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【アップ】男山教会2022年8月21日礼拝説教/思記〜『家の記』より

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782


【カクヨム】

https://kakuyomu.jp/my/works


【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=_yETpd7VChA&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12760851059.html

(ブログを見てくださると聖書を閲覧できます)



2022年8月21日 礼拝説教 聖書朗読箇所


ペトロの手紙一 1章1~5節


1

イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。

2

あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。生き生きとした希望

3

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、

4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。

5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。


イザヤ書45章2~7節


2

わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし

青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り

3

暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。

あなたは知るようになる

わたしは主、あなたの名を呼ぶ者

イスラエルの神である、と。

4

わたしの僕ヤコブのために

わたしの選んだイスラエルのために

わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが

あなたは知らなかった。

わたしが主、ほかにはいない。

わたしをおいて神はない。

わたしはあなたに力を与えたが

あなたは知らなかった。

6

日の昇るところから日の沈むところまで

人々は知るようになる

わたしのほかは、むなしいものだ、と。

わたしが主、ほかにはいない。

7

光を造り、闇を創造し

平和をもたらし、災いを創造する者。

わたしが主、これらのことをするものである。



(Mynote)


(子供メッセージ)

問い「われらに罪を犯す者我等が許す如く、我らの罪をも許したまえ」では、何を祈り求めているのですか?

私たちが、イエス様の十字架の恵みによって、罪が許されていることをいつも思い起こし、他の人たちの罪をも許すことが出来るようにと祈り求めます。さらに自分自身の罪をますます深く悲しみ、罪の許しを祈り求めます。


(公同礼拝)

小出牧師(引退牧師)

『ペテロの手紙第一』(第一章一から五節)

『イザヤ書』(第四五章二から七節)

福音書に描かれているペテロと使徒行伝に描かれているペテロでは、まるきり違う。

福音書に描かれているペテロは威勢が良い。そのせいでイエス様から少し叱られる場面もある。更に保身に徹する所もある。臆病な性格である。

使徒行伝のペテロは、福音に徹する。多くの人々を信仰(神様の方)に導く。自分の身の危険さえ顧みずに行動して行く。

この驚くべき変身がある。イエス様が天に上られてからペテロは変わった。送られて来た聖霊により、死をも恐れない人間に作り替えられた。

ペテロは福音を述べる仕事を神様(イエス様)から与えられた。これはペテロの地位を高める為ではない。

詰りこれはそのまま、ペテロが使徒に任じられた事を意味する。福音に回っていた地区は主に今のトルコの辺り。

『ピリピの信徒への手紙』を参照。

「我がしもべヤコブのために、私の選んだイスラエルのために、私はあなたの名を呼んだ。あなたが私を知らなくても、私はあなたに名を与えた。」(『イザヤ書』第四五章四節)

父と子、聖霊…三位一体。

使徒…何の為に選ばれたのか?聖人に作り替えられる、という意味ではない。罪から守られる。聖霊により罪から清められる。礼拝を守る事。イエス様に(キリストに)従う事。更に具体的に言えば、キリストの所有物に成る事。その人生をキリストに(神様に)委ねる事。

神様と契約者、もう一方のその契約者に自分が成る事。使徒に成る事。ペテロを始め他の使徒の様に。

与えられて居るものに先ず十戒が在る。

生贄の血を、祭壇と、人々に分けて振り掛ける。人々は契約の受取人に選ばれて居る。→聖餐式。信仰者(人々)はその契約の中で生かされて居る。

信仰者にとっての財産はその信仰である。神様から既に与えられているその財産である。これを常に思い出さねばならない。これに気付かねばならない。

神様の霊により導かれる者は全て神様のものとなる。神様を父と呼ぶ事が出来る。

何の特権も無い我々が、このイスラエルのように、神様により救われる民に選ばれて居る。

神様の教え・信仰に背を向けているのが不信仰・罪人。でもこの罪人に、途轍もない希望が与えられている。救われる事への希望、財産。地上(この世)に在る限り、キリストから離れないよう、常に努めねばならない。神様の力、信仰により我々は守られている。

