5話 宿屋
買い物をしているうちに、もう昼に近づいていた。
医者に診てもらったところ、足は幸いにも数週間ほどで治る軽症であったようだ。
「ふう 疲れたから一眠りしに宿屋に行こう」
「ちょっと そんな悠長でいいの?!」
「お前さんの世話で大変だったんだぞこっちはよ」
「うぐっ… 」
アナスタシアには言い返す言葉もなかった、実際彼女は足を引っ張っていたのである。
町の中にある、まあまあ大きめの宿屋の前まで歩いて行くと、ふと疑問に思う。
「カイ あんたずいぶん余裕そうじゃない? 命狙われてるのよ?!」
「あいつらは… 明るいうちは町に入ってこられないだろうさ」
「?」
「どこにも行けないっていうのは 悲しいことだよなあ…」
とカイは遠くの空を見つめるのであった。
宿屋は大きいものではない、よくあるような普通の宿屋でこの宿屋の主人であろう、口の軽そうな小太りの男が受付をしていた。
「二人で」
「じゃあ 2部屋…」
「いや 一緒でいい」
カイの言葉に、アナスタシアは耳を疑った。
こいつと一緒の部屋?! 冗談ではない。
アナスタシアですら、常識で婚前前の男女が同じ部屋にいるものではないと理解している。
確かに、彼には守ってもらっている。それなら同じ部屋にいるのは道理というものだろう。
しかし、彼女の常識上、受け入れ難いことであった。
まあ、アナスタシアが文句を言ったところで、簡単に押し切られてしまうのであるが…
「ふいー 疲れた疲れた」
「変なことしないでよねっ!」
「しないしない 興味ねーもん」
「そ そう… 」
「それで?」
「?」
「リアム様って誰よ?」
「気安く口にしないでちょうだい! 将来この領地を収めることになるお方よ!」
「ふーん」
「いいこと!!リアム様はね……」
アナスタシアの口からマシンガントークの如く、リアムのことが溢れ出る。
隣の領地を収めている領主であること、結婚相手であること、今までのこと。
それらをまとめてカイにぶつけた。
「なるほど おまえさんの偉そうな態度がなんでかよくわかったよ」
「なっ! 失礼じゃない!」
「事実を言っているだけー」
「とりま 状況確認したところで ひとっ風呂入りますか」
「こ ここで脱ぐ気なの?!」
アナスタシアの抗議を無視して、カイは脱ぎ出す。
彼が上着まで脱いだところで、アナスタシアは驚いた。
「え?!あ あなた…カイ!」
「ん? ああ いうタイミングなかったな」
「女なんだよね 私」
彼、いや彼女はサラッと言ってのける。
カイの胸の上にはサラシは巻かれていたものの、そこには確かに胸があった。
「なかなか気づかんもんかね あの服屋の親父にはなんかわかったみたいだけど」
「な なんで男の格好してるわけ?」
「女ってわからない方が、都合がいいこともあるんだよ 世の中にはさ」
そういう、カイの顔に暗い影が少し落ちる。
アナスタシアはそれ以上は聞かなかった。なんとなく、聞かない方がいいような気がしたのである。
「ま それより、風呂の時までゆっくり寝てなよ 起こしてやるから」
「な なんか混乱してきたわ…」
そのまま、カイは風呂があるであろう部屋の奥に引っ込んでいった。
アナスタシアはベッドで寝ながら、これからどうしようかと改めて考えていた。
リアムのところへは、馬でもなければ徒歩で1ヶ月もかかってしまうだろう。
まだ、足も怪我しているし、その倍はかかってしまう。
早く会いたいという気持ちが、胸の奥で燻る。
あとは彼に任せれば大丈夫、きっと大丈夫。
彼が、アナスタシアの父であるボーダーフォートの領主が死んだことをいつ知るのか、アナスタシアが生きているのを知るのがいつか、そういうったことは彼女は考慮しなかった。
単純に、彼女には想像が及ばなかったのである。
ただ、会いに行けば解決する。
そういった思い込みが彼女の中を支配していた。
そのまま、アナスタシアは夢もない眠りの世界へと落ちていったのである。




