葵〈来訪〉③
〈藍〉
「まさか叶子さんから食事に誘われる日が来るなんて……感激ですよ」
僕はこの日を一生忘れません。と涙ぐむ青年。
革ジャンにジーンズという装いが、まるで似合わない中性的な粧い。
幼子に負けず劣らず大きな瞳は、まつげも長く、潤んだ様は男女問わず母性を掻き立てさせるものだ。
控えめに飾る鼻頭も、艶やかに湿る唇も、薄っすらと紅く染まる頬も、何もかもが反則的な可憐さを際立てていた。
絹糸を縫いつけたのか?と、からかいたくなる墨色の頭髪は、眉間まで伸びており、より性別を曖昧にさせている。
宮代桜は二年前まで七色機関に所属していた『ヒーロー』だった。
現在は独立『ヒーロー』兼『何でも屋』として、なんとか食い繋いでいるらしい。
まぁ、副業も儲かっているみたいだし、桜なら飢え死にする事もないだろう。
線目である事に劣等感を抱く蒼乃介はそんな元同期に対して、ほんま神様は残酷やね……と無表情に言い残していた記憶がある。
ただ桜は桜なりに己の中性的な容姿に悩んでいて、せめてもの主張が、似合わない服装に表れていた。
かつて「いっそ坊主にでもすればいいじゃないか」と提案した所、桜には「今じゃ東京も寒くて、とても坊主なんてできませんよ。それに僕が頭を剃った所で、女々しさは逃げませんから……反って不自然になるだけです。たぶん」と返された。
まだ交流の浅かった頃に、女々しい自覚はあるんだなと、見当外れな納得を強いられたものだ。
「桜は大袈裟だな」
「そんな事ありませんよ。僕が七色機関に勤めてた頃だって、叶子さん、すっごく人気あったんですよ」
「知らなかった」
「それは叶子さんが鈍いだけです」
今回が彼を誘った初めての食事なのは事実だ。また、これから先、もう二度と誘う機会がない可能性も十二分に有り得る。
とはいえ、私が選んだ飲食店といえば、全国に系列展開させている有名なファミレスの一つだった。正直、あまり感動されても、誘った身としては申し訳ない気持ちが膨らむ一方だ。
乱立するオフィスビルが一望できる押切駅東口から徒歩でおよそ5分程度。
こぢんまりとした十字路の角にそのファミレスは構えており、私がなんとなく選んだと話せば……それまでだった。
土曜日とは言っても、時刻は早朝。店内は閑散としており、足早に各卓を歩き回る店員の姿も固定されている。
禁煙席へ通されると、メニューに並んで朝刊が置かれていた。
━━七極彩の庄土葉洸が衝撃発言。という小さな見出しが飛び込む。
あぁまたか。と私は然したる興味も惹かなかったが、桜は懐かしむ様な、憐れむ様な……か細い声を漏らした。
「洸さん……相変わらずですね」
「良くも悪くも変わらない奴だよ」
隣の席に座る老人が朝刊を広げ、豊かな口髭を息に踊らせながら「近頃の若いもんは」と嘆いていた。たぶん、洸の事だろう。
髭どころか、青々しい剃り跡一つ見当たらない桜の柔肌と老人の口髭とを比較してしまい、頭の隅で蒼乃介の残酷やね。という台詞が再生される。
「思うんですけど、ファミレスって……大体ファミリーじゃないですよね」
突然、桜はそんな根も葉もない事を言い出した。
思った事をそのまま口に出すのが、昔ながらの彼の癖だ。
「アメリカだと、ファミレスには子供の入店が可能。という意味合いも含まれているらしい。それに、私としてはファミレスは客層を選ばない料理提供が定義の業態だと認識しているよ」
だからといって職縁や学生のたまり場となるファミレスに一抹の呆れを隠せないのも確かだが。
「そういえば、桜はまだカウンセラーも続けているのか?」
私の疑問を受けて、桜は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「そんな専門的な事でもないですけどね……でも、貴重な収入源となってるのも事実です」
そもそも職業としての『ヒーロー』にとっての収入は、Einsの資格取得の為に支払われる教習費と、その後、取得者に対して販売されるEinsの売上によって賄われている。
つまり━━七色機関の管轄下で『ヒーロー』として働かない場合、収入はほぼ皆無に等しいのだ。
独立『ヒーロー』が慈善事業と見なされる要因でもある。
例外として『怪人』の横暴を阻止した場合に限り、七色機関は管轄外の『ヒーロー』に対しても同様に特別手当を支払うと約束していた。
とはいえ、そう都合よく『怪人』と遭遇できる筈もなく……その部分においては、七色機関に所属している『ヒーロー』だろうが、独立した『ヒーロー』だろうが、給与面でのみ語るなら、不遇な職に該当するだろう。
〈災厄〉以前の七色機関は、それこそEinsによる人外的能力を多方面へ臨時派遣するスタイルを確立させつつあった。