ウェストミンスター信仰告白参照。→『ペテロの第一の手紙』(第一章五節)参考。我々は信仰から落っこちる事はない(その心配をする必要はない)。

クリスチャンになったからとて、罪が消える訳ではない。クリスチャンになる事で、迫害など、更なる困難が在る事もある。常に神様に「我らの罪をも許したまえ」と祈り続けねばならない。

人は究極に於いて、罪に救いを求める事・見付ける事は神様により出来なくされている。だから人には必ずその究極に至るまでに、神様に祈る時間がある。

我々は罪がある生き物だが、罪なきものとして神様は見做してくれる。



思記〜『家の記』より


中指と親指の間に人差し指を入れる。その素振りをすると他人がそれは卑猥だからやめなさいと言って来た。でもそれは誰かが勝手に作った物事だろう?俺はその人に従わないから大丈夫。と言ってその申し出を跳ね除けた。人が作った物事に左右される事は無い。


サイドビジネスで原稿執筆を依頼してくれる事が本当に感謝である。頼りにしてくれる事が嬉しいのである。この事も全部含め神様に感謝する。常に神様に感謝出来るように。未熟だが、そう成らねば成らない。


東京に住む人は自分の土地に故郷は無いと言う。そんな事は無い。東京が故郷である。元々は田舎だったのだ。大地だった。日本だった。地球だった。その地球を与えられたのは神様である。人の故郷は神様の下に在り、天国に在る。(愛する知人の言を承け記す)。


子供の時、中国と言えばジャッキー・チェンだった。


「こんなのドラマだ、現実ではない」そう言う人が居るが、ドラマだからこそやる価値が在る。現実に起こり得ず、ドラマで表現出来るからこそやる価値が在るのだ。理想と夢と正義を忘れない為に。現実を生きて居れば、人はこれ等の事を忘れる。そして忘れたその在り方を正当化する。そうしない為に必要なのだ。


最近のゲームより、ファミコンの方が安心する事がある。


簡単に記す。人間は説明付けたいから無神論と言う言葉を生んだ訳である。無神論とは人間の思考のみで凡ゆる事象に就いて説明付けたいと言う原動力を持つ。人間は何事に就いても安心を求める上で説明付けたい生き物である。でなければ、無神論と言う言葉も、それを思考が選ぶ選択肢すら生まれなかった筈である


宗教と政治を引き離す事は無理である。そもそも政治が宗教だったのだ。宗教が人間世界を支配して居た。例えば聖書の時代、当時は現代より宗教の支配力が強く、それが理由で各地で紛争が起き、信仰の自由すら無く、それを信じねば人を殺傷する(これは人間の欲望・邪教の為す業に在る)…その繰り返しで所謂る宗教戦争・紛争が起きて来た。これを知る上で、宗教が初めに在り、その初めに在ったものが人を支配して居た、こう成る訳だ。それから思えば現代は曖昧である。いろんな物事をいろんな形でいろんな思考により置き換えて、目に見える物、お金や武器、そう言う物に置き換えて価値観を見辛くして居り、原点も見えなくして居る。これは一体何なんだ?この世界は一体…そんな空間に現代人は生きて居る。無論生かされて居るのであるが、その生かされて居る事にも気付けない程、自分で生きて居る、自分で生まれて来た、だから自分で考える、だから宗教と政治も分離出来る、人間がする事だ、人間に出来ない事は無い…そんな原動力の元、正義を自分で決めようとして居る。それが現代人である。そう捉えて不思議ではない。原点思考とは時に、過去の原点に立ち返る必要がある。アダムとエバの世界。そこまで還る必要がある。原点思考とは又、全ての物事に就いて原点を追究しそこへ還りその視点に留まる、この必要が出て来る。そこまで行った時、宗教から政治が生まれて居る事も自ずと分かるものである。これは私論である。経世済民と成れば目に見えるお金や武器が出て来るが、それも政治から派生したものであり、国民の生活や命・安全を護る為に必要だとしてそれを生んだのであり、そうさせたのは経世済民の母体と成る宗教である。そしてその宗教は人に与えられた自由の選択肢の内で為されて居る事。ここで聖書が人に教える物事に立ち返る必要があった。それを無視して人が人の思いや手で人の命・平和・安全を護ろうとした為、先ず人を殺傷する武器が生まれたのである。その様に考える。この点でも原点思考を曖昧にする切っ掛けが生まれて居り、目に見える物に縋ろうとする人間の弱さがその誤魔化しの切っ掛けと成り、宗教と政治の本来の在り方を分からなく(解らなく)して居る。宗教から政治が生まれて居るのだ。宗教と政治を分離する事、政治からその母体である宗教を払拭する事・取り除く事は無理である。これを再確認する必要が常に人間にはあろう。聖書の時代はこの宗教による支配力が現代より更に激しかったのだ。


