第十三刻『花の都の遭遇』
フロディエナ大陸南西部、花の都『テアートゥ』。
いたる所に多種多彩な花が咲き乱れ、上空には常に花びらが舞うような文字通り花やかな街。足を運ぶ者を甘美なまでに魅了し、どこまでも麗色を極めるフロディエナ大陸有数の観光地である。冠婚葬祭が絶えない街としても有名であり、婚礼は言うまでもなく、葬儀については『死者の魂は花びらとなり永遠にこの地を華麗に舞う』と謳われる事から、不祝儀であれどこの街で盛大に執り行う人も多い。
昼夜問わず客足が途切れない賑やかな観光地は、本日もまた物売りが観光客に寄り添い、口早に宣伝文句を並べ立てるいつもの光景を展開している。
「さぁさぁ! そこの麗しゅうご夫人様方! 当店一押しのグラッチアの花の髪飾りはいかがですか!?」
テアートゥの大通りにある小さな露店から、店主が手馴れた口調で眼前を通り過ぎんとする美装を纏う女性二人を引き止める。
「まぁ! もうこの街に来て何人に声をかけられたと思いまして? わたくし達をこれ以上前に進ませない気かしら?」
おほほ、と手本のような笑顔の雛形を魅せ、そのまま通り過ぎようとする二人の前に、いえいえいえ、と店主が割り込む。
「ほんの一瞬! たった一秒だけでも構いませんので、この飾りを是非ともおつけになって下さい!」
「まぁ、貴方はわたくし達の一秒がどれだけ貴重なものか知っていらして? この後ある昼食会に出向かなければならないのよ」
女性の一人はちら、とわざとらしく手首に目をやる。もちろんそれは時計を見ているのではなく、ただの無駄に絢爛な腕飾りを見ているだけ、と店主は見破った。加えて昼食だの舞踏会だのといった単語は断りの常套句でもある。
「ですが貴女方の一秒は当店にとっての一生になりえるかもしれませんので」
にやり、と決め台詞を述べ、手にした鮮やかな水色の花が載せられた髪飾りをさぁ、差し出す。
「はぁ、仕方がありませんね。ここまでしつこい店員は初めて見ましたわ」
女性達は苦笑を装いながらも差し出された髪飾りに思わず手を伸ばす。
「おおお! なんと――お美しい……。背景の街が霞んで見えるほどっ!」
店主は髪飾りをつけた女性二人を大袈裟に称賛する。
「ちょ、ちょっとそんな大声で……」
「いやいや、本心からです本心から! 私、生まれてこの方一度たりとも嘘を吐いたことがありませんゆえ! んん、実に美麗! 真に華麗! あぁもはや目に毒!」
美辞麗句を並べ立てる店主に、おろおろと恥ずかしげに周囲を見渡す女性達。だがちらりちらりと周囲の反応を窺っているところ、そうそうまんざらでもない様子である。
「このグラッチアの花びらの枚数は幸運を呼ぶ七枚。花言葉は『優美なる運命』でございます。お二方にぴったりかと。花は夜分まで持ちますので、本日の素敵な出会いに充分貢献いたしますとも」
「まぁ素敵な……。――それで、お値段はどれほどなのかしら?」
こそこそと値段を尋ねる辺り、これはしめた、とばかりに店主は気難しい顔を装う。そしてわざとらしく周囲を確認し、女性の耳元で呟く。
「実はこの花、この街でもあまり見かけない花なんですよ。栽培方法が難しくてですね、多分扱えるのはうちの店だけでして……」
「……確かにそうですわ。こんな綺麗な水色の花なんて他で見たことがありません」
「それに七枚の花びらというのもまた珍しいわね……」
確かに今まで見た事のない珍奇たる花だった。色合いは自然にはありえないほど鮮麗で、花びらの枚数は縁起の良い数と素敵な事尽くめだ。これは今宵参加する舞踏会で相当な威力を発揮するに違いない――と、髪飾りを吟味しているうちに二人の心では欲望が徐々に膨らんでいく。
「でしょう? 在庫も少なくてですね、よっぽど似合いそうな人にしかうちは声をかけていませんよ、ははは」
最後の一締めを言い放ったあと、店主はぱっと指を広げる。それは一般的には諦めざるを得ないような値段だったが、見るからに高級な美装を纏う二人が躊躇うような数字ではなかった。――無論、それを見越した上での客引きだったが。
「まぁ! そんな値段でよろしくって!?」
「しー、しー、静かにお願いしますよっ。もちろんですとも、今だけの価格で!」
