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短い毒薬

白き雪の華よ

作者: 着地した鶏
掲載日:2011/09/11

これは古い時代の物語、古き国の物語と聞く。


帝国図書館の片隅に保管されていたShneewittchenの古書。またの名を『白雪姫』。


その古書には一枚の紙片が挟み込まれており、そこには一つの物語が綴られていた。


 姫よ、君は私の宝。私の夢。私の光。



 私は幸せ者だ。何しろ、この世界で一番の美貌の持ち主を、この手中に収めることが出来たのだから。

 その肌は雪のように白く透き通り、その髪は黒檀のように艶やかに黒く光っている。そしてその柔らかな唇は鮮血のように赤い。抱きしめたその身体は、壊れてしまいそうなほどに細く柔らかで、仄かに薫るのは薔薇の香。

 嗚呼、君ほど美しい人はこの国中……いや、この世界を隈なく探しても見つからないだろう。


 先日、蚤の市で手に入れたのは魔法の鏡。

「鏡よ、鏡よ、世界で一番美しい女性は?」と問えば、『貴方様の傍らにおわします白き雪の姫君でございます』などと返してくる。

 嗚呼、白雪シュネーヴィットヒェンよ。雪の結晶から生まれた白き妖精よ、君の美しさを何と呼べば良いのか! 私はこの世で一番の幸せ者だ!


 さあ、こっちを向いて微笑んでおくれ。その硝子のような微笑みを私に見せておくれ。……嗚呼、でも駄目だ。駄目なんだ! 君のその美しさも所詮は一瞬の幻影なのだから。君は若く美しい、でもこのまま時が経ってしまえば君も老いてしまう。老いとは醜いものだ……。老いは君から美しさを奪ってしまうのだろう。大地に積った雪が融けて泥水になるように、君も汚れ去ってしまうのだろうか。


 ならば、美しい君の姿を永遠に残そうじゃないか。そう、永遠に……。



 〇



 姫との婚礼を挙げたその日から、私は秘かに彼女を殺す算段を立てていた。彼女を殺し、その亡骸に秘術を施そう。そして永遠に朽ちぬ美の結晶を造り出してやろう。そうすれば彼女の美をこの世に永遠に残すことができるだろう。


 これは狂気では無い。これは愛だ、戦いだ。美の神に対する永遠の挑戦なのだ。私は、そう自分に言い聞かせていたが、この胸の高鳴りが何に起因するものなのかは結局分からなかった。


 さて、背後からそっと忍び寄りその細い首に手を掛けることも出来る。だが、姫の身体に傷を付けるわけにはいかない。私は姫の美しさを“完璧に”保存しなければならぬのだ。美をこの世に残したまま、一片の苦痛も与えずに彼女の魂と肉体とを引き離す必要があるのだ。……ならば毒殺しかなかろう。


 ここに取り出したるは遠き東の国より取り寄せた秘薬。青色の小壜に満たされた琥珀の液体は、一滴で意識を飛ばし、二滴で身体の自由を奪う。そして三滴で眠るように息を引き取ると云う。私は給仕役に命じて彼女の食事にこの毒薬を忍び込ませた。


 さあ、最後の晩餐と洒落込もうか。

 長いテーブルには絢爛たる美味佳肴が並べられ、金の杯には珠玉の酒が注がれる。

乾杯(プロージット)!」

 私と姫の黄金杯が重なり合い、高く澄んだ音が部屋中に響き渡った。会話は弾み、食事は美味い。そうして晩餐は軽快に進んだ。


 姫の白い頬がほんのり朱に染まったとき、給仕役が二枚の皿を持って厨房からやって来た。その皿に満たされているのは今夜のための特製料理だ。

 目の前に置かれた深皿の中には琥珀色の綺麗なスープが注がれ、波紋一つ無い鏡のような液面からは温かな湯気が上っている。遠近おちこちの山海から集めた数千の食材をま七日掛けて煮込み、その上澄みだけをすくい上げた逸品で、一匙口にすれば心を恍惚のとりこにしてくれる。満腹の者であっても一度その香りを嗅いでしまえば、たとえ腹がはち切れてしまっても飲み干さないわけにはいかないだろう。


 そして、彼女のスープには特別な趣向を凝らしている。隠し味として琥珀の秘薬。それも一壜まるごと混ぜ込んである。秘薬は無味無臭で、スープを一匙口に運べばこの世の極楽を味わいながら天上の国(ヒンメル)へと召されていくのだろう。まさに奇跡のスープだ。


 姫は金の匙を持って琥珀の大海を掬う。そして、それを真紅の唇に持って行き、匙を傾け、口の中に、流し、込み、飲、ん、だ!



