茜〈邂逅〉②
〈茜〉
式咲菜子が転入して、瞬く間に一週間が過ぎ去っていた。
先に釘を刺しておくなら、式咲菜子には、これといって深く関わっていない。
廊下ですれ違えば、挨拶ぐらいは交わすし、ディスカッション形式の授業で同じグループになれば、それなりに意見も交えた。
ただ例の〈ヒーロー五人伝〉については、俺が触れなくても周囲が勝手に晒してくれた訳で。嫌でも耳に届いてしまうのだ。
コスプレ姿で飛び込んだ俺こと夕藤茜とは違い、正真正銘Einsの過適合者であり、しかも〈七極彩〉の〈藍〉を姉に持ち、しかも、可愛い。いや、俺はあまりそうは思わないが。客観的に述べれば、式咲菜子は間違いなく美少女だ。
噂の標的はそれこそ一息に俺から式咲菜子へと移り、俺は苗に協力して貰っての街中徘徊を今も続けていた。
この三連休も成果実らず、いつもの商店街や押切駅、海浜公園など、まるで修学旅行生の様に巡り歩いた。それこそ暇人だと茶化されても詮無き事だ。
連休の終わりを告げるかの如く沈む夕日が、柑子色を立ち昇らせ、飛行機雲がじんわりと溶け込んでいる。
自宅近くのスーパーへと、今週分の食材の買い溜めに向かっていた。
「俺なぁ、今年のクリスマスは一人でホールケーキに挑戦しようかなーって思うんだ。真っ白いやつな」
などと口走る俺に対して、受話器の奥から憐れみの声音が届く。
『茜お兄ちゃん。そんな寂しい事言わないでです。クリスマスなら葵が遊びに行くのです』
通話の相手は愛すべき妹、雨頃葵だ。
去年まで葵と、それから雨頃透叔父さんと一緒に暮らしていた。
高校進学に伴って、一人暮らしを始めたのだ。
それよりもだ。
クリスマスに葵が来る?えっ、それって泊まり?ま、まさか……これは。ごくりと唾を飲み込む。
いや、でもホールケーキに挑戦してみたいってのは本当なんだけどな。
あ、そっか。閃いた。俺の分と葵の分。二つ買えば良くね?
よーし、お兄ちゃん。奮発して8号とか買っちゃおうかな。
お互いの眼前にどっしりと構える純白の冠。宝石の如く散りばめられた苺、茫々と薄闇に灯る蝋燭。
駄目だ、なにかの儀式みたいになりそう。
大人しく一つだけ買って、仲良く分け合いっこする方がいいな。ホールケーキとのタイマンは来年までお預けだ。
「そっか。じゃあ、部屋片付けておかないとな」
『葵が掃除してあげるですから、無理しなくていいですよ』
「だ、大丈夫だって。そんなに汚くないから。ちょっとだけ、ゴミをまとめて捨てれば、な」
苗が置いていったいかがわしいものとか、苗が忘れていった不衛生なものとか。あと、苗に借りた教育上よろしくないものとか。
「それよりも、葵。外を出歩くときは気をつけろよ」
『なにがですか?』
ふっと息が漏れる。白い靄が薄れていく。
「〈永久切〉。段々と近付いてるだろ?」
二ヶ月ほど前に露見され、今もなお世の中を震撼させている猟奇的殺人者〈永久切〉。
発端は青森県十和田市の湖の畔から始まった。
ばらばらに斬り刻まれた惨殺死体。しかし、金銭以外の盗難跡は見つからず、身分証明書の類がそのまま残っていた事から、警察は猟奇殺人と推定。
Einsの過適合者の仕業であることも考慮され、七色機関も捜索へ〈七極彩〉を派遣。
今、もっとも世間を騒がせている犯罪者だ。
警察や『ヒーロー』の捜査も実らず、惨殺死体は次々と発見されている。
性別や年齢、人種など無差別であり、発見個所は次第に南下。
〈永久切〉は殺人という足跡を残しながら、関東方面へ踏み込んでいた。
そもそも東北地方は〈鬼祭り〉による爪痕がまだ消えておらず、半ば無法地帯化。悪に偏った過密形態を広げたままだ。
そちら側でなら捜査進行が難航するのは、まだ理解できる。
ただ、関東方面へ進出しても捕まらないとなれば、それは別問題だ。
『大丈夫です。皆でまとまって登下校してますし、お父さんに言われて、戸締りもしっかりやってるですよ』
「ならいいんだけど……こんな時に傍に居れなくてごめんな」
『茜お兄ちゃんが選んだ道です。葵なら大丈夫ですから、心配しないでください』
本当にそれでいいのだろうか?
今すぐにでも、俺は雨頃家へ戻るべきなのではないだろうか?
