赤〈創生〉①
〈青〉
━━子供の頃の夢は言えますか?
押切駅の改札口を抜けると、そんなフレーズが目に入った。
どうやら資格関連の教材を販売する会社による広告らしい。
僕ももう今年で28歳か。
なんや、人生なんてあっという間やね。
手品師に憧れてた。理由はテレビで見たからだ。
その次は菓子職人に憧れた。理由は誕生日ケーキが美味しかったからだ。
次は野球選手。ほんで、漫画家、ジャーナリスト、服飾デザイナー、焼き鳥屋、警察官。
ヒーローになりたいなんて思うた事あらへんし、ほんまヒーローになるなんて思わへんかった。
生まれは宮崎、育ちは愛知、進学に伴って大阪へ、就職で東京へ、そんで京都に転勤。でもって、今はまた東京に戻ってきてる。
その度に現地の言葉遣いを真似ようとして、結果、ぐちゃぐちゃになってもうた。
高校の教師は、進路相談の際に僕にこう言っとった。
もう少し自分の意見を主張したらどうだ?
自分の意見ちゅうもんが、なにを意味しているのか?なにが自分の意見なのか?
ようわからへんかった。
ただ周囲の求める自分を演じてれば、それでずっと楽に生きられたから。それでええやん思うとった。
ヒーローになったんやって、親の勧めでEinsの教育課に通い出したら、たまたま過適合して、たまたま〈七極彩〉なんて冠を与えられたからやし。
人を救う仕事ちゅうのは、あんまり実感できへんかった。
『怪人』が出たら対応してくれればそれでいい。
そう聞かされとったし、それが分かりやすかったから。他には何もしなくてええねんな。と気楽に頷いた。
けど、実際は全然違っとった。
僕が『ヒーロー』を名乗れば、子供達は瞳をきらきらさせて何かを期待するし、大人達は訝しんで眉を潜めた。ほんで弱者は僕に助けを求めて、強者は僕を邪険にした。
環境に馴染んでひっそりと生き抜いてきた僕にとって、そういった起伏は許容限界やった。
一時期、適応する癖も忘れて、僕は自暴自棄になっとった。
『ヒーロー』なんて仕事に、一秒たりとも誇りを抱かへんかった。
生活の為なんだと、朝起きる度に言い聞かせて家を出とった。
そんな荒んだ時期が終わるなんて思いもせんかったし、同窓会の紹介状すらこない僕に、友達ができるなんて思わへんかった。
〈七極彩〉は七人の過適合者で構成されとった。
つまり、僕以外にも六人━━赤橙黄緑青藍紫を冠する人間がおった。
〈赤〉の赤神仁衛。
〈橙〉のザッハ・ヴァリア・レイン。
〈黄〉の庄土葉洸。
〈緑〉の懐森檜士。
〈藍〉の式咲叶子。
〈紫〉の東雲紫於。
〈赤〉と〈緑〉の二人は疎遠やったけど、他の四人はよう仲良うしてくれた。
まぁ洸の場合は、僕らに無理やり引き摺り回されとった感が否めへんけど。
〈七極彩〉なんてけったいなもんになってよかった。初めてそう思えた瞬間。
━━出来る事なら友達の力になりたい。それが28歳のおっさんが抱くたったひとつの願いやった。
「久しぶりだな……朝霧蒼乃介」
週明けの早朝を迎える駅は、登校や出勤に向かう人でごった返しとった。
汗や息で蒸し返し淀んだ空気は、吸えば肺に不純物を蓄積させる気がして、清々しい筈の朝の心地も悪い。
「俺、僕の事なんて覚えてねぇよな?」
変な子供に絡まれたなぁ。
僕を〈七極彩〉と知って声を掛けてくる人は珍しくもない。
遅刻しとうないし、適当にやり過ごそ。
「すみませんが、どなたでしょうか?」
「っは!!心底、愉快だぜ。今のあんたはそんな話し方をしてんのかよ?」
色素の薄い茶髪に色白な素肌。けったいなピアスを幾つも右耳に垂らしている。
右側の前髪に黒髪の束が混じっており、その束だけがやや長めに目蓋まで差し掛かっていた。
悪趣味で派手な服装をしており、ふてぶてしい面持ちは大人を舐め腐ってると言わんばかりだ。
「あの、僕も仕事なので。用件がなければ失礼します」
電車なんて使うんやなかったな。
車は混む思うて止めとったけど、そらこういうパターンもあるか。
「くだらねー仮面はさっさと剥げよ。ったく、仕方ねぇな。なら、これでどうだよ?」
少年は周囲の混雑など気にも留めず、両腕を精一杯広げた。
肩をぶつけた女性が眉間に皺を寄せていた。
━━変身だ。
突然の発光に襲われて、一瞬だけ喧噪が吹き飛ぶ。
なっ、こいつ正気かっ!?