昔から政治と宗教は一緒だった。魔女狩りが在った程である。宗教が人間を動かして居た…そんな時代が在る。今でもそれは続いて居る。そう成るべくして成って居るのだ。フランスのように分離しようとして居る事そのものが無駄である。それは分離して居ない。


信仰に生きたいと祈り願う君の理想は、聖書を通し、神様が既に人々に語って下さるのである。


ファミコンのレトロゲームを、今の若い子達がユーチューブのライブ動画でアップして居り、そこのチャットで多くの面ユーザとコミニケーションを取る事が出来る。例えば『リンクの冒険』。俺はこれを小学校4年生の時に、茶の間で何かを読んで居た母親の横でずっとやって居たのを覚えて居る。小学校四年の時である。一九八七年。小学校四年から五年生に掛けて、あの時にやって居たこのゲームを、今二〇二二年に於いて、また他人がやって居るのここで見、そのコメントでこうして語り合う事が出来るとは…あの時に、果たして想像出来ただろうか?この奇跡のような恵みに感謝である。神様に感謝する。


家族はやはり不思議なものである。血の繋がり、これが不思議なのだ。愛である。他人ではない。その内には他人が入れない。これも言える。父と母を愛する。そしてその家族から隣人を愛する事が出来るのだ。全て神様が与えられたものである。


つくづく思うが、外国人と普通に話し合えればどんなだろう?例えば日本語で話して相手に通じる、そんな状態に在ればどんなに世界観・活動テリトリーが広がるか。外国人の友人を多く持つ事も出来たか知れない。俺が持つ今の価値観は、どうも多くの日本人と合わないらしい。しかし外国人となら(更にフィールドも広がると言う意味で)合うかも知れない。こんな事を昔から考えて居た。だから英語を話せる者達、特にイギリスの人達が羨ましいのだ。


『宇宙刑事シャリバン』のラスボスはサイコ。所謂る心理である。詰り人間の心理が人間にとって、最後の強敵。「魔王サイコ!」シャリバンが叫ぶ台詞。人間の敵はやはり人間、その心理に在ったのか。面白い。


現実に於けるフィクション、フィクションに於けるリアリズム、どちらを求めるかである。


戦前・戦時中・戦後の作家。彼らの事を言葉で戦った男達、とテレビで紹介して居た。良い言葉だと思う。その筆頭の日本の作家に川端康成が紹介されて居た。俺は小林多喜二のような人を先ず想像して居たが。


イエス様は人々に「悪人の為に祈れ、彼らを許せ、そうすればあなた方の罪は許される」と言われたのに、何故人々はそれを聴いて自分達の為に祈り、悪人を殺し、彼らを許さなかったのか?その歴史が確実に在る筈だ。「悪人に手向かうな」とイエス様は言われるが、これが人々にとっては至難の業に成る…このような文句からその文句に人間の魂が宿り、その魂が人々をその文句の通りに行動させるのか。信仰生活を全うする事が如何に難しいか、それを人々は常に突き付けられる。しかし人間には限界が有る。この限界が、時にこの事への救いに導くものと成る。人々はそれをも知って居る筈。だからこそ人々は神様に寄り縋り、イエス様の言葉を常に心に留め、その通りに生かされる様に祈り続けねば成らない。人が成らないのである。


脱藩。それを本気でしようと思って居るなら、譬え問い正して見た所で「それをする」等と言う訳が無い。脱藩するには金が要る。その金の工面を証拠として捉えた上でも、その真意を知る事は中々容易ではない。果して現代に於いても、これと同様の経緯を辿り、同様の真意を問い正して見た処で、同じ事が言える。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?v=MCyjy8BuIIw


「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは」

https://www.youtube.com/watch?v=lbm8N7ZZRMY


スペシャルWEB配信 無観客ライフ・ライン、世の光のつどい

https://www.youtube.com/watch?v=WtWo_wXvLAI


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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