しかし、七色機関の業態を大きく変えたのが━━〈災厄〉だ。
〈災厄〉に便乗して、Einsは各地へ散らばった。
回収の手は追いつかず、いつしか悪だくみの道具としてもEinsは流通系を広めた。
〈罪色樹〉を筆頭とする非合法組織は故意に『怪人』への変身を可能とする疑似Einsの開発にも成功したらしく、やがて『怪人』の存在は都市伝説の域を脱したのだ。
『怪人』を止めて、収入を得る『ヒーロー』。
両者の関係性はEinsによって結びついており、結局の所、そもそも七色機関がEinsなど開発しなければ、この状況は生まれなかったのではないか?と回帰説を唱える人も少なくない。
だが、『怪人』が生まれてしまった現状。対抗できる存在が『ヒーロー』だけだという事もまた、直視すべき現実だった。
「僕のカウンセリングは今じゃあ、西洋で言う所のエクソシスト紛いですよ。知ってます?統計上『怪人』化する年齢層は十代の若者が七割を占めているそうです」
偶発的な過適合者を除いた場合、Eins資格取得可能年齢は16歳からと定められている。
それ故、過適合ではなく通常のEins変化を就職の糧とする為に教育課へ足を運ぶ若者は多いと聞く。
資格取得までに掛る平均日数はおよそ一年とされているから、十代の内にEinsを手に取る人の割合は決して低くないだろう。
ただ資格取得とは別に、Einsの購入及び使用は18歳以上と規定されている。
その為、教育課は、資格取得後も規定年齢に達するまでEinsの訓練に励む場として、教習所とは別に訓練所を設けていたりもした。
就職難と囁かれる時代背景と重ね、Einsによる『怪人』は十代に偏っているのではないか?と私は桜へ意見を述べる。
それは予期せぬ暴走としての『怪人』と、故意にEinsを悪用する『怪人』とを含めての主張だ。
だが、桜はやんわりと否定した。
「えぇ、それも要因の一つだと思います……ですが、僕が『ヒーロー』として後処理を任せられる元『怪人』の子供達だったり、カウンセリングを務める『怪人』に関わった子供達って。ほとんどが嘘偽り……なんですよ」
「嘘偽り?」
「はい。両親は僕に対して、子供が『怪人』の影響を残していて、ひきこもりになってしまったとか、不良行為に走ってしまっているとか主張するんです。でも、実際の所、子供達のほとんどは『怪人』なんてしらない。覚えがないの一辺倒だったりします」
「無自覚なだけじゃないのか?」
Einsの暴走による『怪人』の場合、当事者は自我を失っている━━記憶を引き継いでいない場合が非常に多い。
諸悪の根源であるEinsを奪い取って救出しても、本人達は救われた事すら理解できていないのだ。
「叶子さんも知ってると思いますけど、適正値を計測すれば、実際に『怪人』化した過去があるかなんて、一目瞭然じゃないですか」
パターン怪人とされる適正値。その法則は、過適合したEinsを手放した後にも表れる。
「なら、どうして両親はそんな見え透いた嘘をつくんだ?」
「たぶん、分からないと開き直った末の責任転嫁なんじゃないかなって。自分の子供の事なのに、子供が何を考えているのか?何を求めているのか?何を悩んでいるのか?まるで分からない。どうしてそんな非行をしているのか理解できない。なら、何かの所為にしてしまえばいいんじゃないか。そうだ『怪人』の所為にしてしまおうと。それで『ヒーロー』に解決して貰おう……と」
「実際にはあらぬ『怪人』申請をして、世間体を守ろうと……親は考える訳か」
「七色機関に申請しても嘘はすぐに見破られますからね。だから、僕の様な独立した『ヒーロー』の元に、そんな馬鹿げた依頼が集中するみたいです」
根本的に誤った依頼を受けては、対処に困り果てる桜の顔が目に浮かぶ。
「そんなくだらない依頼は放っておけばいいだろうに。つまりは親子の間に出来た溝を埋めて欲しいって話なんだろ?」
直接、子供と衝突した末の相談ならまだ救いもある。だが、解決を誰かへ丸投げする時点で親として間違っている。
「でも、そういった家庭問題を救えるなら、それも『ヒーロー』としては真っ当だと思えません?」
「そうかもしれないな。ただお人好しも大概にしておくべきだと、桜にはあえて言わせて貰うよ」
「あはは、本当にそうですよね……ただ、大人だって必ず間違わない訳じゃない。誰だって失敗するし、怖くなって、誰かに縋りたくもなる。そうして発信されるSOS信号を見捨てたくはないんです。『ヒーロー』としてじゃなくて、一人の人間として」
『ヒーロー』としてではなく、人間として。
そういえば……似たような言葉を、灯真も呟いていたな。
失踪した〈七極彩〉の〈赤〉も、今頃、何処かで誰かのSOS信号をキャッチしているのだろうか?
