながら、線路に飛び込もうとしていたのだった。
仕事を辞めた。
限界まで疲弊した精神状態は、しばらくは元に戻らなかった。
本を読もうとしても、アニメを観ようとしても、つまらなくて放り出してしまう。
無理やり本を開いて読むと、文章が頭に入ってこない。
文字はアリのように列をなして、頭の額から後頭部へと、何の引っ掛かりもなくすり抜けていく。
アニメは、ただ絵が動いて喋るだけの映像だった。
何をしていても楽しくなくて、日がな1日、ぼうっとしていた。
感情が、不動の山のように動かなかった。
それから、数ヶ月が過ぎた。
ある日、特に何の気もなしに、ある小説を手にとった。
どうせ1ページ目で嫌になってしまうのだろうが、その小説は何となく、タイトルに惹かれた。
そこにあったのは、残酷で美しい世界で生きる人間たちの、その息づかいの物語だった。
はじめの1ページ目で、タイトルから感じていた好感が確信に変わった。
長文を読むのはまだしんどかったので、1日に2〜3ページずつ読むのが限界だった。
だが、途中で放り投げず、少しずつ読み進めていった。
読んでいくにつれ、自分の世界が拓いていくような感覚があった。
狭い空が、広がっていくような。
風が吹き、雲が切れ、青く抜ける天井が見えていくような。
それは……それは、懐かしい感覚だった。
世界が、自分の目の前に展開されていく。
登場人物が話し、走り、顔をしかめ、時に笑い、思案し、迷い、打ちひしがれる。
紅茶の水面が揺れ、花の色が鮮やかで、吸い込む息が冷たく、何処かで歌う誰かの声が聞こえてくる。
何故、この感覚を忘れていたのだろう。
そうだった。物語は、こうやって世界を感じさせてくれるものなのだ。
やがて、いつの間にか、本を夢中で読み進めていた。
昼も夜も考えず、寝ることも忘れて読みふけった。
本を読み終わった後、間髪入れず、PCの前に座った。
数年ぶりだった。
頭の中に思い付くままに、文字を書き殴る。
上手いかどうかは考えなかった。面白いかどうかなど、どうでも良かった。
頭の中で、誰かが喋っている。
かつて思い描いていた、自分が作り出したキャラクターたちが。
あの本の物語に触発されて、褪せていた色が戻り、止まっていた時間が動き出す。
ふたたび、文章の中に、文章から想像する頭蓋の中に、彼らと彼らの世界を見る。
ひとつひとつ、言葉を選び出し、物語を編んでいく。
彼らが呼吸し、自分が描く世界の中で生きていく。
ああ、そうだ。私は物書きだった。
こんな風に、物語を編むことが、世界を紡いでいくことが、私は好きだったんだ。