椚〈惨殺〉①
〈茜〉
昨日に引き続き、ミニスが加わった昼休みは、やはり……今まで以上に賑やかだった。
「あー寒くなってきたなー」
そう呟いたのは苗だ。声色には哀愁が滲んでいる。
「そーだなー」俺も黒板を見据えたまま、背後の苗へどこか気の抜けた声を返す。
ミニスは先程、トイレいってくるー。と恥ずかしげもなく喋り、そのまま席を離れていた。
「なんかこうさぁ……」
「なんかそうだよなぁ……」
ぼんやりと、俺達の会話は流れていく。
「鍋とかさぁ」
「鍋だよなぁ」
振り返り、苗の席に肘を立て頬を載せる。
「え、なになに?鍋やるの?」いつの間に戻ってきたのか、ミニスは俺の座る椅子にぎゅっと尻から割り込んで、輪に交わる。
「そうだなー鍋でもやるかー」
俺と苗はつるむ様になってから、時々、こうしてその場のノリで何かを実行していた。
お互いに暇なのだ。
たしか前回は、焼き芋だったな。
アパートの駐車場で焚き火を起こしたら、大家さんに怒られたっけ。けど、結局、その後は一緒になって芋を焦がしてたな。
あの人、根が悪ノリ好きだから。
「茜んちな」
生気がみなぎってくる。先程までのだらけきった意識が、とろんと重たくのしかかっていた瞼が、まるで嘘のようだ。
やるべき使命を思い出し、覚醒した俺達の道を阻むものは、もはや何処にもいない。
「おう、よっしゃ鍋やっぞ!!」
「いえぇぇい(おぉーっ)」苗とミニスが同時に、力強く拳を掲げた。
「鍋。おいっ、菜子!!鍋だ!!」
「えっ?鍋がどうしたの?」
突然の招集に、離れた席でクラスメイトと談笑していた菜子は目を丸くしている。
「だから、鍋やるぞ!!今日も教育支部行かないんだろ?」
「そうだけど……って、ちょっと待って、話がよくわからないわ」
菜子も俺達の席まで近付き、空いていた椅子に座った。
「皆でスーパー寄って、そのまま俺んちで鍋だ!!」
「あ、茜君の、い、家で?え、えぇ!?」
どうやら呼び捨てにして貰えるまで、まだ時間が必要なみたいだ。
「いいじゃん、あたしも今日はオフだしさぁ!!鍋やってみたいなー」
「ミニスは茜の家に遊びに行きたいだけだろ?」苗がすかさず茶化した。
「もちろん」あっさりと認めやがった。こっちが反応に困るわ。
「菜子さぁ、ピノとかトルテの連絡先は知ってる?」
「ピノ君の電話番号なら」と、数字の羅列を唱え出す菜子。あれ、市外局番から?それ、自宅じゃねぇか。ピノは携帯電話とか持ってねーのかな。
「あいつらも誘ってみてくれないか?折角だし、この前の……」と、そこまで口にしかけて、俺ははっとなり苗の様子を探った。
「ん?教育支部関連?」
「あ、あぁ。いや、可愛い奴らなんだよ」間違ってはないよな。どっちも可愛いし。ただ、ちょっと可愛いのベクトルが違うだけで。
「お、そうなの。じゃあ歓迎だ」なんか、げすいぞ。
「なえーなんかげすっぽいよー」あ、ミニスも同じ事を考えてた。
