葵〈来訪〉②
〈茜〉
「あかねー。こっちきなよ。洸がさ、映るみたい」
ミニスは砂金の如く煌く頭髪を蜜柑色のシュシュで右後頭部にまとめ、地味なベージュのスウェットの裾を指で摘んでは、手の甲まで引っ張っていた。
12月に入ると同時に、早くも寒気は勢いづき、凍える風が街中を縦横無尽に駆け巡っている。
ついさっき稼働させた暖房は、まだ目を覚ましたばかりなんだと言わんばかりに、怠惰な温風を吐いていた。
見慣れた日常風景にぽつりと溶け込むミニスの姿。
寒さからか、真っ直ぐに膝を折って縮こまり、じっとテレビ画面に見入っている。
「すぐ炬燵出すから、ちょっと待っててくれ」
「ん、いーよー。それよりも、ほら、テレビ見て」
催促され、部屋の隅に設けられた収納扉の前に立ったまま、俺は視線を液晶へと投げ掛けた。
━━〈七極彩〉の〈黄〉庄土葉洸へ単独インタビュー!!
画面の端には、そんなテロップが流れている。
およそ世間に浸透するヒーロー像とは結び付かない出で立ちで、その男は七色機関仮本部から姿を表した。
報道陣に呼び止められ、男の足が止まる。
液晶画面の奥でマイクを向けられた男は、不機嫌さを微塵も隠そうとはしていない。むしろ、見る側に対して差別なく敵意を撒いているのがひしひしと伝わった。
群れる事を好まない孤高の獅子の様な、野蛮かつ不遜な面持ちだ。
「同じ〈七極彩〉である赤神灯真の失踪について、思い当たる節はありませんか?」
挨拶もなしに、果敢に挑む男性アナウンサーへ〈七極彩〉の〈黄〉こと庄土葉洸はこれ見よがしに舌打ちを鳴らした。
「……しらねぇ」
黄色に染め上げられた頭髪の先と、生え際の黒い地毛とのグラデーションが乱雑とした波長を描いている。
目元を曇らす派手なサングラス、フードに贅沢な獣毛が縫われたロングコート。
ダメージ加工されたジーンズの腰からは革細工の紐が弧を描いて垂れている。
痩せ型、高身長と、ある意味で理想的な体型だが、コートのポケットに腕を突っ込み、猫背気味になって首を竦めている為、どこか損な印象だ。
態度も服装も姿勢も━━〈七極彩〉の〈黄〉は全体が、粗暴の一文字に収まっていた。
「七色機関内部に、赤神灯真の逃走を手引きした共犯者がいると噂されていますが、どう受け止めていますか?」
「……しらねぇよ」
「押切駅無差別惨殺事件当時、〈七極彩〉はさいたま市で会議を行っていたと聞きましたが本当ですか?」
「……」
「依然として逃亡中の〈永久切〉については、足取りを掴んでいますか?」
「……」
「Eins教習者が次々と取得を放棄している件については、これから先、どういった方針をお考えでしょうか?」
そこで、庄土葉洸の気配が一変する。
彼はアナウンサーから乱暴にマイクを奪い取ると、凄味を込めて、低い唸り声を轟かせた。
「……うぜぇんだよ。あのなぁ、俺は今日オフなんだ。わかるか?休日出勤ってだけでも苛々してんのに、煽ってくんじゃねぇよ。次また待伏てみろよ?ぶっ殺すぞ」
ミニスが「あーあ、やっちゃったー……」と片腕を支えに、折り畳んでいた膝を崩した。
おいおい、いいのか、これ?
