#14 両論併記や折衷案は決して中立ではない
「うひゃー」
ごうごうと、新品の白物家電みたいなニオイがする風が吹き付けてくる。
俺は今、管理者領域内にあるトンネルみたいな通路を、床と柵だけのSFトロッコで疾走していた。
地下鉄より二回り狭いくらいのトンネルは、薄暗くて等間隔に無機質な照明があって、じっと見てると眠気を催す。
「方舟各所の管理者領域は内部である程度結び合う構造になっております。
転送装置だけですと大きな荷物を運べませんので、このように荷物運搬を兼ねた移動手段も用意されているのです」
見事にバランスを取って直立不動のアンヘルが説明する。
ポニーテールがたなびいて風を切り裂く。
「管理者領域には、一般的な街で受けられるサービスなどは一通り用意してございます。
これより向かう先には『クローン体構造調整設備』がございまして、クローン体のバリエーションを増やし、方舟のシステムに登録することが可能です。
そうすれば好きなときに、あるいは死亡してクローン再生される際に、事前に登録した雛形の中から好きな身体を選んで再構成することが可能です」
「名前変えて経歴偽装して整形までしてようやく街を歩けるって、犯罪者かスパイかって話だな」
結局全部ゲロって本国に強制送還されたらしい三番目の父さんのことを思い出すぜ。
『神様、どうか冗談でもそのようにおっしゃらないでください。
悪いのは全て教会なのですから』
「まあ、そうなんだろうけど……」
通信画面の向こうでスズネが首をぶんぶん振っていた。
『あの、ところで、天使様』
「どうぞ、アンヘルとお呼びください。
私は世界運営支援システム。神たるマサル様にお仕えするのみならず、神を補佐する者全てをお助けする事が私の使命。
あなた方『祭司』の一族が、かつての戦いで教会から離反し真なる神の側に付いたこと。そしてその後も教会の弾圧から逃れ、いつか生まれ来る神のため戦い続けたこと。私は存じ上げております」
アンヘルの言葉は淡々と無感情に事実を述べるような言い方だった。
でも、それを聞いてスズネは衝撃を受けた様子で目を潤ませ、さっと口元を覆って嗚咽をこらえる。
『ごめ、なさ……』
色々と積もり積もってたものが決壊して溢れ出してるような、静かな泣き方だった。
やばい。VR空間とは言えここで泣けるのか。スズネじゃなく凉が怖い。
「……アンヘル。これ、本当は俺が言わなきゃならなかったことか? 神様として……」
「一般論として申し上げますが、最初から何もかも完璧にこなすことは難しいであろうと思われます。
マサル様もまた、この世界に降り立ったばかりで右も左も分からぬ状態。
気が回らなかったとしても、それを落ち度とは言えないのではないかと」
ぐぬぬ。アンヘルの奴め。一見すると人間の感情の機微とかノイズとして切り捨てそうな雰囲気なのに、気遣い完璧。
世界の全てに死ねと言われて、それでも生きるってのは大変なことだ。いくら自分の正しさを自分で信じていたとしても、それを他人に認められることでどれほど救われるだろうか。
……で、より正確に言うなら中の人であるスズ姉はそこまで自分のキャラを深く理解して演じてるんだ。俺もそれに応えなきゃなんないな。
『……失礼致しました』
無理やりに涙を拭った跡が残る顔で、スズネは画面の向こうから微笑みかける。いじらしい。
『あの、ところで……私もそちらの領域に立ち入ることはできないのでしょうか?』
「マサル様のご許可さえあれば」
「もちろんオッケー。でも、どっからどうやって入れるの?」
なんかどうもさっきのアレを見る限り、偶然近くに入り口がありましたって感じなんだけど。
スズネの現在地付近に管理者領域への入り口が都合良く開いてたりするのだろうか。
するとアンヘルが『ピロリン♪』というSEをどこからか発する。だからそれどこから鳴ってるんだ。
「今し方、スズネ様のリストコムに座標コードを送らせていただきました。
お近くの転送屋に向かい、このコードを提示して『マサカド廃墟の転送装置』へ転移してください。
私の権限で転送をインターセプトし、管理者領域内の転送装置までお送りします」
「マサカド廃墟って何だマサカド廃墟って」
『分かりました。では、またそちらで……』
リストコムの通信は切れ、トロッコは徐々に減速し始めていた。
* * *
『クローン体構造調整設備』というのは、まあ別に決まった形はないっぽいのだが、俺が訪れたその場所はお立ち台みたいな背の低いステージが一つと、パソコンみたいな端末が一つ置かれた部屋だった。
お立ち台の上にはホログラムの人影が浮かぶ。作成中の新アバターがここに表示され、それを上下左右前後から確認しつつ調整できるシステムなのだ。
「人里へ行くには、まずその身体を整形してリアルと別人にしなくっちゃね」
「それは分かった。分かったけどさあ」
ノリノリの上機嫌で端末をいじるスズネを見て、俺はお立ち台の上にビシッと指を突きつけた。
「なんで! 俺を! 女性アバターにしようとしてるんだよ!?」
そこに居るのは、T字のポーズを取っているだいたい中学生くらいの美少女!
