金〈決別〉②
〈茜〉
━━お姉ちゃんをこっちに渡して。
式咲菜子の語調には、有無を言わせない迫力が込められていた。
起伏に乏しく……「変な事を考えないで!!」菜子が叫んだ。
いや、声だよ。
起伏に乏しく……「ふざけないでってば!!」
だから声だってば。ってか、なんで心の声がばれてんの?。
もういいです。起伏に乏しいのは菜子の……「茜君っ!!」はい、なんでもないです。ごめんなさい。
「庄土葉洸。どうして菜子達を呼んだ?」
「あぁ?なに決めつけてんだ……殺すぞ。俺が、んなめんどくせえ事するかよ」
唾を吐いて、不機嫌そうに声を荒げる庄土葉洸。
なら、どうして菜子達は教育課に待機していた?
決まってる。
〈三森〉であり、〈七極彩〉の〈緑〉━━懐森檜士の仕業だ。
〈緑〉はどこまで状況を把握しているのだろうか?
押切駅無差別惨殺事件における俺の〈銀〉覚醒については、当然〈緑〉の耳にも届いている筈だ。
事件後に再会した時の菜子の言動からも、疑う余地はない。
だが、ミニスや命琉。それに叶子さんの〈七極彩〉離脱や〈鬼〉こと東雲紫於の合流。そして、七色機関に対する敵対の意思。
懐森檜士はそれら全てを看破した上で、俺達を始末しようとしていて……。
だからこそ、隔離された〈災厄〉の地へ続く地下道が残された教育課第二支部に、菜子達を伏せたのか?
ちょっと無理がある気がする。
「庄土葉洸。あんたに確かめたい」
「……んだよ」
「叶子さんを救えるんだな?」
「さぁな」
即答だった。故意に悪態を突いている。というよりは、つい本音を漏らしてしまった。という響きだ。
「ちょっと、洸!!」
隣に立つミニスが声を張り上げた。
「あぁ、忘れてたな……おい、ミニス。てめぇもこっちだ」
「な、なんでよ」
「約束だろうが。叶子が助かったら、てめぇは俺の玩具だ。責任持って壊れるまで愛でてやるからよ……安心しろ」
「……っ」
下卑た笑みを浮かべる庄土葉洸、苦虫を噛み潰したかのような表情を作るミニス。
「ふざけんなよっ!!叶子さんもミニスも……あんたと同じ〈七極彩〉だろっ!!仲間じゃねぇのかよ!!」
「っくく、おいおい、笑わせんなよ?……〈七極彩〉っつうのは、そういう仲間意識とは無縁の集まりだ。俺は灯真さん以外の〈七極彩〉は認めてねぇし、ぶっちゃけ……叶子がどうなろうと知ったこっちゃねぇ」
庄土葉洸の暴言を受けて、さすがに菜子も慌てていた。
「約束が違います!!」
「……うぜぇな。助けないとは言ってねぇだろうが。やるだけはやってやる。……けど、死んじまってらそれまでだ。俺だって死んだ奴は再生できねぇからな」
再生と蘇生は違うんだぜ。と猫背を更に縮こまらせつつ、庄土葉洸は吐き捨てた。
「ほら、さっさと叶子をよこせ」
「あんたの変身なら、距離は関係ないだろ。そっちが先だ」
「舐めた口きいてんなよ?主導権がどっちにあるのか……一々説明してやるほど俺は親切でも、気長でもねぇぞ?」
「……わかった」
叶子さんを背負ったまま、俺は一歩、ゆっくりと前へ踏み出す。
「あかねっ!!」
「茜お兄ちゃん!!」
後ろからミニスと葵の声が重なる。
菜子達と対峙してからは終始ほぼ無言の命琉と紫於は、やはり沈黙を一貫したままだ。
ちらりと、ピノへ視線を送る。
下唇を噛んで、眉間に皺を寄せながら、こちらへ目を凝らしていた。折角の美少年っぷりが台無しだ。
