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Eins (アインス)  作者: えんじゅ
【葵奪還編】━━障害となるは、ヒーローの最高峰〈七極彩〉。
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紫〈愛憎〉②

〈茜〉


俺も変身するべきか━━?


逡巡する脳裏を掠めたのは〈七極彩〉の〈藍〉こと式咲(しきざき)叶子(きょうこ)さんの姿だった。

〈災厄〉の日に俺のEins〈浄化〉の銀焔を受けた叶子さん。

俺が変身すれば、その反動で……彼女のEins細胞に眠る銀焔の火種が脈動するのは間違いない。

それだけならまだしも、俺の〈浄化〉はEinsに関わる全てを焼き払ってしまう。

つまりは叶子さんの命をこの世に繋ぎ止めている〈青〉のEins〈凍結〉もまた等しく、銀の焔の前では無力だろう。

葵と叶子さんをそれぞれ左右に載せた天秤は忙しなく、沈んだり浮かんだりを繰り返していた。

式咲菜子が俺に釘刺した別離の言伝とは、そういう事だったのだ。

ふと疑問に思う。


━━菜子はどうやって〈災厄〉における自分の正体を知ったのだろうか?


彼女の証言を鵜呑みにするなら、やはり〈緑〉が一枚噛んでいるとみるべきか。



眼球を焦がす勢いで、絶え間なく爆ぜる紫の(いかずち)

もし、あんなのを体に受けたらどうなるんだ……。

命琉は無言のまま、威嚇を伴う紫雷を一際大きく奔らせた。

空間を引き裂く雷鳴が鼓膜を穿ち、ミニスの足元に黒い跡が残る

一度、紫雷の網が薄れ、何事も無かったかのような静寂が訪れた。

ただ、網膜に焼き付いたまま消えない閃輝の残像が、決して夢ではないのだと物語っていた。

「……ミニス。これで最後。次は外さない」

ぼそぼそと。抑揚の薄い調子で、再度、警告を放つ命琉。

「やってみればいいじゃんか」

対するミニスの挑発的な物言い。

さすがに不安を隠せなかった。

ミニスの髪に幾つも結ばれた朱色のミニリボンを見つめながら、俺は尋ねる。

「どうするつもりだよ」

「どうするもなにも。まともに相手するつもりなんてないって」

俺達の会話を受けて、頭を上げ、とんがり帽子のつばに隠れていた双眸を覗かせる命琉。

遠目でも、彼女の虹彩が、まるで極小のオーロラを眺めているかの様に鮮やかな紫色をしているのが分かった。


「……〈風凪(かぜなぎ)〉で絶縁状態をつくるつもり?」


そういえば高校の授業か、それとも何かの番組だったかで耳に拾った記憶がある。

放電現象は圧力によって著しく発生を抑えられるらしい。

ミニスのEinsは雑にまとめれば圧力を故意に変化できる類の能力だから、それにより気圧を高めれば相対的に気圧中の密度も増し、電子が放電に足る加速距離を得るよりも先に衝突してしまう。

