出会い
バブルの最中、都心を中心に開発が進んだ。
が、それに飽き足らず、ベッドタウンと呼ばれる住宅街が一気にでき上がる時代。
1日、2日で様相は変わってしまうほど開発が急がれ、そして、空き部屋がないほど人がさまざまなところから集まり、山だったり、林だったり、荒れ地だった土地は簡単に街になる。
そんな時代にできた1つの住宅街で、1組の兄弟と、2組の姉妹が出会う。
5歳くらいの女の子が2人、階段の前で立ち尽くしてる。
階段が高いわけではない。
7段の低い階段を上れば、家に入れる。母親がまた甘いお菓子を用意してくれているはず。それを食べたくて、家のまわりを一周して、戻ってきた。
だが、今、2人はどちらが前に立つでもなく、ただ、手をしっかり掴んで、おなじ方向を不安げに見つめる。
その視線の先には階段に沿って身をくねらせる細い蛇。
彼女たちには初めて身近に見るもので、広い階段の前で立ち尽くしてしまっている。
ただ黙って見つめる。蛇はゆっくり身をよじらせ階段を上っていく。これでは家に到底帰れない。母親に助けを求めることにできない。
広い階段の左端にいる蛇を避けて左側から上ることも、初めて蛇を見る彼女たちには恐怖でしかない。今はゆっくり動いている蛇も、こちらに気づいて、もしかしたら飛ぶように進んで噛むかもしれない、たとえ、家までたどり着いても一緒に入ってしまうかもしれない……。
黙って見つめるだけ見つめて、どれくらい時間が経っただろうか。
蛇が視線で焼け焦げて穴が空いてしまうかもしれないというほどの時間が経ったころ、人が歩いてくる気配を感じて、やっと彼女たちの視線の位置が変わる。
その先には高校生くらいの少年が雑誌を読みながら近づいてくる。
1人の女の子の顔がぱぁっと輝く。いつもあそんでくれるおねえちゃんのおにいちゃんだ!
つないでいた手をぱっと離し、精一杯走る。そのあとを急に手を離されたことに、そして、蛇の前に1人置いていかれてしまったことに驚いたもう1人の女の子も続く。
「おにいちゃん!」
そう呼ばれた少年はそこでやっと雑誌から目を外して、とても、とても真剣そうな眼をした女の子に目を向ける。彼が住んでいる部屋の階下に住む女の子ということは知っている。が、それ以外は何も知らない。「あそんで」とか言われても困る。
少年は身をかがめることも、やさしく声をかけることもなく、女の子を見つめ返す。あとから走ってきた女の子は泣きそうな顔をしている。
「へび!」
声をかけてきた女の子が一言、大きな声でそう言う。
「へびが、いるの!」
今度は指をさして言う。
指をさされた方向に行くと、あと2段で階段を登りきる蛇が目に入った。うわ、蛇なんて初めて見た……。
少年が一瞬たじろぐと、今度は後ろから、かなり下からだが、熱い視線を感じる。
仕方ない、そう少年は息を吐く。どっちにしろ、これ、どうにかしないと僕も帰れない。
読みかけの雑誌を広げて、蛇の背後に近づく。そして、首の後ろあたりを雑誌に挟む。そのまま持ち上げると全体の3分の2がぶらんと、だが、少し動きながら、雑誌からはみ出す。雑誌越しに普段感じることのない感覚がする。鳥肌が立つ。
そのまま振り返ると、2人の女の子は今度は抱き合うように、こちらを不安げに見ている。
ともかくどうにかしないと、と頭を巡らせる。
この住宅街はあえて自然を残して作られている。そのせいか、たぬきもたまに出るし、虫だって多い。
蛇は初めて見たけれど。殺すといったって、それは僕もできない。もう、もとに戻すしか……。
そう考えて、早歩きで公園に向かう。公園といっても、正しくは公園の裏で、小さな雑木林みたいになっている。きっとこの蛇もここから出てきたんだ。
少し高くなっているところにそっと蛇を下す。すると蛇は今までゆっくり動いていたのが嘘のように林の奥にガサガサと音を立てながら消えていった。
もう戻ってくるなよ、そう心の奥から思う。できることであれば、もう見たくない。もう勘弁。
振り返ると2メートルくらい先に、また2人の女の子が抱き合うように立っている。ただ、先ほどと違うのは尊敬を感じる視線だということ。
少年はその視線が気まずくて、避けるように彼女たちの前を通ると、蛇をつかんだ雑誌をゴミ箱に投げ捨てる。そのあとを1メートルくらい近くを2人がついてくる。言いたいことがあるのに、何から言っていいのかわからない。そんな雰囲気を背中で感じる。
さらに気まずくて、早足になる。その後ろを小走りについてくる2人。
階段を1段飛ばしで上る。2人はついていけず、広い階段を2歩かけて、一生懸命上る。
結局何も言えずに、少年の姿は2人の前から見えなくなってしまった。