濁り気味のカーキ色で仕立てられた軍服は、少年の体型に合わせて絞られており、学生服に見えなくもなかった。
詰襟が窮屈なのか、変身を終えた少年はすぐさまホックを外し、一番上のボタンを取り払っている。
少年は続けて片腕を掲げた。
僕だけでなく、近くで立ち止まった人々の焦点もが、そこに誘導されていた。
淡い微光が細長い何かを模る。
薄れていく光。残ったのは一本の軍刀だった。
なんや!?なにをするつもりやねん。
「おい、有象無象ども。恨むなら、この場に居合わせちまった事を恨めよな」
躊躇い無く振るわれる刀。
鮮血が迸り、瞬く間に悲鳴が伝染していく。
眉間に皺を寄せたままの頭が、足元を転がった。
軍刀の刀緒が宙を踊り、刃先が描く軌跡が幾重にも人を斬り刻んでいく。
突然の人的違反━━日常を脅かす『怪人』に立ち向かうのが、僕ら『ヒーロー』の役目なんや。
━━変身や。
「へぇ、それがあんたの変身姿か。狐のお面だなんて、いかにもあんたらしいじゃねぇかよ」
「じぶん〈永久切〉やね?どういうつもりか知らへんけど、大人しくせぇや」
押切駅の改札口前はつい数分前とは一変し、あれほど蒸し返していたじめったさも退き、離れた喧噪は━━怯えや慄きなど異なる質を孕んどった。
まるで蟻の如く逃げ散る人々を遠目に、再度〈永久切〉へ呼び掛ける。
「この前の無差別惨殺事件といい、なにを考えとるんや?ただのキチガイなんか?」
「あんたが死ねば〈藍〉の傷が蘇るらしいじゃねぇか。〈藍〉が〈銀〉の枷になってるのが〈罪色樹〉としては不都合なんだってよ。だからさぁ、俺、僕がわざわざ来てやったんだぜ?」
ひらり。と切っ先が弧を描き、眼前を横切った。
〈永久切〉は左手にも軍刀を輝かし、その刃を躊躇いなく薙ぐ。
身を屈めかわすと、相手の足元を掬う様に靴先で床を擦った。
あぶねぇ。と飛び退いた〈永久切〉へ距離を詰める。
彼の手元を狙って、指の先を真っ直ぐに伸ばした。
が、〈永久切〉は届くか否かのタイミングで呆気なく刀を手放す。
翻る刀緒に指の腹が触れ、軍刀が宙に━━〈凍結〉した。
「やっぱ〈七極彩〉が相手だと、難易度も規格外だな」
空中に浮いたまま、硬直している軍刀を見据えながら、〈永久切〉は愉しそうに呟いとった。
「なんで叶子の〈凍結〉を知ってるん?誰から聞いたんや?」
〈災厄〉の日。
叶子は〈金〉を……いや、菜子ちゃんを庇って〈銀〉から致命傷を受けた。
その傷を僕は〈凍結〉させとった。
僕は〈七極彩〉の中でも一番地味やと言われとる。
けど玲なんかは、そのEinsの持続性こそが〈七極彩〉に選ばれた異常だと話しとった。
僕のEins〈凍結〉はなんであれ……触れた対象の流動を止める。
そして、その効果は無期限や。変身を解いても〈凍結〉は消えへん。
僕が許さない限りは決して再動する事はない。それこそ〈銀〉の焔で〈浄化〉でもしない限り……絶対や。
