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ちいさな片思いと、ちいさな男の子

祐にとって、小さいころから傍にいて、同じ時間を過ごしているのは凛だった。学校というものが始まってから、同じ時間を共有しているという意味においては、もはや家族よりも多いかもしれない。

同学年の2人にとって、それこそ生まれたての赤ちゃんのころから、同じスピードで育ってきた。

……はずのなのに、どうしてこうも違うんだろう。

教室の後ろから2番目窓側の席から、前からも窓側からも2番目の席に座る凛の背中を見る。

凛の背中はぴんと張り、黒板の字をせっせとノートに書き写している。数学の教師が大声で数式の説明をし、少数の生徒たちがこそこそと話している。時々教師の目を盗んでは女子生徒たちが手紙のやりとりをする。教師の言う、くだらないダジャレに少しテンポが遅れて笑う教室。何人かから「おやじギャグ!」「つまんない!」などと野次が飛ぶ。その中で凛は周りの女子生徒たちと目を合わせて笑っている。ベリーショートなのに女の子らしさを失わず、むしろ、その髪型のせいで女の子らしさが前面にでているんじゃないだろうか。

凛の成績は学年1位を争う。反面、祐の成績は学年最下位軍団に見事にのみこまれている。

バドミントン部の凛は次期部長として、部を引っ張りながら、多くの大会で入賞している。反面、バスケットボール部の祐は万年補欠として席を温め、1年生の時に買ったユニフォームも新品同様だ。

文武両道ってこういうこと言うんだろうな~……。加えて、性格も良いんじゃ、学年一モテるって言われても納得するわ。

祐はノートをとる振りをしながら、教室に視線を回す。

絶対、加藤も凛ちゃんのこと好きだよな……。

当の加藤は1番前の廊下側の席から、ちらちらと凛を盗み見ている。一番近くにいる祐の気持ちにすら気づかない凛には、加藤からの視線には気づく由もない。

はぁぁぁ……。

人知れず漏れるため息。中学2年生になった祐にとって、これはまさしく人生14年目にして14年目の片思いである。

外に目を向ける。窓側の席はこうやって現実逃避ができるから良い。

今日はどんより曇り空。午後からは雨だって言ってたな……傘忘れたけど。

空に影響されてか、祐の気分もどんより曇る。

この片思いが実る日が来るのかな。それとも、凛ちゃんより好きな人ができるのかな。

答えはでない。なのに、何回でも考えてしまう。自分に自信はまるでない。凛の前ではなおさら。凛は自分を軽々超えていってしまう。少しでも自信が持てたら違うかもしれないのに……。

考えがどんどん深みにはまっていく。と、その時、ガタガタと揺れた。

はっと我に返ると、後ろの席の生徒が両手でガタガタと席を揺らしていた。驚きを隠せないまま振り返る祐に小さく前方を指さす。その方向に目をやると、教卓に片手をついて体重をかけている、中太りの男性教師が黒ふちの眼鏡の向こうの目が「やっと気づいたのか、藤本」と言う。

また、やってしまった……。心の中で舌打ちをするが、時すでに遅し。

「……すみません」

気づけば、少しがやがやしていた教室内がいつの間にか静まり返っている。そして、視線が祐に集まっている。凛の視線もこちらに向いている。

「大丈夫か、藤本? 席替えるか? 俺の前に来い」

「……いや、大丈夫です」

「じゃあ、これ、解け」

数学教師がコンコンと黒板をたたく。なにかの数式のようだが、xやyや数字が並びすぎてさっぱりわからない。因数分解と黒板の端に書いてあるから、そうなのだろうけど、祐の知っている因数分解より数字もアルファベットも多い。

「……すみません」

「……わかった。次は絶対に席替えるからな」

「はい」

「じゃあ、これ解けたやついるか?」

教師の問いかけに生徒たちの体の向きが黒板に向く。

凛が体の向きを帰る途中に少し心配そうな視線を祐に投げかけたが、祐はそれに気づかないふりをした。

こんなことはしょっちゅうだ。そのたびに祐は泣きたい気分に襲われる。


午後に降りだすと天気予報では言っていたが、夕方になっても降らなかった。

だが、雲行きは時間の経過とともにあやしく、今は黒い雲が空を覆い、まだ太陽が沈むような時間ではないのに街灯が灯っている。

悟はランドセルを脇に置いて、階段に座ったまま壁に向かってテニスボールを投げては取り、投げては取り、と繰り返していた。今日は鍵を家に忘れてしまって、母親か兄の祐が帰るのを待つしかない。

