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神葬の代行者  作者: カオスベイダー
『始刻』
18/29

第十五刻『予期せぬ初陣』

 ――――おい、〝時間くれよ〟。

「……くっ」

 その言葉にゼスファーは自分を引き倒した人物が『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』なのだと瞬時に悟った。その者こそは、永遠の命を求め他者の魂を(むさぼ)る悪魔の如き存在。されど永遠は決して許されぬという矛盾の被害者――。

 とにもかくにも、今この場で動いている者がいるとすれば、それは間違いなくまともな人間ではない事だけは確かだった。

 ゼスファーは軋む体を反転させて、声の主を視界に捉える。すぐそこには彼より僅かに背の低い、白い装束に身を包んだ繊月(せんげつ)のような切れ目を光らせる少年が立っていた。

 少年は片方の眉を吊り上げ、未だ何の返答もないゼスファーを不愉快だとばかりに睨み続けている。ただ、それは威嚇の類の意ではなく、どこか細部まで観察しているようにも見えた。

 睨み合う互いにはそれぞれ共通する部分が二箇所ある。ただそれらは似て非なる様相であり、互いの違いは第三者から見る限り、一目瞭然であった。

 第一に共通する部分は、体から光を発しているという、人間ではあるまじき現象を身に纏っているという事。両者が体そのものから発している光の色は異なり、それぞれ天の輝きと闇の輝きを持っていた。ゼスファーが発する光は神々しくも優しさを感じられる清い白。対する少年の光は悪意を剥き出して禍々しく揺れる黒々とした紫。

 第二に共通する部分は、互いの身を包む装束が酷似しているという事。完全な白というよりも白銀の輝きにほど近い色合い。装束の背面には時計を模した紋章が描かれており、ゼスファーの纏う装束の紋章には〝時計の針が在り〟、少年側の紋章には〝時計の針が無い〟。時計の針の有無は、単純にして両者の違いを決定付ける最もな要因であったが、二人はそれぞれ相手の紋章の意味を知らなかったし、そもそもゼスファーは自身の纏う紋章の意味も知らなかった。

 あらゆる超常も、その場に常人という観察者がいなければ、その間においてはただの常識となる。その良い例えがまさしく今。互いに加護の存在を知っているという時点で、二人は同じ常識の土俵にいるといえよう。

 少年はゼスファーを観察しているだけで、未だに襲ってくるような素振りを見せない。立ち上がるまで待つといった紳士的な者なのか、あるいはいたぶりながら殺すのが趣味な者なのか。――結論、紳士にあらぬ不意打ちを食らったゼスファーは、とりあえず前者を除外する事で納得した。そうする事で、ひとまず警戒心はもう一段階上がった。

 ゼスファーは弱みを見せては一方的になると判断し、少年を注視したまま立ち上がり、あえて堂々たる様子を装い対話を試みた。同時に祈力の消耗に備えて一時的に加護を解いておいた。どれほど加護を纏い続けたら危険なのかまだ感覚の掴めていない今は、必要最低限にしておくに越した事はない。

「時間って言ったな、おまえ。どうして時間なんて欲しがるんだ?」

 ゼスファーが初めて言葉を交わすと、少年は両眉を限界まで吊り上げ、細い目を精一杯見開いた。そして、右手の人差し指で小馬鹿にするように自分のこめかみを突く。

「ハァ!? おまえ、無限の命が欲しくねーのかよ!?」

 逆上するようなその言い方は、ゼスファーが最初に出会った『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』が言い放った時の響きと寸分違わぬものだった。まるでこちらが非常識であるかのような言い草である。

「手に入るはずがないものには興味は湧かない」

 心外だ、と言い切るゼスファーは、少年の(うた)う無限の命にまるで興味を持たなかった。否、持てなかった、というほうが正しいか。彼にとってはこれが二度目の問答。三度、四度と尋ねられようとも、その意思が揺らぐ事はない。

