黄〈強襲〉③
〈茜〉
「へい、らっしゃいっ!!」
引き戸を開けるなり、威勢の良い声に出迎えられた。
『めでたい』のおっちゃんは今日も今日とてタオルをねじって額に巻き、たい焼きの焼き加減を見定めるように、鋭く鋳型を睨んでいる。
ちらりと来客の姿を確認すると、おっちゃんは力強く声を張った。
「なんだぁ茜。また違う女の子かい?若いねぇ!!」
「だから違うって。ほら、前から話してたじゃないですか。妹の葵っす」
「茜お兄ちゃん……違う女の子って誰のことです?ミニスさんですか?」
「あ、いや。ミニスじゃないけど……ただのクラスメイトだよ」
「ただのクラスメイトですか……ただの」
「茜がいつも自慢してる葵ちゃんかぁ!!こいつぁまた別嬪さんじゃねぇか!!ちょっと待っててくれや。いまぁ、こいつ焼き上がったら、しっかり挨拶すっからよぉ!!」
壁際の丸椅子に並んで座る。
飾り気のない店内はもう随分と変化に乏しかった。
角ではブラウン管テレビが眠っており、店内でたい焼きを食べる客用に用意されている木卓は隅に寄せられていた。
常日頃、おっちゃんがたい焼きに丹精を込める焼き場は、壁の中間が取っ払われて吹き抜けとなっている隣の部屋で行われている。
「美味しそうな匂いです」
「だろ?おっちゃんのたいやき食べると、もう他のたい焼きなんて食べれなくなるぜ」
「だははっ、おいおい茜よぉ、あんまハードルあげんなやっ!!」
冬の到来を告げる寒風に蝕まれた身を癒すように。俺達は熱気の満ちた『めでたい』店内で体温を取り戻していく。
再び戸が開けられる。
へい、らっしゃい!!とおっちゃんの大声が来客を歓迎した。
「あれ、茜じゃん」
「うわ、苗」
思わぬ遭遇に驚くのも束の間、俺達の視線がお互いに逸れていく。
「あ、葵ちゃんだ。学園祭以来かな?久しぶり!!」
「苗、お前って妹いたんだっけ?」
苗の隣には見覚えのない女の子が立っていた。
葵に似て清楚な黒髪は伸ばしっ放しなのか、腰回りまで届いており、所々の毛先が跳ねている。
身長は150cmもないんじゃないだろうか。非常に小柄で、手足がガラス細工並に脆そうだ。
地味な黒のダッフルコートに菫色のミニスカートを合わせており、駄目押しとなる黒タイツが彼女の暗さに箔を付けていた。
俯き気味で、あまり表情が覗えない。
肌は雪化粧の如く白くて、インドア派かつ内気な印象を与えていた。
「苗さん。お久しぶりです」先言後礼を律儀に守り、丁寧にお辞儀する葵。
「んや、この子とは駅の近くで会ったんだけど……この店を探してたみたいでさー。暇だったし、案内してあげたのだ」となんだか胡散臭いにやけ面で話す苗。
「お、今度は苗か。お前らが別々に来んのも珍しいなぁ」と、手の空いたおっちゃんが会話に交ざってくる。俺と苗は同時に「そうっすねー」と相槌を返した。
「安心したぜ。とうとう幼女に手を出したのかと」
「お前が言うな」
「違う、俺は葵だけだ!!……あっ」恥ずかしい。
「えへへ、照れます」あれ、なんだか思ってたのと反応違う。
「おぉそうだ。ちょうどいいな。ちょいとお前達に意見を聞きたかったんだ。すぐ焼くからよ、待っててくれるか?」
俺と苗は同時に「いいっすよ」と頷く。タイミング被り過ぎだろ。
「たい焼き、楽しみです」
待ちきれない。と瞳を輝かす葵へ「今、サービスで食わせてやっから」とおっちゃんは再び焼き場へ戻っていく。
「なんだろうな?」
「さぁ?」首を傾げる苗。
その間、苗の隣に立つ女の子は終始無言だった。
俺達四人は仲良く横に並んで、丸椅子に座っている。
左隣に葵。右隣に苗。そして、苗の奥に女の子だ。
「サービスだってよ?ラッキー!!財布すっからかんだから、茜にたかろうと思ってたんだけど、その必要がなくなったぜ」
「いや、奢らないけど」
「ひどい!!」
「……あの」
そこで初めて、女の子が口を開いた。
「……案内、ありがとう」
ぼそぼそと、集中していなければ聞き逃してしまいそうな声量だった。
「いえいえ、どいたまー」
ちょっと空気が凍える。
「茜お兄ちゃんはいつも何味を買ってるのです?……葵はクリーム味ですかねー、あ、でも餡子も捨て難いです」
幸せそうな悩みに頬を緩めている葵。
「あれ、言ってなかったっけ?ここは小豆餡のみなんだ」そういえば『めでたい』のたい焼きは美味しい。とにかく、美味しい。としかいつも話してなかったな。
「えっ、そうなのですか?」
「うむ、そうなのじゃ」
「苗、キャラ安定させろ」
「あ。はい」
「こればっかりはおっちゃんの拘りだからな。でも、美味しさは保証するぜ」
「わりぃ。待たせたなっ!!」
おっちゃんはじんわりと鼻頭に汗を滲ませながら、会計用の卓を横切って、俺達の方へ近寄ってくる。
両手には紙包みからひょっこりと顔を出しているたい焼きが幾つか握られていた。
「さっ、試食してみてくれ」
「試食っすか?」俺と苗の声が重なる。おい、いい加減にしろ。
「いや、ほら……なんつうか。〈災厄〉から不景気続きだろ?うちもそろそろなぁ、変化が必要になってきたんだよ」
「……変化っすか」また被った。意識して一呼吸置いたのに、なんでお前も真似してんだよ!!