俺の焦りを気取ってか、ミニスは深く息を吐く。
「洸も悪い奴じゃないんだけどさー、ちょっと極端なんだよね」
マイクをアナウンサーの胸元へ殴る様に突き返すと、邪魔だ、どけ。とカメラを鷲掴みにしてみせた。
画面が庄土葉洸の手の平に遮られて暗転する。
そのまま報道は終わり、局内へと映像が戻された。
口を半開きに呆然としていた女子アナが慌てて次の報道を読み上げ始める。
「なぁミニス。庄土葉洸って━━どうして〈七極彩〉で居られるんだ?」
「叶子さんの言葉を借りるなら、なんだっけ……えっと、衆人環視?危険だからこそ、自分達の管理下に置いて、常に監視しておくとか、そういう事らしいよ」
なるほどな。
「Einsを使って好き放題に暴れらると困るからか」
「そそ、……で、当時、七色機関に所属する条件として、洸は最も給与の高い〈七極彩〉への加入を提示したんだって」
「〈七極彩〉ってそんなに給料貰ってんのか?」
「あたしと命琉はちょっと別かな。あたし達は普段の雑務が免除されてるから」
「けど、お前さ、今週ずっと〈七極彩〉としての仕事に追われてたんだろ?」
「あー、あれは嘘。ちょっとねー、調べたい事があったの」
えへへ、とミニスは頬を緩める。
「庄土葉洸って、昔から現金主義だって悪評されてるけどさ、そこまでして金に拘る理由でもあんのかな」
「さぁー。女遊びとかしてんじゃないの?あたしも声掛けられたことあるし」
「嘘だろ……」
「ほんとですー」
それは違う意味で危険な匂いがするんだが。
「それよりもさー、あかね。最近どう?」
なんだよ、そのあんまり親しくなかった旧友にばったりと遭遇した時にでも口走りそうな質問は。
「どうって、別に。普段通りだよ」
「……そっか」
居心地の悪さを含んだ沈黙が流れる。
「飯でも食ってくか?」
「ってか、泊まってく」
「はぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。
「いや、お前な、さすがにそれは駄目だろ」
「なんでよー?いいじゃんかー」
「そういうのはな、恋人とかになってからじゃないと……」
「む、なんかえっちな想像してるでしょ?」
「いや、だってな」
「あかねはそういう野蛮な真似はしないって信じてるからノープロブレム」
やたらと流暢な発音で返される。そりゃ当然か。
ってか、そう信用されても正直困る。
度胸が無いのは自覚しているが、それでも一応は思春期の雄だぞ。
「ま、別に襲ってくれてもいいけどね」
小悪魔めいた微笑で、ミニスは俺を見つめる。
「馬鹿かっ!!んなことするかっ!!」
はぁ━━憂鬱だ。
頼むから耐えてくれよ、俺の理性。
炬燵の設置が終わると、気を紛らわす為にも夕食の支度を始める事にした。
「今日の晩御飯はなんでしょー?」
こっちくんなっ!!お前は暇なのかっ!?
すぐ間近に迫る横顔から必死に意識を逸らす。
「悪いけど手抜きだ。卵とじの丼ものになるから待ってろ。ほら、部屋でゲームでもしてろよ」
「えー、見てちゃ駄目?」
「やりにくいですっ!!」
切実な悲鳴だった。
「ねぇあかね」
「なんだよ」
「今度はあたしが助けるからね……」
「ん、俺、お前になんかしてたっけ?」
「なーいしょ」
意味深な台詞を残して、ご機嫌な気配が遠ざかっていく。
ミニスの言動に思い当たる節が無く、俺は小さく首を傾げた。
〈黄〉
━━てめぇ、灯真さんが死んだっつったかっ!?