提示された値段に驚愕する客の財布の口は、緩むのに一秒とかからなかった。
「またのごひいきを!」
店主は〝偽の花〟の髪飾りを装着して優々と――心なしかさっきよりも大胆に歩いていく二人に恭しく頭を垂れる。
そして、二人の姿が見えなくなった事を確認した店主は、すぐさま商売道具を片付けて〝逃げる準備〟を整えた。さぁ、あの客どもが戻ってくる前に――――。
人混みを縫うようにすり抜け、やがて人気の無い街外れの路地裏に辿り着くと、店主はそこで高らかに笑った。
「いやぁ、今日は売れたな。くくっ、騙されやがって。グラッチアの花? そんなもんこの世に存在しないね!」
そう、店主が販売していた花は偽物だったのだ。通常の花に色を塗り、花びらの数を変える。騙しとしては単純だが、得意の言葉遣いで惑わせ、客を不安にさせない。この店主は紛れも無く、この街に蔓延る神出鬼没の詐欺師達の一人だった。
別段、花に細工を施すなど大した事ではない、と思われるかもしれないが、この街ではそうはいかない。自然に度を越えた細工を加えて販売する行為は、この街の規律に真っ向から反しているものだ。自然のあるがままに――それが花の都が独自に定める法律である。テアートゥで自然のものを販売する以上は、定められた法令に従い所定の検査に通らなければならない……わけだが。
「は、馬鹿馬鹿しい。売ったもん勝ちさ」
世に真っ当な人間ばかりがいるとは限らない。善の集団のなかには悪が必ず点在する。それはどこの世界でも変わらぬ定め。集合体である以上、綻びは必ず何処かにあるものだ。
「…………!?」
少なくとも全体的に見れば悪である店主は、不意に何かの異変に気付いて周囲に目を凝らす。警備のヤツかもしれない。運が良ければ同業者、悪ければひとっ走りするハメになる。
花の都とはいえども、花の清純さが及ぶのはあくまでも表面のみ。さすがに薄暗い路地裏程度は警備の目の届く範囲だが、暗黒の臭気が漂う路地裏の裏までは、さすがに警備の手も回らない。言い換えると、近付きたくない、が本音ではあるが。
店主がいつも退路に利用している街外れにある路地裏は、彼が調べる限りは警備の巡回対象外だった。したがって今ここに誰かがいるという事は、同業者か道に迷い込んでしまった観光客の二択。まぁ、どちらにせよ焦る必要はない。
「……ちっ」
しばらく経っても無反応なので、舌打ちひとつで店主は路地裏を去ろうとする。早く帰って金の勘定だ――とにやけたその時、背後から野太い声をかけられた。
「花が欲しいんだが」
「は?」
驚き、反射的に声が出る。しまった、と口を閉じるも一度出してしまった声は戻らない。
建物の影から声がもう一度聞こえてくる。
「俺は花が欲しいんだが」
店主は見えない声の主に一瞬怖気付いたが、詐欺師が怖がっていてはしょうがない。
(なんだ、観光客か……)
声の主は花を欲しがっているあたり、ほっと胸を撫で下ろす。そして店主はいつもの口調で商売を始める。本来なら訝しむべき状況だったが、本日の売上に気を良くしていた店主は警戒心がいくらか緩んでいた。
「花ですね。もちろん販売いたしますとも! 今日はグラッチアの花がお勧めですよ。いやぁ今日は売れちゃって売れちゃって……はは」
言って店主はごそごそと手持ちの鞄から瓶を取り出し、その中からおよそ自然の色とは思えないほどに鮮やかな水色の花を取り出す。
「あぁ! よかった! ちょうど残り一輪ありましたよ。どうです? 一度ご覧になっては?」
花を高々に掲げて勧めると、建物の影から白い装束を纏った大男がぬっと現れた。
「――っ!?」
僧侶のような坊主頭。両耳にはずらりと列を成す黄金のイヤリング。現れた見るからに厳しい顔つきの男は花と店主に交互に視線を向け、何かに気が付いたのか不愉快だとばかりに顔を歪める。
「そいつは偽者だな。俺ぁ、〝本物〟の花が欲しいんだよ。そんな偽善者気取りの可愛げもない花を、おまえは一体誰が買うと思ってるんだ?」
圧し掛かられるような威圧感と共に、徐々に大男が店主に近付いてきた。その屹立する山のような光景に店主は途端に酷く萎縮する。
「に、偽物だって? く、くっくっく、見分けがつくのか? あんたはどこの花屋だってんだ?」
