100 そして、幕は人知れず破かれる。
不穏な空気とともに病院編のクライマックスです。
その日の海は不思議なほど凪いでいた。
「これは・・・嵐が来ますねー。」
自分の研究室から見える景色を見ながら、ウォルター院長はそんなことをつぶやいた。
防犯や治療の関係で窓のない院内であるが、職員たちのメンタルケアーのために、各施設の最上階には個人が自由に使えるプライベートスペースが用意されている。そこを利用している間は、仕事を忘れ、窓の景色を楽しんだり仮眠したりとリフレッシュができる。季節感や外の様子を感じることは、健康上大事だ。日々の業務に追われながらも、院長が率先して動くことで職員たちがストレスをため込み過ぎないようにしている。
そんな彼だからこそ、海の気配に嵐を予感した。すぐに外をでてインターホーンを取る。
「私だ。海の様子から今晩は嵐になるかもしれない。外のお客さんに警告をだしおいてくれ。」
電話の向こうの職員はその指示に驚いた様子だったが、すぐに了承し、電話の向こうがにわかに騒がしくなる。その様子を耳で確認し電話を切ろうと思うが、直前で思い返して新たな指示を出すことにした。
「万が一だ、エントランスに寝袋なども運んでおいてくれ、最悪の場合はそこで一晩保護することも想定して準備を。」
大人しく山を下りてくれればいい。嵐が来ないことも、大した規模ではない可能背もある。一方で長年の経験から、今晩はいつにない嵐になる。そんな予感がした。
「天気予報を確認しましたが、雨程度のようですが。」
「杞憂で終われば、それでいいさ。よろしく頼む。」
さすがに不審に思った職員をそうなだめながら取り越し苦労で終わって欲しいと、院長は思った。
ずいぶんと自分たちを馬鹿にしている。職員から告げられた言葉に、彼女は激しい怒りを覚えた。
「はっ、嵐が来る?もう少しましな言い訳をしなさいよ。」
珍しく、病院の人間が自分たちの方へやってきた。そしてつげたのは、天候が荒れるからキャンプを引き払った方がいいという的外れな警告だった。
「天気予報はこちらでも確認している。沿岸部に雨が降るって話だけどたかがしれているわ。」
「ですから、気象庁の予報は、この地域をカバーしていないんです、ネットだけを鵜呑みにするのは。」
「そんなこと言って、私たちが居たら困るだけなんじゃない?」
そう反論すると相手は口を閉じて、首を横に振る。
そら見たことか、自分たちを騙そうとしたって、そうはいかない。伊達に一年近くキャンプと街の往復生活をしてきたわけではない。もう少ししたら、冷え込みが厳しい時期になるが、温暖な気候であるため、凍死の心配もない。キャンプ用のテントだって、荒事向けの頑丈なものだ。備蓄だって充分にある。そもそも、
「この地域に嵐なんてくるわけないじゃない。」
今日まで過ごしてきたが、天候が荒れたことなんてなかった。
「警告はしました。ともかくすぐにでも避難してくださいね。」
警備員と思われる男たちは最後にそう言って、悔しそうそうに去っていた。いつもと逆の光景に、彼女を含め仲間たちは機嫌がよくなった。
「しかし、嵐か、いくらなんでも。」
「でも、もし本当だったらどうする?」
敵が去れば、残るのは疑念。万が一にも警告が本当だった場合についてひそひそと相談する仲間たちもいた。頑丈なテントであるが、所詮はテントだ。もし本当に嵐が来たらと不安になるのも無理がない。
「逆よ、今日が攻め時なのよ。」
だが、女はそれこそチャンスと思えた。
「嵐なんてこない。なのに、警告をしてきたというなら、何か後ろ暗いことをするからに違いないわ。」
仲間たちに聞こえるように、声を張り上げて女は主張する。
「それならば、今日こそ、証拠や手がかりがつかめるかもしれない。それに、万が一にも嵐が来ると本気で思っているなら、外への監視は緩くなっていると思うの。」
すべては女の妄想である。だが、仲間たちが弱気になっている中で、その言葉には不思議と説得力があった。まるで映画のワンシーンのような光景に、仲間たちは飲まれていく。
「監視を強化しましょう。街へも援軍を呼んでおきましょう。」
返事は聞かずに、女はスマホで街にいる仲間たちへ連絡を取り始める。本来ならばもっと話し合う場面だが、女の妄執は、少しでも早く、病院の闇を暴くことに向いていた。
「テントも撤去して、撤収の準備を。」
「はっ?」
「相手に私たちがいないと油断させるの。それに、忍び込めたら、その日のうちに逃げ出せるようにしておかないと。」
それは、彼らが何度も妄想した、病院の襲撃プランだった。
テントなどの持ちだせる装備をもって、先に街に戻るもの。実際に病院に忍び込んで、不正の証拠をつかみ、患者たちを解放するもの。ネットなどを通じて、それらを拡散するもの。万が一に備えて脱出路を確保するもの。
荒唐無稽ながらに、彼らは真剣にそのことを考えていた。病院の構造や、心臓部と思われる場所、患者を解放、運搬するために舟をジャックする方法に、警備員たちを無力化する方法。
「本気か?いくらなんでも。」
「今日しかないのよ。きっとこんなチャンスは二度とこないわ。」
そう言いながら、女は空を指さす。木々の間から見える空は灰色にそまり、もうすぐ雨が降りそうだった。もしかしたら本当に嵐が来るのかもしれない。
「仮に嵐が来るというなら、それこそチャンスよ。患者を救い出すのは難しいかもしれないけど、院内の実態を暴ければ、世論に訴えることもできるはず。」
この意思決定の場面で幸運だったのは、患者の身内が居なかったことだろう。患者の救出ではなく、正義の証明、悪を暴いて賞賛を浴びたいという欲求がメインのメンバーばかりだったことだ。
「わ、わかった。俺はやるぞ。」
「そうだ、一年も準備したんだ。きっとうまくいく。」
正義、その甘い言葉に全員が酔っていた。嵐の前の静けさの中で女の妄言は、英雄の言葉となり、彼らは、彼女の言葉通りの未来が実現することを疑わなかった。
「それじゃあ、計画通り、監視班を・・・。」
一年という時間の中で、その妄想を何度もシミュレーションした結果、具体的な方法までできていたのもよくなかった。
こうして、彼らは、迫りくる嵐から逃げるのではなく、立ち向かうことを選んでしまった。
まあ、蛮勇と勇気の区別のつかない上に、自分たちの見たいものしかみていない計画がうまくいくわけもない。
結果は、惨敗だった。院長の予想どおり、嵐による強風は周辺の木々を揺らし、彼らの監視所を吹き飛ばし、大粒の雨は彼らの戦意も装備もボロボロにしてしまった。
「だから、言ったのに。こっちだ。」
警告に来た警備員たちの誘導で、エントランスまで避難したときの彼らはズタボロだった。装備の大半はダメになり、衣服はびしょ濡れで泥まみれだった。
「・・・なんでこんなことに。」
痛みと寒さで震えながらのつぶやきに答えなどない。
向こう見ずな団体が悲劇をなんてことは、起こらない? それはどうかな?