あいつも桜と同じで、求められれば我が身を省みずに救おうとするだろう。
「だからエクソシスト紛いなんですよね。今でも西洋では彼らによって、悪魔祓いの名目でカウンセリングが行われています。要は『悪魔』を『怪人』に置き換えただけで、根本的な部分は一緒なんですよ」
「そうなのか。私はエクソシストって聞くと、ジェイソン・ミラーの姿が浮かぶが」
「ああいう劇的な解決は稀ですよ。実際は根気よく……それこそ医者の問診みたいに、何度も訪れてはゆっくりと解していくんです」
『エクソシスト』と『ヒーロー』。
『悪魔』と『怪人』。
名称は違えど、双方に絡むのは、とどのつまり……心に潜む表裏なのではないか?ふと、私はそんな思考を始めていた。
人は、人の大部分を表面で判断する。
裏を見ようとはしない。
それは見えないから、見ようとするだけ無駄なのだと、最初から放棄しているとも言える。
だが、人は話し合えば、多少なりとも裏を曝け出してしまう。
見ようとすれば、見えてくるものもあるのだ。
思考が自責に変わる。
━━私は菜子を大切に想っている。けれど、私からあの子との距離を詰めようとした事が、何度あっただろうか?
あの子には人並の幸せを掴んで欲しい。
私のEinsによる〈無咏の蝶〉から解放されれば、あの子はきっと……立ち直れなくなる。
蒼乃介は、私の犯した罪を優しい嘘だと言い換えてくれる。
だけど……本当にそれでいいのだろうか?
もしかしたら、私は。桜が語る親達と同じで、菜子の救済を〈無咏の蝶〉に縋っているだけなのではないだろうか?
「それで……叶子さん。僕に何か訊ねたい事があるんですよね?」
さすがカウンセラーとして報酬を頂いているだけあり、桜は察し良く、本題へのきっかけを与えてくれた。
戸惑いを無理やり脳の隅へ追い立てると、私は口を動かす。
「赤神仁衛について調べているんだ。覚えているかな?」
桜も〈災厄〉当時、中央区を奔走していた『ヒーロー』の一人であり、私がおよそ二年振りに彼との再会を望んだのは、〈災厄〉について見直そうと思い立ったからだった。
「勿論、覚えてますよ。仁衛さん……〈災厄〉で活躍してましたから。それこそ数十規模の『怪人』を葬っていたんじゃないですか?」
「━━桜っ」
咎める様な私のきつい声色に、桜は慌てて頭を下げた。
「すみません。不用心でしたね」
〈災厄〉における被災者ではなく関与者は、一同に口外が固く禁じられている。
過去に〈災厄〉の真相を外部へ漏らそうと企てた者は、見せしめとしてか、瞬く間にこの世を去った。
自分が夕藤茜に対して〈災厄〉の断片を教えた事は棚に上げて……私は桜の軽率さを責めた。
〈災厄〉の生き残りには、致命的な部分のみ記憶が抹消、或いは凍結の処置が施されている。
ほとんどの場合、それは些細な違和感にも満たない、無自覚の範疇だ。
だからこそ、夕藤茜の後遺症は異常を極めている。
私達『ヒーロー』は〈災厄〉と密接に関わり過ぎている為、記憶の抹消は逆効果とし、処置を免れているのだ。
「仁衛さんと言葉を交わしたのは……〈災厄〉が初めてでした。あの時、僕は成り行きで仁衛さんと一緒に開発課を探索していました」
「探索……?」
「はい。仁衛さんは〈緑〉から開発課総責任者である守矢夜森率いる開発課特異班の救出と保護を頼まれたんだと言っていました」
「特異班か。聞いた事がないな」
「僕もです。結論から話せば、僕達は途中で別行動となり、僕の方は特異班の男性を一人だけ保護する事に成功しました」
「その男の名は?」
「……遠野浅海さんです」
ん、と私は微かに唸った。
「その名前は確か……」
「そうです。〈鬼祭り〉で紫於さんに殺害されたとされている方です」
二年前に東北地方で勃発した〈鬼祭り〉を語る上で外せないのが、東雲紫於と遠野浅海。そして〈七極彩〉の〈紫〉こと黒鳴命琉の三人だ。
当時、紫於の離反を浮き彫りにさせたのが、遠野浅海の死だった。
