黄〈強襲〉①
〈椚〉
━━モーニング・グローリーはまだ必要かい?
一陣の追風が首筋を擦る。
理路整然と敷き詰められた墓石は、豊かな緑に包まれていた。
押切駅から徒歩十分の距離に佇む柿墺霊園。
見晴らしのよい園内には、人影が疎らに散っている。
「ここですよ」
親切な管理人は、俺、僕の素性を疑う事もせず、すんなりと目的の墓標まで案内してくれた。
「どーも」
一礼を交わして、そそくさと去っていく老人。
「こうなっちまうと、感傷も沸いてこねーよなぁ……」
俺、僕は墓に眠る相手へ独り語り掛ける。
「別に謝りに来た訳じゃないんだぜ。許しを請うつもりもねぇ。第一、ここにあんたは眠ってねぇしな」
遺体無き墓石は……ただ沈黙を持して、こっちの語りに耳を傾けている様だった。
「けどまぁ、暇だったからな。飯がてら寄ってみたんだよ。あ、ほら、買って来てやったんだぜ。期間限定のハンバーガー。けっこう美味しかったからさ、一個やるよ」
片手に摘んでいた紙袋の中を漁り、丸まった包みを一つ供える。
「聞けば、あん時……駈けつけた六課のおっさん。あんたの父親だったらしいじゃねぇか。遺体が消えてからたった一週間で墓を立てる辺り、薄情にも見えるけどさ。やっぱ恨まれてんのかね?ああいうのって、表に出さないだけで、裏ではすげー怒り狂ってたりする訳じゃんか。やだなぁ、会ったとき、めんどくさそーだぜ」
一方的に喋り続けた。
それが先立つ者と残された者との関係として在るべき姿だと思った。
むしろ、反応を窺わなくて済む。というのは俺、僕としては気楽で助かる。
俺、僕と、墓標との関係なんて━━加害者と被害者でしかない。それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもなく、ただそれだけ。
自ら殺めておいて、その相手を追悼するというのは、周りからしてみれば酷く理不尽なんだろうな。
「死者を弔うなんて人間らしいこと、これが初めてなんだ。だからさぁ、多少は大目に見てくれよな」
両目を瞑り、黙祷に時を費やす。
どこか遠くで野鳥の囀りが重なっていた。
「大っ嫌いなヒーローさんに、一つだけ聞いてみたい事があるんだよ。あのさぁ、あんたは……ほんとうに自分が正しいと信じて、人助けできてたのか?」
墓標はただ黙したまま薙ぐ風を受け止めている。
━━あのなぁ、僕のやっとる『ヒーロー』と、君ん辞書にのっとる『ヒーロー』はちゃうねん。僕等は困ってる人を助ける為に働いてる訳やない。ただ『怪人』っちゅう化物から民衆を守る為に『ヒーロー』しとるんよ。悪魔を祓うんはエクソシストやろ?なら、怪人を成敗するんがヒーローなんや……そういう役割なんよ。
それは救いを求めたどっかの子供に対して、ヒーローの最高峰こと〈七極彩〉の一人が言い放ったものだ。
両親の顔はもう思い出せない。思い出したくもない。
父親は「一々泣くなっ!!もっと男らしくしてろっ!!」と、いつも俺を怒鳴り━━殴った。
母親は「子供らしく素直に言うことを聞きなさいっ!!」と、いつも僕を叱り━━叩いた。
楽しいとか嬉しいとか、そういう幸せな思い出よりも先に、苦しいとか寂しいとか、そういう辛い記憶ばかり植え付けられた。
あんたらにとって俺、僕ってなんだったんだ?
ペットなのか?サンドバックなのか?それともジャンクか?
涙は自我が芽生える前に枯れた。
笑顔は物心ついて三日で失った。
憎しみは骨が折れた時に通り越した。
希望はヒーローに拒まれた日、絶望へと変わった。
恐怖は両親を殺した直後、狂気に塗り潰された。
自分は何の為に生れてきたのだろう?とか、そんな哲学的な考えよりも先に……あぁ、自分は殺される為に生きてるんだ。と本気で諦めていた。
「誰かに救いを求めちゃ駄目なんだよな……、だからこそ、俺、僕は、救いを匂わすヒーローが大っ嫌いだよ」
「わざわざ嫌いなヒーローを悼むなんて、あなたも物好きですね?流行りのツンデレですか?」
ツンデレってもうそんな流行ってもなくね?
突然の切り返しに振り返ると、そこには真っ白いコートに真っ白なマフラー、白一色のニットに口元はマスクで蓋。と白に只ならぬ執念を感じさせる雪兎紛いの女性が立っていた。
雪兎は俺、僕の隣へ静かに並ぶと、掌を合わせて黙祷を始める。
コミュ障は大人しく帰るか。
さっさと立ち去ろうとした。
「君は……大臥君とどういう関係だったのですか?」
が、やっぱり声を掛けられる。
「あぁん?……別に、ただちょっと鬼ごっこしただけの仲だよ」
嘘じゃねぇよな。
「大臥君が鬼ごっこですか。まったく……いつまでも子供みたいな人でしたね」
なんか納得されてる。
「そういうあんたは、こいつとどんな関係なんだよ?恋人とかか?」
「君の言う大っ嫌いなヒーローへ、彼を誑かした魔女。といった所でしょうか」
げげっ、七色機関の関係者っぽい。
あーあ、慣れない事はするもんじゃねーのな。ややこしくなってきたぜ。
「ヒーローがそんなに嫌いですか?」
「あぁ、大っ嫌いだね。正義面してる癖に、ほとんどの奴が利己主義じゃねぇか。こいつらは怪人が絡まなきゃ、助けようともしないだろ」
「そうですね……でも、知ってますか?怪人なんて絡んでないのに、怪人の所為にしてヒーローを利用しようとする人間だって、世の中にはたくさん居るんですよ?」
━━信じるべきヒーローが裏切ったのか、信じて貰うべき人間が裏切ったのか。君はどっちが先だったと思います?
