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神葬の代行者  作者: カオスベイダー
『序刻』
7/29

第五刻『異形の混獣』

 がたがたと震えるような小刻みな振動に、彼は意識が現実に引き戻されるのを感じた。

「うっ……」

 体の内側から針を刺されているような鋭い痛みに呻く。もはや痛みの中心がどこだかすら不明だった。それでも痛覚があるという事は、すなわちまだ自分が生きている証になるんじゃないだろうかと安心してみたりもする。

 状況はどうなっているのだろうと考えを巡らせつつ、一向に退散する気配を見せない痛みに耐えていると、不意にどこか遠くで自身の名を呼ぶ声が聞こえてきた。聞き慣れたその声はすうっと耳に入り込み、その声で彼は体の痛みを一瞬だけ忘れる事が出来た。

 ――――ゼスファーは、呼び掛けに応えるべく朦朧(もうろう)としながらも懸命にその瞼を持ち上げた。

「…………リリー?」

「あっ、おはよ!」

 目前には柔らかな輝きを見せる黄金色の双眸。安堵に包まれた笑顔。ゼスファーは変わらぬ幼馴染のその笑顔に脱力しかけるも、途端に痛みに襲われ思わず顔を横に向ける。

「…………?」

 高速で横向きに流れる視界。過ぎ去っていく緑色と茶色の景色。反対側にも顔を向けて見ると、すぐそこには夕日に煌く川が流れているではないか。

(ここはどこだ……?)

 疑問の尽きぬゼスファーが軋む体を軽く持ち上げ前方を見ると――――

(『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』…………!)

 ゼスファーは心の中で絶句した。自分達を襲った白い装束を着た人が目に入ったのだ。しかも……どういうわけか二人に増えている。が、今は二人とも馬を操っていて、彼が目覚めた事にまるで気が付いていない。

 現状で手に入る情報を整理整頓し、ゼスファーは未だ朦朧とする頭の中での現状把握に努めた。今の状況のおいてはあれこれ騒ぎ立てるには分が悪い。

 一旦は殺されかけたが、どういうわけか連中は自分達をすぐには殺さず、このままどこかに連れ去る気にでもなったらしく、現在馬車にて運搬されている途中である。恐らくは誘拐まがいの事をして、身代金でも巻き上げようという魂胆なのかもしれないが、それは失敗だな、とゼスファーは自嘲気味に考える。なんせ金を払ってまでして自分達を助けたいと思う人間はまずいないだろうから。

 ぼぅ、と次第に呆けていく思考の中、もう一度首を横に傾けると、落ち着いた橙色の光が縫うようにして木々の間から射し込んでくるのが見えた。こんなにも綺麗な夕日も見られなくなってしまうのかと思うと、物理的な痛みよりも精神的な痛みがゼスファーの胸を蝕んでいく。

「――――あぁ…………」

 ゼスファーは誰にも聞こえないような小声で嘆息する。

 

 まったく――――〝死ぬには時期が早すぎる〟。


 生涯の幕を閉じるには早過ぎるどころか、まだ原点にほど近いところだというのに。限界を百と仮定しても、まだほんの二割も生きていないのだ。これではあまりにも惨め過ぎる。

 ……などと、無言で人生に対する抗議をしても変わる事は何もない。対策を考えなければこの身がどうなってしまうかは目に見えている。……既に崩壊しかけている体はひとまずとしてだ。

 とりあえずゼスファーは白装束の人物達に気付かれないよう、未だ悩ましげに己を観察しているリリーシアの耳元で第一の疑問を囁く。

「なぁリリー、どうして俺達は拘束されてないんだ?」

「……拘束? なにか悪いことでもしたの?」

「お、おい……声でかいって……」

 小鳥のように口をすぼめ、ゼスファーの問いに理解を示さないリリーシアの声に馬を駆る男が気が付く。

「どうした?」

「げ……」

 振り向いたその人物にゼスファーは思わず視線が固定されてしまうも、その男はフードを深々と被っており、陰になってしまって表情までは見えない。かろうじて垣間見える肌は唇から首筋までといった僅かな部分だったが、そこだけでゼスファーはひとつ明らかな違いを見つけた。

(憎たらしいあの〝あごヒゲ〟がないな……)

 今朝からの出来事を思い出したゼスファーは苦虫を噛み潰したような顔になり、次に出会ったら全部引っこ抜いてやる、とまで即座に計画を立てた。……さておきこの男がフェルゲルトではないとすると、もう片方の人物がそうなのだろうか――――。

