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異世界のかけら -断片集-  作者: 滝底
本編的断片
15/48

◇異世界で復讐劇? 中編 その一


シリアス入りまーす。

もふもふをお持ち帰りしてから一年半後くらいの出来事。





 「――ユズハ、探したよ」


 後ろから掛けられた優しく甘やかな声に、手にしていた食材籠を取り落とした。

 ジャガイモに似たメルギスと呼ばれる根野菜がゴロゴロと土の上を転がっていく。瑞々しい緑の葉を茂らせたソルエは土塗れになり、赤いヨティツェがぐちゃりと無惨に潰れてしまった。

 柚葉は動けない。

 使い物にならなくなってしまった可哀相な野菜たちを拾うことはできず、瞬きさえも忘れる。

 振り返るのが怖かった。


 「心配した……」


 背後から届く声はどこまでも穏やかで、気遣いと安堵の色が滲んでいる。

 それが誰であるのか、柚葉には間違えようもない。

 柚葉がこの世界に召喚されてから三年もの間、ずっと唯一頼りにし、心の支えにしていた人物。いつも優しく柚葉を包むように側に居てくれた人が、直ぐ後ろに立っている気配がする。

 彼はかつて、たった一人見知らぬ世界に放り出された柚葉を慮ってできる限り会いに来てくれた。故郷を思って涙すれば無駄な言葉を掛けずにただ寄り添ってくれた。慰めるように背を撫でてくれた大きく繊細な手は温かいものだった。


 そう、信じていた――。


 柚葉は思う。

 彼の優しげな表情と言葉によって奇麗に隠されたその裏には、どんな暗い感情が隠れているのだろう。

 ゆったりと細められる翡翠の瞳の奥で、どれほど憎憎しげに柚葉を眺めているのだろうか。

 情けなく手のかかる柚葉に何度その銀糸の髪を掻き乱したくなったことだろう。今でもきっと。

 それでも棘に塗れた黒い塊は柚葉を傷つけることが出来ず、彼の胸の中でウズウズしているに違いない。


 「さあ、こちらにおいで。もう街は堪能できただろう? ――城に帰ろう」


 肩にそっと置かれた手に、怖気が走る。

 柚葉が気づいたときには乾いた高い音を立てて、白磁の美しい手を叩き落していた。


 「っ触らないで!」

 「!」


 振り向くと、光り輝く秀麗な容姿の男が一人、弾かれた手をそのままに立ち尽くしていた。

 何が起きたのか理解できないように固まる男は、白の衣にきめ細かな銀の刺繍が施された長衣の上から薄紫の外套を纏っていた。

 清廉な立ち姿は神に愛されたように光り輝き、御使いの如き純白を思わせる。

 しかしその実、彼が本当に清廉であるわけがないと、柚葉は既に身を持って思い知らされていた。


 “城に帰ろう”

 彼から発された迎えの言葉は、柚葉を針の敷き詰められた鳥篭へと放り込む残酷な誘いだ。

 有刺鉄線で覆われた鳥篭は、一度戻ればもう二度と出ては来れない。それどころか籠の中にいるだけで柚葉を傷つけ、安息など訪れることのない日々へと只管に縛り付けてしまうだろう。


