茜〈銀焔〉②
〈鶴〉
━━まだ息ある奴をさっさと連れてこいっ!!
庄土葉洸の咆哮で、近くに居た六課の男性の肩がびくりと弾んだ。
変身した洸は、全身に包帯を巻いており、垣間見える隻眼からは黄色い光芒を奔らせている。
「洸、その、あたま大丈夫?」
私は彼らしくない行動を受けて、もしかして、どこかに頭でもぶつけたのではいないかと不安になった。
「あぁん!?芽鶴、喧嘩うってんのか!?ったく、てめぇが連絡してきたんだろうがっ!!」
彼は苛立ちを隠そうともせず、声を荒げた。
「だって……まさか本当に力を貸してくれるとは思わなかったから」
「勘違いすんな。あくまで金の為だ。この惨状は『怪人』によるものだろ。なら、あとでたっぷりと手当がつく。……それだけだ」
表情は例の如く包帯に覆われており、まるで読み取れない。
茜君とミニスちゃんの説得に失敗した私と虎さんは、六課の部下達を連れて七色機関へ足を運ぶ予定だった。
けど、その途中で虎さんの携帯電話が鳴りだしたのだ。
━━押切駅にて〈永久切〉が再び現れました。死傷者多数。七色機関のヒーローと思わしき男性の死亡も確認されています。
言い表しようのない怒りを覚えた。
〈永久切〉が押切駅隣のビル内で無差別惨殺事件を起こしたのが、つい先月の話だ。
それなのに、その犯罪者は……ううん。『怪人』は無力な警察を嘲うかののように、再び私達の日常を脅かした。
その真意たるや、到底、理解の及ばないものだ。断言できる。
〈永久切〉を私達の価値観に……今の時代の常識という枠組みに当て嵌めて考えてはいけない。
行動原理とか殺人衝動とか、分かろうとしても無駄なのだ。
なら、逆に分ろうとしなければどうだろうか?
理解の及ばない現象を、理解の及ばない現象として認識し、放棄する。
ありのままを受け入れて、ありのままを追い掛ける。
「狂ってる奴は、往々に自覚なんてしてない。奴らからすれば、俺達が狂ってる様に見えているからな。まぁ、一種の錯乱状態。覚醒剤なんかの幻覚症状に近いだろうな。だから、そいつらの動きを先読みしようとしたら、余計な先入観をすっぱり削いだ方がいい」
いつかの虎さんの言葉だ。
視界を横切る包帯。
鞭のようにしなり、重傷人を包みこんでいく。
黄色い明滅が、傷を治癒していく。
庄土葉洸に連絡を入れたのは、私達━━六課が現場に到着してからだった。
押切駅の改札口前は、恐ろしい死臭を漂わせていた。
真っ赤な絨毯を思わせる血溜まり。
並んで横たわる老夫婦や、うつ伏せた死者にすがりついている幼児。
腕を斬り落とされた学生に、首の欠けたスーツ姿の女性。
こんなことが許されていいのか━━。
昔、〈永久切〉程では無いにしても、似たような惨状を生み出した『怪人』を尋問した機会がった。
「一人殺すのと、二人殺すのは全然違うんだ。……それと、顔見知りを殺すのと、赤の他人を殺すのも、全然意味が違う。なにが違うのかって……後者は正気なんだよ。一人殺す奴は狂ってるし、顔見知りを殺す奴だって、だいたい狂ってる。けど、多くの他人を平然と殺せる奴は、正気なんだ。会話だってできる。でしょ?」
定まらない焦点を虚空に彷徨わせ、へらへらとした半笑いを常とするその『怪人』は、言動とは裏腹に、気が狂っているとしか思えなかった。
「ヒーローのお兄ちゃん。ありがとうっ!!」
Eins〈再生〉により治癒された子供が、感謝の言葉を洸へ向けていた。
「……おう」
ぶっきらぼうな返事。
「ふふ、洸。その変身姿がもう怖いんだから、もっと愛想よくしなって」
「……うるせぇ。それより、どうだったんだ!?やられたヒーローの身元は判明したのか?」
「あぁ、うん。見てきてすぐわかったわ」
先に現場へと駆けつけていた警察官の案内の元、私はそのヒーローを確かめにいっていた。
「朝霧蒼乃介━━〈七極彩〉の〈青〉だった」
「そうか。あいつ、やられちまったのか」
「それでね。指輪が……、Einsが無くなってたの」
「んだと。どういうことだ?叶子の言っていたクローンとやらが、まだ他にも居んのか?」
「クローン?」
「あぁ、いや、こっちの話だ」
「どういうこと?七色機関はなにをしているの?」
「……うぜぇな。六課には関係ねぇよ。いいから、てめぇも、さっさと怪我人を運んでこい」
追及を許さない拒みの語勢。
私はそれきり口を閉ざした。
そういえば、つい最近。虎さんも意味深めいた言葉をぼそりと呟いていた。
━━人が人を創ったところで、そこに三原則がある限り、平和なんてねぇんだ。
あれは、どういう意味だったのだろうか。
〈茜〉
なら殺せよ━━。
ありがとう━━。
俺と叶子さんの吐露が静かに重なっていた。
━━あかねの馬鹿っ!!
