橙〈風凪〉②
〈茜〉
「ちょっと茜君!?どういうつもり!?」
漂白された測定室に姿を現した俺の元へ、足早に菜子が駆け寄ってくる。
「どうもこうも……無茶いって入れて貰ったんだ。菜子、よろしくな」
「馬鹿なの?」あ、ひどい。
「偏差値はまぁ……平均より下ぐらいかな」恥ずかしいこと言わすなよ。
「そうじゃなくて……」呆れて項垂れる菜子。
「わー、スーツのお兄さん。お久しぶりデス!!」
ピノが瞳を輝かせて、俺を見上げている。
無垢な眼差しになんだか罪悪感が……。
「夕藤茜だ。よろしくな、ピノ。それに、トルテ」
「よろしくしてやるにゃあ」
尻尾をふりふりと左右へ揺らしながら、二本足で立つ虎縞のトルテ。やっぱ可愛い。
「茜君、でもEinsは?」
「あぁ、ほら」と、俺は右人差し指に通した指輪━━Einsを掲げる。
━━いいかい?これは護身用の名目で開発された疑似剣型のEinsだ。適正訓練をまったく受けていない君の場合、変化は保てて精々……3秒といった所だろう。
「それ、Einsなの?」
「みたいだな。大臥さんが貸してくれた」
「ねー、もう変身しちゃってもいいのー?」
待ちくたびれたのか、ミニスが前髪をくるくると弄びながらこちらへ呼び掛けている。
「ってか、あかねも参加するの?」
この女、随分と馴れ馴れしいな。今に見てろよ。一泡吹かせてやる。
「ちょっとだけ待ってくれないか?ミニス、〈七極彩〉なんだろ?俺達に話し合いぐらいさせてくれ」
「まぁ楽しめればなんでもいいけどさー」
頬を膨らませて不貞腐れてるミニスを横目に、俺は皆へ訊ねかけた。
「お前らのEinsについて、手短に教えてくれ」
〈藍〉
「なぁ大臥」
液晶画面に映る茜君達は輪を成して、なにやら話し込んでいる。
一人離れて佇むミニスはふてぶてしく腰に手を当てて、遠巻きに茜君達を眺めていた。
突然の模擬戦を目前に控え、七色機関の男性も機器の最終チェックに没頭している。
本来、模擬戦闘には専用の別室が用意されている。が、対Eins用に補強されている測定室でも然したる問題はない。
私はあまり好まないが〈七極彩〉の権限を行使すれば、七色機関において大抵の無茶はまかり通る。
名を呼ばれた、古賀大臥が「なんですか?叶子さん」と反応を示す。
以前に彼と会ったのはいつだったかな?
たしか〈罪色樹〉関連だった記憶がある。
「ピノ君、それにトルテ。あの二人のEinsはどういった類の変身なんだ?」
菜子のEinsについてはよく把握している。
あの子には、〈浮力〉と呼ばせていた。
幻想的な変身姿にはあまり結び付かない、派手さとは少し離れたEinsだ。
帯刀している細剣にて触れた対象の重力を消し去る。
今の時点で菜子が見せてくれたEinsはその程度でしかない。まだまだ先は見込めるし、真価は別にあるのだが。
「ピノ君のEinsは〈薄氷〉と呼んでます。要は氷結に特化したEinsです。それから、トルテさんの方なのですが……彼はやや特殊で。僕は便宜上〈可視〉と名付けました」
「可視?」
「えぇ、本人の口振りから推測するに、どうやらトルテさんは過適合状態だと、本来は目に見えない……Einsの波長みたいなものが視認できるみたいなんです」
なるほど、ESP系統か。
過適合者における超感覚的知覚━━ESP系統のEins比率は割と高い。
一般に言われる〈透視〉や〈予知〉などだ。
大臥の〈念火〉もそうだが、超能力としても括られるEins過適合者は『ヒーロー』全体の6割は占めているだろう。残り3割が過適合すらしていないEins本来の通常変化を駆使するタイプだ。
で私やミニスみたいに他者へ類を見ない、あるいは規模が常軌を逸している例外的な過適合者は〈七極彩〉を除けば、七色機関には数えるほどしか在籍していない。