「あら、お目覚め?」

「っ!?」

 母親が目覚める我が子に微笑み掛けるような――女声。その人物もまたゼスファーの方を振り返るが、またもやフードで表情が見え辛い。だが柔らかく瑞々しい唇と細い顎の輪郭からするに、間違いなく女性であるだろう――と、ゼスファーは〝自身の口からはとても言い難い〟判断を下す。

 ゼスファーの予想はことごとく瓦解した。今こちらを向いている二人はどう見てもフェルゲルトではない。だが白い装束は一致する事から、『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』と何らかの関係があるという事は間違いないだろう。――つまるところ、絶体絶命である。

 混乱しっぱなしのゼスファーの様子を今頃読み取ったのか、現状をきちんと理解しているらしい素振りを見せるリリーシアが、説明するね、とゼスファーの血塗れた胸元に優しく手を添える。

「えっとね、わたし達助かったの。この二人が助けてくれたんだから、きちんとお礼をしてね。ハイ、説明終わり」

「は――それだけ……っ!」

 雑このうえない説明に抗議しようと力を入れた瞬間、またしても体の内部に針が刺さるような激痛を感じてゼスファーは歯を食いしばる。と同時にこれだけ騒いでも黙れの忠告さえない白装束の人物達に訝しむ。

「わ、だ、大丈夫!?」

「っ……まだ、生きてる……」

「安静にしていなさい。応急治療は施したけど、私は〝中身〟までは治せないから。この後きちんと『神療者(ディメディラー)』に治してもらいなさい」

 ゼスファーが苦痛に呻いていると、白装束の女性から咎めるような口調で言われる。

「ディメ……ディ……ラー? はぁ……なんだ、それ?」

 またしても謎の言語を耳にしたゼスファーは、いい加減その言語に関する説明を教授願いたいところであった。鍛治や金属類の専門用語に関しては多少の心得があったものの、此のほど耳にするのは全くの未知の言語に等しい。無論それはリリーシアも同じだった。

「我々の言葉で言えば第七刻(セプテーラ)の熟練者だ。医者と思ってくれればいい」

「医者……か。――それより今どこに向って? 俺達をどうしようとしてるんだ? それに失礼だけどあなた達は何者なんだ? 〝味方〟なのか?」

 やや会話が成立し始めたところで、ゼスファーは濁流のように疑問を口にする。すると男の方が馬の手綱を手放し、その目深に被るフードを背面に下ろしながらゼスファー達の方を振り返った。

『………………!』

 思わず、二人は息を呑む。もしかしたら人外のモノかもしれないと見越していたが、果たしてまさしくそうに違いなかったのだ。

 白銀の髪の切れ間からゼスファーとリリーシアを交互に見据える(あおぐろ)い双眸。思考の遥か深奥までをも視透かされてしまいそうで、二人は一瞬の〝(おそ)れ〟さえ感じた。

 ――――だがそれは、あらゆる悪を裁かんとする確固たる正義の眼差し。あるいは世の(ことわり)を全て既知としたうえで、この世に蔓延る不条理を嘆く賢者のような悲壮感もある。

 男の瞳が綽々と放つ威厳は、今すぐ跪き、〝奴隷(しもべ)〟たる礼節を以ってして(かしこ)まる必要がある――――と、全身そのものが無意識のうちに頭を低くしようとするほどであった。――そしてその表れは〝何故かリリーシアが〟顕著であった。本当に、一瞬だけ頭を下げようとしたのである。

 無論、男は決して威嚇しているわけではない。ただそれが〝魅力なのか圧力なのか〟が、まだ二人には理解出来ていなかっただけ故なのかもしれない。

「私の名はウァーレ・ユースティマ。『対神組織』を指揮している者だ。『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』ではない。安全の確保と治療の為、まずこれから君達二人を我々の隠れ処へと連れて行く。味方か否かは君達の考え方にもよるが、少なくとも直接危害を加えるという意は、無い」