「やっぱお前ら仲良いよなぁ。んでな、先に渡した方がカスタードクリームを入れてある。で、今から渡すのが練乳苺味だ。どっちも自家製かつ自信作だ。正直に言っていいから、ちょいと感想を頼む」
葵が当惑した面持ちで、たい焼きを見つめている。
おっちゃんの拘りなんだと力説してた俺の立場が……。
っつか、練乳苺って可愛いな。おっちゃん、女性層を標的に据えてんのかな。
「わぁ、美味しいです!!どっちも相性ばっちりですっ!!」
「うん、カスタードはしつこくなく、まろやかで上品な味わいしてるし、練乳苺も思ってたほど甘ったるくなくて食べ易いっす」
「なぁ、茜。俺は常々思うんだが」
「なんだよ」
「練乳苺って、なんかエロくね?」
「うん、そうだね」
「あれ、てきとーに返事しないで」
エロくて最高っすよ。と絶賛している苗の隣をちらりと覗いてみると、女の子ももぐもぐと夢中になって、たい焼きを頬張っていた。
「おぉそうかそうか。とりあえずは手応えあり。っつうとこかな」
「いや、もういけますって!!俺、学校の奴らに勧めますよ」
「ははっあんがとな。まぁ、お前らはあんまケチつけるのに慣れてねぇだろうからよ。もうちょいと常連さんの意見も踏まえてから決めるわっ」
で、どうすんだ?今日は買ってくんか?
とおっちゃんは両腕を腰に当てて、背伸びした。
「俺達は買って帰ります。葵、いくつ欲しい?」
「一つでいいですよ」
「おっちゃん、四つで!!」
「へい、毎度!!」
「茜お兄ちゃん?」
「葵、遠慮しなくていいから。……まぁ、俺なら三つぐらい余裕で食えるし、とりあえず買っとくスタイルで」
昨日の夜は遊びに来なかったけど、もしかしたら今日はミニスが来るかもしれないしな。と自分が無意識に淡い期待を抱いているのだと気付いて、ちょっとだけ動揺した。
「いかんなぁ、茜君。買うならもっと勢いよく……だろ?ということでおっちゃん、たい焼き二つ追加で」
「おっちゃん、無視してください」
「なんでよ?」
「こっちの台詞だ!!」
「いいですよ。葵のお小遣いで苗さんの分を……」
「やめろ葵っ!!餌を上げちゃ駄目だ!!ついてくるぞ!!」
「俺は捨て犬かっ!!」
おっちゃんと会計を済ましていると、不意に服の裾を引っ張られた。
「ん?」と正体を確かめる。
無口の女の子が、上目がちにこちらを見上げていた。
珍しい紫色の虹彩が、じっと俺を捉えている。
改めて視界間近に女の子を映すと、人形にも似て整った顔立ちに見惚れそうになる。
葵の屈託のない笑みを向日葵と例えるなら、この女の子のあどけない表情は紫陽花の様にしっとりと儚げだ。
紫陽花に対する個人的な印象はさて置き、非の打ち所がない美少女である事は間違いなかった。
「……財布、忘れた」
ぼそりと女の子は呟いた。
「え?」
「……たい焼き」
うん、えっと……つまり、買ってと?
