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神葬の代行者  作者: カオスベイダー
『序刻』
4/29

第二刻『剣の依頼主』

 ――――五年前。その日は年中穏やかな気候であるフロディエナ大陸にしては珍しく、空一面が今にも落ちてきそうな鈍重な黒鉛色に染まっていた。雨が降るわけでもなく、雷鳴が轟くわけでもなく、ただ重く、醜悪な空だった。

 それは、稲光のような予測し難い突然の出来事だった。

 ありふれた日常を送っていた田舎町クルトゥーラに突如、十数名の白装束を纏った謎の集団が訪れた。その集団は何を宣言するわけでもなく、町民に対する無差別な殺戮を始めたのだ。

 不意を突かれた町人はそれに抵抗出来るはずがなく、まるで作業のように、逃げ遅れた人々は次々と速やかに抹消されていった。無論、抵抗を試みる者は多数いた。だがそんな町の力自慢達は揃いも揃って、まるで赤子のようにして()られた。

 だがその理不尽な絶望の渦中、唯一黒い装束を纏う主犯格との対話を決断した男がいた。自身の妻と、親友とその妻を目前で殺されるも、冷静に状況を掴もうとしたのだ。

 対話は長く続いた。交渉か、糾弾か、あるいは命乞いか。それは誰にも分からなかった。

 ――――結果、彼もまた殺された。唯一、意味があったとすれば、その男の死が確認された後、集団が一人残らず撤収していったという事だった。

 遠目から隠れ見ていた町人達には、彼らの対話の内容は分からなかった。だが恐らく、少なくとも二つの事が理解出来た。

 一つ目は、その男のお陰で被害が拡大せずに済んだ事。

 二つ目は、その男にはまだ自立が難しいであろう生きている子供がいた事だった。


 ◇


 少年と少女が住んでいた家は郊外にあり、幸いな事にそこが襲われるという事はなかった。だが二人の両親は町で起こっている異常にすぐ気付き、我が子達を家の奥にある狭い倉庫に隠し、それから様子を見に町へ向かった。

 だが行ったっきり――両親はいつまでたっても家に戻って来なかった。

 暗くて狭い、外の音が全く聞こえない無音の倉庫の中で、二人は寄り添い、気配を消していた。

 体の節々が痺れようが、空腹に腹が鳴ろうが、親達の只ならぬ気配を読み取った二人は、親が迎えに来るまでただ待ち続けていた。

 やがて夜が明けた頃、痺れを切らした少年は、少女を連れて外へ出た。そしてその足で町へと向かった。


 ――――町は、止まっていた。


 小さくも活気のあったクルトゥーラは、ただ無音に尽きる光景に成り果てていた。

 風の音すらしなかった。ただひたすら、信じられないくらいに寒かった。聞こえたのはがちがちと震える自身の歯の音と、意味もなく大きく繰り返す呼吸音だけ。

 時の流れを止めた町は、赤色に染まっていた。死の臭いというものを、二人はあの時に初めて体験した。吐き気しか感じない、けれど吐く事の出来ない、苦しく生々しい血潮の臭い。

 雨が降ってくれていれば、まだましだったのかもしれない。外部からの力によって流れを強制されない血液は、自然の摂理に従いゆっくりと、まるで植物が蔓を伸ばすかのように地面の上を這っていく。各地から流れるそれは、いずれは溜まり易い場所に集い、濁った赤黒い池をつくる。

 血溜まりが海であり、血の路が川であり、その血の源こそが山であった。

 町には無数の山が連なっていた。その中には二人のよく見知った姿が何人もいた。学校の友達も、先生も、いつも町中で見かける人も――――両親も。

 姿を見つけて、駆け寄って、確かめて、叫んで、心臓が止まった。

 呼び掛けても叩いても起きない。その肢体は金属のように冷たく硬く、開いたままのその目には一筋の光さえ宿っていなかった。ただの置物と大差ない。少年の父も母も、少女の父も母も。そこらで売っている金細工となにも変わらなかった。