「へぇ、無欲にもほどがあるな。じゃここで死んでも文句はないだろ? おまえがどこの神仰組織にいるのか知らないけどさ、〝契約の証〟を着てるなら少しは価値がありそうだ。こりゃ殺すしかないな」

「めちゃくちゃ短絡的な考えだな。既に持ってるものなのに」

 苦笑交じりにゼスファーは呆れながら、既に脳内では聞き慣れぬ単語の考察を始めていた。

「短絡だって? おいおい、これでも何年と考えたんだぜ? 考えた結果がこうだ、誰かの時間をもらう。たったそれだけでおれは〝答え〟に辿り着けるんだ」

 湧き上がる怒りに、少年の纏う紫の光が更に毒々しく輝き始めた。その着々と燃え上がっていく可視化された闇に、ゼスファーの心拍数は徐々に高まっていく。例え武器の姿が見えなくとも、信じるものが違えども、小柄な少年だといえども、彼は神の加護を身に纏っているのだ。危険がないわけがない。

「答えか。なんの答えか知らないけど、見つけにくいものなら、そりゃぁ時間があるに越したことはないな。――ところでおまえ、さっき組織って言ってたけど、残念ながら俺はどこの組織にも所属してないよ」

 単語の関連性の考察を済ませたゼスファーはそう答えてみた。自分が神に抵抗する組織に所属している事は〝ほぼ〟確かだが、『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』の集団には属していない。だからといって、わざわざ対抗している側にいると公言する義理もない。

「……へぇ、珍しい馬鹿がいるもんだな」

 無所属というのは、組織に不要と断られるほど力の及ばない者か、あるいは他者の協力を必要としない無類の強さを誇る一匹狼である。当然、少年の見立ては前者だ。……いや、この無能っぷりはどちらにも分類出来ないひねくれ者かもしれないか。どちらにせよ己に数段劣る弱者で間違いない。

 そう決め付けた少年は、今度こそ遠慮なく鋭い歯と殺意を剥き出しにした。その狂犬じみた少年に、ゼスファーは面と向かってあえて気軽な口調で再認する。人間、何かしらの策が思いつくと余裕を感じるものである。

「――で、俺を殺すのか?」

 両手を広げて、肩を竦めて。あくまでも友達の雰囲気で。

「キハハッ、可愛い顔して物騒な言い方をするんだな。せめて奪うとかにしておけよ」

 少年はけたけたと無邪気に笑ったが、その眼光だけは朱色の殺意で湿気(ぬれ)たまま。

「……可愛いは、余計だ。そうでも言ってもらわないと逃げる理由ができないからな」

「逃げる? ハッ、逃がすわけもなく、おれが殺すさ。殺さなきゃ永遠は手に入らない。それはおまえも知ってるだろ?」

「さぁな、俺の(あるじ)はそういう物騒なことは教えてくれないんだ」

 ぐぐ、と足に力を入れ、ゼスファーは逃げる準備を整える。戦闘は極力避ける事。今の自分では何も出来ないと分かっているから。だから逃げるのが一番の得策。とにかく経験のある仲間と合流するべきだ。

「へぇ、救いようのねぇ(かしら)だな。なら逃げられない理由でも作ろうか――――『暗地(ダァース)』!」

 ゼスファーが逃げ出す素振りを見せると、少年はさっと地面にしゃがみ込み、大きく開いた右手の平を地面にべたりと着けた。直後、彼を中心に周囲から幾筋もの漆黒の〝線〟が地面を疾走し始める――。

「っ!?」

 黒い線は少年に近付くほどに濃くなり、その足元にやがて円を形成し始める。そしてものの数秒後に生まれたのは〝暗黒の池〟だった。ざらざらとした、不気味な甲高い金属音がゼスファーの背中の産毛を逆立てる。

(……なんだ?)