また、独立して立ち回る過適合者の場合は、比率が反転し、どちらかといえば〈七極彩〉側に近い変身をする過適合者が多いと聞く。
まとめて私達『ヒーロー』はEinsの元に超常現象をいとも容易く起こす。しかし、それ故か、警察には毛嫌いされている訳だ。
Einsによって肥大化し過ぎた七色機関は、最早……一組織の域を抜けている。頂点である〈三森〉は国内にて幅広く根回しをしていると噂されているし、その疑惑を裏付けるような実例も確かに残っている。
私は未関与だったが……〈鬼祭り〉の収束でも、不可解な点は散漫と見つけられた。
唯一の『ヒーロー』側生存者とされている〈紫〉のあの子は重度の寡黙少女だから、私もあえて掘り返さないのだが。
「珍しい類のEinsではあるけどね、相手がミニスとなるとな……視えていても、どうにもならないかもしれないね」
「ミニスさんのEins……叶子さんは見たことあるのですか?」
と、今度は大臥が探る様な視線を私へぶつけてくる。
「まぁね。あの子もまだ16歳だから……どうも、自身の理解が追いついていないようだけど〈七極彩〉としては充分過ぎるEinsだ」
「聞いても?」
「構わないさ。これから嫌でも見せつけれるものだ……〈風凪〉。一応はそう名付けられている。私としては〈動静〉とでも表現した方がしっくりくるけどね。ミニス本人は〈風凪〉という字面がお気に入りらしい」
「動と静ですか?」
「そう。あの子は周囲の流れや圧に干渉できる。好んでいるのは風だが、あの子はたぶん、もっと高次元な干渉を可能としている筈だ」
「周囲って、どの程度ですか?」
「目測で5m前後だと言われている。けど、それは、あくまで直接干渉する場合に必要な距離だ。あの子は圧縮した空気を弾丸として撃ち出す芸当も見せているし、〈風凪〉の干渉範囲と、彼女の攻撃範囲とは同義じゃない」
「菜子ちゃん達は勝てると思いますか?」
「無理だな」
即答する私に対して、大臥は口を半開きに、困惑した様子を覗かせている。
一言だけ、私は訂正を加えた。
「もし勝機があるとすれば、それはミニスにEinsを酷使させ、解除を強要させるぐらいだろう」
だとしても〈七極彩〉の冠は飾りじゃない。
ミニスだってEinsの弱点は重々承知しているし、必要最低限の行使だけで戦う努力もしている。
私やミニス、灯真や蒼乃介、それに洸でさえも……私達は『ヒーロー』の最高峰として、
そこには〈七極彩〉を誰にも譲らない価値が、確かに秘められているのだ。
〈茜〉
「……待たせたな」
俺は一歩前へ踏み込んで、ミニスに呼び掛けた。
「ホントよ。じゃあ始めよー」
おどけて喋り、ミニスは再び髪を振り解いていく。
「……チェンジ・オーバーっと」
〈七極彩〉の変身に当てられて、こちら側も掛け声が重なる。
「それじゃあピノ、頼むな」
「はいデス!!」
先制の役目はピノが負っていた。
胸ポケットに忍び込んでいた伸縮性の指揮棒を取り出し、一振りに翳すピノ。
瞬く間に室内が薄氷に覆われていく。
前以って測定室で大臥さん達と一緒にピノの適正値を望んでいて助かった。あの二人の驚きを見ていなければ、ピノの潜在を信じ切れなかっただろう。
まだ〈七極彩〉には及ばないだろうが、まさしく天才だ。そう思えるほどに、瞬く間に視界が白銀へと染まっていく。
胸の昂りを抑えつつ、俺は仕込みが整うのを待つ。
冷気による薄霧が立ち込め、視界がおぼろげに霞んでいく。
「準備おっけーにゃあ!!」
トルテが叫んで、ざっと俺の胸元へ飛び込んでくる。
俺はトルテを両腕に受け止めると、抱えたまま力強く床を蹴った。
一歩目で靴裏が薄氷を滑り、慌てて姿勢を繕う。
「しっかりするにゃー、尻持ちついて終わりだなんて嫌にゃよ」