 黄金の匙が落ち、姫は背もたれに崩れ掛った。まるで眠るようにして永遠の眠りに就いたのだった。



 〇



「ははは、遂に天に召されたよ。ほら見たまえ、この安らかな死に顔を。まるで眠っているようだろう」

 姫の顔はまだ瑞々しく、頬にはまだ朱が差していた。誰がこの美しい寝顔を見て死体だと思うだろうか。


「そう、眠っているのだ。永遠の眠りだ。これで姫の美しさは永遠にこの世に残るわけだ」

 永遠の美を、世界が讃える真の美を、私はこの現世固定させよう。それは黒き書物に書かれた秘術にして最上の芸術でもある。

「さあ、早く処置をしなければ。美をこの世に留めるための秘術を、急がなくては。おい、消毒用のアルコホールと防腐剤を持って来い。作業は迅速に……」


 給仕役に言い付けたとき、それは起った。私は言葉を失い、アルコホールで湿らせたナイフを床に落としてしまった。金属片と石の当たる音、飛び散る酒精。気化したアルコホールが私の鼻腔を刺激する。私が今、目にしているのは酒精が見せる幻覚では無かろうか。こんなことが有って良いのだろうか。しかし、これは幻では無かった。まごうことなき現実なのだ。


「ふわあ……おはよう(Guten)ございます( Morgen)、王子様」


 信じられないことに、私の目の前で目を覚ましたのだ。死んだはずの姫が目を覚ましたのだ!


「あら、いやだ。いつの間にか寝てしまっていたのですね。恥ずかしいわ」

 そう言って照れ笑いを見せる姫の姿はとても亡霊や屍肉のそれでは無かった。それは間違いなく生きている人間の、赤き血潮の流れる人間の姿であった。


 どうしたことか、何故姫が生きているのだ。確かに姫はあの毒入りのスープを飲んだはずなのに、確かに彼女は眠るように倒れたはずなのに。もしや、給仕役の奴めがしくじったか。

 すぐさま給仕役を睨みつけるが、奴は青い顔のまま何も知らぬと言った風にぶるぶると首を横に振る。その目には生き返った姫に対する恐怖がありありと浮かんでいた。ならば、何故。


「王子様、何を隠していらっしゃるの? あら、ナイフかしら?」

「あ、ああ、これは何でもないんだよ。ちょっと食事のときに落としてしまってね」

「あら、王子様もそそっかしいところがあるんですね。うふふ」


 くすくすと笑う白雪の姫と、必死にナイフを隠そうとする私。冷汗や脂汗、その他諸々の嫌な汗が私の身体を流れ落ちていった。首筋を伝う汗の冷たさの中で私は或ることを思い出していた。


 それは七人の(ジーベン )衛兵たち(ツヴェルゲ)から姫を譲り受けたときに聞いた話だ。

 彼女は悪い魔女ヘクセの手によって幾度も生死の境を彷徨うこととなったのだが、その都度奇跡的とも言える生還を繰り返して来たそうだ。

 姫と初めて会ったのは深い森の中でのことで、そのとき彼女は硝子の棺の中で眠っていたのだが、どうにもあれは毒林檎のせいで本当に死にかけていたらしい。


 その話を聞いたとき、そんな馬鹿な話が在るかと私は笑って一蹴してしまったが、毒を飲んでもしっかりと生きている姫の姿を目の当たりにしてしまえばそんな笑いも消え去ってしまう。


 思うに、この世のものとは思えない美貌を持った者は、やはりこの世の常識など通じないほどの強さを持っているのかもしれない。

 手の触れることの出来る美しい宝石は、何人にも傷つけられぬ堅固さを持っている。まるでそれは金剛石のように。果たして、私はこの姫の美をこの世に留めることができるのだろうか。姫を、殺、せる、の、か。