 二人が呆然と見知った死体を眺めていると、隠れていた人々が次々と表に出てきた。やはり、誰もが転がる死体に駆け寄り、言葉を失っていた。

 しばらくして、二人は無心のまま、何事もなかったかのように家へと戻った。そして再び、両親に言われた通りに倉庫に隠れた。

 倉庫の中でお互い黙ったまま、ただのひとつの単語すらも発する事なく、それでいて驚くほど平常な呼吸だけを繰り返し、一睡もする事なく次の日の朝を迎えた。

 木の板の隙間から射す太陽光に照らされ、段々と理性が戻ってきたのか、意を決した二人はもう一度だけ確かめてみようと町に出た。すると無数にあった血溜まりは消えており、昨日まで転がっていたはずの人間は一人残らず消えていた。

 一瞬だけ、昨日の事は夢なのだと、二人は思った。しかし、手付かずの破壊された建物と、いつまでたっても戻って来ない両親が、昨日の出来事は嘘ではないのだと物語っていた。生き残った人々は誰一人として眠れなかったらしく、町を片付ける人々は皆亡霊のようにゆらゆらとうごめいていた。

 二人は町の人々に全てを知らされた。

 事件の詳細な理由は誰にも分からなかった。とにかく分かっていたのは、〝身体が黒く輝いている不思議な人間達〟が、町の人々を次々と殺していったかと思うと、しばらくして一斉に引き揚げたという事。それだけだった。

 意味不明にもほどがある話を聞かされた二人は、ひとまず両親の埋葬を済ませた。同じ町に親戚はいなかったが、親しくしていた人は多かったので、小難しい手続きは全てやってもらった。

 町人のおよそ半数が永遠の眠りについた。

 墓で少女は祈りを捧げた。少年は祈りを捧げなかった。

 今後、二人が路頭に迷うというのは自明の理であった。だが二人は町の人達の制止を振り切り、帰るべき場所に帰った。

 二人は一滴の涙も流さなかった。泣いてしまえば、それは認めてしまう事なのだと、よく解っていたからだ。

 先に呟いたのは少女の方だった。

 二人で一緒に暮らそう――――と。少女は驚くほど冷静だった。幼馴染であった少年は、その少女が楽観主義だという事は知っていたが、それにしても異常だった。両親を失ったというのに、彼女は負の表情のひとつも見せずに、朗らかに笑って見せたのだ。

 少年は悩んで悩んで悩み抜いた末、少女の手を握り返して頷く事しか出来なかった――――


 ◇◆◇


 ゼスファーはリリーから逃げ出すように家を出た。

「――ったく…………」

 大仕事が終わる日に限って、リリーは決まってあのような事をしてくる。故に家が町はずれにあるという事は僥倖(ぎょうこう)であった。誰にも見られる事がない為、恥ずかしい思いをするのは一瞬だけで済むのだ。

 無論、全力で拒否する事だって可能だった。だがあえてそうはしない――というか出来ないのである。相思相愛である事には違いないのだが、そういう類の感情を素直に表すのが苦手なゼスファーは、リリーからの愛情を〝決して拒絶しない〟というカタチでしか応じる事が出来ないのだ。

 ゼスファーとリリーは、訳あって五年近くも同じ屋根の下で暮らしている幼馴染だった。現在の役割的にはゼスファーが仕事をして、リリーが家事をするという典型的な夫婦みたいなものである。

 二人が齢十八を迎えた今日この頃では、日々の暮らしに昔ほどの苦労は必要なかった。決して裕福とは言えぬが、それなりの暮らしを実現出来ていた。パンケーキは見飽きたという台詞が時たま聞こえはするものの。

 そこで本日こそは、より安定した生活を実現する為の、大量の顧客獲得へ向けた大一番なのである。日々目減りしていく収益の救世主となるか否かは、ゼスファーの仕事の出来にかかっているのだ。

 家の前にある道沿いに連続して生えている木々が、緩い風に揺られる心地よい葉の音。足を一歩前に進めるたびに、小銭が鳴るような景気の良い砂利の音。その音に毎回編曲を加えてくれる鳥達のさえずり。日々全て異なるその音楽は、ゼスファーにとって毎日の徒歩出勤を飽きさせぬひとつの楽しみであった。