いきなり後頭部を殴られる。
あの俺、重傷なんですけど。
脇腹の衣服が血を吸って生暖かく湿っている。
羊の螺旋角や鷲の鉤爪による傷口から、止め処なく溢れる血液。
貧血にも近い眩暈を伴い始めていた。
その脳が、思いっきり殴られたのだ。
気を失ってもおかしくないレベル。ちょっと吐きそう。
振り返れば、目つきを厳しくさせて立つミニスの姿。
あ、これは怒ってる。
「かんたんに殺してとか言っちゃ駄目だから!!」
「けど、俺にはもう……生きる意味なんて」
「まだあるでしょ!!めんどくさいなぁ、もう……。じゃあ、あたしの為に生きろっ!!」
それはあまりにも無茶苦茶で。
俺の傷心を慰めるつもりなんてこれっぽっちもなくて。
でも、見失いそうになっていた何かを思い出すには充分過ぎる一言だった。
━━変身だべ。
ミニスの叱咤とほぼ同時に。東雲紫於が変身を願っていた。
彼の全身が闇に喰われていく。
「茜。おめぇらは先に行け!!ここは俺達さ任せろ」
「させないけど」
苗が再び腕を異形へ変異させていく。
その腕を紫雷が穿つ。
「ちぇ、ピノ君。葵ちゃん。ほら、働くっ!!」
苗に呼び掛けられた二人が行動を起こすよりも早く、紫於のEins〈黒渦〉が、俺達を深淵へ誘った。
茜お兄ちゃんっ。
闇に沈む刹那。葵に呼ばれた気がした……。
〈黒渦〉が晴れても、その道の先は晦冥を孕んでいた。
秘密の地下道。という文字からもっと鉱山めいた穴道を連想していたが、実景は隅々まで塗装の成された道が続いている。
道の先は薄闇の中、四角い影の輪郭を濃淡で描き分けていた。
頭上を見上げれば〈黒渦〉に喰われた跡が筒状に伸びており、その奥で紫の霹靂が空中に亀裂を生じさせていた。
目測にして三階層分くらいは落ちたのだろうか?
