プロローグ
私は長い黒髪を一つに結わいて、渡された衣装に袖を通す。
友人にどうしても着てほしいと頼まれたその服は、何かの漫画かアニメのキャラクターのコスプレ衣装らしい。
「わ~! やっぱりレンに頼んで正解だったよ! 凄く似合ってる!」
「そ、そう? 自分じゃあまりそうは思わないけど……」
高校の卒業式以来顔を合わせていなかったエミは、人数が足りないから撮影会に来てくれないかと私を誘ったのだ。
なので今日が私、杉山レンにとって初めてのコスプレ体験なのである。
私が着ているのは、なんたらかんたらという戦闘部隊の若きエース? とかいう、男性キャラのものだとか。つまりは男装だ。
本来ならエミのコスプレ仲間が地方から来てくれる予定だったらしいのだけれど、何か急用が出来てしまって私が代打として選ばれた。
「レンって中性的な顔立ちだから、胸が目立たないようにして衣装を着たら絶対似合うと思ってたんだ~! もうカルファー様と瓜二つってぐらいイメージピッタリ!」
「カルファー様ね……」
「ほらほら、この画像のここ! センターに立ってるこのキャラね?」
「ああ、この前送ってもらった画像だね。うん、私が似合ってるかはともかく、衣装の完成度が凄いと思う」
「せめて衣装だけでも参戦したいってマルさんが送って来てくれたからね~。ほぼ手直し無しで済んだのが不幸中の幸いだったよ」
私もオタク寄りの趣味ではあるけれど、衣装から手作りしてしまうエミ達には素直に感心している。
あまり裁縫が得意ではない自分には出来ない事だ。その作品が、キャラクターが好きだからこそここまで作り込めるのだろう。
「他の皆もそろそろ準備が終わると思うから、ちょっと様子を見てくるね!」
「分かった」
それからしばらくして、色々なセットがある撮影スタジオで、コスプレを通じて知り合ったエミの友人達との撮影が始まった。
急に誘いを受けたのもあって、私が担当するカルファーというキャラクターをいまいち理解出来ていないのが悔やまれる。
本当にこんな、にわかファンとすら呼べない私なんかが参加して良かったのだろうか?
そう彼女達に打ち明けると、これを切っ掛けに沼に落ちてくれればそれで良い。Blu-rayも全巻貸すし、原作本も最新刊まで用意するとまで言ってくれた。
何だかヤバい世界に引きずり込まれている気がするものの、心の広い人達で安心した。
次の撮影は下の階に行くらしく、ぞろぞろと手作りの小道具を抱えながら移動する。
「よいしょっ……と」
自分達の私物もバッグやリュックにそれぞれ纏めている。ファンタジー的な服装のせいもあって、それを持って移動しているとちょっとした冒険気分を味わえる。
それにしても……眠いな。コスプレ撮影会なんて本当に初めてだから、妙に緊張してなかなか寝付けなかったせいかもしれない。
移動が終わると他のメンバーの撮影から再開していく事になり、その間は離れた位置からそれを見守る事になった。
エミ以外は初対面の人ばかりだったから緊張していたけれど、空気に慣れてきたからかこうして座っていると眠気に襲われる。
……まだ時間が掛かりそうだし、少しだけ目を閉じていても良いかな。
抱えたリュックを枕代わりにして、少しだけ……本当に、少しだけ目を休ませるだけだから。万が一寝てしまったら、きっと誰かが起こしてくれるだろうし──
******
「……か……さい……」
──あ、ヤバい。やっぱり眠ってしまったか。
「起きて下さい、大丈夫ですか?」
エミの声……じゃない。
男の人の声だ。
でもおかしいな。今日の撮影には女性しか来ていなかったはずなんだけど。
「こんな場所でお昼寝とは……危ないですよ。何が起きるか分かりません。せめて誰かと一緒であればまだ良いですが……」
目を開けると、そこは何も無い場所だった。
いや、何も無い訳ではないのか。
岩と木と、荒れた土地。そして心配そうにしゃがみ込んでいる、白髪ポニーテールで眼鏡を掛けた男性が居る。着ている服はまるで白衣のようだ。
「……ええと、すみません。状況が飲み込めないんですが」
私はスタジオで居眠りしていたはずなのに、どうしてこんな荒野で岩に背中を預けて眠っていたのだろう。
「うーんと……ひとまず僕は、荒野のど真ん中で貴方がお昼寝をしていらしたところを見付けたんです。ここは魔物も出ますし、昼でも油断はしない方が良いですよ?」
「魔物……」
「街からも随分離れていますし、野宿しなければならないのは仕方がありませんが……」
魔物が出るとは……この人はキャラになりきるタイプのコスプレイヤーさんなのか?