 ゼスファーが興味に一瞬負けた瞬間、少年は地面から手を離し、手の平をそのままゼスファーに向ける。すると黒い池から無数の線が、まるで生き物のように地を這いながら素早く伸び始めた。その髪の毛に似ている黒々とした細い線が一本、逃げ出すゼスファーの足首を掠めていく。

「いっ!」 

 短く鋭い痛みが走った。見ると足首にぬめりと輝く血が見える。黒い謎の線は――刃物に近い。(もろ)そうな見た目に反して非常に硬く冷ややかで、その切れ味は鋭利な刃物と比べてもなんら遜色はなく、むしろ誘導可能な飛距離があるぶん危険度は桁違いだった。

 痛みに失速したゼスファーはそのまま前のめりに倒れ、そこに更なる黒い線が濁流のように襲い掛かる。その危機に対し、彼は腰元に僅かな希望の感触を覚えた。

 ゼスファーは咄嗟に腰に手を伸ばし、その希望を引き抜いた。ぎゃりぎゃりぎゃり、と鞘の内部にこびりついた錆と剣が擦れる音が響く。とにかく剣の状態がどうであれ、この得体の知れない細い線を叩き切る事くらいは可能だろう。出発間際に念の為と、持ち出した代物は早くも登場の機会を得たらしい。

(なにが戦うことはないだろう、だ!)

 ゼスファーはアルイロの気楽な笑顔を脳内で一蹴しつつ、足元に忍び寄る線の束に剣を振り下ろした。――しかしながらその軌道はずらせたものの、切断にはまるで至らない。

「くっ――何製だ……!?」

 職業柄か、その独特の問いをもってしてゼスファーが驚愕する。

「〝砂鉄〟だよ。おれは周囲の砂鉄を自由に操れるのさ。あぁそうだ、少なくとも人間の肉くらいは切り裂けるぜ。あ、これは分かってると思うけど実証済みな」

 その言葉にぞくりと悪寒を感じたゼスファーは、だが必要以上に怯える事なく反撃に出る。それは聞き覚えのある単語があったせいでもあった。

「へぇ、そりゃ便利な技術を持ってるな。ひとつ、俺の下で働いてみないか?」

「なんだ、おまえ殺し屋なのか?」

「馬鹿言え、俺は鍛冶屋だ。壊すのは得意じゃない。むしろ壊れたものを見たら直したくなる性分でね」

 次々と伸びてくる砂鉄の線に不熟ながらも応戦しつつ、ゼスファーはひとつの覚悟を決める。これらから逃げる自信は……あまりない。会話が交わせている以上、精神的な面では対等だ。ならいっそ、戦うとまではいかないが、抵抗してみるというのはどうだろうか、と。

 戦闘など初めてである。まさしく今この瞬間こそが初陣だ。それでも人智を超えた神の加護を纏っているという条件だけは、互いに同じ。――ただ、こちらには経験がないだけだ。その超常の戦いの経験が。

 ゼスファーは剣の柄を握る手に力を入れ、こちらの動きを窺う黒い線をぎらりと睨む。少年はあれを砂鉄と言った。ならばやる事は決まっている。さぁ――〝仕事〟だ。

「〝戦う相手が金属なら〟、なんかやる気が少々変わってくるな」

「キハハハッ! 砂鉄の線一本斬れないやつが何言ってんだ。それともなんだ、鍛冶屋は叩くことしか脳がないのかよ?」

 少年がくい、と顎を持ち上げると、まばらだった周囲の砂鉄の線は収束し、今や一本の鋭い槍となりてゼスファーに狙いを定めた。

「仕事をするにはまずきちんとした道具がないとな。金槌だけじゃぁ、そりゃただの音楽家さ」

「ハッ、よく言うぜ。どこにそんな道具があるんだ? まさかそのボロっちぃ剣が道具だって言うんじゃないだろうな?」

「俺には見えるね、こいつは仕事が出来る。神宣告(ディクレアル)――第八刻(オクトゥーラ)神具(ディヴィサス)』!」

 少年の煽りを鼻で笑いながらゼスファーは剣を握り締め、再び加護を纏うと同時に第八刻(オクトゥーラ)の祈りを高らかに宣言する。しかしそれは一か八かの賭けだった。何しろ練習したのは今朝の一度だけ。上手くいくかどうかは己が信じる神の加減に委ねられるのだ。