貴重な情報ではあるが、既に他界した人物から話を聞く訳にもいかない。
疲れ切った眼球の乾きを癒そうと、瞼を閉じる。
隣の席の老人が立ち上がったのだろうか。
衣擦れの音が微かに届いた。
「その時の関係で、一度だけ浅海さんの母親と面識があるんです」
突然の打ち明けに、私の顎が角度を変える。
位置のずれた眼鏡を指でぐいっと押し上げながら、桜が先を話すのを待った。
「名は遠野三佐さん。僕が会ったのは二年以上前ですが、もしかしたら、まだ東京に住んでいるかも」
住所、教えますか?と桜は席を立った老人をちらりと見やり、声を潜めて告げる。
「頼む」
私が頷くと、桜は可愛らしい風貌をより研ぎ澄ます笑みをたたえた。
〈茜〉
暖房が「ついでに湿気も飛ばしておいたぜ」と誇らしげにファンを唸らせていた。
俺の目覚め頭を襲ったのは、干上がった舌の上にこびりついた粘膜による不快な乾きだ。
ずしり。と鉛にも似て重い頭を起こす。
「あー、そっか……」どうやら暖房を消し忘れたまま、自然と夢に落ちたらしい。
およそ安眠できたとは思えない。塵の様に積もる疲労感を身体の節々に感じた。
毛布はベッドの隅で乱雑に丸まっており、羽毛布団はすぐ隣に添い寝していた。
いや、羽毛は俺を暖めてくれよ。と気だるい肉体に鞭を打って、羽毛布団を引っ張り込む。
「……えっ」
羽毛布団の裏から、金髪少女が弾き出された。
か細い息遣いが漏れ、寝返りを打つ少女。
ぼんやりと霞んでいた意識が、見る見るうちに覚醒していく。
そうだった。そういう状況だったんだ。
取り返しのつかない事をしてしまったのではないかと頭を抱えながら、必死に昨晩の記憶を辿る。
一緒に晩御飯を食べて、んで、ちょっとゲームして、交代でシャワーを浴びて……あいつが深夜アニメ見ようとか言いだすから、あんまり興味なかった俺はベッドに寝そべって、その時が来るのを欠伸を噛み殺しつつ待ってたんだ。
けど、肝心のアニメを見た記憶がない!!ってことは、始まる前に寝ちゃったのか。
よし、何も起きてないな。うん、大丈夫。俺の貞操は守られてる。
「こいつ、なんで隣で寝てんだよ……」
温もりを奪われた少女━━ミニスは昨晩の格好のまま、俺のベッドに潜り込んでいた。
「ったく」
毛布と布団を掛け直してやり、俺はその場からそそくさと離れる。
後ろめたい事なんて微塵も無いが、それでも落ち着きを取り戻すのには幾拍かの深呼吸を必要とした。
引っ越す時に家電屋の店員から値切って、値切って、そして値切って購入した小型の冷蔵庫を確認する。
紙パックの紅茶や、炭酸水のペットボトルなど、まとまりのない飲料水が扉の裏に並んでいた。
冷蔵庫を奥まで覗くと、クロワッサンが積み重なって山を成している。
「なんで、冷蔵だよっ!!」
一つだけ取り出してみると、袋には『ミニスの』という一言と、それに続く記号のハートとが、黒い油性ペンで目立つ様に大きく記されていた。
なんだか……ほんと、恋人同士みたいだな。
柄にもなく、甘酸っぱい妄想を膨らませてしまう。
気恥かしさからか、頬が熱を帯びるのを自覚した。
「そういえば……」
『恥ずかしい』という感情について、雨頃透叔父さんが独特な自論を聞かせてくれた日があったな。と今度は過去を振り返り始めていた。
「なぁ茜君。恥ずかしい。と人が主張するのは、どういった場面だろうか?」
発端は確か、予定があって葵の授業参観に顔を出せない透叔父さんが、俺へ代席を頼み込んだ際に、俺が恥ずかしいですよ。と返した為だ。
「それは……何かに失敗した時……とかですか?」
「そうだね。恥ずかしいという感情には期待と悲観とが隠れている。本当なら自分はこんな失敗をしないと悲観したり、何かを褒められれば、自分はそうなのか?と期待してしまう」
透叔父さんはいつも急かされている訳でもなく早口な人だったから、あの人の言いたい事を理解し、追い掛けるのには人一倍苦労した。