「わかったよ。おっちゃん、やっぱ一つ追加で」
「毎度っ!!」
あれ、まだ引っ張ってくる。なんで?買ってあげてるじゃん。
「……幼女は一つじゃ、救えない」
そうですか……足りないんですね。はい。あと、自分で幼女って呼ぶのはどうかと思います。
「あの、おっちゃん……何度もすんません。更に一つ追加してもいいすか?」
「おうよっ!!」
気のせいかな……まだ引っ張られてる気がする。もう無視でいいかな。
あ、ほら。葵と苗も近付いてきたし。
「……幼女は二つでも救えない……カスタードと練乳苺……新発売」
え、いや。さっきおっちゃん言ってたよね?まだ試作段階だって。
「おっちゃん、カスタードと練乳苺ってまだ売らないんだよね?」
「160円になります」あ、おっちゃんずるい。
「はい、わかりました。すいません。もう俺の負けです。おっちゃん、カスタードと練乳苺。人数分お願いしていいっすか?」
「ったりめぇよ!!」
おっちゃんは気合い再充填と言わんばかりに、額のタオルを締め直す。
「……ロリコンのお兄さん。ありがとう」
乞食幼女はぺこりと頭を下げた。
踏んだり蹴ったりだ。
アパートへの帰り道。
木造公園を横切る頃になると、水面へ絵具を垂らしたかの様に、夕日が雲を溶かしつつあった。
公園へ落ちる日が、寂れた遊具を赤く染めている。
苗や乞食幼女とは『めでたい』でそのまま別れていた。
「茜お兄ちゃん」
「ん?どした?」
「葵は安心しました」
「安心って、なんだよ突然」
「学園祭の時は、なんだか無理してる様に見えたのです。でも、昨日や今日、一緒に居て分かりました。茜お兄ちゃんはしっかりと自分の居場所をつくり始めてるのですね」
『めでたい』の紙袋を両腕に抱き寄せて、すぐ傍を歩いている葵。
葵は物思いに耽っているのか、俺の視線に気付く様子がない。
「でも、ちょっとだけ……寂しいのです」
あまり聞いた記憶の無い、葵にしては低めの声音だった。
「ったく、馬鹿だな。俺はいつだって葵の事を一番に考えてるんだぜ」
出来るだけ能天気に聞こえるよう意識して笑う。
何処からともなく鴉の鳴き声が上がり、やや遅れて別の方角でも鴉が鳴いた。
なんだか俺達の滑稽さを嘲っている様にも聞こえて、少し煩わしかった。
「いつか……俺が働くようになって、葵が高校を卒業したら。一緒に暮らさないか?……俺は、これから先もずっと。葵の傍に居たい」
思えば、これが俺の想いを真っ向から伝えた━━始めての瞬間だった。
透伯父さんは許してくれるだろうか?
俺は養えるだけの職に就けるだろうか?
不安は幾らでも沸いてきた。
言葉だけのヒーローではなく、職業としての『ヒーロー』になった自分を想像しようと試みる。
けど、遮る疑惑が渦を巻いて、将来像を淀ませる。
〈銀〉とは、一体何なのだろうか?
「はい。葵も茜お兄ちゃんとずっと一緒に居たいです」
人の気持ちはいつ変わるものか分からない。
でも、俺と葵の約束は約四年経った今でも……まだお互いを結んでいる。
このまま大人になりたい。
このまま大人になれれば、どんなに幸せだろうか。
それは、四年間の夕藤茜を育んできた俺が切に願う未来の姿だった。
公園を抜けると、砂利混じりのセメント道が緩やかに傾く遊歩道が続く。
脇には比較的、古めかしい住宅が建ち並んでおり、夕食の支度と思われる香りが道にまで漂っていた。
駐車場へ着くや否や、すぐにその人物へ焦点が奔った。
その人物はロングコートのポケットへ手を突っ込んでおり、長身痩躯を猫背にして立っていた。
アパートへ背を向けており、姿を現したばかりの俺達を真正面に捕捉している。
待ち伏せだと直感した。
蜂みたいな黄色と、墨汁を吸ったかの黒色が乱雑に混じっている頭髪。
派手なサングラスの所為で、どんな目つきをしているのかまるで分からない。
顎を上げ、不遜な態度で、その人物は俺達へ近寄ってくる。
「おい……夕藤茜っつうのは、どっちだ?」
不穏な気配を察知した葵が後退りする。
代わりに俺は一歩前へ踏み出し、受け答えた。
「俺が夕藤茜だ。あんた……テレビで見たよ。〈七極彩〉の〈黄〉━━庄土葉洸だろ?」
対する〈黄〉は腹立たしそうに声を荒げた。
「てめぇ……年上には敬語使えって習わなかったのかよ?糞ガキがっ」
唾を吐いて、相手は立ち止まる。
黙したまま立ち竦む俺達へ、品定めするかの睨みを利かせる庄土葉洸。
首を回して関節を軋ませながら、彼は唐突に言い放った。
━━変身。
目に痛い黄色い閃光が、庄土葉洸を中心に方々を貫く。
光の軌跡は瞬く間に広がり、目元を覆う暇もなく、視界が黄色に埋め尽くされた。
眩んだ視力が薄っすら回復すると同時に、俺はすぐさま庄土葉洸の姿を求めた。
「なっ……」
唖然として言葉を失う。
それは、とてもヒーローとは呼べない禍々しき変身姿だった。
全身が包帯に覆われており、口元を除くと、右の眼球だけが黄色い光芒を湛えている。
包帯はきつく縛る様に巻きついているものもあれば、だらしなく弧を描いて垂れ下がっているものもあった。
ミイラ男さながらの姿へ変身を遂げた庄土葉洸が威圧的な声を轟かす。
「夕藤茜っ!!。てめぇ記憶喪失なんだろ?いいぜ。俺がその記憶、呼び覚ましてやるよ!!」
━━そして、包帯が次々と伸び……たい焼きが宙を舞った。




