第2話 捕獲
須藤海斗の目の前で、空気は元に戻った。
風が吹き、鳥が鳴き、山の匂いが鼻を打つ。
だが、胸の奥はざわめき続けた。
「……今の、なんだ……?」
足元を見つめ、深呼吸を試みる。
岩肌の中にあった潜水艦の形は、もうそこにない。
まるで幻だったかのように、完全に消えていた。
しかし違和感は消えない。
頭の奥に、意味のわからない“声”が残っている――
無機質で、感情のない、存在の視線の記録。
その時だった。
背後の空気が、突然重くなる。
無音のまま、世界の密度だけが変わった感覚。
そして、背筋に氷のような視線を感じた。
「……誰だ……?」
振り返ろうとするが、足が地面に固定されたように動かない。
視界の端で、かすかな揺らぎ。
それは風でも、霧でもない。
──まるで空気自体が曲がった。
海斗は理解した。
自分は見つかったのだ。
目の前に現れたのは、人の形をしていた。
だがその姿は、人間離れしていた。
色彩は自然に馴染み、光を反射しすぎず、影を落とさない。
動きは滑らかすぎて、筋肉や骨の運動を超えている。
その一挙手一投足が、観測であることを明示していた。
「……な、なに……?」
気づいた時には、海斗は浮いていた。
地面から足が離れ、空中で安定している。
まるで、見えない手に持ち上げられたかのように。
「危険はない。抵抗は不要。」
声もないのに、脳内に直接流れ込む。
言葉ではない、論理の塊のような冷たさ。
それでも海斗は理解する。
これは脅しではない。捕獲だと。
目の前の存在は、動かすことなく、海斗の体勢を制御している。
だが同時に、肌で感じる力の強さは無限に近い。
人間の腕力など、まるで存在しないように思えた。
「……や、やめ……」
言葉は途中で消えた。
声帯すら支配されるような感覚。
観測者の意思ひとつで、思考も動きも止められる――
その事実が、恐怖を通り越して、理解不能な感覚に変わった。
視界の端で、光の揺らぎ。
山肌の色は元の景色。
だが、揺らぎの奥に、透明な翼のような何かがあった。
海斗は知った。
これが、地上の人間が決して見ることのない存在の姿であることを。
「……っ、うそ……」
次の瞬間、空気の密度が変わり、海斗は静かに空中で固定される。
意識は明晰のまま、体だけが自由を奪われている。
まるで、観測者の手で世界そのものから切り取られたかのようだ。
──こうして、須藤海斗の運命は、
静かに、しかし確実に動き出した。