高層マンションの一室。
暖の効いた室内で、革張りのソファーに深々と腰を沈めながら、俺は通話相手へ怒鳴り声を上げていた。
『かもしれないってだけ。虎さんは〈罪色樹〉の仕業だと睨んでるから』
「監視してなかったのか?」
『移送中に消えたらしいわ』
「ちっ、役立たずが」
携帯を握る指に余計な力が入る。
『六課の管轄外を狙われたっぽいわね。古賀大臥の遺体も検死前に綺麗さっぱり消えちゃったし』
神隠しみたいね。と微かな呟きが聞こえた。
「んな奴はどうでもいいんだよ。灯真さんがどこに消えたのか、それだけさっさと調べろ」
『あんたがそこまで他人に拘るの〈鬼〉以来━━初めて見たわね、赤神灯真も〈鬼の末裔 (オーガ・チルドレン)〉関連なの?』
「うるせぇ……余計な詮索すんじゃねぇよ」
『仮にも協力して貰ってる相手に向かって、随分な言い草じゃない』
「協力だとぉ?俺はてめぇら六課からまともな情報一つ貰った記憶ねぇぞ?虎鶴コンビが聞いて呆れるぜ」
通話相手、俺に虎鶴コンビと呼ばれた女性は、僅かにだが声音を濁らせた。
『その呼び方……好きじゃないの』
「俺はまんざらでもねぇと思ってたがな」
『やめてよ。虎さんだって嫌がってるんだから』
「どーだか」
六課には、好戦派を代表する二人組が存在する。
内輪から虎鶴コンビと命名されし二人━━古賀虎継と長内芽鶴だ。
通話相手である芽鶴とは、二年前、〈鬼の末裔〉について調べている時に知り合った。
東北地方で勃発した〈鬼祭り〉が終局を迎えた頃だ。
〈七極彩〉の元〈紫〉こと悪鬼━━東雲紫於。
〈鬼祭り〉後、あいつが何処へ消えたのか?
芽鶴は、悪鬼の足取りを掴む為に利用できる女だと思った。
『そういえば押切駅無差別惨殺事件で〈鬼の末裔〉らしき変身をした子供が居たらしいじゃない』
「んだとぉ?」
初耳だ。
七色機関には出回っていない。或いは伏せられている事実なのか?
『あら、情報あげちゃった?』
「……うぜぇな。いいから話せ」
『虎さんの部下が隣の隣のビル屋上から一部始終を望んでいたらしいんだけど、赤神灯真が飛び込むちょっと前に〈永久切〉と対峙していた少年が居たみたいなの。で、ちょうど変身が解ける場面だけ確認できたんだって。でもね、調べてみたら、その少年━━過適合者でもなければ、そもそもEinsすら持ってないんだって』
「見間違いじゃねぇのか?」
『かもしれないわね。でも、そうじゃないかもしれないわよ?どうやら〈災厄〉で記憶も失ってるみたいだし」
〈災厄〉被害者か……きな臭ぇな。
「……名前は?」
『夕藤茜』
……なんだ?どっかで聞き覚えがあるぞ。
いつだ?
思い出せねぇ。
「住所は知ってんのか?」
『職権濫用になるわ。言えるわけないじゃない』
「……いいから言え」
炙るように無言の圧を掛けていく。
『接触しないって約束できる?』
「今の所はな」
観念したのか、芽鶴はとある押切区の住所と、それに続くアパートの名を口にした。
「おい、そのアパートって確か……」
『そうよ。だから接触しないでって念を押してるの』
「くくっ、まじかよっ」
『ちょっと洸!?駄目だからね』
「っせぇな!!わかってるっつってんだろうが!!」
怒鳴るなり、そのまま通話を切った。
〈鬼の末裔〉それは七色機関開発課が犯した人体実験の果てに生み出された……体内に直接Einsを埋め込まれた子供達。
『宿り木』の生き残りの可能性があるなら。
━━確かめるしかねぇよな。
〈災厄〉が起きた四年前と言えば、その夕藤茜とやらも丁度当て嵌まる年齢なんじゃねぇのか?
堪え切れずに、独りほくそ笑む。
「……忙しい休日になりそうだ」
壁に貼られたカレンダーへ視線を流せば、先月末に襲った押切駅無差別惨殺事件から、まだ一週間しか経過していない。
〈七極彩〉としての次なる休日を確認すると、俺は明日に備えて、普段よりも早めにベッドへと横になった。




