橙〈風凪〉①
〈茜〉
「それじゃあ、まずは菜子ちゃんから変身しようか」
俺は大臥さん、叶子さんと一緒に、液晶モニナーがずらりと壁上を埋め、その下には防弾、防火性の厚ガラスが左右まで伸びている小部屋にて、待機していた。
各階を貫く円柱型の透壁エレベーター。及び、吹き抜けた中央エントランスより奥へ進むと、測定組と観測組は行先を分かち、
測定組はそのままEIns適正値測定室へ、対する俺含む観測組は階段を上がり、別室━━いわば観測室へと案内されていたのだ。
俺達三人以外にも液晶と睨み合う七色機関の男性が一人。時折、キーボードを叩く小気味良い音が室内に波紋を刻んでいた。
大臥さんは一際大きい液晶画面を睨んだまま、スタンド型マイクを口元に近付け、菜子へ変身を促している。
モニターと、窓ガラスの向こう側には、どちらも漂白された床、壁、天井が映り込んでおり、目を凝らせば、面と面の接合部には点々とねじの頭部が並んでいた。
大臥さんが説明するには、万が一に備えて。の鉄板らしい。
その測定室の中央辺りには、疎らに立つ複数の影。
測定室の広さは、優に一軒家を飲み込むほどの面積と高低差とを兼ね備えていた。
外見上はただのオフィズビルにしか見えなかった教育第二支部だが、どうやら裏ではビルを連続して繋げているらしい。
予想以上の奥行と規模とを孕んでいた。
「まとめて測定なんかできるんですか?」
メインモニターには拡大された菜子の姿が映り込んでいる。
俺の素朴な問い掛けを受けて〈七極彩〉の〈藍〉━━式咲叶子はモニターへ視線を向けたまま、淡々と語り出した。
「菜子達が手首に通している装置は見えるかな?科学の追走はまだ遠いが、近年、Einsはそれ自体が固有の放射線を出している事が判明したんだ。その波長をパターン化し、穴埋め方式で解析する。つまり、あの腕輪は検知器という事だね」
「結局、Einsって、指輪の鉱石部分に秘密があるって事ですか?」
「変身を促しているのは、間違いなく鉱石としてのEinsではあるね」
ふと視線を下げてみれば、叶子さんの左中指にもEinsらしき指輪がちらついていた。
「ほら、茜君……始まるよ」
肩越しに大臥さんが呟いた。
式咲菜子は両手の指を交差して組むと、まるで神様へ祈りを捧げるかのように真っ白な天井を仰いだ。そして……。
「……変身」と、澄み切った水面へ滴を沈めるかの如く、ぽつりと観測室に彼女の声が零れた。
菜子の指先から髪色に似た濃紺色の光が広がる。
光芒が測定室を奔り、薄れていく輝きの奥に過適合者として変身した彼女は凛と立っていた。
昔、何かのゲームで見た戦女神の容姿がふっと脳裏を過った。
煌びやかな白金の甲冑、両脇に純白の羽根が施された額当て。腰元には細剣が携えてある。
全体的に華美ではなく、慎ましい甲冑の体格線。
非現実的で幻想的な菜子の変身姿に、俺は呆然と……言葉を失っていた。
「安定を確認」七色機関の男性が低く告げ、先を続ける。
「最高値は137%。安定域は±3%」
隣に立つ叶子さんをちらりと盗み見ると、眼鏡の縁に半ば隠れた瞳がどこか険しさを秘めて狭まっていた。
「よし、菜子ちゃん。解除していいよ」
再び大臥さんはマイクへ呼び掛ける。
変身時と同じ発光が菜子を包んだかと思うと、元通り、ブレザーの制服で立ち尽くすクラスメイトの姿。
「さぁ、次はトルテさん、いってみようか」
「にゃぁにゃ」
相変わらず、二本足でゆったりと歩く虎縞猫のトルテ。
菜子と入れ違いで、測定室の中央へ落ち着くと、彼もまた「変身。だにゃあ」と間延びする声を響かせた。
今度は紅蓮の微光がトルテの頭部へ集っていく。
〈ヒーロー五人伝〉の時と同じく、真っ赤なヘルメットが装着され、にゃあっ!!と決めポーズを取っている。悔しいけど可愛い。
「最高値121%。安定域±4%」機械的に述べていく男性。
「あの……叶子さん」
「ん、なにかな?」
「トルテさんって、猫。なんですかね?」
「残念ながら、私には猫にしか見えないな」
「……ですよね。こういうのってあんまり珍しくないんですか?」
「いや、私も初めて見たよ。とても驚いてる所だ」
あくまで冷静に、声色を変えず心情を明かす叶子さん。
果たして人外ヒーローの正体が明かされるのはいつになるのだろうか。
大臥さんがトルテに解除を許可し、次を名指す。
「じゃあ……ピノ君。お願い」
「ハ、ハイっ!!」
びくり。と華奢な肩を震わせ、覚束ない足取りで部屋の中央へ歩み出るピノ君。やっぱ、びっくりするぐらいの美少年だな。
今日は制服姿だ。俺や菜子と同様、放課後真っ直ぐ教育支部へ足を運んだのだろう。
「い、いきます……変身!!」
指揮棒を優雅に振るうような動作に続いて、彼の全身が深海を思わせる淡い光に包まれていく。
「ちょっと質問してもいいですか?」
「さっきからしてるじゃないか」
「あの、変身する時の……掛声と、それに続く一動作って必要なんですか?」
「それについては、通常のEinsにおける変化と、私達のような過適合者の変身とで異なる。通常のEinsの場合は、鉱石部分を押し込めば変化を促す一動作となる。だが、過適合者の場合は、もっと直接的に繋がっていてね、それこそ一動作も介さずに変身してしまう者もいる。だからEinsに声紋識別型の機器が内臓されているんだ。いわば安全装置だね。で、個々の一動作については、想起刻印ともいえる。端的に言えば、非常時においても素早く、確実に変身するための取っ掛りみたいなものだ」
「その……インプリティングってのは、叶子さんにも?」
「想起刻印だね。むろん私にもあるよ」
ちょっと見てみたいかも。
「これも過適合者の特徴だね」
純白のシャツに燕尾服といった装いのピノ君。
「最高値……162%、安定域、±0です」
大臥さんが……叶子さんが……。そして、Eins測定を初めて見学した俺もが。思わず驚愕の息を吐いていた。
「大臥。あの子は何者だい?」
「すみません、僕もまだ知り合って日が浅いので……。見込みはあると思っていましたが、まさか160%を超えるとは」
「やっぱすごいことなんですか?」
俺の無知な質問に対して、大我さんは背を向けたまま穏やかな口調で答えた。
「すごいよ。僕よりも高い」
え、大臥さんよりも?