聞こえていくる声に小学生の騒ぐ声とは違う声が混じり始めた。中学生たちが帰ってきてるのだ。

祐が傘を持っていってないことは知っているし、部活がない日ということも知っている。それなら、早く帰ってくるはず。というか、早く帰ってきて、兄ちゃん。

そう念じるように思いながら、顔にかかった髪を耳に掛けた。

ランドセルが黒くなかったら、女の子と間違えられてもおかしくない。髪が細く、もともと色素が薄いため茶色い。その髪が肩の下まで伸びているため、後ろでひとつにくくっている。ぱっと見た感じは活発な女の子だろう。

祐と悟の母親は女の子を欲しがっていた。他の幼なじみたちが祐、悟の兄弟以外、2人姉妹ということもあったのだろう。周りの女の子たちが可愛い髪型にしているのを見ては、そうしてあげられることを羨ましく思い、苦肉の策で悟の髪を伸ばし、悟を鏡の前に座らせて楽しそうに結う。さすがの悟も三編みは断固として拒否をしたが、普段からお姉ちゃんたちから「可愛い」と言われている悟にとって、髪を伸ばして、髪を結うことにさほど抵抗はなかった。

「まだかな……」

中学生が帰ってきている気配を感じてはいるが、祐が帰ってくる気配がない。

こういう時に限って遅いんだもんなぁ。そう思って投げたテニスボールは力が入りすぎたのか、壁から跳ねかえってきたのを取り損ねて、座っている階段下まで転がり、さらにはその下の広い階段も転がり落ちていく。

「あ……」

悟は慌てて立ち上がるとボールを追いかけた。階段を1段飛ばしで降り、広い階段の一番下の段で捕まえる。車の下とかに入らなくてよかった。

ぽんと軽く上にボールを放って、右手の中に戻す。それを数回していると、自分の左手から視線を感じて顔を向けると、少し離れたところにゴールデンレトリバーがはっはっと息をしながらこちらを見ている。しっぽがゆらゆらと左右に揺れる。

近所の犬ということは知っていた。近くに飼い主の駐車場があって、たまにこうやってつながれている。動物好きの皐月や葉月、2人の父親がよく相手をしているところに入っていって、撫でたことが何回かあった。

「遊びたいの?」

悟がその場から犬に話しかける。少ししっぽが揺れるのが早くなる。悟がボールを地面に投げて、空中にあがったボールを片手で取って見せると、自分の体を近づけようとする。が、鎖が邪魔して、結局元の位置に戻る。が、しっぽの揺れがどんどん早くなる。

犬って、嬉しい時とか遊んでほしい時にしっぽをふるんだよ。

そう、さっちゃんが言ってたな。悟の脳裏に皐月が教えてくれたことが過ぎる。

悟はボールをはずませながら、ゆっくり近づいた。犬が口を開け、舌を出す。まるで笑っているようにも見える。

撫でられるところまでの距離まで近づいた。人懐っこい目が悟を捉える。悟もそれが嬉しくて、ふっと笑い返す。

だが、次の瞬間、何が起こっているのか分からなくなった。

自分の肩に重くのしかかるもの、自分の耳元でする荒い息、顔にかかる明るい毛。

自分の手からボールが落ちたのにも気づけない。

小学4年生の悟にとって、ゴールデンレトリバーはあまりに大きい。

足を踏ん張っていないと立っていられない。

どうやって逃げていいのかも分からない。

誰か、誰か、誰か、誰か……。

いつまでこうしてればいいの!?

