第二章 現代編 第1話 観測対象外
須藤海斗がそれを見たのは、
登山計画が、理由もなく破綻した日のことだった。
天気予報は晴天。
風も弱く、装備にも問題はない。
山は、いつも通りそこにあるはずだった。
だが標高一八〇〇メートルを越えたあたりで、
世界の手触りが、唐突に変わった。
音が消えた。
風の音も、鳥の声も、
自分の呼吸音さえも――
まるで、耳ではなく世界そのものが黙り込んだようだった。
「……なんだ、今の」
足を止めた瞬間、視界が歪む。
霧ではない。
陽炎でもない。
目の前の岩壁が、
そこにあるはずの景色を拒否している。
背景の山肌が、水面のように揺らぎ、
輪郭だけが微妙にずれて見える。
ピントが合わない。
いや、合っているのに、合うべき対象が存在しない。
須藤は無意識に一歩、後ずさった。
岩壁の一部が、
存在してはいけない形を描いていた。
巨大だった。
細長く、滑らかな曲線。
人工物であることだけが、はっきり分かる異物。
それは――
山の中に埋まっているはずの何かだった。
「……潜水艦?」
口に出した瞬間、
自分で自分の言葉を否定した。
海にあるべきものが、
なぜ山の内部にある。
だが、どう見てもそれは
潜水艦のシルエットだった。
後に須藤海斗が
**原子潜水船**と呼ぶことになる存在。
その時、それは
完全に停止していた。
次の瞬間、
空気が「戻った」。
風が吹き、
音が流れ込み、
世界が何事もなかったかのように再起動する。
同時に、
目の前の異物は消えた。
最初から存在しなかったかのように。
――だが。
頭の奥に、
言葉ではない情報が直接流れ込んできた。
〈下位文明個体、確認〉
〈識別番号、未付与〉
〈当該個体、観測対象外〉
意味は分からない。
理解もできない。
それでも須藤は、
はっきりと悟った。
自分は、誰かの視界に入った。
それは敵意でも、好意でもない。
ただ、
「確認された」という感覚。
見てはいけないものを見たのではない。
見られるはずのない存在が、自分を見た。
須藤海斗は、
まだ知らない。
この日を境に、
自分の記憶が一度、
書き換えられることを。
そして――
それでもなお、
再び観測される運命にあることを。