「さて、残すは……」
叶子さんの含んだ物言いに、大臥さんの張り上げた声が続く。
「じゃあ、最後にミニスさん、どうぞ」
〈七極彩〉の〈橙〉を冠する少女、ミニス・ヴァリア・レインは「はいはーい」と元気よく、片手を振り上げながら歩を進めている。
本来、ミニスは予定していた適正値測定者に含まれていなかったらしい。本人立っての希望だとか。
そもそも、彼女の登場自体が不測事態だと叶子さんは溜息を漏らしていた。
一方のミニスは周囲の困惑などまるで意にも介していない様子で、むしろ、そうやって周りを振り回す事に慣れた素行で、こうして俺達の前に姿を現したのだ。
中央付近に立ち止まると、彼女は一度だけ首を傾げて、鮮やかな金色の髪を、結ばれた尻尾をなびかせた。
不敵に八重歯をのぞかせて、髪を束ねているシュシュを掴む。
「……チェンジ・オーバーっと」ミニスはややけだるそうに呟き、シュシュを引っ張った。
束が解けて、ふわっと広がる金の糸。
じんわりと、赤から黄色といった暖色がグラデーションを成してミニスの全身を覆っていく。
極光彩が測定室に瞬き、液晶越しに眺めていた俺の目をも眩ませた。
目蓋を上げると、変身を終えた〈橙〉が独特な存在感を撒き散らしていた。
赤と黒のチェック柄ミニスカートにオーバーニーソックス。
柔肌を露出させた真っ黒なブラウスに、鈴の垂れた首輪。
肘から手首までを覆う、これまた黒い手袋。
金色の頭髪には朱色のミニリボンが幾つも結ばれている。
ゴスパンク調の変身姿で佇むミニスは、さっきまでの私服姿よりも増して彼女らしく思えた。
「最高値179%。安定域は±1%」
男性の報告を受けて、大臥さんがぼそりと呟く。
「さすがだ」
「ほら、大臥。安定を教えないと」
叶子さんに促され、大臥さんは慌ててマイクを握り直した。
そして、口を開こうとした瞬間。
液晶に映り込むミニスが、とんでもない事を言い出した。
「あのさー、このまま模擬戦してみない?あんた達、三人まとめてでいいからさー」
「な!?彼女はなにを……」
泡食った大我さんが口の端を引き攣らせている。
「はぁ、自分から適性値を計りたいなんて言い出すから……嫌な予感はしたんだよ」
叶子さんは諦観した面持ちで、空いていた椅子へ腰掛けた。
「模擬戦って……あいつら、戦うつもりなんですか?」
「『ヒーロー』を目指すなら、模擬戦はわりと早い段階で経験するものだ。むしろ〈七極彩〉と戦えるなんて、またとない好機だよ」
「叶子さん!?……あの子達は、まだ僕が勧誘してきて一週間なんです。こんなの無謀すぎる」
「無謀かどうか。決めるには大臥じゃないだろ?それは、あの子達が自分で決める事さ」
「やってやるにゃあ」
先立って、威勢良く鳴いたのはトルテだった。
「ミニス。お姉ちゃんの知り合いだからって手加減はしないからね」
やはり菜子とミニスは顔馴染なのだろうか。
「よ、よろしくお願いしマス!!」
ピノ君はかちこちだ。俺なんかに心配されても不足だろうが、その……大丈夫だろうか?
〈ヒーロー五人伝〉にて遭遇した面々は、懸命に前へ、前へと踏み出そうとしている。
なのに。俺は。
「……あの、大臥さん」
振り返った大臥さんが「茜君?」と怪訝そうな眼差しを向けている。
「俺も」
〈災厄〉から俺を救ってくれた葵を、いつだって守れるヒーローになりたいんだ。
そう約束した。
もし、それが叶うなら。
どんなに━━素敵なことだろうか?
葵がはぐはぐを許してくれるかもしれない。
「俺も模擬戦に参加させてください」
下心満載だった。