 説明文を読むように淡々とウァーレは語った。だがそれで納得出来たかといえば、いまいちぴんと来ないゼスファーでもある。

「……対神組織?」

「そうだ。まだ到着まで時間はある。質問には可能な限り時間を掛けて答えよう。ときに少年、彼女には名を訊いたが君の名をまだ尋ねていなかった。異存が無ければ」

 互いに名乗りを上げるという事は、互いの隔たりを薄める為の第一歩だ。仕事柄その大切さを知っていたゼスファーは、失礼、と一言詫びてから名乗りを上げる。

「ゼスファー・レアミッド。歳は十八で、クルトゥーラで鍛冶屋をしてる」

 と、そう名乗った瞬間――――

『――――――!?』

 ウァーレとまだ名を明かしていない女性がびくりと同時に反応した。それはどこか痙攣(けいれん)のような愕然(がくぜん)である。

「…………すまない、もう一度言ってくれるか?」

 馬車が生む音で聞こえなかったのだろうか、ウァーレは今一度その少年に名を尋ねる。

「ゼスファー・レアミッド、だけど」

 はっきりと伝えられた名に、女性の息を呑む声もまたはっきりと聞こえた。どこに驚く要素があったのか知らないが、初対面で驚かれるのは性別を間違えるのだけで勘弁してもらいたい、とゼスファーは内心渋い顔をする。

「差し支えなければだが、ゼスファー。君の父親の名を訊いても?」

 ウァーレが鋭い口調に切り替えて再び訊いてくる。

「えっ、父さん? えっと、〝アーリード〟。アーリード・レアミッド、だけど?」

 ゼスファーがもはや疑問系で答えた瞬間、女性がフードを揺らして傍らのウァーレに素早く視線を送る。

『………………?』

 無言で視線を交わす白装束の二人。一方でゼスファーとリリーシアも同じように視線を交わし、首を傾げる他なかった。いったい父親の名が何だというのか。

「…………いや、すまない。気にするな。どうやら勘違いだったようだ。〝どこかで〟聞いた事がある名だと」

 しばしの無言経過ののち、ウァーレは首を軽く横に振ってその話題をすっぱりと断ち切った。だがその返答に関してはゼスファーもなんとなく納得出来る部分があり、深く追求しようとは思わなかった。そう、確かに知っている人は知っている可能性があるのだ。

 ――――アーリード・レアミッド。その名は間違い無く今は亡きゼスファーの父親のものである。鍛冶を生業としていた彼は、かの田舎町の中の小さな鍛冶屋で類稀なる才能を発揮し、一流の製品を日々造り上げていた。故に息子であるゼスファーが謳う『レアミッド製』とは父が造った製品の事も示すもの。従ってその名が刻んである製品を使っている人は、少なからずその名を耳にした事があるかもしれないのだ。

「では話を戻そう。我々は――――」

 

 ずん、という衝撃が走り、ガァアア、という咆哮が轟く。


「きゃ!」

 二頭の馬は突如荷台に感じた衝撃よりも咆哮に驚き、冷静さを欠いた。まるで迫り来る何かから逃れようとしているかのように、ウァーレ達の指示を受け入れる事なく、道を大きく外れて川岸の方へと走り出したのだ。

 全く整備されていない、大きな石が所狭しと転がっている川岸に差し掛かると、いよいよ馬車全体が激しく揺れ始める。馬の足とは仕様がまるで異なる鉄の車輪は、石にぶつかる度に荷台を高く浮かび上がらせ、その度にゼスファー達は内臓がふわりと踊る嫌な感覚を味わう破目になる。加えて上下左右に激しく動く視界に状況判断がまるで出来ない。

「掴まっていろ」

 ウァーレの冷静な声が飛び、ゼスファーは痛みに耐えながら掴める所を探してなんとかしがみ付く。掴み所を見つけられなかったリリーシアは、ゼスファーの腰に抱き付く事で収まった。

 だがその安定も束の間。次の瞬間には、ばきり、という溜息をつきたくなるような音と共に、四輪のうちの片方の二輪が盛大にすっぽ抜けた。途端に視界は完全に斜めになり、かろうじて留まっていた四人は川岸へと振り落とされた。

「がっ……は……っ!」

 一番の被害を被ったのはまたしてもゼスファーだった。荒い地面に叩きつけられた彼は、そろそろ自身の体が崩壊するのではないかと本気で思い始める。

「立てるか?」

「…………」

 言葉を話すのも辛く、ゼスファーは駆け寄ってきたウァーレに肩を貸してもらってようやく立ち上がる。するとその目に見えてきたのは、破壊された荷台を騒々しい音を立てて引き摺りながら、ぐんぐんと遠くへ離れていく馬達の姿。移動手段は完全に失われた。