何故か服装はシックなセーラー服なのだが、絶妙に俺の面影があるのが禍々しい!
「あら。リアルのあなたが男なんだからこうすれば自動的にリアルとかけ離れた感じになるんじゃないの?」
スズネはしれっと言った。
このためか! お前このためにわざわざ合流したのか!
「いやそうすりゃ確かにかけ離れるけど! 太陽と海王星くらいには遠くなるとは思うけど! 必須じゃないだろ!?」
「……私と組むなら必須だと思う」
「スズ姉の趣味かよ」
「違うの、よく聞いて!
私はね、なるべく視聴者にガチ恋させないよう気をつけながら、ほどよいアイドルムーブで養分にしてるんだけど!」
「養分って言った! 今この人、養分って言ったよ!?」
「それでも私に男の影がちらつくのを嫌がる人は多いの! 絶対に!」
断言されてしまった。
えーと、そんな目を輝かせてハアハアしながら言ったんじゃなければ下心無しだって信じたんだけどなー?
まあ下心は置いといて、要するに俺がスズ姉と組むことで妙な嫉妬を買ったり、スズ姉から離れていく養分が出ることを危惧してると。
俺が女性アバターを使っていればそれは回避できると……?
「待って! アバターが女でもどうせ中身は男かどうか分かんないわけじゃん!
見た目が男でも女でも変わんないでしょ!?」
「ところがどっこい、変わるのよ!」
分かんねえ……
スズネの説明が正しいかも分かんないし、仮にそれが正しいとしたら養分の皆さんは何を考えてるのか分かんねえ……
「つーかリアルの俺は男なのに女性アバターって、ほら!
俺動画配信やる予定じゃん! バレたらいろいろ変な評判とか立って視聴者が離れるんじゃないの!?」
「あら。アバターが女性でも中身が男って、VR界隈じゃ珍しくないのよ?
むしろそういうのが良いって言う意見も結構あるし」
「賢様。当ゲームの男性プレイヤーは二割ほどが女性アバターを使用しておりまして、決して特異的なレアケースとは申せません」
「いきなりメタ発言すんなし! お前、世界運営支援システムじゃなかったのかよ!」
突如として運営サイドっぽいデータを持ち出しやがりましてアンヘルさんが参戦。
「私は若干のメタ発言を許可されております」
「あー、まあね、『電子の使い魔』もみんなシステム面に関わるメタ発言とかしたりするし」
アンヘルは平然と言い返し、スズネもそれに納得していた。
スマホゲーのシナリオで操作説明のために登場人物が『このボタンを押してください』とか言うようなアレか。
「お気に障るようでしたら電子の使い魔の例に倣い、設定変更でメタ発言はOFFにできますが」
「……まあいいか、気にしないからそのまんまにしといてくれ。
多分、メタの方がわかりやすいこともあると思うし」
むしろNPCに気遣ってメタ発言を慎む方がキツい気がするからそれは別に良いか。
「……しかし女性アバターを使うことが珍しくないと申しましても、大切なのはあくまでもご本人のご意向。
賢様が嫌がっておられます以上、無理強いするのはいかがなものかと」
「む」
「よしアンヘル、この暴君にもっと言ってやれ」
グッド・お気遣い。
こういう時に仲裁までしてくれるんだから本当に有能なAIだと、俺は思っていた。
数秒間だけ。
「ここはお二人の主張の中間点としてまず男の娘化させ、その後に女装させることを提案致します」
「アンヘル、あんたイケるクチね」
俺は顔を覆った。