落ち着いて精一杯の虚勢を張るも、店主の頬には冷えた玉汗が転がる。間違いなくこの人物はこの街の人間ではない。いや、もしかしたら人間ではないのかもしれない――――。
「ひとつ言っておくが、俺の『授かりし加護』はおまえが吐く嘘を全て暴通す。今までの嘘の履歴もな。手に取るように分かるぞ、おまえの汚い嘘が」
「か、加護……? 嘘の履歴……? い、いったい何を言ってるのか分からないんだが?」
店主の疑義を黙殺し、ぐりん、と巨大な――僅かな白い輝きを帯びた黒目を動かして、男は怯える店主の胸中を探るように睨む。その今にも自分を襲いかねないような強烈な視線に、店主は腰を抜かして地べたに尻餅をつく。
「分かったところで何が出来る? まぁどうせおまえはもう花びらとなるんだからな。せっかくだからいい事でも教えてやろう」
「な、何をだ……?」
「――嘘を吐いてはいけない、という事ですよ、店主さん」
たん、と店主の背後で軽やかな着地の音がした。
振り向くと、大男と同じ白い装束に身を包む長髪の男性がいた。その男は細い銀縁の眼鏡の奥から、咎めるような視線で店主を見据える。
「あ、新手の警備か!? なんの用だ!?」
無論、用件は百も承知している。しかしいつも追われている時と雰囲気が明らかに違う。
「警備? あらら、ではもしかして〝さっきの〟が警備さんだったのかもしれませんね」
長髪の男は腰元から己の容姿に似た細長い剣を抜き、店主にじり、と近付く。その切先に僅かに見える朱色の汚れに、店主は恐怖を禁じえない。
「――ひ、な、なんだってんだ!? お、おい! 人殺しは重罪だぞ!」
必至に糾弾する店主の言葉に、長髪の男は思い出したかのように眼鏡のつるを持ち上げる。
「人殺し? あぁ……そういえば、この街では〝その花も殺人と同等の罪〟だと聞いていますが?」
またも咎めるように男は店主を見据える。彼の言う通り、確かに自然の改変と販売はこの街で行う限りは死罪も同然。だからこそこの街はいつまでも自然のあるがままの清らかさを保てる。
「し、知らねえよ! そんな法は無い!」
「嘘だ」
ただ一言、大男は死刑宣告のような厳粛さで間髪を入れずにそう告げる。その一言が決定的に何か空気を変えてしまった事に店主は気付く。
「あら、この期に及んで今のも嘘でしたか」
呆れたように長髪の男が首を振ると、持っている剣が空腹を訴えるかのように低く唸り響く。
「……わ、わかったわかった、〝何でもする〟……! だから命だけは……!」
その本心からの訴えに、ようやく大男は満足げに嗤った。店主はその笑みに安堵しかけたが――――
「なんだ、〝それも〟嘘か」
直後、予告無くして鈍い光沢を放つ剣が素早く真一文字に振り払われる。
「がっ――――」
店主の声帯は断末魔ごと胴体と完全に切り離された。僅か、一秒にも満たぬ寸劇。
「私らにとっての一秒は、あなたにとっての一生。ほら、一秒ってとても貴重でしょう?」
ぱぱぱ、と血飛沫が驟雨の如く大地に降り注ぐ。数秒前まで人間だった店主は、今や朱色の水を撒き散らしている噴水と化している。齢四十過ぎの男の最期は、ほんの一秒にも満たない刹那の処刑に終わった。
長髪の男は懐から布を取り出すと、まだ生暖かい熱を保持している血液を丁寧に拭う。対して大男は不機嫌な様子を隠せずにいた。
「おい、俺がもらうはずだったんだぞ、フロンツェ!」
「そうがならないで下さいよ、ベニグイ。花の種も、時間の種も、この街には沢山ありますから。別に、この人に価値があるわけでもないでしょう? それにあまり騒がれたくないのなら私が〝声を消して〟あげたほうが」
「…………ふん、まぁその通りで間違いはない。今のは〝刻の稼ぎ〟じゃなくてただの個人的なものだ。尋常じゃねぇ〝嘘の履歴〟がこいつに視えたもんでな。――俺は、嘘吐きが大嫌いでね」
未だ規則的に血飛沫を吹き上げる、人間だったものに向かって大男が吐き捨てるように言った。
「よし、さっさと花を買いに行きてえな」
酸鼻極まりない光景に背を向け、状況に全くそぐわない内容を口にしながら二人は路地裏を去ろうとする。
「ベニグイ、あなたに似合う花があるといいですね」