「武器はお持ちのようですが、戦いの心得は?」
「武器?」
「ええ、その剣の事ですが」
そう言って彼が指差した先には、私が運んでいた小道具の剣があった。
確かに私がコスプレしているのは戦うファンタジー作品らしいけれど、これは本物の剣ではないし、戦えるはずもない。
「ちょっと失礼しますね」
彼は小道具を手に取り、それを眺める。
鞘から剣を抜けるようにはなっているけれど、彼がそれを抜いた時、違和感があった。
金属が擦れるような、シャァンという音。
おかしい。あれは金属製なんかじゃないはずなのに。
「あまり使われていないようですね。もしや魔法の方がお得意で?」
「いや、魔法とかそんなの使えませんよ。普通にただの一般人ですから」
「そ、そうなんですか? それなのにこんな荒野に一人きりで……?」
「うーん……」
会話が噛み合っていないというか、お互いに状況を理解出来ていないらしい。
彼は魔物も魔法も当然のように存在するという風に振舞っている。
一人で悩んでもきりが無い。私は思い切って彼に訊ねる事にした。
「質問しても良いでしょうか」
「はい、構いませんよ」
「この国の名前を答えてもらえますか?」
そう問うと、彼は何故そんな事を訊くのかと不思議そうに首を傾げた。
「聖王国ルディエル……ですよね? あれ、違っていましたっけ?」
「そう……なんですかね?」
「あの、ごめんなさい。どうして貴方はそんな質問を……?」
おっと、これは……まずいやつかもしれない。
「……もう一つ聞かせて下さい。召喚魔法には詳しいですか?」
「専門ではありませんが、ある程度は。契約した精霊や武器などを呼び出す魔法ですね」
「人は召喚出来ないんでしょうか?」
「それは聞いた事がありませんね……」
私はもしかしたら……異世界に来てしまったのかもしれない。
それも、下手をすれば帰り方を自力で探さなければいけないパターンだ。
「……そういった魔法に詳しいお知り合いがいらっしゃるようでしたら、是非とも紹介して頂きたいんですが、どうでしょうか」
ここは聖王国ルディエルだと言っていたから、何かしら聖なるものにまつわる土地に違いない。
ゲームや小説でよくある、勇者や聖女なんかを召喚する魔法があるかもしれない。まあ、ここが本当に異世界であればの話だけれど。
「召喚魔法について知りたいのですか? それなら、僕の所属しているギルドの仲間に聞いてみましょう。色々な人材が揃っていますから、きっと詳しい者が居るでしょう」
「本当ですか? 助かります、ありがとうございます! ええと……遅くなりましたが、私は杉山レンです。どうぞ宜しく」
「スギヤマさん、ですか……珍しいお名前ですね。僕はエミル・フルールと言います。気軽にエミルと呼んで下さいね」
「私の事も、どうかレンと呼んで下さい。杉山は家名なので」
「ああ、アキハの国の方でしたか! ではレンさん、どうぞこちらへ。僕達のギルドは向こうにありますので」
アキハの国というのがどこなのか分からないけれど、日本と同じように苗字と名前の順で名乗る文化のある国があるようだ。
私はエミルさんから剣を返してもらい、慣れない動作で腰のベルトに剣を収めた。
気のせいでなければ、剣だけではなく衣装までよりクオリティが上がっている。まるでファンタジーRPGの世界の住人のような出来栄えだ。
私個人の荷物はリュックに纏めてあったので、勿論それも持って行く。抱えて眠ったお陰だったのか、何となく元の世界の物が手元にあるのは安心するなぁ。
彼について歩いて行く途中で、これから連れて行ってもらうギルドについて話してもらった。
エミルさんはギルドで薬を作っているそうで、旅をする中で世界中の薬草などを集めて研究しているらしい。
彼以外にも何人か仲間が居て、それぞれの特技や専門分野を活かした仕事をしているとか。