彼女はそう続けた。
「俺、僕はそういう鶏が先か?卵が先か?みたいな追及は無意味だと思うぜ。善悪とかさ、価値観なんて人それぞれだろ?画一化なんて……考えるだけ無駄じゃねぇのか?」
「えぇ、そうです。ですから……私は先入観をいつまでも当て嵌め続けるのは無意味だと思います」
「っは……何が言いたいんだよ?」
「答えるまでもありません。君も薄々感じているからこそ、ここに居るのでしょう?」
雪兎は可愛らしい装いにそぐわない……大人びた対応を見せる。
気付けば空は、地平線から茜色を昇らせつつあった。
群から逸れた小ぶりな綿雲が、色調の移ろいに溶けていく。
霊園に落ちる日が、墓石を赤く染めていた。
睫に掛かる前髪を、指でさっと払う。
俺、僕も、雪兎も互いに古賀大臥の墓標へ視線を伏せたまま、会話を交えている。
「ヒーロー以前に……七色機関は悪だ。俺、僕はそう思ってる」
わざと挑発的な言い方を選んだ。
「なぜですか?」
「Einsなんてものを開発したからだよ」
では……と、彼女は反抗期の子供を窘めるような優しい声音で問う。
「拳銃を製造する職人に罪はあると思いますか?核実験に携わった科学者ならどうです?」
「自覚すべきだとは思うぜ。自分達の行いが何に繋がってるかをな」
猟奇的殺人者〈永久切〉に言える事じゃないよな。と内心、自嘲する。
「なるほど。でしたら、罪の追及はどこまで求めるべきでしょうか?銃を殺害に使った当人は然る事ながら、その人物に銃を売った人まで?それとも、その銃を製造した人まで?はたまた、銃の原型を開発した人まで?いやいや、もしかすると、この国に鉄砲を伝来した異人まででしょうか?」
「知るかよっ。追及なんて無意味だって言ったろ?ただまぁ、まったく無関係って訳でもねぇんだろうな」
「そうです。因果関係を突き詰めていくと限がないんです。銃で人を殺した青年の裏には、ヤクザに恋人を人質に取られて脅されていた悲劇があるとか、銃を密売する男性の裏には、両親が抱える多大な借金を今すぐ返済する必要があるとか、銃の製造業に勤める母親の裏には、夫の浮気で離婚して、単身、子を養う苦労があるとか、日本に鉄砲を伝来した異人の裏には、開国が成功するまで祖国に帰れない使命があるとか」
「幾らなんでも遡り過ぎだろ……っつうかさぁ、あんた自身はどう思ってるわけ?」
「私が、ですか?」
「そ、あんたがだよ。俺、僕ははっきりと言ってやったろ?けど、あんたの本音はまだ聞いてないぜ」
そこで雪兎は困惑の表情を浮かべた。
顎に手を添えて、本気で悩んでいる様子だ。
「Einsは素晴らしい発明です。……ただ、それを扱う人間に問題があるのも事実なのでしょう」
「模範解答っぽくて、なんかつまんねぇな」
「ですが、きっと大臥君も同じことを言ったと思います」
「ふぅん……そうかよ」
押し黙ると、妙に風通りを感じた。
風は頬を撫で、前髪を煽り、微かな青草の匂いを残して、霊園を吹き抜けていく。
「━━萩原椚だ」
「くぬぎですか?」
雪兎はきょとんと目を丸くして、同じ名をそのまま呼び返した。
「俺、僕の名前だよ。なぁ、よかったらあんたの名前を教えてくれねぇか?」
「私は森童玲。教職の真似事をしています」
「どーりで……」説教臭い喋り方をするんだな。と、肩を竦めた。
その時、不意に。死者の安眠を妨げる陽気なメロディーが、玲のコートから鳴り響いた。
「……失礼」
彼女は携帯を両手で大切そうに抱えて、通話相手へ小言を飛ばし始める。
━━また洸ですか?どうして、彼はいつもいつも問題事ばかり……。
玲はさっきまでの調子を一変させ、緊迫した面持ちで、次々と捲し立てていた。
俺、僕は最後にもう一度だけ古賀大臥の墓石を見つめると、ふっと踵を返す。
地面へ細く伸びる影が、足並みを揃えて歩き出していた。
自分の影へ視線を落としながら、必死に笑いを堪える。
「そうか、あいつがな。っは、心底、愉快だぜっ。きっと俺、僕達はまた会うんだろうな。そうだろ?七色機関教育課総責任者さんよ」




