第8話「戻れない地上」
地下に、朝は来ない。
光も、風も、空も存在しない世界。
時間の感覚は、人工的な照明と装置の稼働音だけが刻んでいた。
人々はまだ“待って”いた。
いつか水が引き、地上へ戻れる日が来ると。
だが――
ジェレスだけは、最初から分かっていた。
「戻る場所は……もう無い」
観測室のスクリーンに映し出された地上は、
もはや“大地”ではなかった。
海。
どこまでも続く濁った水面。
かつて都市だった場所も、文明の中心だった地域も、
全てが同じ色で塗り潰されている。
酸素濃度、土壌成分、放射線量。
どの数値も、人類が生きるには致命的だった。
「仮に水が引いたとしても……」
「地上は、死んだ星と同じだ」
研究者の一人が震える声で言った。
誰も反論しなかった。
できなかった。
決定的だったのは、その日だった。
地下拠点の外縁部――
岩盤の隙間から流れ込んだ微量の水が、
一部の区画を崩壊させた。
犠牲者が出た。
それは事故ではない。
警告だった。
自然は、地下に逃げた人類すら許していない。
ただ、時間を与えているだけだ。
ジェレスは瓦礫の前に立ち尽くし、
崩れ落ちた天井を見上げた。
「……地上に戻るという選択肢は、もう存在しない」
その言葉は、
誰かを安心させるためのものではなかった。
宣告だった。
人々の間に、静かな混乱が広がる。
「じゃあ、俺たちはここで一生……?」
「子どもはどうなる?」
「この場所は、本当に安全なのか?」
恐怖は、必ず“誰か”を求める。
責任者。
指導者。
あるいは――神。
ジェレスに、視線が集まった。
かつてカイザーが望んだ位置。
人の上に立ち、決断を下す者。
だがジェレスは、一歩下がった。
「俺は、支配者にはならない」
ざわめきが起こる。
「だが――」
「放置もしない」
彼は、はっきりと続けた。
「ここで生き延びるための“仕組み”は作る」
「選択肢は、用意する」
「どう生きるかは……君たち自身が決めろ」
それは、不安定で、危うい思想だった。
だが同時に――
唯一、人間を人間のまま残す道でもあった。
夜の無い地下で、
ジェレスは一人、記録装置を起動する。
「地上文明は、終わった」
「だが人類は、終わらせない」
彼は少しだけ、言葉を選び、続けた。
「神の名を借りるつもりはない」
「奇跡も、救済も、約束しない」
「それでも――」
「この地下で、新しい文明を始める」
岩盤の奥で、低く、重い振動が響いていた。
それは地熱でも、地鳴りでもない。
覚悟が固まる音だった。
こうして――
人類は正式に、地上を捨てた。
地下に残されたのは、
絶望ではなく、理性。
祈りではなく、科学。
そしてジェレスは、
“生き残るための文明”を作ることを、
この瞬間、選んだ。