「だってよー、菜子ちゃんもミニスちゃんも茜一択じゃんかよー。なんで、こんなシスコンコスプレサボり魔がモテて、俺はモテないのさ?」
おい、シスコン以外は余計だ。
「えへへー照れますなー」
「苗君!?い、いきなり、なにをっ!?」
こうして話していると、菜子は……姉である叶子さんに憧れて、わざと斜に構え、彼女なりの大人っぽさを演じてんのかなとか思ってしまう。
そのメッキが剥がれてしまえば、案外、どこにでも居そうな普通な女の子な気がした。
衰えを知らず、増して迫る冬の気配。
皆の吐く息は白くもやを残し、一様に頬は赤みを帯びてつっぱっていた。
俺が借用しているアパートは押切駅西口から徒歩5分。
高層マンションが建ち並ぶ大通りから、木造公園を抜け、緩やかな傾斜が伸びる遊歩道の脇にひっそりと成りを沈めていた。
駐車場は貸し切り状態で、自転車はアパートと敷地の壁とに挟まれた細い隙間にぽつぽつと、数台が斜めに寄り掛かっていた。
敷地隅に息衝くいちょうの樹が紅葉を積らせている。
「あ、ちょ、ちょっとだけ待っててくれ」
不意に足を止め「おい、苗」と俺はミニスを挟んで隣に立つ悪友へ耳打ちした。
「お前の持ってきた、あれとか、これとか、あんなのとか。部屋に置きっぱだった。どうしよう」
「うん、いいんじゃないかな。茜のものだって事にしておけばさ」
「よくねーよ!!」
どうしたの?と背後から菜子に様子を探られる。
横目を向ければ、視界にはごつごつと膨れ上がったスーパーの袋を片手に小首を傾げている菜子と、その斜め後ろに続くはトルテを両腕に抱えるピノの姿。
「ん、もしかしてえっちぃやつ?」ミニスが俺達の動揺を悟って、あざとく口を挟む。
「そう、茜たんも年頃の男の子だからねぇ。しょうがないねぇ」
冤罪じゃねーか。
「よしわかった。今すぐ全部燃えるゴミにまとめよう。どうせ葵が遊びに来る前に処分するつもりだったんだ」
「ちょーっと待ってください。茜さん、ほんとすみませんでした。せめて、家庭教師ものだけは持ち帰らせて」
「うわっ……なえ。ひく……」
「ち、違うって。よし茜。とりあえず俺達だけ先に部屋に上ろう」
「そうだな。皆わるいっ!!ちょっとだけ部屋片してくるから、ここで待っててくれ」
「う、うん」「ハーイ」「にゃあ」と菜子達の返事が細切れに続く。
「いや、ミニス。お前はついてくんな!!」
「えー」
ぶうっと頬を膨らますミニスを説得し、俺と苗は一足先に六畳一間の掃除へ取りかかるのだった。
━━順序が滅裂だが、俺は先にスープを張った鍋をコンロの上に設置していた。
「クロワッサン投下ぁー」
や、め、ろ。
「だったらボクはランチョンミートデス!!」
張り合うなっ!!ってか、そんなの買ってきてたの?おじさん、知らないよ?
「枝豆も美味しいにゃよ」
おいぃぃぃ。なんで枝豆?そのまま入れてどうするつもりなの?ねぇ、どうするの?茹でるの?