 宣言後、光がすぐさま体から剣に流れていく。苔のようにまだ少しこびり付いていた錆は瞬時に粉塵となり、剣は本来の威厳を取り戻す。何年もの間、太陽の光を浴びていなかった剣が銀色に輝き、まるで永い眠りから目覚めたかのように健やかな光を放ち始める。

 そして祈りを――――加熱――加熱――加熱。ゼスファーの構築した明確な想像と願いにより、()では比較にならないほどの速度で剣は自ら温度を上げていく。

「レギス合金。こいつは約千八百度だったな」

「……ハァ?」

 刀身の素材を手に取った瞬間から見切っていたゼスファーは、その融点を記憶から引き出し、〝砂鉄を熔かし断てる〟温度にまで刀身の温度を上昇させる。不幸中の幸いか、持ち出してきた剣の素材の融点は鉄の融点を数百度ばかり上回っていた。

 ものの数秒で刀身の色は晩照(ばんしょう)を通り越し、対峙する両者に誇らかな白日の煌きを示す。剣の周囲に現出した蜃気楼のような無言の揺らぎが途轍もない熱量を証明していたが、しかしそのゼスファーを焦がさんとする熱波は体表を覆う加護の光が完全に遮っていた。

「ふぅん、いいね、綺麗だね」

 ゼスファーの示した奇跡が、まるで児戯(じぎ)でもあるかのような無関心さで少年は唇を尖らせる。

「ただ美しいだけじゃ愛用はされない。それに見合った機能性を併せ持たなきゃ駄目だ」

 経験による目視から、刀身の温度が目的の温度付近にまで達した事を確認したゼスファーは、それでもまだ試作品が完成しただけのような面持ちだった。

「じゃぁその機能性とやらを見てやるよ。ま、評価が良くても使うのはこれが最初で最後だろうけどな!」

 少年が前後に手を大きく振ると、今や腕ほどの太さにまで膨れ上がった砂鉄の槍が、ごぅ、と質量に見合う風切り音を響かせゼスファーの正面を襲う。

「あぁ、構わないよ。今からそれを〝試して魅せる〟……!」

 ゼスファーは素早く体の軸を真横にずらし、再加熱を行いながら迫り来る脅威に振り下ろし――彼は僅かに逸れた砂鉄の槍を真上から、じゅっ、という短い蒸気の悲鳴と共に〝斬り()いた〟。

「ハ…………?」

 がん、という分断された砂鉄が地面に落下した時の重厚な音が、何よりもその重量の凄まじさを物語っていた。

 少年は見事に魅せられた。それはまるで包丁で野菜を切るかのような、造作無きしなやかな作業。あろう事か、今まで一度たりとも切断されなかった己の武器を、いとも簡単に無効化(かこう)された――。

 極めて微小な粒である砂鉄とはいえ、少年の特異な能力によれば、それらを瞬時に超圧縮させて鉄の塊と大差ない強度を造り出す事は可能だった。そして、ある程度強固な金属を熱や力のみで断ち切るには少なからず時間を要するものだ。だがゼスファーの行使した加護による刀身の極微細振動は、触れた瞬間に言わば何千回もの衝撃を与えていたという事実がある。その振動の存在により、砂鉄の塊は単なる力による変形ではなく見事なまでの切断に至ったといえよう。

「……ちっ。なんだよそれ。なかなか天敵っぽい能力を持ってんな。実はおまえ、壊すのが得意なのか」

 やや冷静さを取り戻した少年の一瞥にも、ゼスファーは軽やかに応じる。

「壊す? 違うね、今のは〝加工〟だ。歩留()まり低いが、原材料は〝無限〟だろ?」

 言いながらゼスファーは、足元に転がる既に冷えて固まった砂鉄の束の断面を評価した。それは破壊とはほど遠い、極微細振動が可能にした、既に研磨済みのように美しい切断面だった。そのまま芸術品として売りに出しても悪くない。