「……今朝のパンケーキが見納めだな」

 自然が奏でる旋律に、そんな希望の休符を交えつつ肩を揉む。家から十分ほど歩けば町の賑わいが聞こえてくる距離になる。

 町に近付くに連れ、市場から聞こえてくる宣伝文句が大きくなってきた。小さい田舎町でありながらも、人々の活気は大都市のそれに匹敵するほどであり、五年前の痛ましい事件などまるでなかったかのような振興具合である。

 やがて町に到着するなり、そこらかしこから挨拶の声がゼスファーに向かって飛んできた。その都度挨拶を返しながら、彼は町の中央部にある自身の仕事場へと向かう。

「お、ゼスファー君おはようさん。今日も仕事かい?」

 いつも果物を買っているお店の横を通り掛かると、朝日に禿頭(とくとう)煌く店主が声を掛けてきた。昔からゼスファーとリリーの事を特に気にかけてくれていた人物であり、たとえるならば親戚といったところである。

「おはよ、ウリヴスさん。あぁ、今日は大きな仕事がひとつ終わるんだ」

「おぉ! そりゃがんばってくれよ! 景気が悪いのは知ってるけどよ、がんばり時だ、ほらよっ!」

「――っと、ありがとう! そのうちその店ごと買ってやるさっ」

 店主はゼスファーの好物であるリンゴを一つ投げてよこしてくれた。早速それをかじりつつ、気分良く自分の仕事場に向っていくつかの路地を曲がると、町の中心部が見えてくる。

 クルトゥーラの中心部は大きな広場になっていて、今は朝市や仕事の準備に取り掛かる人々でごった返していた。その広場の一角に、一軒の鍛冶屋が細々と構えている。見かけは枯れ葉みたいに乾ききっていてみすぼらしいが、ゼスファーの誇れる仕事場だ。そして元々は父親が働いていた場所でもある。

 ちりん、と仕事場の扉を開けるとぶら下げてある鈴の音が控えめに鳴る。特に施錠はしていない。理由はこの町の自慢のひとつに治安の良さが挙げられるからだろう。法を犯す人間がいなければ、それを取り締まる人間もまたいないのだ。

 ゼスファーが中に入った途端、彼の目に眩い反射光が射す。その正体こそは、作業場の机の上に置かれている一本の剣であった。しかしその煌びやかさは同時に作業場の汚れも明確に照らし出していた。

 灰にまみれた工具やらがそこら中に散らかっている様子を、さすがにお客さんには見せれまいと、ゼスファーは手始めに掃除をする事にした。

 口元に布を巻き、金槌の変わりに箒とお手製の塵取りを手に。そんな鍛冶師らしからぬ家政婦らしい格好でゼスファーは掃除を始めた。しかしながら灰というものは急いで集めようとするとそれだけ舞ってしまって、これがまた苛々を募らせる。そこで彼は一旦落ち着き、ふと昔父親が言っていた言葉を思い出す。


 ――――灰ってのは子供みたいなものだ。一度散らばったらそう簡単には集まらない。そこで親はどうする? 簡単だ。おやつの時間よ、戻ってきなさい。この一言でいいんだ。

 

 ――――といった教訓らしいものを胸にゼスファーは、散らばる灰や金属粉をとにかく優しくなだめながら集める作業に没頭した。やっとの思いである程度集まってくれたのを、塵取りに収めて処分する事が出来た頃には、もう相当な時間が過ぎ去っていた。

(親ってこういう時間の使い方をするのかな……?)