「……?」

 どうすべきかと考える間もなく、肌に感じる雰囲気が変貌する。引き伸ばした糸のように張りのある空気が四人の周囲を覆う。

「気を付けなさい。固まって動かないで」

「見て! あそこ!」

 リリーシアが近くに生えていた木々の間を指差して叫ぶ。その方向には――〝恐らく〟、人間がいた。夕日が逆光となり黒々とした輪郭だけしか見えないが、太い木々の間から薄気味悪く輝く目だけがじっとこちらを見ているのは確かだ。間違い無く先程の咆哮と襲撃に関係しているはずである。

「そこにいるのは誰なの?」

 女性が先制するも、反応はない。対してウァーレは両手を左右に広げ、危害を加えないし、何も持っていない、といったふうな仕草をする。

 しかし、しばらくしても何も反応はなく、四人を監視するように見つめるモノの動きは全くない。それを確認したウァーレは語り掛けようとゆっくりと距離を詰めていく。

 ――――きぃん、という微かな金属の触れ合う音が聞こえた。否、少なくとも〝ゼスファーには〟聞こえた。彼は職業柄聞き慣れているからか、その他の三人は気付いたような素振りを見せていない。

 ウァーレがまた一歩近づくと、再び同じ金属音が鳴る。それはまるで細い金属同士を研ぎ合わせるような――――。

「……ウァーレ、待った」

 危険を察知したゼスファーは、念の為ウァーレに注意を促した。背中に嫌な鳥肌が立って、口の中が砂をまぶしたかのように乾き始める。彼にとっては本日二度目の悪い予感である。

「どうした?」

 ウァーレがちらりとゼスファーの方を振り向いた瞬間、木の裏から隠れていたモノがゆっくりと現れた。両手に、細長く鋭く光る槍を持って――――。

「な……なんなんだよ、〝アレ〟……!」

 よくよく見ると現れたのは人間――否……否、いや人間だ。少なくとも〝上半身〟は人間である事に違いなく、その下半身は〝馬の姿〟をしている事から、そろそろゼスファー達は自分達の思考を根本から考え直す必要があった。

「なぁリリー、ちょっと〝つねって〟くれないか」

 もはや夢なんじゃなかろうかと目の前の光景に懐疑を抱き始めたゼスファーは、己の頬を指差しながらリリーシアに頼み込む。すると彼女もまたお願い、と言ってきたので二人で同時に片頬を抓った。

『痛っ……』

 当然、覚めない。もとよりこの方法で夢か否かを判別出来るかどうかは知らなかったが、とりあえず自分達はまだ〝目覚めている〟のかもしれない。

「あれは……なに?」

「『混獣(ミクサス)』よ、リリーシア。詳しくは後、まずは離れましょう」

 依然落ち着いたままの態度を見せる女性は、リリーシアと共にゼスファーに肩を貸し、混獣(ミクサス)と呼ばれた摩訶不思議な生物から距離を取る。

「ウァーレは、どうするの……?」

「心配しないで、リリーシア。彼に任せなさい」

 あっさりきっぱりそう言われ、リリーシアは頷く他なかった。心配したところで自分に何が出来るのかと問われれば、それは見守るくらいの事しか出来ないであろう。

 三人は早々と川の方へと退散する。その時――――聞き間違えだろうか、背後からウァーレと混獣(ミクサス)の〝会話〟が聞こえてきて、三人は一瞬足を止めた。驚く事にあれには喋れるほどの知性が備わっていたらしい。

「…………そこまで堕ちてなお、お前も永刻(えいえん)を望むか」

「ガ……ガ……ジカン、ヲ、ヨコ、セ……」

 混獣(ミクサス)は不気味な(しゃが)れ声で片言の言葉を喋った。

「人は限られた(とき)を生きる事のみ赦される。例え如何な神秘を持ちえども、他者の時間を奪ったとしても結果は不変。結局は自己を失うだけだ。そんな姿に成り果て、それでもまだ解らないか」