「ハッ、無効化できるんならどっちも変わらねぇよ。それにおまえの言う通りだ。原材料(さてつ)なんてそこらにいくらでもある――『暗地(ダァース)』!」

 少年は再び地面に手の平を置き、能力の発動を宣告する。それに呼応した周囲の地面から再び黒い砂鉄が無数に(うごめ)(あり)の如く集まり始めた。だがもうそれを黙って観察しているゼスファーではない。

「弱点は自分が一番解ってるだろ?」

 ゼスファーは咄嗟に駆け出し、少年にこれといって捻りのない原始的な体当たりをかます。とはいえ加護を纏っている以上は通常と比にならない威力であり、それは獣の突進にも値する威力だった。それにより少年の手元に集まろうとしていた砂鉄の束は途切れ、風に吹かれて易々と飛ばされていく。

「ちっ……!」

 少年の持つ能力の弱点は、砂鉄を回収しなければならないという事柄にある。それ相応の量を集めなければあまりにも力不足なのだ。結束力も甘く、加護を纏っている相手ならば素手でも用意に千切られてしまう。故に、とにかく回収の時間を与えない事が先決だ。

 少年は素早く体勢を整えるやいなや、未だ舞っている砂塵の中へと姿を隠した。幸いな事に、もう大通りには物体が飛び交ってはいなかった。――つまり、決着がついたのだろう、と。良いようで悪い予感にゼスファーは苛まされる。

「――っ、第一刻(ウノーラ)神鎧(ディベスティ)』!」

 背後で何かが動く気配を感じ、ゼスファーは限界の速さで宣言した。宣言が終わるとほぼ同時に体表を分厚い閃光が覆う。

 ぎぃん、ぎぃん、という連音。続いて短い舌打ちの音。間一髪。ゼスファーの足元には砂鉄で作られた二本の太い針が転がっていた。僅か一秒にも満たぬ刹那。宣告の予測が僅かに遅れれば、間違いなくこの針は内臓を抉り過ぎっていっただろう。

 ゼスファーは自身の判断力に深く感謝し、念の為に『神鎧(ディベスティ)』を纏ったまま次の解決策を練る。受身ばかりではどうにもならない。それにいつ自分の祈力が限界に至るのか、それさえも分からない状況。全力で逃げ、やはりはぐれてしまったアルイロを探し出して彼と合流するべきか。

 ゼスファーは焦燥を叩き押さえ、まずは感情の冷却に最善を尽くした。鉄は熱すれば膨張してしまい、普段噛み合うものも噛み合わなくなってしまう事がある。思考回路もそれと似たようなものだ。感情が昂ぶり思考が膨張してしまえば、正解の枠に入り込むことが出来なくなってしまう。

 目の前にどろどろに熔けた鉄があるならば、その挙動からは決して目を放してはならない。いくら周囲が熱かろうが、己だけは常に氷のように冷静でいなければならない。それが父の(おし)えであり、ゼスファーの日々の仕事の基礎となるものだった。

 対策を考えている間にも、少年は砂塵に紛れて姿を隠し、砂鉄の収集に勤しんでいる事だろう。無防備な収集中はある意味弱点とも捉えられるが、あの少年が体術に心得がないとも限らない。砂鉄を操る不可思議な能力はあくまでも補助的なものに過ぎないかもしれないのだ。加護の全容を理解していないからには、下手に近寄っても組み伏せられるだろう。

「ん……」

 思考の末、ゼスファーはふとひとつの問題に激突した。

(あれ、〝どうやって勝つ〟んだ?)

