エピローグ
2014年12月8日━━〈銀火葬〉が起きた。
翌日、〈三森〉の森堂玲が七色機関の半壊を公表、世を騒然とさせた。
〈七極彩〉の全滅。
〈赤〉赤神灯真━━死亡確認。
〈橙〉ミニス・ヴァリア・レイン━━消息不明。
〈黄〉庄土葉洸━━行方不明。
〈緑〉懐森檜士━━消息不明。
〈青〉朝霧蒼乃介━━死亡確認。
〈藍〉式咲叶子━━消息不明。
〈紫〉黒鳴命琉━━消息不明。
唯一の生存確認者である庄土葉洸も、押切駅での人命救助を終えて後、人知れず姿を消したのだとか。
〈銀火葬〉の日、僕はいつもと変わらない日常を過ごしていた。
いつものように目を覚まして、いつものように出社して、いつものように馴染みの定食屋さんで昼食を取っていた。
ぼんやりと眺めていたテレビが、突然、緊急報道として押切駅の惨状を映した。
押切駅では、つい先月にも〈永久切〉による無差別惨殺事件が起きていて、世の中、物騒になったものだな。
などと、僕はあまり深く考えずにほうじ茶を啜っていた。
そういえば、あの日は雪が降り出していた。
ひらり。ひらりと、まるで桜が花弁を散らせるかのような、優雅であり、どこか侘びしい様だった。
「散る桜の裏に、雪が降るんだ。だから……私達の前に雪が積もるなら、裏側では桜が咲いているのかもしれないね」
「日本の反対は南米だ。桜なんて咲くかな?」
「そうじゃない。桜と雪は比喩で……もういい」
「ごめんごめん。そうだね、きっと、どこかで誰かが幸せになってる……本当に、そう思うよ」
ふと、別れ際の。昔の恋人の言葉を思い出した。
彼女らしくない情緒的な言い回しだったから、よく覚えている。
あの日、僕と彼女は夜桜を見上げていた。
桜は二人にとっての最後の一時をロマンチックに演出しようとしてくれているのか、儚げに花弁を散らしていた。
〈銀火葬〉が起きてから、あの頃を頻繁に思い出す。
思い出しても、戻らない日々。
なぜだろう……。
振り返ったって、彼女はもう居ない。わかってるのに。
どうして、今頃になって、こんなにも胸が苦しくなるのだろう。
彼女は、あの手紙を読んではくれていただろうか。
思い出しても、確かめられない。
もう二度と……。
職場に戻る道すがら、それは起きた。
━━空が燃えてる!!
遠くで誰かが叫んだ。
それこそ、何の比喩だろうかと、訝しげに空を見上げれば。
〈災厄〉で封鎖された中央区の上空が銀色に燃えていた。
それはとても幻想的な光景だった。
交錯していた人々は一同に足を止め、呆然と、銀焔の天蓋を眺めていた。
先立って報道されていた押切駅付近の惨状と重ねて、その日、この国は、正常な時の流れを失った。
銀の焔は、茜色を過ぎ日没を迎えても、衰えず夜空を照らし続けていた。
オカルト研究家を名乗る男性が緊急特番で、あれは〈災厄〉に眠る魂を弔う焔だと発言し。
やがて、誰かがそれを〈銀火葬〉と崇め、人々は銀の空へ掌を合わせた。
夜闇に灯る銀色の焔は、多くの映像として残り、世界中の目に届いた。
それからというもの、世界各地から様々な種類の人が訪れている。
東京都は、鎖国当時の出島を思わせる程の外国人で充溢し、賑いなんて表現が生温く感じられる繁雑を極めていた。
だが、結果として、輸出を禁じられていたEinsが、非合法の元、国外へ散漫していると報じられ、度々、世界各地で怪人の出現が確認されるようになった。
しかし、Einsの管理を担っていた七色機関は、〈七極彩〉も失い、凋落の一途を辿っており、ヒーローと怪人の相関図は、歪な偏りを見せていた。
七色機関がEinsを独占する時代は終わり、世界中が過適合者に翻弄される時世が始まりつつあった。
彼女が〈七極彩〉として、ヒーローを続けていたのは知っていた。
消息不明という末路が、何を意味しているのか。
僕には何も分からない。
でも、それでいいのだと納得を強いる。
「大丈夫?なんだか顔色が悪いけど……」
妻が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「うん、ごめんごめん。昨日、あんまり眠れなくて」
「買いもの、私だけで行ってこようか?」
「久しぶりに二人揃っての休日なんだ。一緒に行きたいな」
「そっか。なら準備してくるから、もうちょっと待ってて」
遠ざかっていく息遣い。けれど、今はその距離さえも愛おしい。
僕は幸せだ。
桜の裏には雪が降る。
そう話していた君は今……幸せだろうか?
結局、僕のわがままは聞き入れて貰えなかったみたいだけど。
ふと、窓の外を見つめれば、隅に蝶が止まっていた。
日の光を浴びて、藍色の羽を輝かせている。
不吉の前兆とする伝承を聞いた事があり、僕は蝶があまり好きじゃない。
ピンポーン。
と、不意に甲高いインターホンが鳴り響いた。
「出て貰っていいー?」
奥から妻の声が上がり、僕はソファーを立つ。
施錠を解いて、ゆっくりと扉を開けた。
「初めまして」
外に待っていたのは、革ジャンにジーンズというラフな格好があまりにも似合わない、可愛らしい顔立ちの青年だった。
睫毛が長く、潤んだ瞳は悩殺的で、同性である僕でさえ保護欲に駆られそうになる。
薄っすらと赤みを帯びた頬に、額を覆い隠す絹糸の様な前髪が、幼げな印象を強めており、性別と年齢をより曖昧にさせていた。
やや低めの声質から男性だと判断できたが、それがなければ、僕は初めどう接するべきか困り果てていたことだろう。
見知らぬ青年は、愛らしさを研ぎ澄ます微笑みをたたえて、口を開いた。
「……少しだけお尋ねしたい事があるのですが、お時間宜しいでしょうか?」
これから妻と買いものに行く約束をしているし、どう答えたものだろう。
黙したまま考えを巡らせていたら、彼は疑われていると勘違いしたのか慌てて付け加えた。
「えっと、僕、叶子さんの知り合いなんです。覚えてますか?……式咲叶子さん。あ、ごめんなさい。名乗ってませんでしたね。僕は宮代桜と言います。……元ヒーローです」
背後から「誰だったのー?」と妻の呼ぶ声が聞こえてくる。僕は何も答えられない。
無意識になにかを呟いていたらしく、彼が不思議そうに首を傾げていた。
妻が「ねぇってば」と足音を大きくさせている。
僕はぼんやりと、自らへ確かめるように。妻へ答えた。
━━桜がやってきた。