「……ガガッ……ヨコセ……ヨコセ……ヨコセ!」

 混獣(ミクサス)はウァーレの話を理解しなかったのか、汚れた乱杭歯を剥き出して喧しく吼え立てる。

「…………心も、失ったか」

 明らかな侮蔑を乗せた言葉も、心無き混獣(ミクサス)には届くはずもなかった。

「ラティア、離れていろ」

「ええ、さぁ行きましょう」

 ウァーレの厳たる口振りから、和解などという選択肢が消え去った事は明らかだった。

「えっと、ラティア? ウァーレは本当に……」

「あらごめんなさい、自己紹介を済ませてなかったわね。私の名前はラティア。ラティア・エテルラ。いいのよ、心配はいらないわ」

 白装束の女性はそこで自分がまだ名乗っていなかった事に気が付き、慌てて名を述べ、状況を懸念する二人にまたしても心配無用だと念を押す。

「心配はいらないって……」

 ラティアは、未だフードを深く被ったまま腕を組み、凛とした姿勢でウァーレの方をじっと観察している。

 ウァーレはものの見事に丸腰だ。ナイフの一本すら持っていないだろうというのに、目の前には槍という殺傷カ満載の武器を持った人外の生物がいる。誰がどう見たところで形勢の不利は明白である。

 固唾を呑んで見守る二人の肩に小さな衝撃。ラティアの手が置かれたのだ。ふわりじんわりと、骨の髄まで浸透してくる、母親のような懐かしく和らぐ温かさ。そんな感触に二人は即座に落ち着くのを感じ、抱いていた負の感情はすぅっと逃げるようにしてどこかへ消えていく。

「そう時間は掛からないわ。……そうね、せっかくだからその目に焼き付けておきなさい。良い夢を――――」


 ◇


「ガァアアッッ!」

 混獣(ミクサス)は激昂に任せた雄叫びを上げ、前足で地面を蹴り上げ後足で立ち上がる。その高さは対峙するウァーレの身長の二倍を優に越え、間髪を入れずにその高さから右手に持った槍を大きく振り下ろす。

 体格に相応しい体重とその高さからの加速度をもった一撃を、ウァーレは完全に見極め、必要最低限の動作で後ろに退くと、外れた槍先は河川敷の石と衝突し火花を散らした。

 続いて混獣(ミクサス)は左手に持った槍をそのままウァーレに突き刺そうと後足に力を込め、跳ねる。ウァーレは装束を翻し、その追撃もまた流れるような動作で後ろに避ける。まるで踊っているかのような軽やかなその動きには一切の無駄がない。

 それだけか、と首を小さく傾げるウァーレに対し混獣(ミクサス)は、再び槍を振り上げる。が、今度のウァーレは身構えようともしなかった。あろう事かこの事態の中で目を閉じ、全身の力を緩めたのだ。

「危ないっ!」 

 今度こそたまらずリリーシアが小さな悲鳴を上げる。が、その警告が届くはずもなく、混獣(ミクサス)が放つ槍はウァーレの胸の真中を捉え――――


「――――祈祷開始(プレイアー)


 今まさに槍が胸板を貫かんとした刹那。そんな言葉がウァーレの口から放たれ、槍の速度よりも速い〝光〟が一瞬で周囲を覆い尽くす。

「まぶしっ――あれはなに……!?」

「『神の加護』よ、ゼスファー、リリーシア」

 瞠目する二人にラティアは気高く光の名を告げる。二人はその光景自体は初見であるも、『神の加護』という単語には聞き覚えがあった。

「あれが、加護……?」

 混獣(ミクサス)は突如として生まれたその光に意表を突かれ、無意識のうちに槍を手放し両腕で顔を覆った。それでも野性の感は純粋な人間なぞ比にならぬほど鋭利で、光が無害な事をすぐに察知した混獣(ミクサス)は即座に体勢を立て直す。

 ――――それでも。それでもなおウァーレは動こうとはしなかった。代わりに彼は素早く、それでいてはっきりと。まるで誰かに宣言するかのように、ただその唇だけを動かした。

神宣告(ディクレアル)――第一刻(ウノーラ)神鎧(ディベスティ)』」

 またしても槍の振り下ろされる音。続いてぱきん、と何かが折れる乾いた音。槍は、ウァーレの肌に切先さえも届かずして、砕かれた。

「ガ……!?」

 ウァーレはいわゆる鎧を纏っていた。兵が纏うような金属の鎧ではなく、きめ細やかな星屑が幾層にも重なっているかのように見える、〝光の鎧〟を――――。

 混獣(ミクサス)はその神秘的な防御に一旦臆するも、すぐさま刃の生きている槍を拾い上げ、立て続けに棒立ちするウァーレに突き刺す。それでも光の鎧は彼の体を装束の上から寸分の隙間もなく包み込み、一切の攻撃を通す事を許さない。