 目下のところ、それが一番の悩みの種だった。この状況を〝戦い〟と定義するならば、その結果には必ず勝敗というものがついてくる。したがってこの場合における互いの勝利条件は、ゼスファーの死が少年の勝ちとなり、少年の死がゼスファーの勝ちとなる――のだが、そういうわけにもいかないのが本質的な問題だ。

 当然、ゼスファーが相手を(あや)める事はない。如何に相手が極悪人だろうが、その手法で裁く事は世間的にも組織的にも個人的にも許されない。一方で少年にはそのような縛りがなく、彼は世間に不在であり、組織は殺人を推奨し、言わずもがな個人的にも殺人肯定派である始末。

 つまり、どう足掻いてもゼスファーは勝利の条件を満たす事が出来ず、彼の選択肢は敗北か引分けの二択となるのだ。そして再度ここでも選択肢が発生し、敗北(しぼう)は特に個人的に、なにがなんでも許されない。

 答えに行き詰ったゼスファーは、周囲への警戒を怠らぬまま、正答への足掛かりとなるようなものがないか記憶の海を探った。すると浮かび舞う数多の単語のなかに、ふと気になる一節が浮かび上がり、彼はそれを脳内で凝視する。

 それは、浴場でのミナローサ・アルミリアの発言だった。彼女は神の取り巻き、すなわち『神と永刻を頒つ者(ディヴィディオン)』を〝救う〟と言っていた。そして向こうは全力で殺しに来るという理不尽さも。少なくとも彼女が生き残っているという事は、紛れもなく勝利した結果であるわけで……。

 相手を殺さずとも救う方法がある。その方法を突き止めれば、あるいはこの戦いに活路が見出せるかもしれない――――

「一番大事なところを聞き忘れてたな……」

 ゼスファーはあと一歩が足りなかった時のような顔で唇を噛んだ。ミナローサは〝死を回避する鉄則〟が組織にはあるとかどうとかを言っていたのを覚えていたのだ。だがその鉄則を聞いていないからには、再びヴァイロのお世話になるという可能性が薄っすらと彼の脳裏を過ぎる。無論、最悪の場合は世話になるまでもなく墓場行きだが。

「――おれも一番大事なところを聞き忘れてたよ」

 不意に、ゼスファーのやや遠い背後から声がかかる。だがまだ少年の姿は見えない。未だ薄まらぬ砂煙に目を凝らしたその時――

「う……ぁ……」 

 ようやく少年の姿があらわになった。その光景にゼスファーは、まず恐怖や驚愕よりも、おぞましい生理的な悪寒を感じた。

 少年の足元で黒ずんだ池のように揺蕩(たゆた)う砂鉄。その中から這い出るようにして、無数の砂鉄の束が(うごめ)いている。その様相は数多の蛇が鎌首をもたげているかのようで鳥肌が立つ。

「聞くけど、おまえは死にたいか?」

 殺意万端たる狂気の笑顔で、少年はゼスファーに問うた。

「まさか。まだ死ぬには時期が早過ぎる。然るべき時がくるまでは生きて生きて生き続けるつもりだ。これに対して何か言いたい事があるなら全部聞くけど?」

 加護の技術はさておき、会話に関しては一歩たりとも退かないゼスファー。むしろその煽るような姿勢に、少年はなおさら殺意の色を強めた。

「文句はねぇな。ま、その時ってのはあと数分後の話だけどな!」

 それが号令となり、砂鉄の束がゼスファーに向かって一斉に伸びていく。対抗すべくゼスファーは再び剣を加熱させる。

 正面からの間断無き襲撃。剣で処理しきれぬ砂鉄がゼスファーに喰らい付く。纏う光の鎧が、ごぉん、という鐘の音のような独特な響きを謳いながら耐える。『神鎧(ディベスティ)』がある限り、鋭利な先端が肉体を抉る事はないが、ただその衝撃力と量だけはどうにもならなかった。