 などとまだ見えぬ遠い将来を心配してみたりもする。

「今日でさようならだな、おまえも」

 ゼスファーは自身が造り出したまだ名も無き剣の刀身を指先で愛おしく撫でた。おぉぉん、という刃物独特の余響が、耳に纏わり付く。

 握り具合を確かめる為に気軽に剣を取ると、思わず肩がずしりと下がる。その異常な重さの理由は、柄の周囲に施された刻印やら宝石やらといった派手な装飾の仕業だ。

 通常、剣に求められる主な性能は、軽量かつ優れた切断力である。しかしそれらを度外視した造りになっているのが今回の製品の特徴でもあった。だがそれは別段異常な設計というわけでもない。

 ――――昨今のフロディエナ大陸内では、剣や盾やらを用いて大勢で争うような、紛争まがいの出来事はただの一件たりとも発生していなかった。もとよりこの大陸の『現統治者』がそのような事を許さないという事情もある。

 そのような背景から、現在では剣が造られるといっても、それは警備兵が犯罪者へ向ける威嚇用に腰に携えるだけのものか、権力者が象徴として飾るもの、あるいは式典や祭り等の何らかの催しに使用するといった用途のものばかりなのだ。

 そして、今回もその例に漏れず、依頼主の要求には軽量化も優れた切断力もなかった。おまけに言われた事は、〝金はいくらでも出す。だがこの我輩に相応しい剣を〟――とだけである。これほどまでに明確でない受注は初めてだったゼスファーは、設計に大幅な時間を割く破目になった。

 だがそれも今日で無事完成である。最終調整をした後は、依頼主が引き取りに来るのを待つだけだ。考える事はもう残っていない。――あるとすれば、どんな報酬を頂けるのだろうかといった妄想くらいである。

「あと一時間ってとこか……」

 ゼスファーは左腕に巻いてある〝片方〟の腕時計にちらっと目をやって、依頼主がやってくる予定である時間を確認した。すなわちそこが刻限(のうき)であり、彼が厳守と謳う絶対地点だ。

 ゼスファーの左腕には二種類の時計が巻いてある。それは昔、今は亡き彼の父親がやっていた方法を真似たものだった。

 内側に着けているものは現時刻を示すものであり、ついこの前に時計屋の主人から仕事のお礼として譲ってもらった最新の一品。落ち着き払った銅の輝きはゼスファー好みであり、魚類の皮が用いられている帯の伸縮性と肌触りは完璧に近い。

 一方で外側に着けているものは刻限の確認や計測用で、主となる仕事の仕上げ目安時間や、依頼主の都合のつく時間帯などに時刻を固定しておくもの。秒針は開始停止操作の行える計測用となっていて、秒刻みの作業を要する鍛冶師にとってはなくてはならないものである。ちなみにこれは父親の遺品であり、今やくすんでしまった銀色が哀愁を漂わせているが、ゼスファーは幼少の頃からこの輝きに憧れていたものだった。

 フロディエナ大陸の特徴のひとつとして、特に『時間』に関する要素――知識と技術の発展がかなり進んでいるというところがある。正確無比な時を刻む複雑な仕組の時計も、一般民衆の手に広く渡っているのだ。

 ゼスファーにとっての時計とは、この世の成り立ちを説いてくれる良き指導者のようなものであった。時計の針が進める一秒というのは、それこそ計り知れないほどに短い。だがその一瞬一瞬の積み重ねがこの世界を、そして何よりも次の瞬間のこの己自身を創り出しているのだ。加えて〝職人〟である彼は、一秒の大切さを誰よりも良く知り、その一秒の失敗が永遠に直結する事を痛感している身でもある。

「…………んっ」

 さて、とゼスファーは伸びをして考えを巡らす。

 ――――今日は、この仕事だけで終わりだ。だから、終わったら今日はあいつと一緒に家でのんびりでもしよう。頂くであろう報酬で外食ってのも悪くないな。腕時計を外して、一秒を忘れて――――。

 そう決めたゼスファーは一刻も早く仕事を終わらせる為、そそくさと剣の仕上げを始めた。


 ◇


 ちりん、と軽やかな鈴の音が鳴った。

(ん、来たか…………)

