第三話 闇に潜む声
死体と血の跡を踏みながら、俺は歩いていた。腐った匂いが、鼻の奥にこびりつく。
それでも、止まれなかった。振り返っても、もう町の光は見えない。闇は深く、空気は冷たい。胸の奥が、じわじわと空いていく。
――差別されたのは確かだ。
町内では、俺はいつも「外の者」だった。それでも、叔母さんたちがいた。名前を呼んでくれる人がいた。今は……本当に独りだ。
初めて町の外に出た俺は、何をすればいい?とりあえず、生きなきゃならない。
「…光だ。火をつけないと」
そう思って、何度も試した。石を打ち、乾いた草を集め、火を起こそうとする。
――失敗。
また失敗。
夜は容赦なく冷えていく。草を束ねて、簡単な寝床を作った。その横で、手にした棒をぼんやりと見つめる。気づけば、涙が一粒、落ちていた。
「……今こそ、光ってくれてもいいだろ」
首元のネックレスを、無意識に握る。だが、何も起きない。光らない。沈黙したままだ。寒さに身を丸め、そのまま目を閉じた。
――次に目を覚ましたのは、音のせいだった。ガタガタと、車輪が揺れる音。馬車だ。
それに、怒鳴り声。
争っている……?
首を追って、森の奥へ目を凝らす。
そのときだった。
――金属が、擦れる音。
息を止める。この音は……。
鎖だ。
月明かりに照らされて、倒れた木の影に「それ」がいた。
獣の耳。汚れ、絡まった毛並み。手足には、太い鎖が食い込んでいる。
人間じゃない。だが、魔物とも言い切れない。
――目が、合った。
その瞬間、分かった。本当なら、逃げるべきだ。関われば、確実に面倒なことになる。
危険だ。
それでも――
俺は、足を止めていた。
「……助けて、って顔をしてる」
声には出せなかった。それでも、そう見えてしまった。
そのとき。
遠くから、下卑た笑い声が聞こえた。
人間の声だ。
――最悪だ。
俺は、まだ何もできない。それなのに、世界はまた選択を迫ってくる。月明かりの下、鎖が小さく鳴った。
――ここから、逃げるべきか。
笑い声は、複数だった。近づいてくる。
「まだ生きてやがったか」
「耳が立ってるな。いい値がつくぞ」
低く、粘ついた声。人間だ。間違いない。
獣耳の存在は、鎖を引きずるように小さく身を縮めた。逃げ場はない。鎖が、木に絡まっている。
――俺の心臓が、嫌な音を立てる。逃げろ。
今なら、まだ間に合う。俺は何者でもない。力もない。ネックレスも…光らない……。それでも。
視線がまた合った。怯えている。でも、それだけじゃない。
――諦めた目だ。
その瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
「……ちくしょう」
気づいたときには、俺は木の影から一歩、踏み出していた。
「おい」
声が震える。それでも、届いた。
「そいつから……離れろ」
一瞬、沈黙。
次の瞬間――
「は?」
月明かりの下、三人の男が姿を現した。粗末な鎧、汚れた剣。兵士じゃない。傭兵でもない。
――盗賊だ。
「なんだガキ」
「町の残りカスか?」
「ツイてねぇな」
笑い声が、近づく。 足が、すくむ。喉が、乾く。それでも、下がらなかった。
「そいつは……売り物じゃない」
自分でも驚くほど、声は低かった。盗賊たちは顔を見合わせ、次の瞬間――腹を抱えて笑った。
「聞いたか?」
「守るつもりらしいぜ」
剣が抜かれる音。
――終わった。
そう思った、その時。鎖の音が、強く鳴った。獣耳の彼が、俺を見ていた。震えながら、それでも必死に首を振る。
――来るな、と。
その仕草だけで、十分だった。
分かっている。助ければ、戻れない。
逃げれば、生き残れる。
それでも――
首元が、わずかに熱を帯びた。光はない。音もない。
だが、確かに――
何かが、そこに「いる」。
盗賊の剣先が、月明かりを反射した。
逃げ道は、もうない。
俺は、息を吸った。
――選んだ。
この夜が、
俺の旅の始まりになることを、
そのときは、まだ知らなかった。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
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