「茜君も、僕に代席を頼まれるとは予想していなかっただろ?誤魔化したくて、恥ずかしいと口にした。でも、その実、君は葵の授業参観に足を運ぶ自分を想像して、期待もしていたのではないかな?」
その時に限って言えば、透叔父さんの分析通りだった。
俺はすでにどんな服装で行くべきか、とか、散髪しておくべきか、とか……乗り気じゃない態を装いつつ、内心、葵の授業参観に向けての予定を立て始めていた。
葵との親密度を更に上げる為、どうすればいいのか。と期待していたのは間違いない。
「恥ずかしいと感じた時……それは自分自身に対して期待している裏返しなのだと覚えておくといい。だから、大人は段々と、恥じらいから無頓着になっていくんだ」
人は大きくなるにつれて、自分の可能性を諦め出す。
「茜君、若い内はもっと素直になる事を勧めておくよ」
ははっ、説教じみてしまったね。ごめんよ。と透叔父さんは苦笑して『恥ずかしい』という感情についての解釈をたたんだ。
あの時の透叔父さんの言葉を鵜呑みにするなら、俺はミニスに対して……何かを期待しているのだろうか?
いや、ミニスの接近を受けて、俺自身がどうあるべきか。どうしたいのか。その先を期待しているのかも知れない。
氷水に晒されていたかの如く冷たい玄米茶が舌を洗い流し、喉を潤して、胃へと奔流していく。
思考が冷却されていく。
携帯を開くと、苗からの着信が履歴に残っていた。
菜子からの返信は見当たらない。
━━押切駅無差別惨殺事件の当日以降、俺はまだ一度も菜子と顔を合わせていなかった。
あいつが学校を休み続けた所為で、煮え切らない感情を晴らせなかった俺は、とうとう昨日、我慢できずに菜子へメールを送った。
内容については、それこそ『恥ずかしい』ので割愛する。
「あれから、叶子さんにも会ってないな……」
菜子の姉であり〈七極彩〉の〈藍〉こと式咲叶子。
俺は、あの人から〈災厄〉についての選択肢を与えられたままだ。
どうやら式咲姉妹は意味深な言葉を残して、相手を生殺しにするのがお好みらしい。
自分はこれから先、どんな道を選べばいいのか。
決心するには……決定的な何かが欠けていた。
うじうじと思い悩む俺の鼓膜を、甲高いチャイム音が突き抜けていく。
「苗か?」
この瞬間……安易に扉を開け放してしまった俺を、未来の俺は決して許してくれないだろう。
不意なる来訪者の正体は。
「茜お兄ちゃんっ!!」
「なっ!?葵!!どうしてここにっ!?」
言うなり抱き着いてきた天使は、俺を見上げると屈託のない笑みを浮かべて、嬉しそうに告げた。
「冬休みに入ったから、遊びに来たのです」
冬休み早くね?
見え透いた嘘だったが、そこまでして俺へ会いに来てくれたのかと思うと、目頭が熱くなった。
……ちょっと待て。
やばい。
いや、やばい。
これはまじでやばい。
どれくらいやばいかっていうと、まじやばい。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
頭の中が、やばい。に埋め尽くされていく。
「寒かったですから、早くお部屋に上がりたいのです」
「あ、いや、ちょっと、葵、待って。うん、あの、ほら。掃除するから。ね、えっと……」
支離滅裂な言動を繰り返す俺の様子に不信感を抱いたのか、葵は僅かに表情を曇らせた。
「茜お兄ちゃん……?なんだか怪しいのですよ」
「そ、そんなことないって。いやー久しぶりだな。葵。そうだ、あれだ、前に話してた『めでたい』行こうぜ!!あそこ、すっげー美味しいから」
その時だった。
「あかねー?どしたの?お客さん?」
お、ま、え。
顔だけを背後に逸らして、口ぱくで「今すぐ戻れ」と伝えようとする。
だが俺の気迫も虚しく、二人は鉢合せてしまう。
━━俺は無力だ。
「ん、こんちわー」とミニスは眠そうに目尻を擦りながら、葵に声を掛けた。
「こ……こんにちわです」葵が怯えた子犬の様な眼差しで、俺に説明を求めてきている。
人生終了のお知らせだった。