俺達が対面した直後、命琉はピノの名を呟き、ピノは紫於の名を呼んだ。
両方の語気から推し測るに、あまり良好な関係とは思えなかった。
なんだか〈銀〉と〈金〉の因縁にも近い気がする。
また一歩。踏み込む。
「……茜君」
耳を叩く、ささやかな息遣い。
更に一歩。菜子達との距離が詰まり、葵やミニスの気配が遠のく。
「駄目だっ」
意識を取り戻した叶子さんが声を上げた。
喉の奥から無理矢理に絞り出したかのような、微かな呻きだったが、どうやら菜子にも届いたらしい。
「お姉ちゃんっ!!」
安堵からか、声が一段と弾んでいた。
ほぼ同時に、庄土葉洸がこちらへ駈け出していた。
庄土葉洸らしかぬ突発的な行動に困惑し、俺は反射的に身を強張らせる。
不思議と━━時の流れが滞った。
庄土葉洸が右手を伸ばしながら、接近してくる。
俺か庄土葉洸か。どちらかがあと一歩踏み込めば、触れられそうな間合い。
そこで不意に襟首が掴まれ、乱暴に後ろへと引っ張られた。
姿勢が仰向けになって傾いていく。
俺を後ろへ突き飛ばして、叶子さんが庄土葉洸の前に立ち塞がった。
「……叶子さん?」
疑問に答える間もなく……彼女の背中が突き破られる。
━━その腕は異形を成していた。
羊の螺旋角、蛇の頭、鷲の鉤爪、猿の腕。
無作為に混合された人外のパーツが、俺の眼前でおぞましく蠢いていた。
異形の腕が引かれ、代わりに血飛沫が顔面を襲う。
俺は咄嗟に両目を瞑った。
菜子の甲高い悲鳴が鼓膜を揺さぶる。
「あかねっ!!叶子さん!!」
ミニスが叫んでいた。
膝から崩れ落ちる叶子さんの脇から、庄土葉洸の眼光が垣間見えた。
叶子さんを肘で払いのけ、俺に迫る異形の腕。
「命琉っ!!」
「……間に合わない」
紫於と命琉の怒鳴り声が遠かった。
「変身っ」
葵があの言葉を口走っていた。
「にゃあっ!!」
トルテが、ピノの腕から勢いよく跳躍していた。
「変身デス」
ピノが優雅に指揮棒を振るう。
「……どうして……」
叶子さんの元に駆け寄る菜子の表情は絶望で醜く歪んでいた。
「ミニス、来るなっ!!」
庄土葉洸は口の端を三日月の如くつり上げている。
「悪く思うなよ……茜」
それは本当に些細な……余程、付き合いが長くなければ気付かないような。微かなイントネーションの違いだった。
けど、俺には分かる。いや、俺だからこそ分かるんだ。
よく一緒に遊んだから。
二人でくだらない事ばっかして、馬鹿みたいに笑い合って、そんな日常がなによりも楽しかったから。
絶対に聞き間違えたりはしない。
「……苗なのか?」
しなる蛇の頭が左側の脇腹に喰らいつく。
「よくわかったなぁ。さすが茜たん」
突き出た螺旋形の角が左肩の間接を貫く。
「……なんで……」
庄土葉洸の容貌が醜く捩じれていく。
頬肉が波打ち、眼球が隆起し、鼻頭がひん曲り、骨格がばきばき。と怖ろしい音を奏でながら、暴れ狂っていた。
獰猛な鉤爪が二の腕を切り裂く。
「……お前がっ」
庄土葉洸の輪郭が崩れ、告蜜苗として再構築されていく。
衣服までもが激しくうねり、着実と形を変えつつあった。
猿の腕が首を絞め上げる。
「……っ!!」
呼吸ができない。喉が潰れそうだ。
とても人間が━━苗が捻り出せるとは思えない怪力だった。
思考が霞み、意識が薄れていく。
声にならない喘ぎに、舌が痙攣していた。
━━にゃあっ!!