 いつかはこんなときが来るだろうと思っていた。

 優しさという仮面を被り、何食わぬ顔で柚葉を迎えに来るだろうと。

 城を飛び出し、隠れるようにして辺境の街に暮らしていた柚葉だが、簡単に足がつくことは予想していた。

 しかし実際現れた迎えは柚葉が予想していたよりもずっと遅かった。


 柚葉はこの国を出られない。

 それは物理的な拘束が働いているわけではなく、精神的なものによる。それもとても強烈に柚葉の精神を揺さぶる、性質の悪いものだ。

 ときに人は、形あるものよりも見えないものの影響を強く受ける。柚葉も同じだ。

 だが物理的でない以上、柚葉が心を殺せば国外逃亡も不可能ではなかった。

 それをしなかったのは、柚葉があまりにこの国を知りすぎたからだ。それも目の前の男の思惑であったのだろう。

 この世界へ来た当初から、男は柚葉をよく城の外へ連れ出した。美しい自然を見せ、民の生活を見せ、生きる笑顔を見せた。

 なんて陰湿な手法だろうか。

 知らぬうちに柚葉は担いだ荷物を下ろせなくなっていた。

 国の民を見殺しにすることなど出来なくなっていたのだ。

 加えて、柚葉が国外に逃げなかった理由はもう一つある。

 柚葉が国を出たかどうかは、こうして迎えに来た目の前の人物――いずれ国の頂点に立つ男には筒抜けだということ。

 柚葉の一挙手一投足を把握しているわけではなく、国内にいるかどうか、その一点において王の直系である男には感じ取る力があった。

 だからこそ、たとえ何処に逃げようと、柚葉が国内にいるとわかれば捜索の手など直ぐに伸びると思っていた。それでも時間稼ぎのために逃げ出したのだ。柚葉は真実を知るための時間が欲しかった。

 結果的に柚葉の目的は十分過ぎるほどに果たせたと思う。

 二年もあれば、当然の結果とも言えた。

 国にとって召喚してまで必要とした存在が柚葉であり、周到に張り巡らせた真綿によって縛り付けなければならないほど手放せない人柱が柚葉だったはず。

 それなのに柚葉が城を出て二年。柚葉が街で過ごした日数は、この世界に喚ばれて城で過ごした日々の半分をとうに越していた。

 それだけの時が経過しても一向に現れない追っ手に、柚葉は逆に不安を掻き立てられていたくらいだ。

 いや、心のどこかでは尤もだと思っていたかもしれない。

 柚葉のお守りから解放された目の前の男は、きっとその優しい仮面を脱ぎ捨てて、開放感と気儘な独り身を謳歌し、柚葉が把握していた以上の相手と快楽を貪っていたに違いない。


 柚葉は胸を突き上げる暗い思いを押し殺し、奥歯を噛み締めた。

 目の前の男に向かい衝動をぶつけることすら、悔しい気がした。

 全てを過去のものにしたかった。


 「……カイ、私は戻りません」

 「――」


 カイと呼ばれた男は驚いたように翡翠を見開き、言葉を飲んだ。

 柚葉からそのような言葉が出てくるとは露ほども思っていなかったかのような顔。

 迎えに来たと優しく微笑めば、躊躇いなくその手を取るとでも思っていたのだろうか。

 本当は寂しかったと柚葉が泣いて縋るとでも。


 ――まさか、本当に?


 柚葉にはもうそんなことは不可能であるのに。

 何故なら柚葉は、女官たちによって美しく端整込めて整えられた繊細な男の手が、柚葉だけのものではないと知ってしまった。それはもう随分と前のこと。

 柚葉以外に触れ、情熱的に動くさまも、熱を生むさまも見せ付けられた。それも一人ではない。

 自分以外の女性が汚れているとは言わない。だが、柚葉が知る限りでも相手は数人も居たし、それらに熱く触れた彼の手は、もう穢れたものにしか見えなくなっていた。少なくとも、柚葉が触れて欲しいと思える手ではなくなった。

 男は知らないだろうが、男の相手の女性の中には柚葉を邪魔に思い、直接的に接触してきた女性も居たのだ。狙い澄ましたように柚葉の行く先で行為に耽って見せたりもした。柚葉の存在が国にとってどんなものであるのかは把握していただろうに。大胆不敵とはこのことだった。