脳裏を逡巡する不安、懸念、予感。
「……いつでも呼んでくれ。俺は葵の為なら、何処へだって駆けつける」
『ありがとです。茜お兄ちゃんはヒーローですからね』
「そうだ、俺はヒーローなんだ」
ずきり。と心の端が痛んだ。
『ヒーロー』とヒーローは違う。
ヒーローである為に『ヒーロー』である必要はない。
それは言い訳なのだろうか?
あいつなら……式咲菜子なら、俺の問いにどう返してくれるだろうか。
ふと、何気なく転入生の姿が浮かんだ。
「それじゃ、そろそろスーパー着くから」
『はいなのです。茜お兄ちゃん、またです』
「あぁ、またな」
ぶつりと途切れる通話。
遠のいていく息遣い。本来の距離感が突き付けられる。
反響する疑問を噛み殺して、足早にスーパーへ流れる人波へ続いた。
俺のささやかな楽しみ。
それは買い物帰りには決まって寄る、たい焼き屋さんだ。
たい焼きは「天然もの」と「養殖もの」に分別される。
一言に違いを述べるなら、焼き方、もとい焼き型だろうか。
一匹ずつ丁寧に焼き上げるのが「天然もの」で、スーパーなどの店前でよく見かける、一度に複数を焼き上げるものが「養殖もの」だ。
違いは焼き上がりに表出する。あのパリッとした噛み心地はいかんせん忘れ難いものがある。
まぁ「養殖もの」なんかも、皮の部分が厚くて、小豆餡以外に様々な味のバリエーションがあるから、一口に天然、養殖と分けても、好みは人それぞれだろう。
さつま餡とか、キャラメル味とか、驚いたのはピザ味だとか。まだお目にかかった事はないが、あえて具を入れない「素たい焼き」なんてものもあるらしい。
常日頃、俺が贔屓にしているたい焼き屋『めでたい』は天然ものに拘る職人気質なお店だった。
味は小豆餡のみ。
今日も今日とて、窓の奥に垣間見える『めでたい』のおっちゃんはおしぼりを額に捩じり、外の肌寒さに負けず、じわりと汗を肌に滲ませていた。
格子状の欅の軸に結霜ガラスが嵌め込まれた引き戸を開ける。
ふわりと暖気に乗せて鼻先をくすぐる小麦や卵の焦げた香り。
へい、いらっしゃい。とおっちゃんの威勢の良い声に迎えられて、俺は室内へ歩を進めた。
「「あっ」」
吐息まじりに零れる声が重なった。
背もたれの欠けた丸椅子に礼儀正しく座っている人物と目が合う。
「……式咲か」
そこに座っていたのは、美少女転入生こと式咲菜子だった。
今日はクリーム色のポンチョに上半身を包んでおり〈ヒーロー五人伝〉の時よりは暖かそうだ。
「夕藤君、私の事は菜子って呼んで」
「じゃあ、お前も俺の事は茜って呼べよ」
「お、なんだぁ茜。そんなに可愛いお嬢ちゃんと知り合いなのか?隅におけないねぇ」
「おっちゃん、たい焼き二つね。それと、こいつはただのクラスメイトだよ」
「こいつじゃなくて、菜子って呼んでってば」
椅子から立ち上がってまで、訂正を求めてくる。
意外にぐいぐいくるな。
「悪かったって。それよりも一人なのか?」
「そうだけど……どうして?」
「いや、お前って周りにチヤホヤされてるし、常に誰かを侍らせてそうな感じだから」
「ふぅん。心外だなぁ……。なら茜君は想像通りっていうか、やっぱりというか。一人なんだね」
「別にいいだろ。それに普段は隣に苗がいる」
「君達、よくつるんでるもんね」
そういえば、俺と苗はあまりにも、いつも一緒だから、そっち方面の噂が立っていた事もあったな。
むろん冤罪だが。
「なぁ、しきざ……、菜子。この前の事なんだけどさ」
「茜君、家どっち?」
「え、俺は駅方面だな」
「じゃあ、歩きながら話そ」
一方的に会話をたたまれた。
「茜君、〈災厄〉で記憶を失ってるって聞いたけど、本当?」
『めでたい』を出るや否や、菜子はいの一番に口を開いた。
俺はなぜか菜子と肩を並べて、お互いにたい焼きを頬張りながら歩いていた。
ちなみに俺は買い物袋を手首に吊るしている。菜子は手ぶらだ。
ただ、たい焼きを買う為だけに出歩いたのだとすれば、こいつもけっこう物好きだな。いや、甘味好きか。
こんな所をクラスの誰かに見られたくはないな。変な噂になると面倒だ。
「それ、誰から聞いたんだ?」
訊ねながら、俺には大体の目星が付いていた。
「苗君から聞いたの」