目もつぶれない状況が永遠に続くかと思ったとき、ふっと肩が軽くなった。

その途端、力が抜け、2歩、3歩後ずさったかと思ったら、そのまま地面に尻もちをついてしまった。

「ちょっと! さとくん、大丈夫?」

その声は葉月だった。目の前に心配そうな葉月の顔がある。その顔が葉月と判断するにも時間がかかってしまった。

犬を後ろから抱えるようにしていた皐月がそっと犬を下すと、ぽんぽんと犬の体を叩くように撫でる。

「お姉ちゃん。さとくん、大丈夫かな?」

返事のない悟がさらに心配になって、葉月が姉を振り返る。葉月の頭の後ろで皐月が悟に視線を落とす。そして、悟の視界に犬が入らないように悟に近寄っていく。そして、悟の前にしゃがんだ。

「さとくん」

皐月が微笑むように笑いかける。そして、皐月の右手がやさしく悟の頭をなでる。犬に抱きつかれた瞬間に髪がほどけてしまい、ぐしゃぐしゃになってしまっているその髪を梳くようにやさしく。

「もう大丈夫だよ」

そのことばに悟の目からは涙があふれ出す。一瞬、皐月も葉月もびっくりしたが、皐月はその体をそっと抱き締め、葉月は姉の手の代わりに悟の頭を撫でた。

皐月と葉月の腕の中で、悟は声を出して泣いた。ことばにできないくらい、怖かった。誰も助けに来てくれないと思った。しゃくりあげて苦しかったが、それでも涙が止まらない。皐月も葉月も泣きやませようとはせず、ただ、ただ、泣いている悟を抱きしめるしかない。

どれくらいの時間が経っただろう。

泣きつかれた子供のように完全に体から力の抜けた悟はまだしゃくりあげてはいたが、涙も止まり、落ち着いてきた。小学校4年生とはいえ、男の子の悟は今の状況が急に恥ずかしくなり、体を離した。

「もう大丈夫?」

顔を覗き込んできた皐月に、顔を見られたくなくて、ぶんぶんと首を縦に振り、さらに俯く。葉月は「そっか」と言って立ち上がり、姉が投げ捨てた荷物を取りに行く。

皐月もゆっくり立ち上がり、悟がそれに続くのを見守る。犬に抱きつかれたパニックで力が抜けきってしまっていたが、悟はふらふらと立ちあがった。顔は相変わらず俯いたまま。だが、皐月も覗き込もうとはしない。

「あれ? 悟?」

そんな雰囲気を壊したのが悟の背後の声。振り向くと、兄の祐が不思議そうにこちらを見ている。

葉月が姉の荷物をぶんぶん振り回しながら、祐に近寄る。

「たっちゃん、久しぶり~」

「うん、はぁちゃん、元気そうだね」

「うん! 葉月はいつでも元気だよ! 来年は葉月も中学生だからよろしくね~」

「まだ、半年以上も先だよ、はぁちゃん……」

「あ、そっか~。そうだね!」

あははは、と大きな口で笑って、白い歯を見せる。人懐っこさは4兄弟の中では末っ子の悟と競うくらいだ。

ただならぬ雰囲気を感じていたが、葉月の笑顔に聞くタイミングを逃してしまった。

「なんかね、さとくん、たっちゃんを待ってたみたいだよ!」

葉月が笑顔のまま付け加える。祐が悟に目を向けてみると、悟は相変わらず俯いているが、皐月が「そうだよ」とばかりに頷く。

また鍵を忘れたのか。こういうことは初めてじゃない。小学生のときはよく教室まで取りに来ていたが、小学校と中学校で学校が分かれると、外で待っていることが多かった。

皐月に支えられるように歩いてきた悟に視線を向けると、少し泣いたようなあとが目に入る。ただ、こっちを見るような気配もないし、どちらかというと「何も聞くな、何も言うな」という感じもする。悟がそんなだから、祐も特に何かを聞こうとは思わなくなった。それは男同士の暗黙の了解みたいなものなのかもしれない。さっちゃんもはぁちゃんも、特に何も言わないし……。

「はい、さとくん」

葉月が拾い上げたテニスボールを悟に手渡す。「ありがと……」そう弱々しながらも返ってきた言葉に葉月がまたにっこり笑う。皐月も安心した。

「じゃあ」

祐はそう言って、悟と一緒に歩き出す。皐月と葉月も少し離れて後ろを歩く。

「じゃあ」って言われたけど、同じマンションだから、一緒なのにね! そう葉月が小さく、そして、ちょっといたずらっぽく姉の耳に言う。皐月は苦笑いを返す。

4人のあとには、ぽつぽつと雨が落ち始めていた。

前話が女の子だけのお話だったので、男の子メインで書いてみました。

祐がヘタレでごめんなさい…。悟はまだまだ幼い小学生ですし。。。

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