追手が飛び込んでくる気配がないのを確かめて、俺は視線を戻した。
「……菜子」
紫於が先送りに選んだメンバーには、俺とミニスとトルテと……それに菜子と叶子さんの姿が紛れ込んでいた。
菜子の膝の上に頭を寝かせる叶子さんの表情は安らかなものだった。
その胸元から銀の焔が燃えだしていた。
思ってたよりも進行は遅かったが、とうとう吹き出したか。
「お姉ちゃん」
うわ言のように、叶子さんの名前を呼び続けている。
「菜子。……あたし達は先に進まないと。それが叶子さんとの約束でしょ?」
「……私はどうすればいいの」
弱々しく、儚く消えてしまいそうな声音だった。
「あーもー。最近の若いもんは、まったく世話が、むぐっ」
ミニスの口を塞いでやった。
そういう役目ばかり押しつけたくはないし、それに……菜子と向き合うのは、たぶん、俺の役目だから。
「ちょっとっ!!あかね、なにするのさっ!!」
「ミニス。さっきはありがとな。正直……頭の中は全然整理できてねぇし、まだ自棄になってる部分はあるんだ。けど、ここは俺に任せてくれ」
「……あかね。……うん、わかった」
ミニスは表情に理解の色を覗かせ、標的を変えた。
「さ、トルテおいでー」
口角を緩め、にやり。と薄ら笑うミニス。
嫌な予感を嗅ぎ取ったトルテが後退りしていた。
「にゃ、やめるにゃ。く、くるし」
抱きしめられたトルテが懸命に手足をばたつかせている。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど、ねぇ、あたしのお父さんと……」
二人の会話から意識を遠ざけ、俯いている菜子へと焦点を絞る。
「菜子。俺な、思い出したんだよ。〈銀〉と……〈金〉のこと」
「……」
沈黙のまま、視線も上げてくれない。
それでも、俺は喋り続ける。
「許して貰えるとは思ってない。けど、先に言わせてくれ。俺が、叶子さんを死なせた。……ごめん」
「……」
「この罪は死ぬまで背負い続けるつもりだ」
「……ずるいよ」
声が、震えていた。
「茜君、さっきは殺せよって……生きることを諦めてたのに。今になって、そんなこと言って。本心はどこにあるの?」
本当にそうだ。
菜子の叫びが、棘となって胸に突き刺さる。
「死にたい自分と、生きたい自分。どっちも俺だ……記憶喪失になる前の〈銀〉も、〈災厄〉からの俺も。両方が夕藤茜で、両方で夕藤茜なのと同じでな」
「矛盾してる」
「そうだな。自分でもそう思うよ。けど、それが……本心なんだ」
「……やっぱりずるい。もっと開き直ってよ。悪役になってよ。じゃないと……茜君を恨めない」
「恨めよ。俺が幸せを奪ったのは事実なんだ。それに、俺だって……同じだ。お前がその〈金〉で犯した過ちが事実なら、俺はきっとお前を許さない。……許さない為にも、俺は真実を知りたい。実際に〈災厄〉の地を踏みしめて、俺の父親に会って、お前が〈災厄〉の元凶だったんだと確かめないと……俺は、お前を恨めない」
「私が『怪人』を生み出したのは間違いないよ。もうはっきりと思い出せるから。私の変身の真の姿は、人にEins細胞を発症させる。そういう能力なの」
「けど、お前は〈金〉としての移植に失敗してまともな判断力を失っていた筈だ。お前が意識した頃には、もう既に。そういう状況が出来上がっていたんじゃないのか?」
「……それは……」
「菜子。叶子さんは無駄死にか?」
その言葉を聞いた瞬間。
菜子は面を上げた。
それだけで相手を射殺してしまいそうな鋭き睥睨。
腫れた目尻には、涙の跡が赤く滲んでいた。
「俺と一緒に確かめに行こう……〈災厄〉の真相を」
叶子さんの胸元から発火した銀焔は、まだ陽炎の如く淡い。
まるで彼女のEins細胞だけを選別して燃やしているかのような揺らめき方だ。
━━とうとう来ちまったか。
その声は、通路の先から聞こえてきた。
「変身だにゃ」
条件反射にも近い早さで、トルテが一鳴く。
変身による発光が束の間の照明となり、暗闇を退けた。
「……嘘、だろ」
数拍の明るみに浮上したのは、見覚えのある……強面なわりに、気立てがよくて、いつも威勢ある声で歓迎してくれて。
普段は鋭く鋳型を睨んでるけど、俺達と世間話する時は気さくな笑い声を上げる。
網膜にちらつくのは、『めでたい』のおっちゃんの見慣れないスーツ姿だった。
「檜士さん。どうして、ここに……」
菜子のか細い声が、薄闇に浸透した。
今、なんて呼んだ!?
「そりゃあ。仕事だからな」
おっちゃんは事も無く告げる。
「おっちゃんが。懐森檜士……だったのか?」
「そういや茜には名乗ってなかったかぁ。おうよ。俺が〈三森〉であり〈緑〉の━━懐森檜士だ」
そんじゃまぁ、ひと仕事すっか。
━━変身……ってな。
その声は、今まで耳にしてきた誰の変身よりも低くて重苦しいのに……ずっと深く心に響いた。