やっぱりか……あの馬鹿。鼻の下伸ばして、菜子に媚びる姿が目に浮かぶ。
「別に隠すつもりもないしな。あぁ、そうだよ」
「まったく何も覚えてないの?」
「まったく何も覚えてないな」
「そっか……」と、僅かに視線を伏せる菜子。
その横顔へちらりと視線を投げ、今度はこちらから踏み込んでみる。
「そういえば、自己紹介の時に四年前までは東京に住んでたって言ってたな。お前も被災者なのか」
「まぁ、そうだね。うん」
なんとも歯切れの悪い返答だ。
これ以上の追及は避けておいた方がいいのか。と、俺は矛先を〈ヒーロー五人伝〉へ逸らす。
「で、さっき言おうとしてた事なんだけどな、お前って『ヒーロー』になりたいの?」
「お姉ちゃんが『ヒーロー』だからね。ちょっと憧れ、みたいなものもあるけど……仕事にしたいとは思ってない。かな」
『ヒーロー』と一概に括ってはいるが、その在り様は幾つかに枝分かれする。
まず七色機関の派遣課に所属し〈一区一色〉の元、国内各地の治安維持に務める『ヒーロー』だ。
彼等は『怪人』を粛清、連行する任を全うし、七色機関から定期的に配給を受けている。
つまり、職業としての『ヒーロー』になる。
菜子の姉である〈七極彩〉の〈藍〉━━式咲叶子は例外だろうが、基本的に『ヒーロー』の給与は世知辛いものらしい。
また金銭が絡む為『ヒーロー』としての倫理感が問われる場面も珍しくない。言い換えれば、正義感ではなく金で動く『ヒーロー』も少なくはない。という事だ。
その方面で言えば〈七極彩〉の〈黄〉━━庄土葉洸は有名だ。
『怪人』の絡まない暴動を見過ごして、定時帰宅した事を報道陣に問われ「金にならない『ヒーロー』はやらねぇ」と啖呵切った男だ。
残りは私立探偵などに似た体系を見せる独立『ヒーロー』だったり、Eins過適合を遂げながら、普段は別の職務に準じる限定『ヒーロー』だったり。
どちらかといえば、七色機関に属さない『ヒーロー』の方が、慈善的で正義の味方らしい活躍を見せている印象さえある。
ただ、不評が覗くにしても、それ以上に〈七極彩〉を筆頭に据える七色機関が残した功績は多大であり、齎す影響力は絶大だ。
だからこそ七色機関教育支部の門を叩く『ヒーロー』志望者だって、まだまだ健在だったりする。
「茜君、『ヒーロー』になりたいの?」
「いや、進路先として悩んでる訳じゃないんだけどな……ちょっとだけ突っ掛かってるんだ」
「大好きな妹さんの為?」
「なっ、それ……」
「うん、苗君から聞いた」
言葉に詰まって、立ち尽くしてしまう。
どうやら苗の奴、菜子とお近づきになりたくて随分と俺をネタにしてくれたらしい。
「だから、あんな……、その。コスプレなんかして……ぶっ」
堪えず吹き出す菜子。
出会った当初、この女に笑われた記憶が蘇る。
「言っておくけどな、俺はまだあの馬鹿らしい真似を続けるつもりだぜ」
「茜君はEins過適合者を甘く見過ぎ。本当に危険だよ」
「だとしても退けないな」
「だけど、あんなんじゃ……ぶっ」
また笑われた。
「もう……」
溜息を挟んで、しばらくすると、菜子は妙案を思いついたのか、きっと表情を変えた。
「明日の放課後って暇?」
「苗と街中を徘徊するつもり」
「そっか、暇なんだね」
「おい、おまっ」
「今さ、私、押切区の教育支部に通ってるの。ピノ君やトルテさんも一緒なんだけど、どう?茜君、見学に来ない?」
聞き慣れない名前に首を傾げていると、菜子は補足してくれた。
「ほら、この前の男の子と猫さん。男の子がピノ君で、猫さんはトルテさん。二人とも過適合者だけど、今まで教育支部に通ってなかったんだって。それを聞いた大臥さんが、二人を勧誘したのよ」
「あの猫どうなってんだよ」
「それが……本人もよく分からないみたい。記憶喪失なんだって……茜君と同じで」
含んだ言い方をされ、俺は眉をしかめる。
「あんまり気乗りしねーなぁ」
対して菜子はたい焼きの尻尾をぱくっと口中へ放り込むと……。
「決まり。それじゃあ、また明日ね」と強引に取り決めた。
交差点を曲がって、早足気味に離れていく後姿。
濃紺色の長髪が横風にさらりとなびいていた。
見上げれば、天蓋は暗色に塗り変わりつつあった。