一息つく間もなく、無言のツッコミに徹する。こいつらだけは全力で阻止せねば。
好き勝手やらせてたら鍋どころじゃなくなる。
鍋って、確かに色々ぶっこむのが醍醐味でもあるけど、それはやり過ぎだ。
苗は、結局、ミニスの介入によりお気に入りの丸秘ビデオを慌ててゴミに捨てざる得なくなり、部屋の隅で膝を抱え意気消沈としている。哀れだ。
菜子は台所に立って、手慣れた様子で包丁をまな板の上に躍らせていた。
土鍋とカセットコンロは引っ越すときに透叔父さんが送ってくれたものがそのままおよそ一年、台所下に眠っていたのだ。
豚肉に白菜、豆腐、長ネギ、えのきに鱈の切り身など。俺は鍋として思いつく限りの食材を買い揃えていた。
放課後、ピノとトルテが無事に合流し、道なりのスーパーで買い物をしてきたのだが、興奮気味になって、それぞれが別会計で好きな物を買うなんて提案したのが失敗だった。
「お前ら、ストップ!!落ち着け。まだ米も炊いてないし、下準備の途中だろ?クロワッサンはそのまま食べろ。ランチョンミートは知らん。持って帰れ。枝豆は茹でてやるからちょっと貸せ」
口早にそれぞれへ指示をあて、俺は土鍋に蓋を翳した。
「あかねー。あたし知ってるよ。それさー鍋奉行って言うんでしょ?」
こんなんで鍋奉行とか呼ばれたら、生粋の鍋将軍様に激憤されるぞ。
「そだ、ミニス。ピノ達とゲームでもやってろよ。おい、苗、なんかてきとーに遊ばせてやってくれ」
「……どっか中古屋に行けば見つかるかな……いや、この際、ネットで……」
「苗!!戻ってこい!!今は忘れろ!!お前の好きな家庭教師はもう居ないんだ!!」
「……ぐすん」
よぼよぼとテレビ近くまで這いずる苗の背中が痛々しい。哀れだ。
ミニス達の視線が土鍋から逸れるのを見届けて、俺は台所へ立った。
「悪いな、菜子。なんか任せっきりで」
「別にこれぐらい平気。いつもお姉ちゃんのご飯とか私が作ってるから」
「叶子さんは料理しない人なのか?」
「お姉ちゃんは食に薄いの」
「食に薄い?」
「えっと、無関心っていうのかな。栄養食とかサプリメントだけでも困らないというか、美味しいとかはちゃんと言ってくれるんだけどね。どこか形式的なの」
台所はガスコンロが一設に、まな板が載りきらない程度の僅かな空間を挟んでシンクが空いているだけのこじんまりとしたものだ。
だから、二人で並ぶと、どうしても窮屈さが前面に押し出されてくる。
俺は米を研ぎながら、菜子の包丁捌きを観察していた。
微かに肩が触れ、びくん。と菜子の体が弾む。
「あ、悪い」
「う、うん」
とんとん。と長ネギの繊維が斜めに切断され、菜子の手の平の上で、豆腐にすっと包丁の刃が通る。
炊飯器に窯をセットし、蓋を閉じる。
台所に戻ると、あらかたの下準備が終わっていた。
「それ、どうしたの?」
俺は枝豆をさっと塩揉みし、頭上の収納扉から金属の小鍋を取り出す。
「あぁ、トルテがピノに買わせてたみたいなんだ」
「へぇ、枝豆が好きなんだ」
猫の好みは飼い主に似る。とか、どこかで聞いた事がある。
なんでもインドの猫はカレーを好むとかなんとか。
「トルテって、飼い主とかいるのかな?」
「えっと、〈ヒーロー五人伝(あの日)〉からはピノ君のお家にお世話になってるみたい。それまでは野良だったんだって」
「ピノは……」と、俺はさりげなく、ゲームに熱中している美少年をちらりと見やった。
「……おばあちゃんと二人で暮らしてるみたい」
「そうなのか」
菜子の声音には、軽々しく事情へ踏み込ませない。一種の拒絶感が伴っていた。
あの年齢で過適合してるというのは、やはり、それなりの過去に起因するのだろう。
ただ平凡と日常を過ごしていたのなら、きっと過適合者などには至っていないと思うからだ。
ミニスもピノも……なんだろ。過適合者ってなんか暗欝とした過去を背負ってる奴が多いのかな。
昔、〈災厄〉にて記憶を失った俺は、葵に救われるまで自暴自棄に陥っていた。