「てめぇ、それどういう意味だ?」
ベニグイと呼ばれた大男は、フロンツェという名の男に噛み付く。対するフロンツェは肩を竦め、違いますよ、となだめる。
「あなたと釣り合うほど素晴らしい花は存在しないでしょう、という意味ですよ」
「……おまえ、俺の得意な加護を知ってるか……?」
「ええ勿論。あなたは見た目に反して清い。でもいい加減あなたは嘘と冗談の区別くらい出来るようになってもいいと思いますが」
「ふん、余計なお世話だ。難しいんだよ、〝嘘と冗談の境界〟ってのはよ」
◇◆◇
――――此処は、テアートゥ中心街。
数多の商人と観光客でひしめき合っている中心街は、舞い狂う花びらによって虹のように彩られている。風が吹けば空高く舞い、歩けば足元で淑やかに舞い、息を吹きかければそっと舞う。道端に連なって咲く花はどれも爛々と己を主張し、人々はそれを眺めているだけで一日を終えてしまうほどだ。
それは突然の出来事だった。真昼の日差しが強まってきた頃、激しい爆発音と胃の底を揺るがすような衝撃がテアートゥ全土に響いた――。
「何だ? 爆発か!?」
「水だ! 水を用意しておけ! 警備ー!」
突然の出来事に中心街は大混乱に陥った。砂煙は街外れの建物から立ち昇っており、既に僅かながら火の手が見える。その騒ぎに街を巡回していた警備員は一斉にそこへと向った。
何事か事態を把握出来ていない観光客は、我先にと街に立ち並ぶ店内に避難する。今やがらがらに空いた中央通りを、軽鎧を身に着けた警備員達が大慌てで事故現場へと走っていく。
「一体あれはどうしたの?」
「花火ですかね?」
避難した人々は口々に尋ね合う。
「きっと太陽光で何かが自然発火してしまったのかもしれないわ。あの建物は倉庫ですから、何があるか分かりませんし……引火したのかも」
避難した人々はすぐに消火活動が終わる事を願いつつ、今や轟々と燃え盛る建物を遠くから眺めていた。
「あ! おかーさんあれ!」
避難した店内から外を眺めていた少女が唐突に声をあげる。
「どうしたの?」
「ほら、きれいな光る花びらがふってきたよ!」
声に釣られて店内にいたほとんどの人物が目を凝らす。――見ると、上空からぶすぶすと黒煙を上げながら燃え落ちてくる無数の花びらの姿があった。その姿に人々は苦悶の声をあげる。
「まぁ……なんと……。可愛そうに。早く消化が終わってほしいですわ」
誰もがそう願っていたその傍ら――――
だん、と燃え落ちた花びらを踏み潰しながら、数人の白い装束を纏った人物達が街の中央通りに現れた。
◇◆◇
「ほうら、警備が手薄なこった。俺らの頭が良いのか、警備の頭が悪いのか。今のうちさっさと奪っちまおうぜ。幸い人間どもは全員店の中に固まってる。手間が掛からずに済む」
「キハハッ、凄い人数だなこりゃぁ。どいつから奪っちまいますか? 隊長」
現れたのは三人、そのうち二人は既に店の中にいる人々を楽しげに観察していた。
隊長と呼ばれた人物は、そんな二人の肩に手を置き、強制的に道の正面に向かせた。
「さて……来たぞ、奴らだ」
三人の視線の先、中央通りの正面には彼らと同じ装束を纏った人物がいた。数は二人。坊主頭の大男と、腰に剣を携えた長髪の男。
「なんだ、二人じゃん。どこの神仰組織のヤツらだろ?」
「さぁな。少なくとも俺らの所属とは違うな。どうしますかい? 隊長」
「無論、〝より価値のある命〟は奪うまでだ。行くぞ――」
斑に揺らぐ黒煙のような光をその身に纏い、『神と永刻を頒つ者』は『神と永刻を頒つ者』に向かって歩き出す。
◇◆◇
「おいフロンツェ、ありゃうちの組織のモンじゃねえだろ?」
ベニグイは道の先からこちらに向って来る三人組の姿を確認する。
「でしょうね。ほら、真ん中にいるあの子。あんな子供は見た事がない。あの爆発はあちらがやらかしたようですね。策士か、あるいは祭り好きか」
「ちっ、どっちにしろ面倒くせぇ事やらかしやがって。こっちを誘き出そうって考えだな」
「我々が〝買物〟にきているのは知られていたようですね。では行きますか――〝より価値のある命〟を頂きに」
歪に奔出する闇光をその身に纏い、『神と永刻を頒つ者』は『神と永刻を頒つ者』に向って歩き出した。