 槍と光が衝突する際の衝撃にだけウァーレは体を揺らす。余裕の守備というべきか……むしろ彼は身を以ってしてその光の鎧をゼスファー達に〝見せよう〟としているかのようだった。事実、〝魅せられた〟者達はただそれに見惚れて我を忘れている。

 理解に苦しむ混獣(ミクサス)は何度目かの攻撃の末に槍での追撃を諦め、体当たりの類を食らわせようとその身を屈める。

 素早く、ウァーレが地面に転がる槍を蹴り飛ばす。

 一瞬、その槍に視線の対象を奪われていた混獣(ミクサス)は、目の前にいる相手の姿が消えた事に気付かない。

「ウグゥ!?」

 ウァーレは既に混獣(ミクサス)の背後に回り込み、その尻尾を片手で掴んでいた。そしてそのまま人間とは思えない力で尻尾を手前にぐいと引く。

 混獣(ミクサス)は急に掛かった後ろ向きの力に体勢を崩し、倒れまいと踏ん張るも、ウァーレはそれ以上の筋力を以ってして引っ張り、そのまま混獣(ミクサス)の背中を地面に叩き付けた。

「ググ……!」

 苦悶もそこそこに混獣(ミクサス)は飛び上がって態勢を立て直し、獣性剥き出しの形相でウァーレを睨みつけ、その剛毛で覆われた拳を力任せに振るう。彼はそれを身を屈めるようにして避け、口元を動かす。

第六刻(セストゥーラ)神脚(ディクルース)』」

 身を屈め俯いたウァーレは何らかの単語を発し、そのままの姿勢で両手を地面に着けた。すると光の鎧は弾けるように消失し、代わりに彼の両足の先端が燦然と閃く。その無防備のまま四脚の獣のような構えを取るウァーレに、混獣(ミクサス)は仕留めたとばかりに持ち上げた前足を振り下ろす。

「『螺旋脚(ヴォルテクルース)』」

 ウァーレは川水が流れるような滑らかな動きで逆立ちの姿勢になり、そのまま混獣(ミクサス)の足が振り下ろされるよりも速く、光り輝く両脚を揃えて腰を捻りながら一気に持ち上げた。

 ――ごきり、と何かが砕ける音。ウァーレが回転を加えながら放った蹴りは混獣(ミクサス)の顎骨を完膚無きまでに破砕し、薄茶に汚れたエナメル質の欠片を四方に撒き散らす。

 顎を砕かれその衝撃に揺さぶられる頭を押さえながら、混獣(ミクサス)は声を上げる事さえ出来ずに、ただ唸りながら痛みに耐える事しか出来なかった。口元から溢れ出たどす黒い血液が、ウァーレの装束に酸鼻たる装飾を刻々と加えていく。

「それ程の代償を払ってでもか」

 語り始めると同時にウァーレが纏っていた光は徐々に薄れ、微粒子となって風に吹かれる砂粒のように宙へ消えていった。

「……ググ…………ッ……」

 口から血を滴らせながら〝四つ膝〟を地面に落とし、それでもなお自身を憎々しげに睨む異形の者を、ウァーレはただ冷厳に見据え返す。

「時間は全てに平等だ。この空、この大地。人間、動物、昆虫。そしてお前が流す血液、私が口にする一言一句もだ。例えどんな権限を手中にしようが時の流れを変える事は赦されない」

 罪人に警告を与えるかのような冷暗な声に、混獣(ミクサス)はようやく睨みを利かせるのを止め、足を引きずりながら逃げるように雑木林の中へと去って行く。

 ウァーレはその背が完全に潜めるまで、ただじっと寡黙に眺めていた。

 ――――あの生物は、過去に永遠を望んだ人間の一人だった。永遠を望んだまではよかったが、自制できないチカラを得てしまった人間は、どんなに屈強な精神を持つ者であれ必ず自己を破滅に導く。過度な欲求は授かったチカラを見境無く暴走させ、気が付くと言葉を失い、気が付くと野を駆け、気が付くと動物の血肉を喰らい、気が付くと己の姿は獣に成り果てていた。

 アレはもう、人間としての尊厳と道徳を失った死人の他ならなかった。人間とも動物とも定まらない、故にどちらの世界でも受け入れられない自業自得の半端者。

 結局のところ、最後に得られたモノは究極の孤独のみ。

 初めに望んだ永遠なぞは、それこそ〝永遠に探したとしても〟見つからないものだった。

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