はじめての睡眠
【1. 旅立ち 】
僕は、初めて言われた。この気持ちはなんと言うのだろうか。僕は、もう一度言われたい。お姫様は、僕の事をスゴいと言う。僕が不老不死である事をスゴいと言う。もっと言われたい。
お姫様は、僕に頼んだ。人を殺してほしいと。僕は、自信がないから断った。けれど、お姫様は「君ならできる」と言う。
僕は、言われる。かつて、みんなに、「オマエじゃできない」「オマエじゃ無理」と言われる。でも、お姫様は、「君ならできるよ」「絶対できるよ」と言う。この気持ちはなんだろう。
僕のまぶたは閉じていく。眩しくないのに閉じていく。暗闇が僕を包む。僕に流れる時間が初めて停止した。
朝を経験した。僕とこの世界が初めて結ばれた。僕は、夜に眠くなり、朝に目を覚ます。何年も体を動かしていないかのように、体が固まった。それをほぐす。なんだか面白い。僕は、そうする事により、朝を経験する。これが朝なんだ。夜が来て朝が来る。氷が溶けていく。
僕は、コーヒーを用意した。お姫様が来るからだ。僕は、知ってる人間はコーヒーが好きなんだ。
僕は、コーヒーを捨てた。コーヒーは苦い。
馬の足音が聞こえる。お姫様が来る。人が歩く音。扉を叩く音。扉がきしむ音。
「おじゃまします」
お姫様が来た。
僕は言う。
「あのう。お、お。おはは。よう。その。あの。ございます」
僕は、朝に相応しいハキハキと挨拶した。目を合わせて、丁寧に紳士がする振る舞いをした。
僕は、罪を犯した。お姫様にコーヒーを用意する事ができなかった。コーヒーは苦い。僕は、コーヒーを失敗した。僕は、みんなの真似がしたかった。お客様に、一杯のコーヒーを用意したかった。僕の罪が増えて行く。神様が僕の事を睨むんだ。だから、いつも、失敗する。
「おほよう。よく眠れたみたいね。目がキラキラしてる」
彼女は白い。僕は黒い。僕も白になりたい。
僕は、女神様に許された。
僕は、人と目を合わせる事ができない訳ではない。しかし、何らかの用事があり、俯いた。
「あののん。初めて、眠れたんだ。ありがとう。それで」
僕は、伝えた。
「考えたんだ。ボク。お姫様に。スゴい言われた。それで、思った。ボクは。本当は、この世界の白を描きたかった。今までは、黒。描いてた。だから、旅は。いけない。このこの街で、絵を描く」
「そっかー。君は画家さんになりたいんだね。君はとっても絵が上手だもんね。私は、君の絵が好きだよ。でも、旅をしながらなら、もっと素敵な絵が描けるかもよ」
笑顔だ。彼女は暖かい。朝の光。
腕が軽い。頭が軽い。体から黒い鉄の煙が抜けていく。
「ボク。この街で描く」
僕の体に残ったものがそれだった。
怖い。近づいて来る。
「ねえ。私を触って」
彼女は、やや大股で接近して、少年の腕を掴んだ。彼女は、そのまま自分の胸に少年の手のひらを当てた。
「聞こえないよね? 私、心臓がないの。私ねぇ。もう直ぐ死んじゃうの。君なら助けてくれるよね?」
これは知ってる。涙というものだ。彼女は、死ぬ事が嫌いなんだ。僕は、生きる事が嫌いなのに。
「君は死ねるんだ。ボクは。死にたくても死ねないんだ。でも、君は死にたくないんだね」
分からない。なんだか、彼女は神秘的だ。彼女は死にたくないのだ。彼女は全てを見透かす光だ。だから、僕は床の木目を数えた。
「うん。君は、生きる事がとってもつらいんだね。私が君の事を包んであげる。だから、私の事を助けて。お願い」
彼女の体は熱い。
「ボクなんかじゃできないよ」
僕は黒い。彼女は白い。僕は汚してしまう。
彼女は力強く抱きしめた。
「君ならできるから絶対できるから、私を助けてよ」
暖かい。柔らかい。
「ボクならできる? ボクなら。任せてよ!」
体温が上がった。
「ついて来て」
お姫様は、女の子なのに、僕よりも力があるみたいだ。僕の手をとても強く引っ張るんだ。
僕は、怖い。この小屋にもう帰れない。そんな気がするんだ。