「だな。そんじゃ、指示よろしく頼むぜ」
駆け抜ける左右を、ピノの氷片が過ぎ去っていく。
ピノが足元より氷柱を伸ばし、それを菜子が細剣で切断、投擲しての援護だ。
薄霧に紛れたミニスが愉快そうな声色を響かせている。
「わくわくするなー。どっからでもかかってきなよー。真っ向からぶっ飛ばしてあげるからさっ!!」
「しゃがむにゃあ!!」
トルテが一鳴きし、半ば転倒する勢いで、俺は咄嗟に屈み込んだ。
援護のつもりで投擲させていた氷片はミニスの正面で粉々に砕け、そのまま逆流する如く、こちらへ炸裂を浴びせる。
節々に被弾するが、強引に前へ切り込む。
しかし、俺の接近を目視したミニスは八重歯を尖らせて、不敵に微笑んだ。
縮まった距離に反して、全身が突風に襲われる。
模擬戦開始前の測定室内部はほぼ無風だった。
菜子が説明した通り、ミニスは風圧の操作を得意としているらしい。
正面から吹き荒ぶ風に煽られ、俺の前進が止まる。
「今なら潜り抜けれるにゃあ!!」
真っ赤なヘルメットを被ったまま、トルテが告げた。
「失敗したらごめんなっ」
「枝豆で許すにゃ」
風が静まるのを見計らって、俺は力の限り、トルテを頭上へぶん投げた。
そして、叫ぶ。
「菜子っ!!」
そして、踏み出す。
突然、放り投げ飛ばされたトルテに双眸を見開くミニス。
「いくぞっ!!」
指輪の鉱石部を親指で撫でる。
ぼんやりと光が滲み、一振りの刀が手先に模られていく。
どっしりと重く、刃の鈍い、模造刀だ。
視線はトルテに向けたまま、ミニスはぼそりと呟いた。
「無駄だって」
刀なんて握った経験もなかったが、とりあえず水平に薙いでみる。
しかし、やはり風圧に阻まれ、刀はぴたりと止められてしまった。
そのまま儚げな微光を散らす疑似剣型Eins。
「ちっ、駄目か」
背後を振り返った。
薄霧の奥で、菜子の輪郭が淡い光に包まれている。
変身が解除され〈浮力〉の効果が消滅していく。
緩やかな弧を描いて、宙を滑空していたトルテが重力に引っ張られて、降下を始める。ちょうどミニスの頭上を通り過ぎた辺りだ。
なんとか着地を決め込むトルテ。同時に俺はミニス目掛けて走り出していた。
正面に俺、後方にトルテ。前後挟まれたミニスはそれでも余裕綽々な態度を崩さず、軽やかに金色の頭髪を揺らした。
あと数歩で、透明な壁に阻まれる。
風による障壁か。
前髪が煽られ、頬が後ろへさざめく。
懸命に踏ん張るが、どう足掻いてもミニスには届きそうもない。
予想通り前後同時攻撃は失敗に終わる。
なら……。
俺の不敵さを受けて、直観的に察したのか、ミニスは頭上を仰いだ。
ピノが密かに、足元から壁を伝い天井を覆わせていた〈薄氷〉。
しかし、実際は天井を覆うのではなく、菜子の〈浮力〉を纏ったまま、天井すれすれを浮遊させていた。
〈浮力〉の消失に伴って、剥がれ落ちる薄い氷の膜。
「解除を攻撃に転換するなんて、いい感じね!!……けど残念っ!!」
ミニスは自らに迫る薄氷を見上げたまま、喉を震わせた。
彼女の意識が頭上に傾く。
当然、降り注ぐ氷の膜は、瞳に映らない球体状の風の圧によって阻まれ、周辺へ伝い落ちていく。
その一瞬の隙に、僅かでも距離を縮めてようと試みる俺とトルテ。
お互いの視線が、ミニスを挟んで交錯する。
依然として打ち破れない風壁が、すかさず接近を拒んだ。
勢いを増す突風。吹き飛ばされまいと必死に耐える。
……トルテは既に駄目だった。ごろごろと、全身を輪にして転がっている。
ぴたりと華麗に着地を決めるが、変身の証であるヘルメットが外れかけて、顎紐によって宙ぶらりん状態になっている。
俺の方はというと、まだ刀を伸ばせば届きそうな距離だ。
葵が危険な目にあった時……その相手が〈永久切〉みたいな凶悪な犯罪者だったらどうする?