 そんな光景を見せられる度に柚葉の心は潰れ、先ほど落としたヨティツェよりもなお赤い血を流した。

 男は柚葉の前では真摯に誠実に、どこまでも優しい理想の男を演じていたから、柚葉は軋む胸を抱えながら裏切りの事実を信じられないでいた。

 まるで目にしたものが悪い夢であったかのように、初めの頃は気づかぬ振りをした。しかしそれも、回を重ねるごとに目を逸らすことなどできなくなる。

 明らかな不貞だった。

 国の民や臣下にも祝福されて挙げたはずの結婚式はなんだったのか。

 思い悩み苦しみながらも男の裏切りに目を瞑って半年。柚葉がこの世界に来て二年と少しが過ぎた頃だった。

 全てが嘘であったと知ったのは――。


 「カイ、……カイファス。わたしはもう貴方のところには戻りません」

 「……っ。――何故そんなことを?」


 笑ってしまう。

 何故、と。

 誰よりもそれを知っているであろう本人が聞くのか。

 柚葉は非道な男に投げつけたい数多の言葉を飲みこんだ。

 どんなに恨み言を連ねても、何もかも今さらだ。

 そして、色々なことに目を向けようとせず、ただ流されていた自分にも非はある。

 だから口にしたい言葉はたった一つだった。


 「……カイファスをもう愛していないから」

 「――っ」


 衝撃を受けたような顔。有り得ない言葉を聞いたような。

 確かに、彼にとっては有り得ない言葉だったかもしれない。柚葉が裏切りを知るまでの一年半以上もの間――いや、露見していないと思っていた彼からすれば柚葉が突然消えるまでの三年間ずっと、彼は自分を抑えて柚葉に対しては誠実な男を演じ続けていた。

 男は綿密に作り上げた柚葉のための仮面を完璧だと思っていただろうし、そう見えるよう努力もしていたのだろう。

 そこまでして繋ぎ止めようとしていた相手から、気持ちが離れたと告げられるのはどんな気持ちなのだろうか。

 きっと、ふざけるなと、お前ごときが何様のつもりで、と怒鳴り散らしたい衝動に駆られていることだろう。

 幼稚で脆い柚葉を相手にする苦行を耐えていたにも関わらず、簡単に心変わりを告げられれば、罵りの言葉の一つも浴びせたいに違いない。たとえ本当の心に柚葉への想いなど欠片も無かったとしても、いや、だからこそ、不快に思ったはずだ。

 柚葉にすればカイファスへの気持ちが消えるまでには血を吐くような辛さを耐えていたのだが、彼はそれを知らないのだから急な心変わりを理不尽だと受け取っているだろう。

 しかし、もうどうでもいいことだ。

 カイファスの気持ちも。

 城で良くしてくれていると信じていた彼の臣下たちのことも。

 嘲るように微笑みを向ける女たちのことも。


 柚葉はただ、静かに暮らせるのならそれでいい。

 カイファスの側ではなく、柚葉が守っている国の民の側で。


 「国からは出ません。わたし自身が在ればいいのなら、何処に居ても同じはずです」

 「ユズハ……」


 城で過ごしていたときの柚葉にはない余所余所しい口調は、カイファスに対する明確な拒絶を表していた。

 仮面を外すべきか迷っているのか、未だに困り果てた優男の顔をするカイファスに、柚葉の心は波打つ。白々しいと叫んでしまいたかった。


 「何故そんなに頑なになってしまったんだ? 城で嫌なことがあったのか? それとも私が何かした? ……私が何かしでかしたなら謝ろう。だから――」

 「何をしている」


 何も理解せぬまま簡単に謝るだなんて、本当にどこまで自分を馬鹿にしている!

 柚葉が堪えきれずに叫びだそうとしたとき、バサリと大きな音とともに低く地を揺るがすような声がカイファスのそれを遮った。


 「バルナス」


 縄のように太い、灰の色味が強い褐色の腕が腰に回り、大きな茶の翼が身体を囲った。






注)超ネタバレ的時系列説明↓


◆柚葉が召喚される

 →一年未満で結婚

 →その半年後くらいに不貞発覚

 →さらに半年後くらいに夫やら臣下やらの嘘が発覚

 →全ての発覚から一年後くらいに主人公が王宮から逃走

 →街に移住して半年くらいでもふもふ発見&お持ち帰り

 →それから一年半ほどでお迎え登場(←いまココ


ということで、主人公の召喚から裕に五年が経過しています。長



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