 ぴしっと背筋を伸ばし、ゼスファーは刻限通り依頼主がやって来た事を確認する。

「……あー、失礼する。さてさて、我輩の剣とはご対面出来るかね? 待ちくたびれてしまったぞ」

「あ、どうも! 完成しておりますよ」

 派手な白い装束を羽織った依頼主は、自慢げに伸ばした長い顎鬚をくるくると指に巻きながら、受注した品物の姿を探す。

 年齢は六十代くらいだろうか。高級志向の装束に加え、一人称が今時珍しい〝我輩〟であるところから、恐らく都市部のお偉方であろうと推測していたゼスファーは、(うやうや)しく振舞う事で交渉を円滑に行えるよう努力した。

「こちらになります、フェルゲルトさん」

「ほお……これは――素晴らしい……!」

 ゼスファーは相手に調子を合わせ、恭しく片膝を地面に着けて完成した剣を差し出す。今まで千差万別の顧客を相手にしてきた彼は、客の機嫌の取り方なぞ非常に手馴れたものであった。

「んん! まさに! このフェルゲルト・セドナグに相応しい、素晴らしい剣だ。うむうむ、まっこと良い仕事をしてくれたな」

「もちろん、手抜きの類はただの一工程たりともしておりません。刀身はやや強度が劣りますが現最軽量金属のレギス鋼を用い、柄の装飾にはキリエカ原産の計七種の宝石を嵌め込んでおります。また握り部は順手逆手どちらでも握り易く疲れにくい独自の手法で製造してあります」

「うむうむ…………」

 ゼスファーの解説なぞ耳に入らぬかのように、我が子を絶賛する親馬鹿の如く喜ぶ依頼主フェルゲルト・セドナグは、その剣を片手に様々な角度から愛おしそうに眺めた。

 外界を鏡のように映し取る高貴なる銀色の刀身に、ごてごてと嵌め込まれた宝石が傲慢な輝きを見せる柄。こと戦闘に関しては全くの無駄とも言える過度な装飾のせいで、機能性が酷く劣る仕上がりとなってしまっているが、そこを懸念するどころかお気に入りとした依頼主に、ゼスファーは内心ほっとした。

「――――さて、約束だ、ゼスファー少年。突然ですまないが君の家にお邪魔してもいいかね? 話をしたい。もちろんこの後に仕事の予定が無ければだが」

 剣を鞘に納め、ちらり、とフェルゲルトは外に視線を流す。

(きた…………!)

 きっと家で報酬とその他についてゆっくりお話だな、と内心ほくそ笑みながら、ゼスファーはこっそりと背中で拳を握った。

「ええ、大丈夫です! 今日はこれで仕事が終わりです。狭い家でもよかったら是非」

 ゼスファーは勝手ににやける口元を精一杯隠す為、感動しているかのように口元を手で覆っておく。我ながら優秀な策略家だな、と彼は改めて思う。

「ではこちらへ」

「うむ」

 ゼスファーはフェルゲルトを連れ、家に向かう為に足早に町を出た。無論、途中で果物屋の主人ウリヴスに向かってにんまりこっそり親指を立てた事は言うまでもない。

「……ほぉ、家は遠いのか?」

 町を出て砂利道に差し掛かったところでフェルゲルトが不審がる。

「ええ、ちょっとはずれに。ええっと……あそこです」

 ゼスファーは前方でもくもくと一筋の〝黒煙〟を排出している煙突を指差す。昼食の時間にはまだ早いが、恐らくリリーが何かしらの家事でもしているのだろう。――もっとも、黒煙が立つ場合というのは、フライパンを焦がしている時か、家事ならぬ火事である時のみであるのだが…………。

「自分は両親を亡くしまして、幼馴染の子と二人で暮らしてるんです」

 唐突に、ゼスファーは身の上話を持ち出した。これもちょっとした同情作戦である。

「む、それは気の毒だな」

 しかしフェルゲルトの言葉には大した感情がこもっていなかった。素っ気無い、むしろそれがどうしたと言わんばかりの無関心さで、ゼスファーはバレたか、と内心苦い顔をする。