誰かの手を借りなければきっと這い上がってはこれなかった気がする。そんな弱い自分が……今は少しだけ恥ずかしかった。
坦々仕立ての鍋はまろやかな辛さが癖になる美味しさで、俺達を芯からほっと暖めてくれた。
叶子さんやおばあちゃんが心配するからと、夜が深まる前に菜子達は俺の部屋を後にした。
苗もまたよくわからない気配りを発し、菜子達を追うように帰った。
皆を見送り、ぽつりと駐車場に取り残された俺とミニス。
寂れた街灯がじんわりと影を伸ばし、お互いの表情を薄闇に浮かび上がらせていた。
「ねぇ、あかね」
「ん?」
「今日はありがと。すごく楽しかったよ」
「ならよかった」
「菜子から聞いたんでしょ?」
「何がだ?」
はぐらかす。
「いいよ、遠慮しなくて。あたし、今は一人なんだ」
母親は病に伏して息を引き取り、父親は〈災厄〉にのまれたと。菜子が話した通りの事情を、ミニスはぽつり、ぽつりと明かした。
「今日の鍋もさ、みんなの為にやったんでしょ?きっと嬉しかったと思うよ」
意外とそういった優しさには鋭いらしく、俺と苗の結託を的確に見抜いていた。
「まぁ寒くなってきたし、美味しいものを食べたかったのも本当だけどな……どっか食べに行った方がよかったか?」
「ううん。いつも外食ばっかだし、こうやってお家に集まってさ、皆で食べる方がずっと美味しかった」
しみじみと吐息をもらすミニス。
「あかねってさ、〈災厄〉で、その……記憶を失ったって、菜子から聞いたけど。本当なの?」
「あー、本当だな」
「そっか、やっぱりそうだったんだね。ちょっとへこんでたんだけど、よかった。あたしの勘違いだったんだね」
「……どういう意味だ?」
「ひみつですー」
ミニスは満足そうに瞳を潤わせ、えへへーと頬を緩めている。
「よくわかんねー奴だな」
「今はそれで結構だよー。……あたしさ、京都で召還令が届いたとき、めんどくせーって思ったんだ。でも、今は違うよ。押切区に引っ越してきてよかった」
今度はぱぁっと咲き誇る花弁のような、満面の笑み。
ころころと変わる少女の感情の豊かさは、俺が〈災厄〉で欠け落としてきた『人間らしさ』を微かにだが、思い出させてくれた。
「あたしさ、あかねの事。好きかも」
あまりにも突然の打ち明けに、思考が乱される。
「ちょ、そういうのは、もうちょっとな、こう……仲良くっつうか、お互いの事をもっと知ってからだな」
「あははー、なに爺臭い事言ってんのさ。今はフラグって言うんだよ」
「爺って……」
「じょーだんだってば!!」
八重歯を尖らせて、挑発的な眼差しを真っ直ぐに向けてくる。
目を逸らせずに無言で見つめ返していると、ミニスは唇をきゅっと噛み締めた。
唾液に濡れて艶やかな湿っぽさを纏う唇の表面。
明媚さを滲ませる沈黙が、徐々に鼓動を早めていく。
じっと強張ったまま立ち尽くす俺を、ミニスは上目遣いに見つめていた。
しかし、やがて。それ以上は望めないと察したのか、表情を和らげると、いつもの彼女らしいおどけた調子で声を上げた。
「そんじゃ、今日は帰るね。あ、今度さ、あかねの大好きな妹ちゃん、あたしにも紹介してねー」
「……そうだな。紹介するよ」
じゃーねー。と後ろに結んだ金色の頭髪を薄闇に煌かせ、離れていく背中。
「ミニスっ!!」
「なにー?」
彼女は振り返らずに足を止めた。
「……また明日な」
「おうよー」
稀に見せる男勝りな口振りを残し、ミニスは視界から去っていった。
呆然と。さっきのミニスの言葉をひとつひとつ反芻していると、懐に忍ばせていた携帯機器が小刻みに震え出した。
引っぱり出してみると、着信画面には古賀大臥の文字。
「……もしもし」
『茜君かい?僕だよ、大臥だ。今、大丈夫かな?』
「大丈夫ですよ」
やや空白の間を置いて、向こう側で大臥さんが深く息を吸うのが聞き取れた。
そして、神妙な声色で、大臥さんは切り出した。
━━君に話したい事があるんだ。明日にでも会えないかな?