2人は蛇がいなくなった階段を上って、やっと家に入る。
そこから2人は母親が作ってくれた甘いお菓子のことなどすっかり忘れ、言えなかったことを矢継ぎ早に母親に話した。母親が同時にしゃべる2人が何を言いたいのか、何を伝えたいのかを理解するのに時間がかかったのは言うまでもない。
その日から数日後、少年は自分の母親から賞賛の言葉を聞く。
何もなかったようなそぶりを見せながら、お礼と持ってこられた甘いお菓子を口に含んだ。形がいびつなのが混じっているのは、きっとあの女の子が一生懸命形作った結果なんだろう。ふっと口元が緩んだ。
2人の女の子、「へび!」と叫んだ女の子は山川結、そのあとをついて回っていたのが長谷田ももか、ともに5歳。
彼女たちの出会いは半年前、近所の子どもというつながりで、初めてできたお友だち。
2人がこの物語の始まりを作る。
それから少し経ったころ。
小さな子ども顔が6つ並ぶ。並ぶというか、ひしめくということばが正しいのかもしれない。
その視線の先にはベビーカーに乗っている生後半年の赤ちゃん。見慣れない世界を大きな目に収めようとゆっくり見渡す。そこには顔、顔、顔、顔、顔、顔。顔しかない。
「わぁ、かわいいね!」
「かわいい!」
「うん、かわいい!」
「うん、うん!」
「ちょっと食べたりしないでよ?」
あまりに顔が近付いていく様子にベビーカーを押す母親が声をかける。そのことばに6人の顔が同じタイミングで上がる。それにつられて生まれて半年のわが子の目線もこちらに向く。
「食べないよ!」
「そうだよ、食べないよ!」
「食べない、食べない」
「うん!」
必死に訴える子どもたちが可愛い。心強いお姉ちゃんたちだ。自然と目が細くなる。
そうしていると、ぐらっとベビーカーが揺らいだ。はっとなって、左側に重みがかかったベビーカーを支える。見れば何も言葉を発していなかった男の子がベビーカーに乗ろうとしている。今まで自分が使っていたベビーカーのせいか、やきもちなのか、ベビーカーの中の弟をつぶす勢いだ。
「だめだよ、たっちゃん!」
6歳になった結がベビーカーから、4歳の祐を抱え上げる。その様子も不安定でこわい。
「結、危ないから」
横から母親が出てきて、祐を下させる。6歳にしてしっかり者の結は「危ない」と言われたことに少し不満げに口をすぼめたが、兄弟の母親に「結ちゃん、ありがとうね」と言われてすぐに笑顔になった。そして、自分の母親にぶら下がるように手を引っ張って、
「ママ、結もおとうとがほしい!」
と、とびっきりの笑顔を向ける。これには母親も「そうね」と微笑み返すしかない。
「でも、結には凛がいるじゃない?」
まだベビーカーを覗きこんで離れない女の子に視線をやって付け加える。
「りんはいもうとだもん!」
そう不満げに言い残すと、結は凛の隣に戻って、一緒にベビーカーの中をのぞく。「さとるくんだよ」と妹に教えるが、凛はふふふっと笑って返すだけ。「さとるくん」と何度も言って教えるその姿はすっかりお姉ちゃんになっている。口ではどう言おうと、結は2歳下の妹が可愛くて仕方ない。
そして、結の最初の友だちのももかにも妹ができていた。3歳下のさやか。2人ともおとなしく、元気でしっかり者の結にいつも振り回されてばかりいる。それでも、ももかは結が大好きで、小学校のクラスが分かれただけで家で泣くじゃくったこともあった。
そして、もうひとつの姉妹。
姉の皐月は早々にベビーカーから離れると少し離れたところに座って、家から持ち出した絵本をぺらぺらとめくりだす。6歳の結とももか、4歳の凛と祐と、皐月の1歳違いには2人ずつ友達がいたが、皐月にはいない。昔はよく遊んでくれた結とももかは小学生になったとたん、遊んでくれなくなったのが寂しくて1人で本を読むことが多くなった。皐月の隣にぴったり寄り添うように座るのが妹の葉月。何をするでもなく、姉がぺらぺらめくる絵本を一緒に見る。
「さっちゃん、あそぼ!」
「いっしょにおさんぽしよう!」
そう結とももかが声をかける。そうすると、皐月の顔がぱっと華やいだ。そう言ってくれるのを待ってたの、とばかりに。大事そうに絵本を置くと、皐月はまだ小さな葉月の手をしっかり握って、妹に合わせてゆっくり歩く。
2人が合流して、1組の兄弟と3組の姉妹が楽しそうに歩きだす。
結が皐月に小学校自慢をする。皐月はそれを楽しそうに聞く。葉月はそうしている姉を見て一緒に笑い、ももかは「早く一緒に学校行けるといいね」と妹の手をひく。同い年の祐と凛は手をつないで、顔を見合わせて笑顔になる。一番下で生まれたての悟は太陽の光に眩しそうに目を細めた。