「僕はギルドでかなり地味な方なんですが、特色豊かな仲間達の中でも、マスターがかなり個性的なんです。派手好きで気性が荒い一方で、意外と繊細な面もあったりして……扱いが難しいのが困りものですね」
「そんな方が、どうしてギルドを纏め上げているんですか?」
エミルさんは困ったように笑いながら言う。
「彼は……僕達の居場所を作ってくれたんです」
「居場所……?」
「ほら、見えて来ましたよ。あれが僕達のギルドです」
彼が指差した先にあったのは……一台の黄金の箱馬車だった。
あの馬車が本当にギルドなのだろうか。
「さあ、中へどうぞ」
金の馬具を着けた馬がブルルと鼻を鳴らす。
エミルさんに促され、私は扉を開けて中に入る。
すると、突然光が溢れ出した。
私は思わず両腕で顔を覆い目を瞑る。
「……さあ、目を開けて。ここが僕達のギルドです」
エミルさんの言葉に従い、恐る恐る目を開けた。
──私の目に飛び込んで来たのは、白と金で彩られた城だった。
「ふふふ、驚いたでしょう? 僕も最初はとても驚いたものでした」
「な、何で馬車の中に城があるんだ……?」
そびえ立つ大きな城。
豊かな緑、広がる森。
青い空と白い雲。
馬車に乗り込んだはずなのに、馬車の中とは思えない。
「早くに帰って来たかと思いきや、依頼人を連れて来るとはな、エミル。このような荒野で我がギルドに足を踏み入れるとは、珍しい者も居たものだ」
呆然と城を見上げていた視線を下げると、豪華な衣装を身に着けた金髪の男性がやって来た。
きっと、彼がさっきエミルさんが言っていた派手好きのマスターなのだろう。
「よくぞ我が城へ参ったな! 我が名はアルシュトゥス。このギルド──エルドラドを束ねるマスターである! さあ、貴様の依頼は何だ? どんな依頼でも達成してやろうではないか!」
自信に満ち溢れた彼は、両腕を広げて高らかに言う。
これはなるほど、扱いにくい相手で間違いなさそうだ。
「ただいま戻りました、マスター。こちらはスギヤマ・レンさん。偶然外でお昼寝していたところ、僕が声を掛けさせて頂いたお方です」
「昼寝だと? あんな殺風景な荒野でか? 無謀にも程があるな。何だ、貴様はただの命知らずか? それとも、歴戦の勇士であるが故に持つ余裕なのか?」
「い、いえ、そういう訳では……」
「彼は召喚魔法について知りたいそうなのです。戦うのは得意ではないようなので、何か理由があるのではないかと……」
すると、アルシュトゥスさんは小さく笑う。
「ハッ、貴様も訳ありか! まあ、運が良かったな」
あれ? そういえば今エミルさん、私の事を『彼』と呼んだような……
「我がギルドは男からの依頼しか受け付けんからな。もしも貴様が女であれば、この地をその足で踏んだ瞬間に我が業火で吹き飛ばしていたところよ!」
「えっ……?」
今、何と仰いました……?
その発言にまたもや呆然としていると、エミルさんが耳元で囁いた。
「マスターは女性が大の苦手なんですよ。と言っても、実は僕も同じでして……。ですから、マスターをはじめとして、このギルドはどうしても女性が苦手な者だけで構成されているのです」
女性が苦手……?
待って、私もしかして女として認識されてない……?
「さあ、スギヤマ・レンよ! その依頼、我が直々に引き受けてやろうぞ!」
「マスターのお許しも出た事ですし、客間へご案内しますね。かなり大きな城ですから、はぐれないように注意して下さい」
これはもしや、私が男装している事がバレたら消し炭にされてしまうのでは……?
「どうした、さっさとついて来んか!」
「は、はい!」
でも、私が元の世界に帰る為の手掛かりも無いし……どうにかここを切り抜けて、帰還する手段を得なくてはどうしようもない。
男を演じよう。それしかない!
私はバクバクと脈打つ心臓の鼓動と、つぅっと流れる冷や汗を感じながら、急いで二人の後を追う。
どうか、無事に生きて帰れますように──!