逆もまた然りで、気圧がある段階よりも低くなると、今度は電子がそもそも衝突せず、結果は同じく放電に結び付かないのだ。


「そうね。パッシェンの法則とかそんなんよ」


しかし、それはあくまで自然現象の放電だと仮定した場合の話だ。

ミニスがEinsで故意に圧力を操作できるのなら、命琉もまた故意にEinsで電子を操れる筈である。

俺には、落ち着き払った命琉の態度が、その事実を裏付けている様に見えた。

……まぁ、あの乞食幼女は感情の起伏に乏しいみたいだから、表面上ではとても真偽の程はわからない。


「ならさ、こういうのは知ってる?」


と、傍観している俺を置き去りにして、今度はミニスが行動に出た。

彼女は右の人差し指を真っ直ぐに命琉へ定め、親指を立てている。

そして、拳銃を真似た右手を微動させつつ「ドカン」と口ずさんだ。

次瞬、命琉のとんがり帽子が大きく宙を舞った。


「あたしさー、小さい頃からアニメ大好きだったんだー」


うん、だと思った。


「日本のアニメもよく見てたの。でね、ドラ・ザ・キッド……知ってる?」


命琉は一貫して無言だ。

帽子が吹き飛び、照明に浮かんだ面貌は病的に白く、無表情も相まって……やはり人形みたいだった。


「ドラえもんズの映画のドラ・ザ・キッドがさー、すっごくかっこよかったんだー。空気砲でドカンドカーンってさ」


って、おいおい。

突拍子もないミニスの言動が意味を成し、そのくだらなさに溜息が漏れそうだった。


「過適合した時にね、一番最初に試したのが空気砲だったわけ」


「……」


「……ねぇ命琉。次は外さないよ?」


拮抗状態が生じつつあった。

〈七極彩〉の〈橙〉と〈紫〉。

お互いに実力の底が計り知れず、安直な一手が━━愚直な悪手へと変わってしまう事を危惧しているようだった。

こうしている間にも庄土葉洸が葵に対して、なんらかの接触を働いているかもしれない。

次々と彷彿する最悪の想像。

俺は苦汁をなめる心境でも、懸命に耐え忍んでいた。

だけど……。

「別にたい焼きの恩を返せとか言うつもりはないんだ。けど、頼む。どうか━━俺達を見逃してくれっ」


「……そんなに大切なの?」


「大切だよ。あいつは俺を家族だと言ってくれた」

守ると約束した━━ずっと一緒だと誓った。

「……家族なんて」

微かに、命琉の声音に感情が滲んでいた。

「嫌なんだ。また独りぼっちになるのは……家族を失うのは、もう嫌なんだよ」

なんて都合の良い言葉だろうか。

俺は〈災厄〉で、多くの人間を殺めてきたというのに。

だけど、そうだと分かっていても、俺は叫ばずにはいられなかった。

「あかね……」

俺の方を振り返ったミニスの眼差しはどこか寂しげで、俺とは違う遠景を見据えているようだった。

「……違うよ。お兄さん。失うのが辛いなら、何も望まなければいい。私達の様な存在が幸せを求めたって━━辛いだけ」

私達の。その括り方に違和感を覚えた。

「……〈緑〉から教えてもらった。お兄さんは〈鬼の末裔〉を継いでる。……私と同じ」

俺が動揺から目を(みは)るのを見届けて、命琉は言葉を続ける。その口元はEinsから遠く、ただこちらへ、理不尽さを突きつけるが為の呟き。


━━変身(チェンジ・オーバー)


直後、既視感を伴う紫色の光が視界を埋め尽くした。

「嘘でしょ!?」

視覚が奪われた為か、ミニスの声が鼓膜によく通った。

ゆっくりと明順応していく瞳孔が、類を見ない二度目の変身を遂げた〈七極彩〉の〈紫〉を捉える。

その風貌は異形を孕んでいた。

黒髪の両端から突き出た金色の渦巻く角。

背中からは黒羽の翼が伸びており、口角からは鋭い犬歯が突出していた。

禍々しく、古くより伝承される悪魔を思い起こさせる姿へと変身を終えた命琉が呟く。


「……これでお終い」


「あかね━━逃げてっ!!」


紫の濃淡が極光幕(オーロラ)を模倣して、視界を覆っていた。

肌に触れている空気が熱を増していく。

そして、紫色の鋭い閃光が幾重にも空間を刻んだ。


さっきまでの〈紫雷〉など比較にすらならない音と光が炸裂した。

が、ぴたりと。それが止む。


「━━━━っ!?」


突如として無音の暗闇に立たされていた。

次いで、身体がふわりと浮き上がる。

それがミニスのEins〈風凪〉の仕業だと……遅れて察した。



〈橙〉


あかねを強引に通路の奥へ吹き飛ばした。

命琉の脇を横切るあかねへ紫雷が襲いかかったが、決して届くことはなかった。

滑る様に扉へぶつかったあかねの無事を確認する。

目測で大よそ15メートルくらいは飛んだかな?

あの扉は訓練施設エリアへの入り口だ。

休憩室はエリアのすぐ脇に設けられているから、あかねでもすぐ分かるでしょ。

周囲で絶えず暴れ狂っていた紫雷が静まる。

「……やられた」

ったく、もう少し悔しがりなよ。

「命琉。あんたのEinsじゃ届かないでしょ?」

二度の変身を遂げた命琉のEinsの凶悪性は一目で理解できた。

彼女の極光幕(オーロラ)は、本来━━地球大気の上層領域で起きる電離層を成している。

電離層は非常に電流が流れやすい。

また、どうやら起電力の性質も兼ね備えているらしく、極光幕(オーロラ)自体が更なる紫雷を発生させていた。

同じ〈七極彩〉である〈(あたし)〉から見ても、命琉は紛うことなき天才だ。

でも、まだまだ発展途上だったね。

それにしても、放電の発生源が命琉で留まっている間に決着を付けるべきだったなー。

後悔先に立たず。ってやつ。

「……ミニス。どうして最初からそれをしなかったの?」

だから、現在進行形で後悔してるんだってば。

あかねに施した現象は、あたしにとっての奥の手だった。

圧力を加減すれば、ある程度の電流は遮れる。が、それも完璧ではない。

命琉の紫雷なら……強引に突破されてた。

それは圧力どうこうじゃなくて、単純にあたしの力量の問題だ。

極光幕(オーロラ)の所為で加速度的に回数を増した放電を受け止め続ければ、こっちの余力が先に空っぽになるのは目に見えていた。

だから、あたしは奥の手を開いた。


━━絶対真空。


前人未到とされる無の世界。

あかねの周囲を絶対真空で覆う事により、光や音など一切の現象を通さない不可侵障壁を施したのだ。


勿論、奥の手は……滅多な事では使わない理由があるから奥の手として秘めておく訳で。


あたしの意図を上手く悟ってくれたのか、あかねはそのまま扉の奥へ飛び込んでいった。

安心からか、淡い微光が散っていく。

「あーあ、解けちゃったー」

Einsの強制解除を迎えたあたしに、命琉は憐れむような視線を投げかけていた。

やれる事はやった。

お菓子ばっかり食べてて、運動の意味すら知らないかもしれない命琉には、あかねを追えないだろう。

仮に命琉が慌てて追い掛けたとしても、あかねなら追いつかれる前にあおいちゃんを救えるでしょ。うん、信じてる。

「さ、煮るなり焼くなり好きにしたまえ」

「……」

命琉もまた、変身を解いた。

ぎゅっと結んでいた小さな唇を開いて、浅く息を吸っている。

その口元が不意に硬直した。

紫水晶の様な輝きを灯す瞳が、あたしの背後一点を見据えている。


「命琉。おめぇ、なんも変わってねぇな。もうちっと飯くえやぁ」


━━その声は、方言訛りがとても酷かった。



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