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Eins (アインス)  作者: えんじゅ
【茜覚醒編】━━2014年11月30日、〈銀〉が目覚める。
2/41

蝶〈手紙〉

〈藍〉



━━昔の恋人の手紙を見つけた。



突然、転勤を言い渡されたのが。

先週の、昼を過ぎた頃の出来事だ。

この国の冬は年々、訪れを早めている。

十一月ともなれば、そろそろ霜が降りても不思議ではない。

だが、東京への転勤を知らされた時、外の景色を染めていたのは、

銀杏(いちょう)が散らせる黄葉だった。


「もー、お姉ちゃんも荷物まとめるの手伝ってよー」


耳打つ声に首を曲げれば、扉の前に菜子(なこ)が立っていた。

怒ってるよ。と言わんばかりに頬を膨らませている。

まるでハムスターみたいだ。

私達の借りているマンションは、それぞれの個室を除けば、台所と居間が筒抜けた一部屋しか残らない。

先に自室の荷造りを終えた菜子は、私の部屋を確かめにきたのだろう。

「ん、なにそれ?手紙?」

私が手につまむ古びた便箋を、興味深そうに肩越しから覗き込む菜子。

咄嗟に裏返した。

「あぁ、昔の恋人のなんだ」

「へー……珍しいね」

珍しい。

菜子がぽつりともらしたその言葉は。たぶん、私が形に残るものを……残していたからだろう。

私自身も内心、驚いていた。

部屋は壁一面を埋め尽くす書棚を例外として、非常に質素だ。

無地の寝具。飾り気のないワークデスク。菜子が強引に買い置いた液晶テレビと、それを支えるオフホワイトのローボード。

テレビの脇には、菜子が気まぐれに買ってくる小物なんかが細々としていた。

「ずっと本棚に挟まっていたみたいだな」

どうして本と本の隙間に隠れていたのか。心当たりがなければ、見当もつかなかった。

その(くせ)、なぜか文面だけは、読み返す前から滑らかに思い出せる。

「今時、手紙なんだ」

あぁ、珍しいというのは、そういう意味か。

「彼なりの最後のアピールだったんだろうね」

その手紙は、別れ際に貰った、彼との最後の繋がりでもあった。

「いつ頃の彼なの?」

にやりと小悪魔めいた微笑を浮かべつつ、菜子が訊ねてきた。

「私が〈七極彩〉になる前だな。七色機関に就職が決まって、その折に別れた」

七色機関へ〈七極彩〉の一人として就職してからは、一度も異性と交際していない。

つまり、私にとっての最後の恋人でもある。

この胸を焦がすものは決して消えないし、もう次はないだろう。

だから、最後の恋人と言い切れる。

「ふぅん、私は会ったことないよね?」

疑問符を頭上に浮かべ、人差し指を顎にあてながら子首を傾げる菜子。

そういう刷り込みはしていないから、当然の反応だ。

当然なのだが……微かに胸が痛んだ。

「彼は人見知りが激しかったからね」

「そんな人がお姉ちゃんと付き合えるなんて……ちょっとびっくり」

「どういう意味かな?」

「そのまんまの意味です」

おどけて喋る菜子に、やや大袈裟な溜息を返す。

「どんなことが書かれてるの?」

今年の春、晴れて高校生と名乗れる身分になった菜子。

しかし、まだ一度も惚気(のろけ)の類を聞いた覚えがない

自賛にも思えて嫌なのだが、菜子は容姿端麗、磊磊(らいらい)落落(らくらく)━━非常によくできた妹だ。

クラスの男子に言い寄られても、なんら不思議ではないのだが。

そもそも菜子にはまだそういう願望が薄いのか、或いは、高嶺の花みたいな扱いでも受けているのか。

どちらにせよ、一度くらいは、幸せそうに恋人と笑う菜子を見ておきたいものだ。

「なに……徒然と謝罪が続くだけだよ。君の苦しみに気付けなくてごめんだとか、別れを言わせてしまってごめんだとか。ただ」

「ただ?」

「最後だけ、ちょっと違うんだ」

「どう違うの?」

続きが気になる。とでも言いたげに、更に顔を近づけてくる菜子。

私達の繋がりの証明でもある濃紺色の頭髪の先が、さらりと頬をくすぐった。

花蜜のような甘ったるい香りが鼻孔の奥を突く。

「……もういいだろう。さっ、私もすぐ終わらせるから、業者が来る前にコンビニにでも行こう」

「えー」

お姉ちゃん。ずるいなー。とぼやきつつも、菜子は踵を返した。

廊下を擦る足音を耳に確かめながら、私はそっと手紙を(ひるがえ)す。


━━しつこいようだけど。どうか七色機関に関わるのだけは思い直してほしい。これが、僕が君に向ける最後のわがままです。


年上でありながら、どこか頼りない。いかにも彼らしい(つづ)りだった。

そういえば、別れの発端も。温厚な彼と初めて揉めたのも。就職(それ)が原因だったな。

Einsの資格取得の為にと通い始めた教育課で、私は過適合を果たした。

当時、過適合の実例はまだ数えるばかりで……稀有な変身能力をも考慮した結果。

七色機関は、私に〈藍〉の道を示してくれた。


もし、自分が違う仕事を選んでいたなら。

もし、自分が彼のわがままに従って『ヒーロー』にならなかったなら。

私は今頃、どこで、どんな生き方をしていただろうか?


きっと、この手紙を見つけたせいだ。

私はちょっとだけ。くだらない妄想に(ふけ)っていた。


後悔はしていない。


今のこの幸せな日々は『ヒーロー』として生きる道を選んだからこそ得られたものだ。

この幸せを掴み取るために、多くの贄の山を築いていたとしても。

たとえ、そう遠くない決別が約束されているとしても。


今はただ……この日々が、なによりも大切だった。


ぼんやりと窓の外へ視線を流すと、枠隅に止まる蝶へ目を惹かれた。

燦々(さんさん)と注ぐ陽にあてられて、藍色の羽を一際輝かせている。


━━知ってる?蝶をさ、死の前兆としてみる伝承なんかもあるんだよ。真っ白な蝶々に慕われるのは、年内に亡くなる暗示だったりとか。


思い出すのは……どうしてか。昔の恋人のそんな言葉だった。



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