「しかし君の腕前なら、あわよくば大富豪にでもなれるのではないかな?」

「いえ、残念ながら無名な者でして……」

「その点ならば心配するでない。我輩の知り合いに紹介をしようじゃないか。君が良いと言うならば」

「も、もちろんそれは光栄です。でも、こんな未熟者の自分で大丈夫なんでしょうか?」

 長期契約の予感を察知したゼスファーは、ここぞとばかりに謙遜に謙遜を重ねる。

「それは大丈夫だ。君はこの我輩が認めた鍛冶師だぞ。自信を持ってやってくれればいい」

「ありがとうございます!」

 とりあえず、今度は遠慮なく盛大ににやける。そしてそれが収まる頃には家の前に到着した。

 ゼスファーの声に気が付いたのか、リリーがひょっこりと玄関先に現れた。何をやらかしたのか、彼女は焦げ跡が痛ましい白色――だったエプロンを身に着けている。

「おかえ――あれ、その方は?」

「仕事の依頼主さんだよ。フェルゲルトさんだ。ほら、挨拶して」

 依頼主と聞いたリリーは刹那の動作でエプロンを引き剥がし、咳払いひとつに髪を整え、地面に影が出来るほどに明るい笑顔に切り替える。

「こんにちは! わたくし、ゼスファーの妻でありますリリーシア・メルティウスと申します。この度は夫がお世話に……」

 リリー――こと、本名リリーシア・メルティウスはぺこりと丁寧に頭を下げながら、勝手に余計な事を付け加えて挨拶をする。

「お、おい! 誰が夫――」

 夫と呼ばれた少年が全身全霊で憤慨するも、フェルゲルトはゼスファーの方を見ながら嫌な笑いをこぼす。

「これはこれは、可愛いお嫁さんではないかゼスファー君」

「そ、そんなんじゃありませんよ! ただの同居人です同居人……」

「あらまぁ、ひどい夫だこと。ささ、狭いですがどうぞ中へ。あとちょっと焦げ臭いですがどうかお気になさらず」

 必死に弁解するも、リリーシアはフェルゲルトを連れてさっさと家に入ってしまった。

「………………」

 頬をひくつかせながら、ゼスファーは渋々と家に入った――途端、ほんのりと異臭。昼食は例によってパンケーキの予定だったのだろうが、臭いからするに当分は昼食にありつけないであろう。

 リリーは既にフェルゲルトを小さな居間の来客用ソファに座らせ、飲み物を出そうとお湯を沸かしていた。不器用ながらもおもてなしの心だけは一流である。

「お嬢さん御構い無く、我輩は用件が済んだらすぐに帰らなくてはならないからね」

「まぁそうですか? ゆっくりお話になっても大丈夫ですよ」

 これから交渉が始まるのだと、リリーシアは抜け目無く理解していた。その心を読んだゼスファーは、ありがたく思うと同時に、もしかしておもてなしの料理でも作ろうとしていたのだろうかと、背筋が凍る思いをした。こんな身分の高そうな人にひしゃげたパンケーキでも出した日には、交渉即決裂の可能性も否定出来ない。

「なにまぁ、すぐに話は終わる。先程も話していたからね。簡単な返答を貰えばいいだけなのだよ」

「紹介についてですか?」

 ゼスファーはフェルゲルトの向かいのソファに腰掛けながら尋ねる。

「うむ。紹介するという点は既に了承した。それと関連してもうひとつ、我が輩の提案に答えて欲しいだけだ」

「提案……ですか?」

「左様。そしてその提案こそが今回の報酬という訳だ。どうだね?」

 フェルゲルトは両手を広げ、自信たっぷりな――どこか、醜悪な笑みを浮べてゼスファーを揺さぶる。

 意図がさっぱりと読めないゼスファーは、期待に胸を躍らせながらも落ち着いて、まずはその提案を聞く事にした。

「……その提案とは?」

 ごくりと固唾を飲み込む。

 期待に滾る視線と、冷静に笑う視線が交差する。

 そして、威厳に染まるその人物は、もったいぶってゆっくりと口を開いた。


「――――我輩達の〝仲間〟にならないか?」

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