「どうしたんですか、そんな難しい顔をなさって」 

「ああ、大丈夫だ。さあ姫、もう遅いから寝るとしようか」


 私は姫の肩を優しく包み込み寝室へと向かう。身体に掛る彼女の小さな重み、それは強く抱きしめてしまえば崩れ去ってしまいそうなほどの儚く脆い重みだった。



 〇



 その日から私と彼女の奇妙な毎日が始まった。私はあの手この手で彼女の命を奪いに掛る。すでに数百種の毒は試しただろうか、幾許の凶器を使ったろうか。しかし、彼女は何度でも甦る。そう、甦るのだ。彼女は一度は確実に死に、心音も止まる。だが、時が経てば再び心臓は鼓動し始め脈を刻む。


 私が殺し、彼女が生き返る。そんな奇妙な毎日が続く。その心には一片の憎しみも無く、ただ彼女のを永遠のものにしたいという欲望だけがあった。

 対して彼女は怖ろしいまでの鈍さで、いつも「おはよう(Guten)ございます( Morgen)」と言って微笑みながら死の淵から戻ってくるのだ。よもや私が姫を殺そうとしていることなど気付いていないような無邪気さで、彼女は微笑むのだ。


 神が与えたもうた至高の笑顔を前にしても、私はその手に持つ薬瓶を捨てることは無かった。むしろこの至上の美しさを早く残さなければと躍起になったのだ。何しろ時間は有限だ。姫はまだ美しいが、この美しさがいつまで持つのだろうか。躊躇している間に|老いが彼女を襲い、その美を奪ってしまうのではなかろうか。私達に残された時間はもう長くは無いのだ。


 しかし、これは永遠のようにも思える。姫と私の、レーベントートの追走劇はこのまま永遠に続いて行くのではないか。人と屍の境界を幾度も飛び越え、循環することで限り有る時間ですら無限の広がりを手にするのではないだろうか。それはすなわち、美というものが永遠に続くことを意味している。美しき姫という存在は既に不朽であり、それが消え去るのはこの世が消滅してしまう時だけだ。

 雪の如き肌は恒久の白さを保ち、黒檀の如き髪は無限の光を放つ。血潮の如き唇は硝子の薔薇となって永遠に咲き続ける。白き雪の姫よ、君の存在そのものが美だ。君こそが永遠なのだ!



 ……もちろん、そんなことは私の思い過ごしだ。錯覚に過ぎない。今、彼女は力強い生の中にあるがいずれは死に呑みこまれる。若さも同様に老いによって喰われるのだ。

 そして、おそらく私には彼女の命の灯を消すことは出来ないだろう。そんな気がする。幾度、毒の剣を振ろうとも、私には彼女を真紅の血で染めることなど出来ないのだ。これはもはや運命か。


 そう、彼女の美をこの手にずっと残しておくことは決して叶わぬ夢なのだ。姫の美が消え去っていくのを目にするくらいなら、いっそのこと……。鋭きナイフの切っ先を光を映す双球へと突き刺せば世の美醜に悩むこともないだろうか。緑の小壜に満ちる虹色の薬液を私の内腑へ流し込めば美の記憶だけを持って旅立てるのだろうか。それはまだ分からない。

 だが、いずれ……。



 しかし、今だけは。今の一瞬だけは、この永遠にも続くようなレーベントート追いかけっこ(クライスラオフ)を楽しみたい。美と戯れ、美と遊ぶ。何と素晴らしいことか、姫よ。少しでも長い間、君と一緒に在りたい。美しき君と一緒に在りたいのだ、そう、永遠に。真白き雪の姫よ、美の花の精よ。嗚呼、白雪シュネーヴィットヘン



 〇



 そしてある日、全ては消え去った。それは雪が融けるような美しさで。


 全てが消えた後に残されていたのは、雪のように真白い薔薇の花だけだった。


 ここで物語はその幕を閉じる。


 ここで全てが断ち切られたのだ。

 物語以前の物語も物語以後の物語ももうここには存在しない。


 たとえShneewittchenの古書を紐解いたとしても、この物語は直接的な繋がりを持たない。

 全ての因果は断ち切られた。ただ、書の閉じられる音が残るのみ。


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