「くっ……!」

 吸収出来ない衝撃はそのまま体を伝って大地に送られ、後退するゼスファーの足の裏が石畳を掘削していく。なんとか剣で熔かし斬ろうにも、戦闘の素人目ではどれを防ぎどれを無力化すればよいかが全く判らない。順繰りに攻撃してくればまだよいものの、砂鉄の束はどれも異なる角度、そして太さと速さを以ってして不規則に襲ってくる。

 とにかく熔かし、守り、熔かし、守り――幾度となく繰り返そうにも、少年の猛攻は止まない。一見すると無尽蔵にも見える砂鉄の量は、恐らく砂塵に紛れて隠れていた時に集めていたものだろう。先程の休戦時間で得られたものは、少年の方が上回っていたのだ。

(いつまで持つか……!)

 祈力が尽きる気配はない――というよりかはその(きざ)しが不明であるから判断し難い。だが仮に祈力が持ちえども、問題は〝ただの体力〟であった。見たところ、少年側の肉体的疲労は皆無。砂鉄の操作はどう行っているか分からないが、至極簡単な手の動作だけで事足りている事は確か。一方のゼスファーは全身全霊を以ってして無様に対抗を続けている。時間経過が示す結果は一目瞭然だ。

 あっという間に足元には斬り崩した砂鉄の塊が積まれていく。大きさは拳大に始まりそれ程でもないようにも見えるが、〝鉄は重い〟。同程度の石と比べても障害物としての効果は段違いだ。――そして予想されていたかの如く、足回りへの配慮の余裕がなかったゼスファーはそのひとつに(つまづ)き体勢を崩す。

「しまっ――」

 直後、ひときわ大きな衝撃がゼスファーの胸の真ん中を穿つ。

「がっ……は!」

 吹き飛び倒れ伏すゼスファーを少年は心から嘲笑う。

「キハハハッ! そろそろ弔いの言葉でも述べてやろうか!?」

 ゼスファーはすぐに立ち上がりはしたが、体の内部を締め付けるような鈍痛が単純な呼吸すらも困難にさせる。だがその臓腑を揺るがした一撃は、彼の意識を切り替えるきっかけとなった。

「――おまえ…………!」

 痛みに耐え、加護の輝きが薄れているのにも関わらず、ゼスファーは剣を持つ手をだらりと下げたまま無防備に少年を睨み据える。その臨戦態勢に切り替わった彼の憤怒を帯びた視線が、少年の狂気に歪む瞳を射抜く。

 ――瞬間。がくん、と少年の片膝が折れる。そのまま大地に吸い込まれるかのようにして、訳も解らぬまま彼はとある姿勢を強制された。

 それはまるで〝神に(ひざまず)くかのような〟姿勢だった。およそ少年の性格に似つかわしくもない丁重さ。しかも格下と見限っていた相手に向かって(こうべ)まで垂れているのである。加えて加護の輝きも消え失せ、同時に展開させていた砂鉄の束も瞬時に雲散し、騒々しい音と共に地面に散らばった。

 既存の異常が無に帰し、新たな異常がこの場を支配した――――。

(な――まさか、こいつ……?)

 少年は今しがたの不可解不可視の拘束力に〝身覚え〟があったのか、驚愕と屈辱と疑念が複雑に入り混じった(まなこ)で地面を凝視していた。この総身を、魂の()を否応なしに縛り上げるような感覚は――まさか……否、ありえない。絶対に、ありえない。


 ――――こんな女々しい雑魚野郎が、〝末裔(そん)なわけ〟がない!


 先刻までの余裕はとうに消え失せ、少年は胸の内でそんな事を何度も繰り返し、現実の否定に全力を尽くしていた。

 一方でそんな少年の狼狽など露知らず、ゼスファーはゼスファーで新たな混乱に陥っていた。足元はふらつき左目を手の平で覆い、その右目は遠い虚空を見つめたまま。意識は全て、己の左目の視界に注がれている。

「……なんだ、これ……?」

 ゼスファーの視界が、〝緋色に染まる〟――――

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