その猿の腕に、トルテが噛みつく。
反動で猿の腕から解放される。
左腕がだらんと脱力していた。関節が外れたのだろうか。
俺は咳込んで涙ぐみつつも、苗を見上げた。
「……どうして、お前がっ」
苗は答えずに、噛みついていたトルテを、腕から伸ばした複数の蛇の頭で縛り上げた。
今度はトルテが苦しそうに呻く。
「やめろっ!!」
「この猫。やっぱり……ザッハの残滓だったのか」
ザッハ。その名前を耳にしたミニスがうわ言の様に呟く。
「……どういうこと?」
ゆらゆらと━━視界にしゃぼん玉が漂っていた。
葵のEinsだと気付いた瞬間。
表面が次々と凍りついた。
浮遊したまま氷結するしゃぼん玉は、まるで透明な小惑星みたいだ。
ゆっくりと足元を転がるものもあれば、宙で枝を伸ばすみたいに結晶を成長させて、破裂し薄紙を散らすものもあった。
ピノのEins〈薄氷〉が苗の周囲に氷の山を築き上げていく。
「トルテを離すのデス!!」
次いで紫色の極光幕が頭上に広がっていく。
鋭い雷鳴が奔り、トルテを縛る蛇を穿つ紫雷。
ぼとり。と千切れた蛇が床を踊り、トルテが俺の足元に着地を決める。
「……大人しくして」
幼い過適合者達から一斉に牙を向けられた苗がぼやく。
「ピノ君。君の敵は俺じゃないだろ?ほら、あそこのお兄さん。親の仇だよね?忘れてないよね?」
変身した命琉の隣に立つ紫於を指差す苗。
「……忘れてなんか。ないデス」
復讐を促されたピノが、紫於目掛けて薄氷を這わせる。
足元に迫る氷を紫雷が砕く。
「……おめぇが檜士の懐刀〈鵺〉か」
対する紫於が厳かに訊ねた。
「あぁ、うん。もう隠しようもないしね。そうだよ、俺は〈鵺〉として、〈緑〉の命令で茜を殺しにきた。あと、ついでに〈災厄〉の失敗の後始末もしようと思ってたり」
「嘘だろ?」
「嘘だとするなら、それは……茜と一緒に居た時の俺が。だよ」
「最初から騙してたのか?」
「〈金〉の監視役として〈藍〉が常に傍に居たように……〈銀〉にも監視役が必要だったんだ。ね、葵ちゃん」
今、なんて言った……?
「いやー笑いを堪えるの大変だったんだよ。茜がいっつも葵、葵って自慢するからさ」
ゆっくりと背後を振り返る。
可愛らしい変身姿で、ビニール傘を肩に掛けて立つ少女。
葵は……決して目を合わせてはくれなかった。
弁解は必要ないのだと、曇った表情が告げている。
「雨頃家は〈銀〉の経過観察を契約に、七色機関から解放されたんだよ」
苗の声が脳を殴り、胸を貫いていく。
「……ははっ。俺、馬鹿みたいだな」
記憶を失った俺を救い上げてくれたのは誰だった?
俺は誰のヒーローになりたかった?
大人になったら一緒に暮らそうと約束したのは、誰だった?
この四年間で俺が築き上げてきたものが。音も無く、ばらばらと崩れ落ちていく。
欠片を拾い上げても、元の形なんて思い出せなかった
〈災厄〉の記憶喪失にも劣らない欠落。
それは自我の拒絶。喪失の受諾。
生きる意味を見失えば、その言葉が零れるのは、正しくさえ思えた。
SOS信号に答えてくれるヒーローなんていない。
刹那的な衝動が、壊れかけの心に吐かせる。
━━なら殺せよ。