俺はあいつを守り抜きたい。
それとはぐはぐしたい。
だから、俺の決意(下心)に……。
「一瞬でもいい!!答えろっ!!Eins!!」
右手の指輪が輝きを放ち、再び刀が形を成していく。
圧を介さず、指の先から伸びていく刀身。
風壁を貫くEinsに、ミニスの瞳孔がゆっくりと萎んでいく。
彼女の肩越しに、トルテと目が合った。
鋭く切れた瞳孔、眼窩を埋める虹彩。元々人より大きめな瞳を更に瞠っていた。
それらが刹那に移ろう。
そして、ミニスの首筋まで届くか否かのタイミングで、刀の切っ先が霧散した。
途端、勢いを増した暴風に足元をすくわれ、宙に身投げされる。
そのまま一直線にピノへ衝突し、俺達は菜子の脇をもみくちゃになって転がり抜けた。
「そこまでっ!!」
ぴしゃり━━と大臥さんの声が通り、冷気を孕んだ静寂が測定室に沈む。
結末を見届けたミニスが深く息を吐いて、変身を解いている。
「惜しかったねー」
俺達の元へ近寄りつつ、ミニスは馴れ馴れしく話し掛けてきた。
「なにがだよ……ミニス。お前さ、全然本気じゃなかっただろ?」
「そんなことないってー」
からからと笑い、手を伸ばしてくる。
「かっこよかったよー」
「そりゃどうも」
差し伸ばされた小さな手を掴むと、ほんのりと温もりを感じた。
「茜君、よくぶっつけ本番でEins発動できたね」
「勝てなかったですけど、惜しかったデス!!」
「少しは見直したにゃあ」
共闘した仲間達が健闘を称えてくれる。
こういうのも悪くないな。と、そう思ってしまった。
苗に話せば殴られそうだな。
「で、昨日はどうだったん?」
「とにかく疲れたわ」
「そんだけ?菜子ちゃんとなんか進展とかなかったのか?」
「誤解すんな。別に、そういうのじゃないんだって」
「おーおー、リア充はみんなそう言いやがりますよ」
「……偏見だ」
翌朝、俺と苗は席に着いて、朝礼が始まるまでの時間を昨日の話題で潰していた。
さっきまで菜子も傍に居たから、苗は彼女が席に戻るのを待って、口を開いたのだ。
「で、これからも行くの?」
「行くって……教育課にか?」
「そそっ」
「だってお前は行かないだろ」
「そりゃあ……行かないな」
「なら、俺もいいって。それよりもさ、クリスマスに葵が遊びに来るって言うからさ、もの取りに来いよ」
言葉とは裏腹に、内心では迷っていた。
昨日、あれから大臥さんと連絡先を交換したのだ。
━━僕で良ければ、Einsについてもっと教えてあげるから、いつでも連絡してくれて構わない。
それは思いがけない。コスプレごっこなんて道化だな。と自嘲してしまうぐらい、俺の心を揺さぶっていた。
「えー、持ち帰るの面倒じゃん」
「じゃあ全部捨てるな」
「はい、取りに行きます。ごめんなさい、捨てないで」
人でなし、ろくでなし、甲斐性なし。などと耳元に呪文を囁かれる。
言い過ぎだろ……。
がらっ。と教室の扉が開き、瓶底眼鏡の担任はいつも通り背を丸めて姿を表わす。
その背後には、見慣れた制服の見慣れない金髪少女。
「ちょ、茜。あれ見ろって……外国人かな?本物の金髪だよ」
「本物って何だよ……って」
担任は相変わらず、口元をへの字に曲げており、頼りない言葉遣いで少女の素性を語り出す。
「……えぇー……菜子さんに続いて……そのぉ……」
「ミニス・ヴァリア・レインよ。よろしくねっ!!」
菜子よりも忍耐力に欠けていた。
「えっ、ヴァリア・レインって、確か〈七極彩〉の〈橙〉もそんな姓じゃなかったかっけ?」
後ろで苗が頻りに話しかけてくる。
……あれ、なにこの即視感。ふっざけんな。またこの展開かよ。
「あっいたいた!!あかねー、よろしくねー!!」
真っ直ぐにこっちを見据えて、無邪気に手を振りだすミニス。
「……はぁ」
どんよりと息が零れた。なんか、菜子の席の方からも同じ類の溜息が聞こえた気がする。
「おい、茜!!どういう事だよっ!?」
苗が俺の肩を激しく揺さぶっている。
ちょ、痛いって、椅子の背もたれにがんがんぶつかってるから。
敵意ある眼差しが、ひしひしと伝わってくる。
終わった……これ磔確定ですわ。
「し、知らねーよ」
せめてもの強がりで、俺はそう震える声を絞り出した。