「さぁな。俺、僕はただの捨て駒だからさぁ、詳しい事はわかんねぇよ。けどまぁ、……干鉛の爺なんだろうなぁ」
〈罪色樹〉と、干鉛なんていうもの珍しい姓の結び付きは、ある人物を連想させた。
七色機関教育課の元総責任者━━干鉛鉛治郎。
玲の前任者であり、元〈三森〉の一人。
「そういえば〈三森〉って、それぞれの名前に『森』の字を当てる決まりでもあんのかな。森堂玲とかいう兎は本名らしいけどよ、他の二人はわざわざ偽名を名乗ってまで〈三森〉を成してんだろ?」
「偶然ちゃうん?そもそも干鉛鉛治郎やて、それらしい文字は入っとらんやん」
「あれ、知らねぇのか?……まぁ、どっちにしろこじつけなんだろうけどさぁ、干鉛の爺ってさ本を書いてるんだぜ?━━安藤誠一って名前でさ。藤って、一応は植物の名前らしいじゃねぇか」
「……こじつけやん」
「っはは。やっぱそうだよなぁ。あの爺さん『僕はあの二人にとって、蔦として纏わりついていただけのお飾りでしかなかった』なんて気取った事言ってたからよ。……にしても、作家って恵まれた仕事だよなぁ。覆面作家って言うんだっけ?素性を明かさなくても働けるなんて最高じゃねぇか」
〈永久切〉の安直な発想に対して、僕は溜息を返した。
「それな、作家の方々に言うてみ?じぶん、はったおされるで?」
「んなの返り討ちだって。むしろ、俺、僕が正体を斬り晒してやるぜ」
「……そういう意味ちゃうわ」
「さて、と。六課とか来ると面倒だし、そろそろ本気出すぜ」
「その言葉、なんや、駄目人間っぽいで」
「明日から本気出す」
「あかんて」
っは!!と〈永久切〉は鼻で笑い、片方に残る軍刀を床へ放り捨てた。
「随分と余裕そうだなぁ、おい。なら、お望み通り見せてやるよ━━俺、僕のEinsをなぁ」
吐き捨てると、〈永久切〉は不可視の扉を開くかのように構えた。
そして、両腕を引き離し、真正面の空間を裂いていく。
━━剣は層と成りて、永久なる斬譜を此岸に記そう。
いかにも子供らしく飾った詠唱。
目の先が無数の蛍火で埋め尽くされていく。
やがて、蛍の奔流は……映画『十戒』を思い出させる海割りとなり、お互いの視界を隔絶した。
光の層は一際強烈な輝きを発し、靄みたいな残光を漂わせる。
それは正しく━━〈層剣〉やった。
先程の詠唱が脳内で反芻しとる。
見渡せる限りを遮るは、滞空する無数の刀剣。
刃先は、まるで譜を綴る筆先の如く、一様に地を向いていた。、
それらは縦へ、横へと等間隔に櫛比しとり、僕と〈永久切〉との間で壁を成しとる。
「ほんっと〈罪色樹〉には感謝してるぜ。こうして……俺、僕に過去の清算の機会をくれたんだからさぁ。なぁ━━朝霧蒼乃介。あんたはどこまで耐えられるんだろうな」
〈永久切〉の笑い声だけが〈層剣〉の向こうから聞こえ、次いで、宙に整列しとった剣が一斉に刃先を翻した。




